2019.10.25 (Fri)
『敵・毒・嘘・孤独』の続き。
鴻上氏の おっしゃりたい気持は、基本的には理解できるし、
やっぱり、当該の相談者本人だけでなく、その ご亭主のほうをも視野に入れての御解答でしょうね。
このかたの御解答は、大概の場合、細かいところでは、私なりの経験上、ちょっとした異論を差し挟みたくなることもあるのだけれど、最終結論としては合致することが多い。
私のような、ひどくヘンな来し方では なかったでしょうけど、そもそも頭が非常に良い人だから、説得力のある答えを出せるのでしょうね。
当該相談者の場合、私からも少しばかり言えることが あるとすれば、
まず、50歳代は、やはり、若いとは言えない側面も大きくなってくるのでは、ということ。
ご亭主も、この相談者の女性も、遠からず、何らかの疾病や介護に直面する年代に さしかかっているはずなので、
このままでは、ご亭主が倒れたとき、どうするのか、
それ以上に、
自分が倒れてしまったとき、どうなるのかを第一に考慮しないと。
何が直接の原因で、夫婦間が、そこまでスレ違うようになったのか、本文を読んでも、よく分からないのだけど、
いずれにせよ、いつまでも引き延ばさずに、話し合いは喫緊だわね。
これは確かだと思う。
私なんか、そんなズルズル状態はガマンできないわ(苦笑)
ほんとうに、人間関係で苦労してきていたら、「孤独」を恐れるどころか、むしろ、孤独のほうが安らげる面も あるんだけどね。
…
ムスタキという、ギリシャかフランスかのシンガー・ソング ライターの作品で、『私の孤独』という歌が あったっけ。
(ちなみに、うちの親父、なぜか、この歌に猛反発してるのを見て、私は怪訝に思ったことが ある。いまだに理由不明だ)
ただ、「孤独」にも大まかに2種類あって、
自分自身の世界に満たされている場合は、ハタから見えてるほどには、「孤独」で苦しんでは いない場合も あるけど、
同じくハタから見て、家族も ちゃんと いる、友人たちにも囲まれ、賑やかな暮らしのように一見は見えても、内実は孤独ということも ある。実は、そういうの、意外なほど多いみたいよね。
このたびの災害で犠牲になった家族や身内の話を見聞しても、ええっ?と思うような、コミュニケーションを疑ってしまうような事例も あるし、
そもそも、家族間での争いこそは、世のなか最多であるとも聞く。
ただし、
それや これやも、若い頃と老いてからとでは、様相が だいぶ変わるだろう。
若い頃に、孤独を噛み締める最大の機会は、なんと言っても、簡単ではない疾病になったときだろう。
親にも誰にも代わってもらえない、自分自身で耐え、乗り切るしかない、これは、中途半端に障碍を抱えている人の殆ども、日常的に味わってきていることだろうと察する。
自分で自分を、どうにでもコントロールでき得るという自信が少しでも残っているうちは、あるていど強気で いられるし、
社会において、若い肉体(脳を含む)は、強力な切り札であり、それ自体が資本だが、
自分自身の肉体すら、思うようにならなくなっていく年齢で味わう孤独は、若い頃の それとは変わり、ずっしりと重く、そして、なんとも うら寂しい心地が、底から ひしひしと迫ってくるかもしれない。
特に、持たざる老人はね。
ただ、「欲も得もないわ」とばかり、ある種の ひらきなおりで、ヘンな肩の力を脱ぎ捨てることもできるかもしれない、と言うか、そうせざるを得なくなっていくのだろうが。
要するに、生半可なミエは張ってられなくなる。
とことん意地を通すなら、孤独と死はセットで覚悟するほか ない。
麻生さん他、代表的な政治屋さんたちや世襲層、エリート層の お歴々のように、いざ「地獄の沙汰」で使えるものが ないんだからさ(苦笑)
けど、
うちの母親も、「そりゃあ、一人のほうが気ままに やれてラク」とは言ってたよ。
でも、それは、人の評価を得ようとシャカリキになるからであって、本当の一人は、やっぱり寂しいんだよね。
心の底では、人を、つよく求めてる。
決して、人嫌いには ならないし、なれない。疑り深いわりにはw
私は、そんな親に全く似なかったので、全然逆で、疑り深くもないし、
若い頃はボケーーーッとして、それこそ「赤子の手を捻」られる感じの、のんびりタイプだったが、
むかしも いまでも、ぶっちゃけ、ヒトが好きでは ないw
こちらから好もしく思えるタイプの人は、希少。
まあ、他の雑誌系の記事にも「悩み事相談コーナー」というものが あり、たまに読んでたら、ああ、これは作り話かな?と思うことも少なくないわねw
なので、
最近は、ほとんど、この類を読まないし、
たまに読んでも、「話半分」な受け止め方しか しなくなってしまったなあ。
「ヤフゴミ捨て場」なんざ夥しいだろ、弱者叩きやマイノリティ排斥のためなら、それ用のストーリーつくってるもんな。
くだんの相談者の場合、やはり、経済力の不安が大きくて、それもあるから、ご亭主にしてみれば、むしろ自分の側こそがガマンして、追い出さずに同居してやってるじゃないかという気持ちなのかも?
