2017.08.07 (Mon)
最近、今次改造内閣の先行きが、のっけから思いやられるような発言を かました、沖縄・北方担当相に就任したばかりの江崎氏が、
国会に おいては、官僚・役所の答弁書をロードクさせてもらうとかって、いかにもフテクサレた、ひらきなおったような発言を していたという記事を見かけ、
「政治家が、いよいよ閣僚入りし、大臣に就任したら、まずは、専門筋の官僚たちから、詳しいレクチャーを受けつつ、あらためて勉強し、専門性を身につけ、政治的見識を磨き、深めるといったシステムになっているという話は、すでに聞いたことは あるのだけども、そんななかで、いやしくも政治の道を志し、晴れて議員となった以上、かねてからの理念や国家的ヴィジョンというものを持っているはずの政治家たる者が、官僚の言うことに、何かしらの疑問を感じたり、大なり小なりの問題を、どこかで見い出したりすることは ないのだろうか。
そりゃまあ、親から稼業・家業を継いだだけだ、と内心では思ってる世襲政治屋は置いといても」
このように、私は怪訝に思ったんだけど。
民主党政権時、外務大臣を つとめたのは、元党首も つとめた岡田さんだったっけ、
外務省官僚たちが、自民党政権までの重要書類や機密文書の多数を、いともアッサリ無責任に、廃棄していたり、不明にしてしまっていたことを知って、声を荒げて叱りつけた、とかいう話も あったのは。
だが、以下に挙げた2種の記事を両方とも読んでみると、真逆の指摘を展開していて、なんだか分からなくなってくる。
『民進・桜井充氏「加計学園が認可されれば文科省も追及」』
2017年8月7日
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/210774/1
民進党の桜井 充氏というかたのことは知らないでいたけど、この記事でインタビューしている記者の質問に、正面から答えていない、はぐらかすような箇所が見受けられるね。まあ、しかたない事情もあるのだろうけど。
また言うのだが、
民進党(旧 民主党)に、かたがた言っておきたいのは、
本気で、政権を取りに行く気迫は、そりゃ必要だろうけど、政権を手にしさえすれば いいというわけでないことは、旧の民主党政権時代で、痛いほど思い知ったはずだし、
「第二自民党」と呼ばれてしまうような、自民党の亜流なら いらないよ、ってこと。
しょせん、オリジナルの存在には勝てやしないでしょ。
ましてや、元首相の野田さんみたいに、あたかも自民党のスパイをさえも疑わせるほどの「露払い・草はらい」役では、どうもならんわ。
ま、もしも奇跡的に再び与党になったとしても、この次は、長い長い自民党時代、なかんづく、戦後最悪と呼ぶべき安倍政権の、今は まだ水面下に隠れている深刻な問題の尻拭い全て引き受けることと、その出口の模索・方向の明示をも達成する覚悟で やることさね。
タネを撒いたのは別人で、そやつ自身は言い逃れしていても、刈り取れなかった者ばかりが責められる世のなかなのだ、それを痛感したはずです。
さて、上掲記事より抜粋
文科省の問題も防衛省の問題も根本は同じです。つまり、官僚の反乱です。トップダウンと言えば聞こえがいいが、安倍政権のやっていることは明らかに行き過ぎです。それでも本当にやらなければならないことであればついて行くんでしょうが、そうじゃないからみんな頭にきている。だから、内部リークが相次ぐのでしょう。安倍政権は2014年に内閣人事局を発足させ、官邸が部長、審議官級以上の約600人の人事権を掌握し、官僚機構をコントロールできるようになりました。国のためにやるべき政策が歪められ、政権の顔色をうかがわざるを得ない。納得できない人事が行われている。何とかこの状況を変えたい、と思っているのでしょう。
(文字強調は、当ブログ主によるもの)
まあ、今のところ、これについて中心的に説かれている話としては、そういう内容が圧倒的だとは見受けるね。
「頭にきて内部リーク」
これと似た現象は、まさに「政治主導」を標榜していたらしい(私は、よう知らんがw)民主党政権時代にも、まさに自衛隊において起きましたわなあ。
さてさて、
だけども、こっちの記事では、だいぶ違うことを説いてはるでぇ。
『改造内閣発足で考える、なぜ大臣になると政治家は劣化するのか?』2017年08月07日 06時00分 週プレNEWS
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12176-89486/
「内閣改造が行なわれましたね。多少の期待感があっても確実に裏切られるでしょう。どんなに有望視された政治家でも、大臣や党の幹部を歴任していくうちに目がよどみ、キレのない印象に仕上がっていく。その原因は閣僚の選び方にあります。よく『閣僚人事は総理の専権事項』だといわれますが、実際には官僚がすべてやっています。ここ50年以上、本当に自分で人事をやった首相は小泉純一郎さんくらいです」
「“閣僚の身体検査”という言葉がよく使われますが、首相個人には調査能力がありません。調査をするのは官僚です。各省庁から、役所にとって都合がいい議員がリストアップされるのです」
ふぅーん。
首相個人には調査能力が ない、というのは、
各大臣が、そもそも、専門性に乏しいとかシロウト同然だということと似て、そりゃそうだろうとは思う。
しかし、
「調査をするのは官僚」でも、誰それを調査せよという指令は、やっぱり、組閣主たる首相が出すものじゃないの??少なくとも、首相自身の腹づもりや希望も あるはずだよね?
