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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2019.10.14 (Mon)

「よくも!」と怒りたいのは、いつの時代も。の続き。

 

まあ、またぞろ、どえらい台風が、こないだ被災したばかりの所を直撃するんじゃないかとか、これからの日本は、列島全体が毎年こういう不安に苛まれ、実際に被災しては、立ち直れないうちに次々お見舞いされ、
「泣きっ面に蜂」、
まさに「踏んだり蹴ったり」、
こういうパターンになるそうだから、

絶望的な少子化、若年層の不足を どうすることもできなくなったらしい国で、子どもを産める人は、間違いなくノーテンキとしか言いようがないな。特に、庶民はね。

あらゆる問題を柔軟に緩和する社会の調節機能を果たしていた最大層であったはずの庶民は。

 

 

おまけにさ、

教育界も、まるで暴力団と、それに癒着した政治屋を足して二で割ったごとくな体たらくが発覚。

 

仮にも教師ともあろう者が、
しかも、「いじめ対策」担当だったとかいう教師が、
「ミイラ取りがミイラ」でもあるまいに、新人をイジメ抜いてたって事件。
悪い冗談かよ?emoji

暴力団員も顔負けの恫喝ぶりだったという前校長と、
その、暴力団の組長みたいな校長の手下さながらなチンピラ教師と、

教頭時代から それらを知りながら、
なーんも できなかった、リーダーシップ ゼロの、無能・事なかれの典型みたいな後任校長といった登場人物たち。

 

どちら側も、ベテランの年齢らしき女性が混じっていたり、「ボス」格すら やってのけてたというのだから、いよいよ呆れる。

 

さぞかし、職員室の雰囲気も最悪だったろうね。

 

 

私の中学生時代に担任だった、中年の女の先生は、子どもさんも いる おかげなのか、そうとうデキの悪い生徒でも大らかに接しつつ、厳しくすべきは厳しくと、メリハリ利いていた。

私とは年齢差の大きい兄の中学時代の担任でも あったので、兄は、妹の担任が、かつての恩師だと知って、とても懐かしがり、
「あの先生、優しいやろ?」
と頻りに言ってたが、

私が親しくしていたクラスメートの女子が、あるとき、何かの切っ掛けで、男子たちから、酷いコトバを投げつけられ、彼女が泣いて訴えたとき、
その先生は、すかさず、下校前のホームルームのおりに、当該男子らを、論理的なコトバのみで厳しく糾弾し、

ついで、他の生徒たちも鋭い眼で見渡し、つよく戒めた。

 

ふだんの、ユーモラスで、「おかあちゃん」な雰囲気の先生からは、想像できないほど、ドスの利いた声で、みんな、震えあがってたよ。

そして、ますます、生徒たちの信頼を厚く得ていた。

 

 

私の子ども心にも、「こりゃダメだ」と思った教師も少なからず いたけれど、

そして、そういう教師は、他の児童・生徒たちにも往々にして見抜かれていたりしたもんだったけれど、

やっぱり、敬意を抱かずにいられない先生も おられたから、私自身は、教師全体に対する不信感までは持たずに済んだ。

 

 

しかし、

ン十年も前の私の学校時分の話。

大概の教師は、まあ普通の子とか、根はマジメとか、それほど逸脱してない生徒に対しては、少しのことでガミガミうるさく注意し、何かにつけて細かく縛ろうとするのよね。特に、表面的、形式的なことで。

 

その反面、

根っから不真面目とか、ほんとうに不良になっちまってるような生徒とかが相手だと、やたらヘラヘラして、ほとんど見逃してた。

あるいは、

ごく少ない例だけど、
軽度に知的問題を抱えてる児童・生徒が相手の場合とかも。

 

そういう傾向について指摘すると、

「見離されてないうちが花。何も言われなくなったらオシマイ」

とか言ってて、

生徒である私らは内心、
つごう良く誤魔化してるな、、、emoji
と反感を感じてたよ。

 

