2017.08.12 (Sat)
結論としては妥当、まあまあ合格ラインだろう。
が、やっぱり、ただしておきたい点は何ヵ所も見受けられるぞ。
私個人的には、こういうことのために、ブログ エントリーをアップしなければならないのかという苛立たしさは募っている。
いいかげんにしてほしいのだが。
安倍政権すり寄りメディアの定番というのは、あらかた分かってきてるので、そんなものに、わざわざ、目を通す時間を割くのはマッピラ・カンベンだけど、
ある意味、もっと始末が悪いのは、こういうところの記事。↓
『「撤回」が流行? “政治家の失言”その裏にある本質とは』AERA dot.福井洋平
(以下、当該記事より抜粋文中の文字強調は、当ブログ主によるもの)
「政治評論家の木下厚さんは、『小選挙区制が導入されて派閥の力が落ち、党内で議論する下地がなく』」
派閥の力が落ちたからという理由付けは、そのとおりとできるのかどうか、私は疑問に思ってるけど
(だいたい、自民党の場合に限っては、そんなことを言うが、野党、特に民進党あたりだと、やれ「またも党内分裂」だ「しょせん一枚岩では ない」だの言うよねw)、
まぁ、それは置いといてだ、
「『今は目の前の聴衆へのパフォーマンス目的で、ブラックジョークのうまさが答弁のうまさだと勘違いしていることから生まれている』
冒頭の務台氏の失言は、まさにこのパターンだろう。」
なんのなんの。まだまだよ。
「眼の前の聴衆へのパフォーマンス目的でブラックジョーク(←どの人のも、上手いとは全く思えんのだがね!w)」云々と言うのなら、それこそ、麻生さんを忘れちゃいけませんやろ。
そう、あの「ナチスに学べ」発言です。
私は「しつこく」w覚えてますぞ。
今後も、決して、忘れることは ない。
そのときの「眼の前の聴衆」が、この「ブラックジョーク」「パフォーマンス」を、大喜びしていた、ってこともね。
あれも、たしか、『日本会議』関係の場における発言だったという。
ま、ヘタな芸人化してるってことだ。
それと、これも、わりと近頃になって知ったことの一つだが、
いちばん「悪臭の元」アベシが会長だという『創生 日本』とかいう会合での「パフォーマンス」か本音だか知らないが、要するに国民主権を なくせ!(なくさんと、本当の自主憲法でないウンヌン)
といった内容のトンデモ発言ね。
会長アベシは終始「おかま」まる出し内股座りっぽい腰掛けかたにナヨっぽい手つきでもって、ぱちぱち嬉しげに拍手を繰り返しておったわ。
なぜ!こんなのが!!
日本の(他国のなら嗤ってるだけで おれるかもしれんけど)、
よりによって日本の首相なのか、私には わからん!!!
失言の多くが「内輪」の場で発せられていることからも、この心理が読み取れる。日本ではまだ失言扱いされるが、米国ではもはやそれが失言とすらとらえられず、トランプ政権誕生にまでつながったと下條教授は言う。
それは違うよ。
すでにトランプ氏側からも認めているように、
むしろ、日本のほうが先行していたんです。
この教授さんも、当該記事の筆者さんも、それが分からんの?
