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とりあえず、ひかりのくに
     
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2013.12.21 (Sat)

 

「希望学」。。。への追記               2010/07/17 18:53

これも先日に書き込んだが、その文中で、「まったく社会経験や労働経験がないままに、ひきこもっている場合と、一応の経験後に、ひきこもってしまっている場合とでは、内実が大きく異なる面も伴うだろう。」と書いた。ところで、そのおりの「関連ニュース」

労働信仰の危うさ ひきこもり、親が死んだら「自殺」』

【すくむ社会第3部】(3)なる記事。

 

「ひきこもり第一世代」が40~45歳になった。この世代は、あと10年ほどの間に、親を次々と亡くしていく。親の年金でかろうじて生きている人たちは、親が死ぬと同時に生活の資金を失う。

 

親の年金に寄生している場合は、そうなのだろう。しかし、別の、よりタチの悪い事態だってあり得る。それは、

親が次々とアッサリ死んでしまったなら、まだマシだという事態である。

 

死んだの自殺だのと騒ぐ前の第一関門が、親が病気で倒れたとき。

しかも、それが長引いたとき。

介護の問題にも、モロ直面することになる。

 

親の経済に長らく依存することで生活してきた者は当然、親に対して借りがあるという「引け目」がある。ふつう、そういう心理状態になるはずだろう。

 

同居している場合、介護サービスを受けられる範囲がグッと限られるとも聞いたけれど、ならば、仕事を持って生計は独立していても、同居している人は大変じゃないかと思う。

もちろん、同居していなくても、大変な人は大変。

(私も経験済みだ。実家の、親と同世代の近所の人に、私の仕事なんか、どうでもいいから、親と同居してあげるべきと説教されたことがある)

 

介護は必要だが、オツムのほうは、あるていど、まわっている場合、経済は親本人がシッカリ握っているものの、実際の介護や家事の手は、子に頼る。

子は、なおさら、外で働きにくくなる。

 

もとより、親の経済に全面依存してきた子の蓄えは、あったとしても僅かであろう。(親が特別な配慮をしていたなどは例外として)

 

年をとると、そこそこ蓄えのある者は、からだが衰えるせいなのか、残りの人生を完全に、親である自分に捧げてくれるならともかく、寄生し続けてきた子に対して不満があるようだと、なるべく残してやるものか、と考える皮肉な親もいて、そこで、ふだんあまり交流のない身内縁者やら、はては他人にまで、金銭や物品を、やたらふり撒き、いい顔を見せておきたくなるものらしい。

こうしたことは、心身の弱りが大きく作用するのだろう。

 

現実論、親といえども、子より自分の身のほうが可愛い。
それは、年をとって心身が弱ってきたら、いっぺんに噴き出してくる本音のようだ。

 

自分自身が年を重ねるにつれ、事あるごとに、頼りの親が今度は逆に、足をすくうトリモチのごとき存在となる恐れが高まる。

 

さんざん寄生させてくれた優しい親、と思えるなら、残りの人生すべて、親に捧げても悔いはないかもしれない。 

だが、到底そうは思えないのなら、できるだけ早く、親から離れて、自分の生計を確立しておかなければならない。そうしておけば、子の側も、親に対してトコトン弱い立場にあまんじる必要もない。

親のほうでも、そういう子に対しては多少なり遠慮があるものなのだ。

 

 

カテゴリ:話題! > 教育

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