いまに始まったことじゃなく、
従来、ガッコのセンセイの殆どは、多かれ少なかれ、保身的だ。

 

だって、

基本的には、おとなたちの言いなりで要領良く「良い子」「優等生ちゃん」を通してきたタイプが就く職業なんだもの。
特に、「教職公務員」はね。要するに「体制側」でしょ。

 

私立学校の教師でも、やっぱり、いろいろなタイプが いるのは、公立と ほぼ変わりないけど、

私の恩師のなかには、
公立校の場合、世界じゅうを長く放浪したのちに帰国し、英語ペラペラで、高校教師の資格を持ってるのに、敢えて中学生の英語から指導したいという動機で赴任した、珍しい経歴の先生も いたし、

私立校のときは、もと新聞記者だったという先生も いた。

どちらも、個性的で、型破りで、見るからに飄々とした雰囲気で、そういうタイプの人が、私は大好きなんだけど、

また、どういうわけか、私のほうも、そういう変わりダネの先生に何かと注目されたり、可愛がられる生徒だった。

 

逆に、

最も多いのが、いかにも「ガッコの優等生」だったという雰囲気の、平凡なタイプの教師、または、
いわゆる「体育会系」「スパルタ方式」とでも言うんだろうか、やけに威圧的なタイプほど、もちろん、体罰も好きみたいで躊躇しないし、
一切の「はみ出し」的なことを許さず、いちいち煩く指図して、細かいことでもヤイヤイ言ってくるので、嫌いだった。

ヘンな先生、ヘンな おとな、と、軽蔑心すら もよおすことも あった。

 

あと、
それと、見るからに神経質そうな、陰湿で、プライド剥き出しで、視野の狭いヘリクツ攻撃を繰り出してくる数学教師とか美術教師も いたw

 

 

私の周囲でも、「教職」というものに縁は多いほうで、
まず、兄が大学出て すぐ、新人のうちから主任教師だったので、職員室の雰囲気やら教師間の反目やら問題教師のことも聞いてたし、

母親は「PTA」活動に のめり込んで、学校じゅうの教師から一目も二目も置かれて親しくしてたし、

友人の おとうさんは、教頭か校長やってて、教師としては、受験指導等に熱心だが、私生活においては、家庭内での問題も いろいろと聞かされていた。

私自身の仕事でも、「校長あがり」の上司と接していたことが あるし、

そもそも自分が、かつて児童・生徒の立場で あった頃から、あの世界にも、ドロドロした面が あることは薄々察していたし、いろんなタイプの校長や教師たちを見てきて、たしかに「ピンキリ」と言えるなあとは思うけど。

 

ただ、校長となるとねえ。

ヒラの教師たちを監督・指導するべく、よりいっそうの見識と指導技術が あるはずでは?と思ってたしねえ。

 

まあ、私と同じ職場で仕事してたオッサンで、そうとうイイカゲン、デタラメな者でも、なり手が いなかったからって、「PTA会長」やってるというので唖然としたもんだけどw

そんなオッサンでも、

「校長あがりなんてのはねー、あんなもんなのよ。子どもの前で演説するだけ。それしか できないの。だから、あんたもね、いちいち腹たてても しょうがない、しょうがない。だって、あの人は校長あがりなんだから!」

てなこと言ってたわよ。

 

 

個々の家庭では、ますますもって、親が子を虐待し、殺してしまったり。

 

高齢になったら、病院で、施設で虐待され、殺され、

家庭で介護も、やっぱり、子に殺され。

 

 

学校時分から、「子は産むまい」と、心に決めていた私だが、もし、いま、出産可能だとしても、あの頃とは違う意味で、

「つくづく恐くて産めんわぁ」emoji

と思う。。。

 

産むなら、せめて、比較的にでも災害が少なく、暮らしやすい国へ移住してからやね。

ま、それにつけても、お金がねwemoji

 

 

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Updated   
2019.10.14 (Mon)