まだしもアメリカは、トランプ政権誕生前も直後からも、批判の声が日に日に大きいだけ、感情鈍麻みたいなまま「パターナリズム」どっぷり日本国民よりも幾分かはマシだと思えるわよ。
それにしても、いまのアメリカ大統領、北朝鮮とのガキじみた応酬を見ていると、ほんとうに、アメリカ人は、軽薄な人物を選出してしまったもんだなあと、あらためて呆れるわ。
いま、なぜか、あっちこっちの国で、
歯の浮くような、かつ、支離滅裂セリフを吐いて、そらぞらしく誤魔化そうとしながら、上着の裾を翻すたびに黒い腹をチラチラ見え隠れさせつつ、傲岸不遜をトレードマークみたいに誇示する、といったスタイルのトップを持つ国が散見される、けったいな時代になってしまってるけど、こういう手合いが、国家の最高権力に就いてしまうと、たちまちにして、各国一般庶民を巻き添えにキナ臭くなる、その見本を、われわれも目撃している最中なのだ。
「政治家側もその風潮に乗っかり、失言に対するマスコミ経由の批判を『マスコミは信用できない』『文脈を無視して切り取られ、真意がゆがめられた』といった言い方で切り抜けることができるようになった」
いや、全体の文脈は重要なんです。
マスコミ界は、文脈をシッカリと紹介し、かつ、鋭く切り込んだ分析を伝えること。
歪んだ信念や軽率な思想モドキから本音を垂れ流して必然的に失言してしまう、あるいは、その価値観を同じゅうする内輪の場で舞い上がり、ついつい漏らしてしまうような愚物セイジ屋を逃がさないためにも。
でないと、
せっかく捕まえた忌々しい失言(本音)についても、その報道の仕方如何では、無知でアホな国民や、こうした政治屋のシンパどもから、ここぞとばかり「マスコミ不信」ネタとして、逆活用されてしまうのよ。
肝に銘じてくださいね。
人は聞きたい、信じたい話に耳目を開き、受け入れる傾向がある。ネットの普及でその傾向はさらに強まっている。近現代史研究家の辻田真佐憲さんは、ネットの普及で左右を問わず既存メディア全体に対する不信が広がっていることにも注目する。
「政治家側もその風潮に乗っかり、失言に対するマスコミ経由の批判を『マスコミは信用できない』『文脈を無視して切り取られ、真意がゆがめられた』といった言い方で切り抜けることができるようになった」
「政治家の発言についてすべて生のソースにあたって確認することには限界がある。メディアの力が失われれば、困るのは国民のほうです」
~
ライターの武田砂鉄さんは、「政治家の失言をしつこく覚えておかなければいけない」と強調する。
「メディアは失言ばかり取り上げて政策論争をさせないという批判がありますが違うでしょう。失言は政治家の本音を表し、その向こうに政策がある。失言=本質と考え、揚げ足を取り、言葉尻をとらえ続けていく必要がメディアにはあると思います」
「誤解を与えた」と言い逃れ、放置すればいずれ国民も忘れる、という成功体験を政治家に与えてはいけない
そのとおりです。
「人は聞きたい、信じたい話に耳目を開き、受け入れる傾向」
「失言=本質」、また、その者の本音であるというのは、心理学でも早くから指摘されていること。
大局的な政治方面とか、われわれ一般国民生活に影響してくる重大なことに関しては、「受け入れる」かどうかについてだけは、日常ぼんやりウッカリな私自身だが、世間の表面的で浮ついたムードや「空気」に流されないし、わりと、最初の直感が働くほうだけど、
われわれ一般人が入手できる情報は、どうしても、個々に限界が あり、この「情報洪水」時代に おいてさえも、決して、万全・満足できるものは なかなか ないのだから、結論を出すのに、そうとうの時間も かかりがちながら、検証も厳しくしているほうのつもりではあるけれど。。。
『マスコミに告ぐ。』
【続く】
2017.08.07 (Mon)
最近、今次改造内閣の先行きが、のっけから思いやられるような発言を かました、沖縄・北方担当相に就任したばかりの江崎氏が、
国会に おいては、官僚・役所の答弁書をロードクさせてもらうとかって、いかにもフテクサレた、ひらきなおったような発言を していたという記事を見かけ、
「政治家が、いよいよ閣僚入りし、大臣に就任したら、まずは、専門筋の官僚たちから、詳しいレクチャーを受けつつ、あらためて勉強し、専門性を身につけ、政治的見識を磨き、深めるといったシステムになっているという話は、すでに聞いたことは あるのだけども、そんななかで、いやしくも政治の道を志し、晴れて議員となった以上、かねてからの理念や国家的ヴィジョンというものを持っているはずの政治家たる者が、官僚の言うことに、何かしらの疑問を感じたり、大なり小なりの問題を、どこかで見い出したりすることは ないのだろうか。