だから、食事の したくなんか、してくれて当然だろ?と。
あと、
子どもが できなかった?のかな、そのへんの話し合い不足も絡んでるのかも。
まっ、「倦怠期」も、とうの昔という夫婦は、やがて「家庭内別居」さながらになるのが めずらしくもないみたいだけどさ。
いよいよ、どちらかの からだが弱ると、また状況は変化してくるよ、これは確実だと思う。
その前に、手を打っておかないと、ほんとうにズルズルを続けざるを得なくなるから、それで悔いは ないだろうか、自分の胸に手を当て、よくよく考えておかないと、これまた家庭内殺人になりかねないわな。
2019.10.25 (Fri)
『小田急百貨店で販売された1728円の「素敵ステーキサンド」が「見本との落差で涙が出そう」と炎上→購入者と催事担当者を取材』
10/22(火) 17:45配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191022-00000028-it_nlab-life
たしかに、写真見てから、思わず、値段を何度か見比べたわw
よくまあ、その、スペースがら空きな容器のなかで、ちんまいサンドイッチが崩れなかったもんだと、私も思った。
うちの母親は、脳の「食欲中枢」ってとこに異常が顕著なんだということを、自分で認めて吹聴してたくらいだからwやめられない止まらない
気の済むまで食べられないとなると、たちまち「ぐぉらーーー」っと怒り狂うので、こんなん発覚したら、ぜったい許さんやろなあww「敵サンド」断定だわwww
過去に、新宿の『小田急』デパートで何度か買い物したこと あるが、わりと庶民的な雰囲気だったと思うけどねえ。なので、「ぼったくり」じゃないかよと言われるような、あくどい商売したなんて、意外な感じもする。
ほとんど詐欺だ!と言われるくらいなら、いっそ、値段を倍にしてでも、「お味見」サイズよりは、もう少しマトモなサイズ、容器に見合う量で売るべきだったね。そのほうが、納得して買うんだから、苦情も少なくて済んだろうに。
さて、今度は こっち。
出ましたよw
「星のもとに生まれた」(爆)
「おまえは、そういう星のもとに生まれたんだ」
「だから、障碍のことでも何でも、すべては、おまえが悪い」
と言い放った母親のこと、当ブログで、何度か述べてるけれども。
~
「お前は不幸な星のもとに生まれた」と、自分の子供に言う親は、間違いなく「毒親」です~
そうでしょ!そうですよねえ。
そりゃあ、「自己肯定感」を最も損ないますよ。
幸せになる資格は ない、とか、ねたまれてるのを、じんわり感じさせられるとか。
でも、「怠け者」呼ばわりされちゃうんだなあ。
だ~れの おかげで、てめえらの晩年が安泰だったと思ってんのかよ?ああん?