トランプさんでも橋下さんでも百田さんでも竹田さんでも、
いま話題のグレタ・トゥンベリさんを、アタマから批判したり、中傷
したり小バカにしたりするのは、

私に言わせれば、そんな彼ら自身が、何か確信犯的なのか?それこそ、何らかの勢力や権力筋に「洗脳」されている軽薄短小者なのか?
と疑わしい連中です。

それとも、

「汚れっちまった」エセ大人であることに、まったくの無自覚なのか。

彼らの言っていることは、単に「自分棚上げ」や「自己投影」から出ているコトバとしか思えませんわ。

まだ子どもと言っていいほど若い人を つかまえて、やけにムキになってさ()

 

 

実は、このエントリーも、数日前の ある記事を読んで、ほぼ書きあげてあったのを、またぞろ、そのままにしていたのだが、

さて、東大名誉教授の上野千鶴子氏が、こう おっしゃったそうだ。

環境問題は『未来世代との連帯』と言われてきました、が、その『未来世代』は死者と同じく見えない、声のない人びとでした。その『未来世代』が当事者として人格を伴って登場したことに、世界は衝撃を受けたのでしょう

 

いやいや。

子どもや孫を持つ人たちは特に目の前で日々、見ているじゃないですか。「その『未来世代』当事者」を。

 

 

私自身は、子や孫を持たなかったから、怪訝に思っていたけれど。

 

「しょせん、子どもが いない者は」
と言う人たち、世間では とても多いみたいよね。

でも、最近は、
実際には、そんなもんなのだなあ?と、諦念に似て思うようになった私。

 

 

以前から指摘してきたけれど、

子どもを産み落とした人たちは、私に言わせれば、往々にして楽観的で、基本が俗物なのですw

 

「子を持って一人前」とか、子を持つことで、それだけで、なんだかリッパになれたような気が するらしい、野生の猿の価値観さながらな人々ww

 

そうでないと、

子を産み落とすことなんて、

ましてや、

このような日本で、なにがしかの抵抗感どころか、子を産むのが当然!という気には とうてい、なれないはずですよ?

 

 

あのグレタ・トゥンベリさんの世代から見れば、まさに、私らの世代こそを中心に含めて、「よくも!」と糾弾したくなる対象だろう。

けれども、

例の『福島』での原発大事故を機に、あらためて私が驚いたのは、

「いつの間に!日本じゅうに、こんな たくさんの原発が」emoji

ということだった。

 

 

ところで、私の実家では、いつだったかの過去エントリーで述べたように、
夏の1ヵ月間だかは購読料ロハにするという約束を、営業に来たオニイチャンに、うちのケチな親父がフッカケて、無理やり押しつけたらしく、
以降、ずーっと、『読売』新聞ひとすじで何十年と購読していたのだがw

 

そもそも、国の「原発」施策に大いに関わっていたという、あの『読売』ですら、私が若かった頃までは、「原発」の問題についても、わりに、ちゃんと報道していたように記憶している。

でないと、中学・高校生時代の私が、ほぼ『読売新聞』しか読む機会が ないのに、問題意識を少しは持ち得ていたはずが ないので。

 

いまでは もう、すっかり、安倍政権ソンタクのヨイショの、
『自民党』御用達ペーパーとなり果てて久しいけどなw

 

 

うちの親らは、「低学歴のうえ、女」である母親でさえも、政治や社会問題全般に対して関心は持っているほうだったのだが、なぜか、両親ともに、「原発」問題については、何か話していた記憶が ない。
フシギな気が するほどだ。

 

それと、

私が、「環境に良くないんじゃ」と咎めたことに対して、「うちだけが心がけてもムダ!」と即座に一蹴されたという出来事も、一度ならず あった。

 

特に母親のほうは、戦中・戦後の子ども時代を経験しているにもかかわらず、食品を使い忘れたまま腐らせてしまったり、つくり過ぎて廃棄したり、食べ残したりと、食べ物を粗末にする傾向が あったので、子である私のほうが、よっぽど、食べ物をムダにすることへの抵抗感が つよくなった。まさに「反面教師」と言えるだろう。