そりゃまあ、親から稼業・家業を継いだだけだ、と内心では思ってる世襲政治屋は置いといても」
このように、私は怪訝に思ったんだけど。
民主党政権時、外務大臣を つとめたのは、元党首も つとめた岡田さんだったっけ、
外務省官僚たちが、自民党政権までの重要書類や機密文書の多数を、いともアッサリ無責任に、廃棄していたり、不明にしてしまっていたことを知って、声を荒げて叱りつけた、とかいう話も あったのは。
だが、以下に挙げた2種の記事を両方とも読んでみると、真逆の指摘を展開していて、なんだか分からなくなってくる。
『民進・桜井充氏「加計学園が認可されれば文科省も追及」』
2017年8月7日
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/210774/1
民進党の桜井 充氏というかたのことは知らないでいたけど、この記事でインタビューしている記者の質問に、正面から答えていない、はぐらかすような箇所が見受けられるね。まあ、しかたない事情もあるのだろうけど。
また言うのだが、
民進党(旧 民主党)に、かたがた言っておきたいのは、
本気で、政権を取りに行く気迫は、そりゃ必要だろうけど、政権を手にしさえすれば いいというわけでないことは、旧の民主党政権時代で、痛いほど思い知ったはずだし、
「第二自民党」と呼ばれてしまうような、自民党の亜流なら いらないよ、ってこと。
しょせん、オリジナルの存在には勝てやしないでしょ。
ましてや、元首相の野田さんみたいに、あたかも自民党のスパイをさえも疑わせるほどの「露払い・草はらい」役では、どうもならんわ。
ま、もしも奇跡的に再び与党になったとしても、この次は、長い長い自民党時代、なかんづく、戦後最悪と呼ぶべき安倍政権の、今は まだ水面下に隠れている深刻な問題の尻拭い全て引き受けることと、その出口の模索・方向の明示をも達成する覚悟で やることさね。
タネを撒いたのは別人で、そやつ自身は言い逃れしていても、刈り取れなかった者ばかりが責められる世のなかなのだ、それを痛感したはずです。
さて、上掲記事より抜粋
文科省の問題も防衛省の問題も根本は同じです。つまり、官僚の反乱です。トップダウンと言えば聞こえがいいが、安倍政権のやっていることは明らかに行き過ぎです。それでも本当にやらなければならないことであればついて行くんでしょうが、そうじゃないからみんな頭にきている。だから、内部リークが相次ぐのでしょう。安倍政権は2014年に内閣人事局を発足させ、官邸が部長、審議官級以上の約600人の人事権を掌握し、官僚機構をコントロールできるようになりました。国のためにやるべき政策が歪められ、政権の顔色をうかがわざるを得ない。納得できない人事が行われている。何とかこの状況を変えたい、と思っているのでしょう。
(文字強調は、当ブログ主によるもの)
まあ、今のところ、これについて中心的に説かれている話としては、そういう内容が圧倒的だとは見受けるね。
「頭にきて内部リーク」
これと似た現象は、まさに「政治主導」を標榜していたらしい(私は、よう知らんがw)民主党政権時代にも、まさに自衛隊において起きましたわなあ。
さてさて、
だけども、こっちの記事では、だいぶ違うことを説いてはるでぇ。
『改造内閣発足で考える、なぜ大臣になると政治家は劣化するのか?』2017年08月07日 06時00分 週プレNEWS
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12176-89486/
「内閣改造が行なわれましたね。多少の期待感があっても確実に裏切られるでしょう。どんなに有望視された政治家でも、大臣や党の幹部を歴任していくうちに目がよどみ、キレのない印象に仕上がっていく。その原因は閣僚の選び方にあります。よく『閣僚人事は総理の専権事項』だといわれますが、実際には官僚がすべてやっています。ここ50年以上、本当に自分で人事をやった首相は小泉純一郎さんくらいです」
「“閣僚の身体検査”という言葉がよく使われますが、首相個人には調査能力がありません。調査をするのは官僚です。各省庁から、役所にとって都合がいい議員がリストアップされるのです」
ふぅーん。
首相個人には調査能力が ない、というのは、
各大臣が、そもそも、専門性に乏しいとかシロウト同然だということと似て、そりゃそうだろうとは思う。
しかし、
「調査をするのは官僚」でも、誰それを調査せよという指令は、やっぱり、組閣主たる首相が出すものじゃないの??少なくとも、首相自身の腹づもりや希望も あるはずだよね?
