2013.12.21 (Sat)
この差は何から 2010/07/11 00:46
大阪の生活保護大量申請、というニュース。。。
こうした内容に類似した記事を見かけるたびに思い出す話。。。
ある在日外国人は、その両親とも、本国で何不自由ない恵まれた環境で育ち、若い頃、日本の学校で学ぶために来日、ひょんなことから出会い、たちまち熱烈な恋に落ちて結婚。(双方、非常な美男美女だったそうな)
その両人の間に生まれた子どもたちは、もちろん日本生まれの日本育ち。
あるとき、一家全員で本国へ引き揚げることに決めて、実際、帰国用の船舶もチャーター済みだったという。
ところが、帰国を間近に控えての「お別れパーティ」の席で食べたものが原因したのか、妻のほうが緊急入院。
しばらくのあいだ苦しんだあげく、退院も叶わぬまま、結局、幼い子らを残して死去。
以来、残された子どもらを一手に抱えて、帰国の機会を失った夫のほうは、日本での仕事だけは至って順調だったこともあり、やがて、戦時中に本国から来日した女性を後妻に迎えた。
夫側の、かねてからの教育方針で、子らは全て、基本的に日本の公教育のみを受けて育った。
当時の特殊な時代背景からの影響や、日本人とその社会一般的に浸透していた差別意識の影響も、もちろん多少なりあったはずと思われるのだが、
その一番上の娘は、祖国からやって来た後妻の継子苛めの凄まじさや、父親に対する屈折した感情が、ひいては祖国への反感に繋がったのであろうか、どうかすると、同国人に対する侮蔑感情を顕わにすることすらあったようで、祖国のものには、何によらず複雑な反発感情を終生、持っていたようだ。
祖国の民族衣装を身につけることも、その言語を話すことも、極度なまでに忌み嫌った。
その反動のように、
自分が生まれ育った地域を こよなく愛着し、日本語だけを話し、和服か洋服だけを着用し、やがて、日本人と結婚し、ついには日本国籍を取得した。
本国の国籍離脱・日本国籍取得のおりも、また、日本人との結婚のおりにも、父親らの猛反対を押し切ってのことだったという。
本人の内心としては、自分は日本人だ、という意識と実感しかなかったと思われる。それ以上に、願望すらあったのではないだろうか。
もっとも、上記の彼女の場合、他の在日たち、特に、強制連行であったとか、本国での生活苦ゆえに来日した人たちの場合とは、根本的に事情が異なっていて、かなり特殊ということもあるかと思われるが。
それにしても、今回の『大阪の生活保護大量申請』報道。
人数の多さもだが、「来日直後」の申請、というのが、どうにも引っ掛かるところ。
片親は、なるほど、日本人女性。
しかし、別に、当時の強力な国策とは、とくに関係しないようなのだが、父親はレッキとした中国人であり、ご本人ら自身、レッキとした中国生まれ、中国育ち。
周囲は、日本人に対する反感が強い環境だったらしい。
それなのに、ご本人は「自分は日本人なのだ」と固く思い続けてきたという。
両親とも異国の人。
だが、自身は日本生まれの日本育ち。
「私は日本人」と固く思いつつ生きた。
生みの親より育ての親、とも言うけれど。
血は水よりも、とも言うけれど。
こうした類の報道を見聞するたび、
カテゴリー選択には、とても迷った。
単なる「話題」というよりは、やっぱり「経済」の問題なのかなぁ?ということで。。。
カテゴリ:マネー・経済 > アジア経済