と凄みたくもなるのよ、まったくw
「できそこない」
「おまえなんか、産むんじゃなかった!」
とかさ。
これ、口走ってる親、昔も今も、けっこう多いんじゃないだろうか。
『「夫にずっと無視されています」52歳主婦の悲痛に、鴻上尚史が示した「残りの人生」のための具体策とは?』10/22(火) 16:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191018-00000067-sasahi-life&p=1
~
「不幸な星のもとに生まれた」なんてことが分かるのなら、親は超能力者か魔術師だということですね。だったら、そんな予言しないでその超自然的な力で娘を幸福にしろよっ!と思いますね。
そんな力がないのなら、「不幸な星のもとに生まれた」という断定は間違ってるってことですからね。
だって、ファンタジー映画で、主人公に対して突然、男が「お前は明日死ぬ」と断定し、「誰だ、お前は!?」と問われると「ただの通行人だ。居酒屋で働いている」と答えたら、ぎゃふんですからね。予言する能力がない人間が、ただ感情に振り回されて言っても意味はないのです」
いいえ、鴻上さん。
子を幸福にする能力が ない、それどころか、
子の不幸にアグラを掻いてこそ、自分が良いほうに利用しようとする、
そんなジコチュ―の権化みたいな親の所へ生まれるしかなかったんだから、たしかに「不幸な星のもとに生まれた」んじゃないですかね?(苦笑)
うちの母親は、特定の宗教に のめり込んでは いなかったし、
むしろ、世間一般的も そうであるように、宗教に夢中になる人を軽蔑してるくらいだったのだが、それでいて、
ぶっちゃけ、かなり「オカルトチック」な人だったせいか、自分自身で、まさに「予言能力」「超能力」とか「魔術師」的な能力を持っていると自負していましたのよ。ケッタイでしょw
彼女が子ども時分、周囲の おとなたちから、「神童」とか「霊能」「特別な能力を持ってる子」という評価を得ていたという話は、何度も聞かされました。
また、早世した祖母は、私の母親が幼かった頃、友人宅で不幸事が あったおりなどに、葬儀の場へ行くのを止めていたそうな。
「おまえは、そういう所へ行っちゃいけないんだ」と。
うちの母親については、いっくらでも、その特異なる性格や出来事を述べるタネに事欠きません。
実際、彼女を見ていて、あるいは、その死後も、
ああいう、精神医学の分野では「異常の範疇」とされるほどの意志とか欲求、命懸けの思い込みや勢いの激しさというものが、周囲を引っ掻き回したあげく、当の本人は、そこそこ、いいほうに回ってから、トンズラしおおせているもんで。
そうなったら、「後の祭り」ですから、やっぱり、どれだけ早く気づけるかが、自分自身を防御する最初のカギになる。
でも、騙されるのよねえ。。。
いまの私には、ハッキリと見極められる。
うちの母親こそが、その発言と正反対に、
実は「不幸を運んできた」みなもとだったのだと。
若い頃、病気がちで、二十歳まで生きられないだろうと言われ、
また、健康上の理由からも、子を産んでは いけないとも言われたそうだけれど、
その母親自身が、そもそも、生まれては いけない人だったと思う。
学校時代に、
「自分が生まれてきたことを肯定できないでいるうちは、子を産まない」
と、ひそかに思っていた私だったけれど、いまは、こう思う。
うちの親こそが、生まれては いけなかったのだと。
とは言っても、現に生まれたしw
そして、私を産んだし。
ただねえ、
うちの親父ただ一人、トクしたのは間違いないw
最初のヨメと別れずに(もともとは、そのつもりだったのだろう)、私の母親と一緒になることが なかったら、それこそ、相性の悪い長男とのあいだで、親子殺人になりかねなかったし、典型的な酒乱であり、さぞかし破滅的な人生となったことだろうけど、
まあ、「たられば」だわね。
実際、親父は、トクしたよ。それが現実だった。
私や、父親違いの姉の犠牲と引き換えのように、親父の連れ子もトクしたはずなんだけど、自殺したり、アタマおかしくなってるからね。
実は、もう一人、
生き別れのまま生育した、私と6ヵ月違いの娘が、父親のほうに いるんだけど、
実父と別れて育ったことが、かえって幸いだったはず。
遺産も、私の名義分も混ぜて、全部、手に入れた。
いちばん、実家の問題に かかわらずに済んでいた者がね。
最も かかわって処理していたの、私なんだが。
母親自身の実の兄弟姉妹(←私の叔母や叔父たち)も、その姉である、私の母親の ふとした行動が切っ掛けになって、ほどなく、極悪な継母を引き入れるハメになり、
その日以来、たちまちにして不幸に突き落とされてる。
そういった過去のことが あったから、それを直視したくないあまり、ついには、すべてにわたって、
「良い事は、わたしの おかげ」
「悪い事は、その当人の自業自得」
「わたしは、いつも いつも、周囲の犠牲になりつつ、身を粉にして奉仕してきた」
常に、そういう信念を頑強に持ち、主張を繰り返していたけれど、
根本が真っ赤な嘘だった。
また、
娘である私を筆頭に、周囲も騙されている人が多かった。