 

うちの親らの世代というと、間違いなく、まずは、あの戦争に翻弄された世代である。

 

親父らの同世代は、例の『特攻隊』といった「クレイジー」な命令にも従容と、あるいは嬉々として、従った。

その世代が、戦後、中心となり、こんにちの日本へと繋がる道を着々と つくりあげてきた。

 

 

うちの親父は、個人的に、自分の養父に対する恨みも あってか、
自分自身が高齢になるにつれて、親世代に当たる『明治』生まれ世代への反感を つよめていった。

もとは、若きエリート軍人らしく、『天皇』崇拝者だったのに、いつしか、『昭和天皇』に対しても冷淡な姿勢へ変化していった。

 

 

自分自身の子どもや孫が いるからこそ、全体の将来像を思い描き、深く案じもするはずだろうと思うのだけれど、はたして現実は、そうだろうか?

 

うちの親も、自分自身の人生への不満やらを、子どもで個人的に解消したいと思っているフシは見受けられたが、

おおむねは、単なる「自己投影」に発し、軽薄な「自己満足」に終わっていた。

 

 

いつの時代も、子どもは、その親世代のツケを払わされることになる、
それが、この世の現実では なかろうか。

 

 

かつての子ども、すべての子どもは、グレタさんなのだ。

 

 

それにしても、あちゃらの若者は行動的で、おとな顔負けにシッカリしとんなあと感心することも多いけど、

日本の子どもや若い世代は、いよいよキモチわるいくらい、おっとなしいねえ~。だいじょうぶかよ?

 

先日も、二十歳代の人と、仕事の ありかたなどについて少し話を する機会が あったのだが、あまりにも、従来の社会や陳腐な おとなたちの影響下にあるのか、些かの疑問も持たず、画一的で、通り一遍で、「哲学」のテの字もない、ある意味、人間の現実というものを無視した、形式的良い子ちゃん、つまり「優等生ちゃん」むき出しで、「こりゃあアカンわ」emojiと思った。

 

その若者自身は、公私とも平均以上に恵まれた立場に居る、健康的な好青年だけれど、

何と言うか、

適性とか考慮することなく、言わば「苦役」であっても、「仕事」というものは、そんなものでアタリマエという考えなのね。おそらく、世間一般からの受け売りだろう。

そういう、決まった「枠」が大前提として あり、
そこから少し違う角度でも考えてみることなんて、思いも つかないようだった。

 

そりゃ「ブラック」でも従容と黙々と従って、逃げもせず、抗議もせず、
機械的に日々の作業を続けていた「良い子ちゃん」が、ある日とつぜん、とんでもない事件を起こして、周囲が仰天する、そういうパターンが増えてきたような気もするわけよ。

 

【続く】

 

 

Updated   
2019.10.05 (Sat)

【続】異常者は、ゴリ押しが お好きwの続き。

 

ところで、

うちの親父のほうはと言うと、これが また、「千葉」と「目黒」の各父親に似ている。

 

その女房である母親のほうは、まさに、「森山」という人と似ている。

 

やれやれ。。。

スケールは小さいながら、こんな夫婦に挟まれてたんだぜ、私って。
(苦笑)

 

 

やはり、決定的に分が悪かった親父は、母親の話によると、

かつて、家庭裁判所で小細工してまで真っ赤な嘘を通そうとしたそうだし、

なるほど、

徹底した被害意識と自己憐憫ゆえのものか、

恥ずかしげもなく、さめざめと泣いても見せるし、

なんだったら土下座すらも厭わないところが あったよ。

 

 

知人たちの話を聞いていても、

かなり深刻な問題を孕むケースの家庭は、世のなか、意外なほど少なくないのかなあと思うけど。

 

 

専門家筋の話によると、

「『自己愛性人格障害者』は、実際に、企業などの組織体で出世していることも多い」

ということだし、

勢いが強過ぎるタイプの人は精神的異常の範疇」

ということである。

 

