2013.12.21 (Sat)
勉強家。 2010/07/12 06:08
例の、「ドブスを守る会」。
その、写真を撮られた一般女性が、学生側の真意を知らされても、明るく、「ぜひ、守ってくださいねえ」などと言って、Vサインなどしていたら、どんなものだったんだろうか、と、ふと思ったりした。
明るく、って言ったって、いろいろあるんだけども。。。
かりに、美人に間違いない相手に対してであっても、言ってよいことには決してならないと思うが、実際、相手がブスだろうが美人だろうが、単語そのものよりも、そうした発言を向ける側の心根のほうが気になる。
その心根を、おもしろい、と言って、
ここが肝心なんだが→少し離れたナナメ横合いから楽しむ知識人や、勉強家がいるわけ。
(私、そういう人たち、存じてます)
もし、動画サイトに投稿発表するまでには至らなかったなら、こうした出来事も、社会の表に出ることはなかったのだろう。
当ブログでの私の初投稿の記事内容とも関連することだが。
「streber―――
このドイツ語でもっとも適切に表される種類の成功主義者こそ、俗物中の俗物である。
他の種類の俗物は時として気まぐれに俗物であることをやめる。
しかるにこの努力家型の成功主義者は、決して軌道を外すことがないゆえに、それだけ俗物として完全である。」(三木 清)
こういうのこそ、笑える。
実に辛辣にして的を突いているじゃないかと思う。
私なんかは、「時として気まぐれに俗物であることをやめる」程度の気楽な俗物だけれど。
近頃は、たとえば、東洋哲学なるものを高評価する反面で西洋哲学というものを、殊更、軽侮の眼をもってして語る人たちを見かけることも増えたが、尚且つ、それでも、西洋哲学に対して、底の深い劣等感とミーハー精神を持っていてのようだから、それこそ完璧な俗物だろうと思う。
「決して軌道を外すことがない努力家型の成功主義者、完全な俗物。」
いわゆる「優等生ちゃん」ですね。それを、やめられない、どうしても。
このテの人たちと話していると、なんとなく感じる退屈感と、ある種の痛々しさと「被害意識」。
それに、腹の底の鬱屈と怒り。
ご本人たち自身、あまり自覚はないのかも。
よく見受ける共通した発言は、
「知識が大事」
「本を読みましょう」
「勉強しましょう」
「勤勉であることは人間を知らず識らず屈従的ならしめる。」(三木清)
私が勤勉でないことの言い訳にしちゃならないとは思うけれど;(苦笑)
首都大学の、あの学生と、その指導教官たちも、根は(くそ)マジメで、さぞかし「勉強家」なんだろうなあ。
『首都大学東京:准教授を諭旨解雇処分』
追記:
考えてみれば「親業」「センセイ業」なんて、子が、俗世間で上手くやっていけるように育て上げるのが仕事の中心みたいなものなんだし、
ほとんどの親やセンセイは、むしろ、「勉強家」という名の俗物成功主義者に育ってくれるほうが、よっぽど安心できるくらいだろう。
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