だいたいさ、
たとえば、「パンツ高木」とか呼ばれた大臣もいたよね。ああいう人ってのは、官僚や役所にとって、なぜ、そんなに都合が いいわけ???
「あ」の付く人と同じく「でくのぼう」みたいなもんだからなの?w
「謙虚な姿勢で議員生活を始めるため、先輩議員や官僚からの教えを素直に聞いてしまうのです。だから先輩や官僚が敷いたレールからはみ出そうとしない。その結果、何も変えられない凡庸な政治家に仕上がるのです。彼らの目標はただひとつ。親を超えることだけなのです。親が大臣経験者なら、より格上の省の大臣になるのが彼らのゴール。国の繁栄や国民生活など考えちゃいません」
ふむふむ、私も、たびたび指摘してきた「優等生ちゃん」的性向ゆえの「素直さ」ということかな。
乾いた砂が吸い込むようにじゃないけれど、苦労知らずで、何のストックもない、まるで幼い子どもなみの無批判性でもって、自力で検討・検証するだけの思考力と見識は一切、備えておらない。
そんなタイプの「優等生」だと、むやみな「再現能力」みたいな面ばかりが突出していて、それ以外は何もない、という、ある意味、哀れなオツムを しているとも指摘できるわな。
とにかく何でも「勉強熱心」だったら それでイイわけじゃないからねえ。
「ヤンキー先生」の あだ名を持つ義家さんのように、グレる人というのも、
逆に、優等生ちゃんというのも、どちらも同じく、
非常な俗物性・俗物世界の価値観に毒されているからこそ、そうなるというタイプが ある。出世欲なんかは代表的だろう。
「国の繁栄や国民生活など考えちゃいません」
これ、先日、どこかのコラムで、元官僚だった古賀茂明氏も、同じことを ぶっちゃけておられたな。ほとんどの官僚の本音は そうなんだとかって。
そう言えば、
例の甘利さんも、この人は、いちおう「政治家」と呼ばれる立場だけど、同じように、そういう内容の発言を ぶちまけてたんだってね。
しかし、もとから そうなんだったら、なぜ、わざわざ、その道に進んだのだろう。
あくまで、試験に受かったからとか、点数だけ稼げる能力が、自分には、たまたま与えられてるから、それを活かすのに最適だからとか、
そういった、他の意味での計算ヅクなわけ?