それ以上に、
呆れたことには、そんな母親の真似を したがる人も いるんだわ。
【続く】
2019.10.23 (Wed)
再び「あっちも こっちもパホーマンスとバカまる出し」だ。
天皇家が、「憲法を大切に、従う」という言明を、たびたび出すのは何故かというとね。
現憲法によってこそ、彼らの家系の特権的、カリスマとしての地位というものが存続し、保証・保障されているからなのだ、
という指摘は、過去エントリーの どこか、たぶん、前天皇の「退位」宣言が あった頃だったかにても述べておいたけれど、
おかげで、
必要性もハッキリ分からない御殿の改修だの何だの、いやがうえにも、税金を喰ってるしまつ。
その彼らは、
同時に、識者を中心に、たびたび指摘されてきて、一般のなかでも少なからぬ人々が疑問に思ってきた
「政教分離」に違反している行い
を、当然!という態度で、やりおおせもするのであるから、とんだ矛盾だが、
ま、第一には、宮内庁が悪いし、
多数の国民も また、低知性でアホだからだ。
本当ならば、
「臣下の決めたことを止める立場に なかったから~」
と、先進的な他国の物真似で、さも苦しい言い訳しつつ、同時に、「朕の赤子」を夥しく犠牲にするためのシンボルであった『天皇』および『天皇制』『皇室制度』は、敗戦時こそは、廃止するのに またとない絶好のタイミングだったはずなんだが、
憲法が変わっても、しゃあしゃあと『沖縄メッセージ』を臆面もなく発し、
「どうも、気の毒とは思うが~」(薄ら笑い)と、被爆した国民を よそに、
これから戦後の日本の民衆をコントロールするために利用できるわいと判断したらしいアメリカ側と、裏で、どのような話を つけたものだか、甚だ疑わしい。
なぜに『自衛隊』を使い、アベシの滑稽な「万歳三唱」と共に大砲何十発なんぞ やっとるんだかね。各国の要人たちの面前で見せつけるように。
世界じゅうの要人なんか無理して呼ばず、あくまでも内輪の行事である、として、つましく やるのがスジでしょうよ。これぞ本当の「伝統!」と主張するのならば。
そのためにも、『天皇制』『皇室制度』は廃止し、民間としてのなかで続ける分には勝手だけどね。どんだけ時代錯誤なバカげた慣習を続けても。
国家の行事にするから、おかしなことになる。
けれど、
それも、ある意味で危険では あるから、
と言うのは、
ああいう人たちには、あっちこっちから「悪い虫」(代表格:『日本会議』)がワラワラ寄ってくる、
そして、それを防ぐだけの見識や知性が、彼らに備わっているとは限らない、ただの人間たちだからこそ、ありがちな危険性を見越して、現憲法で真っ先に保証・保障し、かつ縛ってあるわけだ。
それを思うにつけても、なかなか よく考えてあるもんだね、現憲法w
各メディアも、ここぞとばかり、いちだんとバカげた、ついにはオカルトチックな記事まで連発。
それの感想をば嬉々として述べる「ヤフゴミん」(=『自民党』ネトサポ=『日本会議』その他)を代表格として、自分のアタマで考えたこともない、思考停止、そのことに無自覚なミーハーの俗物だらけ。
えげつない俗物の行列。
つくづく、ウンザリ。
かつて、どこからか流れて来た家系の主張する「伝統」とやらから現代の商売品に至るまでも、歴史上、みずからが一から生み出して、うち立てたものは何もない、何もかもが、どこかからの借り物でしかない、ただ ひたすらに、人真似ジョージ程度の国の滑稽さ。
今後は、毎度おなじみの、被災地ドサまわりを開始する運びになるんだろうが、まあ、ドッチラケですわな。
私は、何度か言ったように、
例の『相模原やまゆり園 重度障害者虐殺事件』のあと、ついに何らのメッセージもなかったということで、前天皇ご夫妻についても、ドッチラケという印象に終わりました。
『皇室』のドサまわり、
暴力団の「ボランティア」ww
ともあれ、
『即位』なんちゃらの儀は、被災地の悲嘆を よそに、「ゲンクソ悪い」ミスを織り交ぜつつw、シュクシュクと執り行なわれた。
こういうことを重ねていった果ては、
雨風とともに去りぬ。
この、時代錯誤にして、矛盾・欺瞞・乖離を隠しようも なくなった、不自然きわまる、物真似制度も、大自然の力に暴かれて、終焉を迎えるのだろう。
いま取り沙汰されている『皇室』を めぐる諸問題も、これでイッキに解消する。
2019.10.18 (Fri)
としか思えんわ。
「ヤフゴミん」なんざ、要するに、腐れの集団『日本会議』シンパすなわち腐れ『自民党』の手下であり(あるいは、どっちが「手下」であるかについて逆転しているかもしれないがw)、
もはや伝統的にと言っていいほど、日本の政・財界に喰い込んで久しい韓国・朝鮮人の団体が絡んでるな?はては、ザイトクとかいう「ネトウヨ」の新参グループやらも、っつうのまで含めて、
鵺のごとき魑魅魍魎が、複アカは常套手段であり、
もちろん、徒党を組んでも押し寄せている、無意味に夥しいアホ投稿を眺めてたら、だんだん、いやでも気づくけどさ。
「ヤフコメ」というのは、そういう連中のために設けられているんだな。
さすがは、もとが韓国・朝鮮系の経営者だねえ(嗤)
なにを たくらんでるのや?