はたして、そのとおりだろうと、私は かねてから推察していた。

 

 

そして、

「異常性」を潜めた手合いこそは、個々の家庭から大きな組織体に至る そこかしこで、マメに動き回り、はたらきかけ、世のなかを牛耳っているんだわ。

 

そりゃあ、人間社会は良くなるどころか、やがては腐っていく一方よ。

 

世のなかを動かしている中心は、自己愛に凝り固まって異常性を帯びた者たちなんだから。

 

 

ひいては、

異常発生的に「特化されている」男性というものが、人間社会の中心を動かしている意味も考えてみたら いい。

男性という存在が いなかったら、良くも悪くも、どうであったろうか、と。

 

それらを考えたとき、

およそ男性に弱い女たち母親たち、

さしづめ『自民党』所属の女性議員や『日本会議』あたりの組織に参加し活動している典型・稲田のような女たちの、
なんとナサケナイおつむや精神レベルであることかも、思い当たるだろう。

 

 

要領の良い「優等生ちゃん」ばかりではダメなんだ。

どうやったら、精神性を高められる、ほんとうの知性を育むことが できるのか考えないと。

大多数の一般人・大衆にこそ喫緊の課題。

 

民衆の(女たちの)知性が高ければ、愚物や自己中を、権力の(夫の)座に寄せつけることは ないのだから。

 

 

政治は、民衆のレベルの反映。

夫婦は似た者どうし、つり合うレベルだから ひっつく。

 

 

Updated   
2019.09.30 (Mon)

ガッコもショーバイも抜け目なく?w

 

まあー、たいしたもんですよ。

 

日本における「抜け道的」制度を目いっぱいに利用し続けてるからこそ、ということだけど、

(日本の統治時代に、かえって逼迫した層も多いという)祖国での生活が苦しかったために余儀なくであろうか、『ソフトバンク/ヤフー』孫さんとこは、大昔の御先祖のルーツが中国大陸にあったらしいというのは、それは そもそも、ほとんどの朝鮮人が そうであるらしいが、祖父母の代になって、今度は日本へ密入国したという、そして親御さんの代から「典型の三拍子」そろった(M・S・P)商売で、ついに、ここまで来た。

スゴいよね、『ソフトバンク』の社長さん。

 

日本の場合、帰化申請がスムーズに通るのは そうとう珍しいとか聞いていたので、そもそも密入国してきた家の人が、よくまあ帰化できたなあとフシギだったんだが、やっぱり、実業家として大成功した おかげなのかね?よく分からんけど。

 

何やら、
とにかく日本と日本人からは搾り取れるだけ搾り取るのが「正義」!
みたいな感覚が、朝鮮半島の人々や、その同胞の人々には存在するとかも聞いてるけど、

ますます、『ヤフー ジャパン』に料金支払うの やめたくなったわw

 

まずは、
いいかげんに、悪名高き「ヤフゴミ捨て場」という社会問題の温床を どうにか してよ()emoji

 

法人税逃れ大国ニッポン 消費増税で内部留保463兆円のカラクリ〈週刊朝日〉9/26() 8:00配信

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190925-00000015-sasahi-bus_all

 

 

お次は、またまた騒いでおります、

朝鮮学校の付属幼稚園も無償化を 保護者ら会見、「除外おかしい」
9/26() 18:40配信

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190926-00000159-kyodonews-soci

 

いやいやいやw

「日本人と同じく税金を払ってるんだから」という主張は、ちょっと通らんと思うぞ。

自分の家じゃなく、他人の家を借りてる立場なら、「賃料」を払うのは当然という話でしょうに。

まあ、それでも、私個人としては、それも これも鷹揚に認めてあげられたら、そのほうがステキじゃないかなとは思ってるけど。

 