もしも私だったら、試験に受かろうが、要領良く こなせる自信が あったとしても、てんで興味や関心を持てない方面は避けるけどなあ。
国家や国民生活のことなんか どうでもいいと思ってる人が、
よりによって、政治家や官僚を目指さないでほしいし、なっては いけないでしょう。法律では禁止されてなくても。
「大臣や党の幹部を歴任していくうちに目がよどみ、キレのない印象に仕上がっていく」
ここで池田和隆さんと おっしゃるかたが指摘なさっているように、
眼が云々というのは、私も、以前から思ってて、
近頃は、政治家センセイがたの顔写真を見かけると、思わず、右半分と左半分を、それぞれ隠して、別々に眺めてみたりすることが ある。
その結果、気づいたのは、
左右で、表情が全く異なってる ご仁が多いようだということ。
特に、自民党の議員に殊のほか多いと感じるよ。
これは、眼の表情、それ以前に、左右で、眼の形そのものが異なっていたりすると、当然、ますます、顔の各半面で、かもし出す表情も違ってしまうわけだが、
さて、顔の左右で、それぞれ、雰囲気が異なり過ぎる人ってのは、ひどく二重人格的人物であると伝わっている。
なるほど、本音とタテマエを分け過ぎるほどに分けるのを好む国民性であると、自他ともに評される日本人の、しかも、政治家(政治屋)ともなれば、さも ありなんということか、と思ったしだい。
ついでだけど(?)w
民進党の次期代表選に立候補するらしいという枝野氏も、先日、画像を見かけて、氏の左右の表情が違い過ぎることに驚かされたばかりなのだが、この人の場合は、血圧の方面とかに問題が あるかもしれないので、お医者に診てもらってるかなあ?ということが、ちとばかり気になった。
これも、優秀なうちに入る人に多い傾向は あるようだが、非常に短気な人らしいですね。元首相の菅さんみたいに、「イラエダ」とまでは呼ばれなかったみたいだけど?ww
2017.08.04 (Fri)
まーだ、言ってあげてるんだな、毎日新聞あたりもww
とーっくに、リフレ浜田大センセイが白旗を揚げ、アベシ自身の口からも言わなくなってるのにwww
よくよく、この国の大手メディア界は揃って、政権、
ことに自民党政権ベッタリなんだね。
他国では考えられないほどの度合じゃないかしら。
まあ、官僚たちと同じく、自民党政権以外の「ボス」を、ほとんど知らないものな。
ともあれ慣れ親しんだ対象には、安心感が あるから。ただでさえ失敗を恐れる日本人の大多数は、特に、こっちを好む国民性だから。
逆に、よっぽどウヌボレてしまうと、とたんに暴走を始める国民性w
んじゃ、
相も変わらず続く安倍・自民党政権なのだから、こちとらにとっては全く、「期待」どころじゃないし、関心自体が乏しいのだが、
今次の組閣に対して、私も、ひとつ、名付けてみようかね。
「(あくまでシモジモ駄馬用の)エアー人参ぶらさげなおし内閣」w
ついでに、
これも相変わらずで、
「外交だけは!」「外交には成果が!!」と言い募るネトサポらしき常連が貼り付いてるようだが、
あのね。
「外交の成果が あった」のなら、
だいいちに、
なんだって、隣のほうから、こっち目がけて、物騒なものブッ放され続け、われわれ「一般国民を危険に晒してる」わけぇ?
政府は、さも深刻そうに、避難についてのネット広告まで出してたでしょ。
以前のエントリーでも指摘しておいたけど、まずは近隣地域と上手くいけてるかどうかなんて、外交の初歩じゃないのかね?