だいたいさ、
たとえば、「パンツ高木」とか呼ばれた大臣もいたよね。ああいう人ってのは、官僚や役所にとって、なぜ、そんなに都合が いいわけ???
「あ」の付く人と同じく「でくのぼう」みたいなもんだからなの?w
「謙虚な姿勢で議員生活を始めるため、先輩議員や官僚からの教えを素直に聞いてしまうのです。だから先輩や官僚が敷いたレールからはみ出そうとしない。その結果、何も変えられない凡庸な政治家に仕上がるのです。彼らの目標はただひとつ。親を超えることだけなのです。親が大臣経験者なら、より格上の省の大臣になるのが彼らのゴール。国の繁栄や国民生活など考えちゃいません」
ふむふむ、私も、たびたび指摘してきた「優等生ちゃん」的性向ゆえの「素直さ」ということかな。
乾いた砂が吸い込むようにじゃないけれど、苦労知らずで、何のストックもない、まるで幼い子どもなみの無批判性でもって、自力で検討・検証するだけの思考力と見識は一切、備えておらない。
そんなタイプの「優等生」だと、むやみな「再現能力」みたいな面ばかりが突出していて、それ以外は何もない、という、ある意味、哀れなオツムを しているとも指摘できるわな。
とにかく何でも「勉強熱心」だったら それでイイわけじゃないからねえ。
「ヤンキー先生」の あだ名を持つ義家さんのように、グレる人というのも、
逆に、優等生ちゃんというのも、どちらも同じく、
非常な俗物性・俗物世界の価値観に毒されているからこそ、そうなるというタイプが ある。出世欲なんかは代表的だろう。
「国の繁栄や国民生活など考えちゃいません」
これ、先日、どこかのコラムで、元官僚だった古賀茂明氏も、同じことを ぶっちゃけておられたな。ほとんどの官僚の本音は そうなんだとかって。
そう言えば、
例の甘利さんも、この人は、いちおう「政治家」と呼ばれる立場だけど、同じように、そういう内容の発言を ぶちまけてたんだってね。
しかし、もとから そうなんだったら、なぜ、わざわざ、その道に進んだのだろう。
あくまで、試験に受かったからとか、点数だけ稼げる能力が、自分には、たまたま与えられてるから、それを活かすのに最適だからとか、
そういった、他の意味での計算ヅクなわけ?
もしも私だったら、試験に受かろうが、要領良く こなせる自信が あったとしても、てんで興味や関心を持てない方面は避けるけどなあ。
国家や国民生活のことなんか どうでもいいと思ってる人が、
よりによって、政治家や官僚を目指さないでほしいし、なっては いけないでしょう。法律では禁止されてなくても。
「大臣や党の幹部を歴任していくうちに目がよどみ、キレのない印象に仕上がっていく」
ここで池田和隆さんと おっしゃるかたが指摘なさっているように、
眼が云々というのは、私も、以前から思ってて、
近頃は、政治家センセイがたの顔写真を見かけると、思わず、右半分と左半分を、それぞれ隠して、別々に眺めてみたりすることが ある。
その結果、気づいたのは、
左右で、表情が全く異なってる ご仁が多いようだということ。
特に、自民党の議員に殊のほか多いと感じるよ。
これは、眼の表情、それ以前に、左右で、眼の形そのものが異なっていたりすると、当然、ますます、顔の各半面で、かもし出す表情も違ってしまうわけだが、
さて、顔の左右で、それぞれ、雰囲気が異なり過ぎる人ってのは、ひどく二重人格的人物であると伝わっている。
なるほど、本音とタテマエを分け過ぎるほどに分けるのを好む国民性であると、自他ともに評される日本人の、しかも、政治家(政治屋)ともなれば、さも ありなんということか、と思ったしだい。
ついでだけど(?)w
民進党の次期代表選に立候補するらしいという枝野氏も、先日、画像を見かけて、氏の左右の表情が違い過ぎることに驚かされたばかりなのだが、この人の場合は、血圧の方面とかに問題が あるかもしれないので、お医者に診てもらってるかなあ?ということが、ちとばかり気になった。
これも、優秀なうちに入る人に多い傾向は あるようだが、非常に短気な人らしいですね。元首相の菅さんみたいに、「イラエダ」とまでは呼ばれなかったみたいだけど?ww