なんだかんだ言っても、本音は、やっぱり「カネメ」じゃないの?ww

もし、とっくに真逆になってしまったらしい現状と違って、いまでも、祖国の首領さまだか将軍さまからの深い慈愛の親心で、潤沢な支援を寄せ続けてくれていたものならば、おそらくは、

「われわれは、日本の世話に なっておらん!!これからも、日本の世話になど なることなく、あくまで自主独立の誇り高き わが民族の精神を もって、子女の教育を行なっていく!」

とか なんとか、

せいいっぱいプライドの高さ剥き出しにせんばかり、高らかなる宣言したんじゃないかしら?w

正直言って、こと『朝鮮学校』の場合は、どうしても、そんな感じが つきまとうんだけどもなww

 

どんな内容の教育でも、受ける権利?

 

 

最後に、

関西電力32千万円“裏金” 今年3月に出回った告発文書【独占入手】〈週刊朝日〉9/29() 15:30配信

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190929-00000014-sasahi-soci

関電32千万円“裏金” 疑惑の”影の町長・Mさん”が生前、記者に語った言葉今西憲之2019.9.28 12:33週刊朝日

https://dot.asahi.com/wa/2019092700115.html?page=1

 

今回の『関電』大疑獄発覚。

あの『日産』を連想したのは、私も同じ。

そして、

いまは廃止されていて、「副」が付く程度の、たかだか地方公務員扱いである「助役」という地位に、どれだけの権力が あったの?という疑問が真っ先に湧いたが、

言われてみれば、地方、特に田舎だからこそ、その土地や地域の「(隠然たる)声が大きい」者を無視できないという現実は あるのだろう。

 

私個人の周辺でも、いるのよねー、
町内の「顔役」みたいな立場を自任していて、
その しょうもない「小虎の威」の そのまた毛皮の切れ端を借りるが如くに威丈高な、かつ、ありがた迷惑な動きを率先して やりたがるタイプってのがさ。

 

宗教組織が典型であるように、人間社会では、こうしたカラクリが あり、こうした手合いが いるから、「小虎」の毛皮の切れ端程度だったものが「大虎」の毛皮になり、

ついには、「エホバの名を みだりに唱えるべからず」になっちゃうw

 

うちの母親なんかも、ある意味で俗悪な価値観を持って、積極的に活用しようとするタイプだったから、この手合いの見本は、母親の交流関係を通して、自分の身近でも見てきたけど。

フシギなことに、どういうわけか親に似なかった私は染まらなかったの(苦笑)

 

 

さて、

「金持ちは、悪いことしてるからこそ金持ち」なのだという、従来から ある穿った見かたが、またも、という見本。

今回の大問題の発覚も、記事を読んで、やっぱりな、と思った。

それこそ「日本全国津々浦々」で蔓延ってるのでしょうよ。

 

そう考えたら、
この狭い島国に、異様なほど たくさんの原発施設が、いつのまにか設置されていたことの理由も垣間見えてくる。

 

くだんの もと「助役」森山氏という御老体が亡くなった直前か直後なのか、こういう告発が出た時期にも、非常に「闇」を感じさせるのだけれど、内部の勢力争いも絡んでるのかしらん。

 

「お客さまから頂いている電気料金で賄っている」

ええ、そうよ。

 

うちでも、つい2、3年ほど前の電気代の告知兼領収書を保管してあったのを、たまたま、今年の電気料金と つき合わせてみたら、
使用量は さほど変わらないのに、料金は、えっ?と言うくらい上がってた。

いいかげんにしろよぉemoji
「上級国民」だか「既得権益層」だか知らんが、こういう連中が、「努力」とか「自己責任」とか言い散らして、ネットでも御用メディアでも、カネと息のかかった手下を使いまくり、
さも、これが「世論」!のフリして、庶民や弱者叩きしてるんだろうよ。

腹たつわあ。。。emojiemoji

 

ま、特に原発が絡んでるってことは、結局、国と現政府も絡んでるんだろうな。

 

 

Updated   
2019.09.25 (Wed)

――硬直する日本――の続き。

 