ま、田原総一朗氏からの「冒険」提案の内容というのも見かけたが、
事実そうだったのかは不明だが、
北朝鮮に出向いて、アタマ下げてこい、というものだったらしい、というのを見かけ、これにはフキ出しました。
いくら「北朝鮮はアベシのトモダチ」疑惑が あるからって、
そんなオソロシイことを、
ましてや、ここへ来て、蒼ざめて震えてる安倍ちんに、やってこいって、
マジかいな、できるわけあるかいw
北朝鮮に着いたとたん、トイレ借りっぱになってしもたら どーするww
アベシが、そのとおり決行してみたところで、
向こうに行って、鼻先で、ぞんざいに あしらわれたとか、それだけで済まず、ヘンな条件をアレコレ持ち出されて困った困ったとかで、
結局スゴスゴひきさがって帰ってきただけに終わったもんなら、
いよいよ、支持率フタケタもつかどうかにまでなってしまうやないかw
あ、これ狙った「提案」だったのか?このオジイチャンも、悪意のカタマリなのかwもともと、人が悪いというべきなのか?ww知らないけどwww
2017.08.04 (Fri)
『新任務は憲法違反!「“駆けつけ警護”とは何なのか? 政府の言葉を垂れ流すのは慎むべき」メディアにも苦言!~』2016.12.14
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/350847
『自衛隊の南スーダン派兵反対』かけはし2012.年1月23日号
http://www.jrcl.net/frame12.0123a.html
~
南スーダンPKO(UNMISS)は、南スーダンがスーダンから分離独立した前日の昨年七月八日の国連安保理決議によって結成されたものである。長年にわたるスーダンの内戦(南部には属さない西部地域のダルフール紛争を含めて)は北の「アラブ・イスラム」と南の「アフリカ・キリスト教」という民族的・宗教的対立に還元されることが多いが、決してそれだけではない。この対立はイギリスの植民地時代から続く極端なまでの南北の経済的格差と、経済的に支配的な北部を基盤とする支配構造の軍事的・強権的性格に由来するものである。
~
インフラ整備という名目で
こうした中で野田政権は一月一一日に先遣隊を南スーダンの首都ジュバに派遣したのを皮切りに、三月までに中央即応連隊(宇都宮市)と第12施設群(岩見沢市)から一次隊二一〇人が派遣され、さらに五月には二次隊三三〇人が送られて本格的活動に入る。派遣される自衛隊の任務は首都ジュバからナイル川までの道路を舗装し、日本のODA(政府開発援助)でJICA(国際協力機構)が行う港湾工事と結びつけるインフラ整備だとされる。
野田政権は今年四月をめどに、「資源安定確保」に向けた官民一体の国家戦略を策定しようとしており、「産業ごとに必要な資源の種類や量を精査した上で、集中的に働きかける国を特定」することを目指している(一月五日、毎日新聞夕刊)。その重要なターゲットの一つが南スーダンを含む東アフリカの石油資源なのである(同記事)。つまり南スーダンへのPKO派兵が、こうした日本独自の資源獲得戦略の一環であることは容易に見てとれるだろう。それはまさに資本のための資源強奪戦略なのだ。
朝日新聞や毎日新聞などの大メディアはこの南スーダン派兵にもろ手を上げて支持している。しかしわれわれは南スーダンPKOをめぐる背景を考えるとき、大国の資源戦略をからめたこうした軍事的介入にはっきりと反対する。それは南北スーダンの民主化勢力が積み上げてきた改革の努力を破壊するものでしかないからだ。
~
「積極的PKO」ではすべての当事者の合意は不必要であり、「中立」ではなく「公正」が原則なので国連に従わない当事者には「懲罰的措置」も許される、という。
~
それはたんに自衛隊が「戦闘に巻き込まれる危険」という問題ではなく、首都を中心とする自衛隊の「インフラ整備」「経済開発」のための展開そのものが、住民間の対立を促進し、紛争の火種となる可能性を意味している。それに応じて自衛隊が「懲罰」的武力行使に踏み切り、住民を殺戮することもありうるのだ。そのような事態そのものが、野田政権の下で進行する「改憲論議」に拍車をかけることになるだろう。