まあ、正直なところ、きっちりと決まりきったことを好んで拘る人の気持ちを全然、理解できないわけじゃないんだけどね、私とて。

それでも、
自分の部屋や自宅で、とかなら ともかく、ハタに迷惑かけてまで拘ることじゃないだろうに、と思ってたもんで。

 

ところで、

こないだは、宇宙分野にも関連した内容の記事で、誰かが投稿したコメントに、例の「シュレーディンガーの猫」が、とか「エントロピー」が云々という話題が出て、「高エントロピー」だとか「低エントロピー」だとか言ってるので、思わず、うちの両親を連想した。

 

親父のほうは、部屋が かたづいていないと、猛烈にイライラする性格なので、整理整頓にはマメだった。
あの投稿者たちの遣り取りによれば、まさに「低エントロピー」に分類されるんじゃないかとw

母親のほうは正反対で、散かってるほうが落ち着く!と常々主張していたので(多分に掃除がメンドクサイことの言い訳だがw)「高エントロピー」かよwと。

 

私自身はと言うと、
30歳代なかば頃までは、父親に似ていたのか、やはり「低エントロピー」だったのだろうw室内などの状態に関してだけは、親らに文句を言われたことは なかった。

ただ、親父は、整理整頓さえ できてたらオッケーで、清潔かどうか、衛生面については、わりと無頓着だった。男性に わりと多いタイプかね?

母親のほうは、これまた逆で、清潔に関しては、かなりウルサイのだが、散らかしっぱなしの状態が、まさにエントロピーよろしく増大していくw

私は、まさに、あいだを取ったごとく、清潔にして整理整頓が行き届いていると言える常態だった、はずなのだが、、、

 

ところが、

病気やら介護やら多忙の時代を過ごすうちに、いつしか「高エントロピー」状態()へ変化したのか、

いや、所により「低エントロピー」と「高エントロピー」が入り混じってるようになった。

こういうのは、どう判断すべきなんだろうか?w

まあ、けっこう ややこしい学説なので、私も、よくは分かっとらん(苦笑)

 

 

で。本題に戻ると、

計算ミスが減る」という事実をもって、定規を用いて筆算の線を引く、ということの理由であるのなら、それは一つの理由としていても いいと思うけれど、

私も、むしろ「計算のリズムが崩れる」というほうに実感が あるようには思う。

 

まあ、あくまで形式だろと思うような作業は、肝心の目的を終えてから、まとめて最後に かたづけちゃう、という やりかたを、私自身も、よく やるほうなのだが。

そのときは、せっかくだから、いちおう終えたものを確認しながら、
の つもりで やる。

でないと、しょせん無意味と思っているからこそ一気呵成に まとめて やってしまおうとする作業ほど、ミスを誘発し易いものだから。

 

 

ま しかし、

くだんの記事中の小学校教師たちの言い分は、ほとんどコジツケと言うか疑いたくなる胡散臭さと言うか、何か宗教的手続きめいてるねw

 

肝心の目的は何ですか?

 

きちんと理解して、解答を出せることでしょ。

 

教える側自身が、不確かなのに、どうして、子どもに教えられるのよ??w

 

「うちでは、とにかく、そういう仕来りになってるので」という押し付けは、むしろ、成人や社会人だから、角を立てて、居辛くなるよりはと、曖昧なまま「面従腹背」という芸当も敢えて やるけど、

以前にも言ったことあるように、

おとなの殆どは忘却してるんだろうけど、
多くの子どもは、案外と、ちゃんと筋の通ったリクツを好みますわ。

 

特に、かなり以前から、他人さまの子どもたちを眺めていると、頭ごなしというのを嫌う傾向が つよくなってきてる感じが していたんだけど、

それだから ますます、おとなの つごうで拵えた管理ルールを呑み込ませることになり、昨今の、異様なブチ切れ事件を起こすまでは、むしろ、キモチ悪いくらいに従順で おとなしい良い子が増えてるんかなあ?とも感じる。