(文字強調は、当ブログ主によるもの)
まっ、日本が、あらためて「戦争できる」国になってほしいとしたら、まずはアメリカさんの意向が大きいのだろう。
もちろん、アメリカにとって、つごうのいい戦争を手伝わせるために、だ。
それだから、
アメぽち政治屋は、ことに、政権維持に しがみつきたい政治屋は、一も二もなく、それに平伏するわけ。
特に、アベシ見てたら、そのことがアカラサマなまでに よく分かる。
自国内の同胞に対しては、社会の未熟さゆえに悲惨な事件が あっても、「自己責任」と言い放つ、加えて、「セカンド レイプ」的侮辱も平気で やってのける連中が、
はっきり言わせてもらうが、原始的段階に留まっているとさえ見做したくなる低レベルな内戦状態を繰り返しており、自分たちだけでは、まともな自国にしていく力もないと見える他国民を、「見捨てては いけない」とか正義漢ぶって言い始める滑稽なダブスタぶり。
二言目には、
「平和ボケ~」「お花畑~」「9条教が~」
と喚き散らしている、これが また、安倍政権支持者の一大特徴でもあるようだが、
要するに、『ヤフコメ』あたりで喚き散らし活動している常連連中は、これまた二言目には、
「左翼(←これを、語感から察するに、中国語では「パヨク」って言うのかね?嗤)」
「中国共産党の手先が~」
等々と、ワンパターン決めつけしてみせる、
この連中こそが、アメさん側の手先なんじゃないの?と、私は睨んでるんだけどw
それと、
やたら「下朝鮮」と呼ばわりつつ、韓国との断交を勧めてやまない「北朝鮮」系と思しき連中ね(爆)
その北朝鮮は、どういうわけか、安倍政権ピンチに差しかかると、とたんにドンドコぶっ放し始めて、
それに応じてアベシらが悲愴な顔して、雄々しい決意を述べ始める、という、いかにも あざといパターン(爆)爆)
アメリカも、さんざ威勢の いいこと言ってるわりに、結局、過去から今に至るまで、これといったことは何もやらんし。
…いったい、どうなっとるんや。
おっと、何度も言ってきてるが、私は、サヨクでは ないよ。
もちろんのこと、ウヨクでもない。
正直なところは、ウヨクのほうに、より軽蔑を もよおすけどw
なんせ、小学生の時分から、『資本論』なんてな、題名を聞いただけでも まどろっこしい書物なんぞ読む必要もなくして、共産主義こそはオメデタい欠陥思想だと見抜いてきておるわw
やっぱり、おぼっちゃん育ちらしく、人の良いマルクスクスww
最近、当ブログでも話題にした、重箱の隅をホジくるような、日本のガッコの、むなしいほどクソ真面目で神経質な校則も、ある意味、同様な共通性を孕んでると思うぞ。
しかし、
オメデタい欠陥を孕んでいるという点では、資本主義だの自由主義だの民主主義だって、似たり寄ったりだ。
ベクトルが全く逆向きのようでありながら、これら両者は、最後の最後に同じ地点で遭遇しているのでないか。
私は、ウヨクだろうがサヨクだろうが、およそ「極」の付く者を信用しないだけ。
そして、
人間というものを信用していないからこそのようでありながらも、その実、どっぷりと人間を信じきっているという分裂の自覚なき、おめでたき、これらの思想を、せせら笑う。
2017.08.04 (Fri)
「日本を、理想のディストピア社会に!」自民党です。
そのため、特に『日本会議』を中心として、『在特会』等その他、
「保守です」「右です」「愛国です」等々のエセ看板を掲げる「ディストピア提唱」組織(なら何でもイイ!)と手を携え、
汚い手を汚いとも思わぬ、永遠の政権与党の地位を守り抜く手段、これを尽くします。
肉屋を支持する豚の国民、シモジモの皆さんは、「ディストピア推進党」自民党を、ぜひとも、お選びくださいますよう、今だけ!伏して お願いを申し上げます。
こんな自民党は消滅が望ましいが、とりあえずはハブしておいて、「三人寄れば」ナントカの知恵じゃないが、現在の野党間だけで持ち回りとか、かわりばんこに政権担当できれば いいかも。
そのなかで、どの党が一番、民意を汲み、望ましい政治実行能力が高いか、国民が、とっくり見極め、新たな再編や画期的な動きが起きて、政党なり新組織が誕生すれば いいのに。
まあ、そこまで辿りつくのと、そこから先が本当に大変なんだけどね。
共産党を めぐる他党の思惑や、当の共産党自身も、ヘンなガチガチぶりが残ってて、どうしても、自業自得的限界を感じさせられるし。
それに、いまのとこ辛うじて「野党第一党」の名称を許されている民進党(旧 民主党)の問題は、特に、元首相の野田さんとか、やっぱり、かねて私も睨んでいたとおり、「自民党の亜流」「第二自民党」が抜き難い本性のようだから、これじゃ、存在自体が無意味だわな。
南スーダンへの「国連平和維持活動」(PKO)派遣については当初から、危険度が ひときわ高いものだし、
加えて、
安倍政権が付与した、わが国の憲法に違反する恐れの高い「駆けつけ警護」とも併せて、猛反対する声が大きかったと記憶しているけども。
「シビリアン コントロールの危機」だとか、いまごろになって、マスコミらも騒いでいるようだが、
暴走する安倍政権は、武官いわゆる「制服組」を、文官いわゆる「背広組」と対等な位置に置き換えるということも やりおおせたわね。このときも、着々と目的に向けて驀進しているな、という指摘を、うちの過去エントリーでも述べてある。
そもそも、「副」が付く程度の役職の いち自衛官が、「隠蔽すべきだ」との判断を下したとかいうのだが、そんなこと、この人ひとりで決められることなんだろうか?トップからの指令には絶対服従が基本であろうはずの、ああいう組織で、と、私も不審に思ったけれど、
結局、本当は誰から出た、何のための指示だったのか、肝心の そこは、曖昧にされたまま。
『古賀茂明「官僚と稲田防衛相に“阿吽の呼吸”が成立しなかった本当のワケ」』AERA dot.
古賀さんの御推察、
なるほど、こう考えていけば、きれいに おさまりますもんな。かつてのキャリアも おありだけに、ここでも説得力を感じましたわ。
いやあ、私だったら、
「『だっ大臣、てぇへんです。こんなことになってしまいやした』というだけ」
だろうなあ。
「『どうしようもありやせん。ここは素直に責任を認めて、一緒に腹を くくりやしょう。せめて、あっしも、親分に、どこまでも お供いたしやすから」
だろうなあ。
ストレート気質で、しょせん、気が利かないし、優秀じゃないもーーーん。フン(苦笑)
さて、
陸自に全部の罪おっ被せる最後っ屁を こいて去った、前ボーエイ ダイズン、やはり、「実は、したたか」というのが正体なのか
(そう言えば、たしか、自衛隊内部からの指摘だったっけ?)、
単に、どこまでも感覚ズレまくってるだけ、そして、そのまんま終わったのか、
あの稲田さんの、苦しい、かつ、みっともないこと このうえない答弁みたいなことになってしまうのは、せんから分かっていたはずなのだから、
もしも、私が、安倍政権に くみする立場の者であったなら、今回、大問題になった自衛隊内部の「日報」等にも、
現実は どうあろうと、ぜったいに、「戦闘」というコトバを使わないこと。
という お達しを、事前に、極秘裏に出しておいたかも、と思ったが。
たしか、小泉政権時も、似たようなこと言ってたよな。「自衛隊が派遣されるということは、すなわち、戦闘のない地域だ」とかって意味のことを。
そりゃあ、むろんのこと、よりいっそう、タチの悪い、国民を欺く、姑息な やりくちであるのは承知だよ。
なぜ、そうしなかったのか、よっぽどマヌケなんだろうか。
やっぱり、どのみち、記録に残ってしまうからか。
安倍政権における疑獄事件なんかでは、さんざっぱら、表面だけキレイに拭ってあるくせによ。
しかし まあ、実際に「戦闘」が あったのだが、それでも、自衛隊は撤収しなかったんだから、という現実を積みあげていき、このことを以て、否応ない既成事実というものを つくりたかったのであろうな、第一には。
【続く】