 

 

だいいち、キレイな線を引くためにとかで、本来のこととは別の作業を、いちいち挟まなくては ならず、そのたびに中断してたら、思考集中してるときこそ、気が削がれてしまう、これは、私にも実感あるな。

 

特に小説の読書なんかでも そう。

私は、どんなに長編でも、まずはイッキに読了する。時間が かかっても、大概は最長3日以内。

きょうは ここまで、とか、一日に何ページだけ、という、お行儀良く理性的な読み進めかたが、どうもダメ。

そのかわり、
一度は読み終えたものを、あらためて、今度は ゆっくりと読み返す。

すると、イッキ読みしたときとは別の感想やら新たな観点が立ち上がってくるのが、また興味深かった。

もちろん、第一印象や最初の感想と変わらないことも多い。

 

これでは、徹夜したり、それこそ「寝食を忘れて」という状態になりがちなので、学生時代は、しょっちゅうだったが、さすがに、社会人になってからは、やっぱり、ムリ。

 

 

「ノートの とりかた」ということについては、教師からの評価が高かったという理由で、「カラフル ペン」多用というのも、程度問題です。

ゴチャゴチャして、かえって分かり辛くなることも あるよね。
実際、私の学生時代も、怒る教師が いた。

 

知ったふうなこと言ってるコメントもあるが、仕事での「プレゼン」にしても、そんな小手先の誤魔化しは効かないよ。

 

えてして、芯から分かってないからこそ、そんな自分のオツムを整理しようとする気持ちで、殊更きれいに清書したくなったりするもんだ。それで、なんとなく、いちおうは理解できたような気になったり。

 

ほんとうに、隠された重要な意味が潜んでいるのなら、わけも分からぬ繰り返しの積み重ねのなかで、ある日、ふと、ああ、そういうことだったのか、と気づくことも あるだろうし、ルーティン作業が、その他をスムーズに進めるためにかかせぬ役割であったりもするが、

ほんとうに見かけの形式を整えるだけで、それ以上の意味は ないことである場合は、どれだけ繰り返しても、新たに気づくことは ない。

やっぱりムダじゃんと思いつつ、それでも黙って従えるのは、「気づいた」からじゃない。飼い慣らされた、っていうこと。

もはや、やらないと落ち着かないという症状を抑える機械的儀式みたいなもんだ。

 

だいたいは、そういう類のことは新入りに やらせるから、どの組織でも、下のほうから雰囲気を悪くしかねないし、いつしか、投げやりにもなっていく。

 

 

人間ならではのせっかく便利な小道具を駆使したら良いのは、そりゃそうだと思う。

細かい文字やズラズラと幾段も並ぶ各行の取りこぼしや目の錯覚などの間違いを防止するために、定規を当てつつ進めていくという やりかたは、たとえば、校正作業なんかでアタリマエに やってる。

 

「筆算の線」というのを、手書きするのはダメな理由ってのが、定規で線を引くのは難しいから慣れさせるため、つったって、実際は、フリーハンドのほうが、よっぽど難しいんちゃうの?

記事の添付写真も、方眼ノート使ってるみたいだがね。

(この記事では、教師側から、そういう説明が されたと述べられているのに かかわらず、全く逆なことを決めつけて何度もコメントしてるヤフゴミんも いるぞ。記事を読んでないのか、読解力が皆無なのか、何ぞの目的が あるのか、どれなんだろな?ケッタイなやつw)

 

 

如何なるときも、常に、定規を携行する!これが、『日本臣民の道』ってか()
「定規は、日本臣民の魂!!」(爆)爆)


 

そして、時代や状況によっても、「理由」や「根拠」は、かんたんに揺らぐ。

 

「リクツと膏薬は どこへでも」ナントヤラ。

 

近代の生き証人の一つが、いわゆる「墨塗り教科書」世代だ。

あの世代の怒りも、なかなか凄まじいものが あるよ。

 

 

「なぜ」「どうして」は、哲学のもと。