また、
『北朝鮮』はアベシのトモダチ、と過去エントリーでも指摘したとおりに、
相変わらず、ここぞというときには、安倍政権の「見せ場」を提供してあげてるのねw
そうとうに、水面下で癒着してるんだろうなあww
アベシは、拉致問題も ほったらかしだし。
さて、今度の「元号」と『天皇』ご夫妻には、のっけからケチのつきどおしみたいなことになってしまっていて(皇室全体が?w)、
ナルヒト(漢字変換できないよw)氏は、そう言えば、重度の「雨男」なのだそうな、と思い出したわww「水」に縁が あるんでしょうね(苦笑)
『パレードに雨を降らせないで』って歌も あったなあ(笑)
ああいう仰々しくもアッケない行列を見物したい向きなんてのは、
それこそ、「日の丸」小旗を配っているという『日本会議』の連中を筆頭に、まさにオメデタイ軽薄短小の手合いしか いないだろうよ。
私なんか、たまたま現場に居合わせたとしても、かったるいし、ちょいと立ち止まって見ようとも思わんなあ。
関心ないよ。
元気なんか出ない。
自分の生活が大変な状態なら尚更だ。
人ごみや交通規制の煩わしさが鬱陶しいばかり。
勝手にやってて。
まあ、がぜん、はりきって「お出まし」連発を実行しなければならない仕儀となった雅子さまの疲労も、そろそろ溜まってきておられるだろうし、一つでも、イベントを減らせたら、そのほうが良いだろうね。持病が再発するようなことが あっても いけない。
で、
「恩赦」というものを実施するぞという おふれに対しては非難轟々らしいのだがw
それについての「ヤフゴミ溜め」には、
犯罪もせず、真面目に生きてる国民が報われもしないのに、
というブーブーが溢れかえってるしまつ。
あほう。
犯罪を起こさぬよう、真面目に生きるのは、アタリマエの生活態度だろ。第一には自分のためじゃないか。
あたりまえをアタリマエにやっていけてること自体が、有難く幸せなことぢゃわ。むしろ、感謝しろ。
「オーサー」とか「元特捜部主任検事」という人のコメントでは、罰金刑で済むような軽犯罪の場合の始末の悪さみたいなことを指摘されてるようだが。
むしろ、凶悪な犯罪を起こしてしまう者のほうが、ある意味、最も不幸な者だ。これも再々指摘してきた。
それにしても、
「反省させる」「更生させる」
という理念について、再考すべきなのかも しれないな、
という気すら してきた近頃。
だってね、
当ブログ主は、おりに触れては、誰しも自分自身が最も可愛いのが人間のサガだというようなことをも指摘してきたけれど、
だから、表面的にとかタテマエ的には、深く反省しているように見えても、また、本人自身、そうしているつもりであっても、
ほんとうに、とんでもない、取り返しのつかないことを やってしまったときほど、心底では、自分を庇っているもんだと思う。
認め切れるもんじゃないんだよ、自分の罪深さをね。
かえって、そこまで行かないレベルのほうが、
「すべては自分が悪うございました」と潔く言えるもんなのですわ。
それくらい、自分可愛さは、底知れない。
ましてや、これが、精神や知能に障害ゆえ、となると。
恐らく、無理だもんね、「反省」だの「悔悟」だのは。
まあ、精神病の場合の犯罪は、普通の刑罰は免れてるようでも、「医療刑務所」に入れられることになるといった話は聞いてるが。
それと、
先回のエントリーでも取りあげた、例の『八ッ場ダム』について。
いまだに、
「八ッ場ダムの おかげ!ミンスの無責任!!」
という投稿を頑なに繰り返しているジジイどもを見受けるが、いいかげんにしておくが よい。
どこまで、日本社会の劣化と、民衆の勘違いを煽るつもりか
あのダムは、本来ならば数ヵ月かけての「湛水」とかいう作業を開始し、続行中だったところが、予想外のスピードで、たちまち満杯になってしまったというんだろ?
だからなんだね、
私も、ダムについて専門的なことには疎いから、たま~~~にはマシな投稿もある「ゴミ捨て場」のなかにも、
「むしろ、あのダムは、もっと強化すべきということになる」
といった指摘も混じっていて、その意味が分かりにくかったんだけども、
今後は、
「無理な湛水」になってしまったかもしれない『八ッ場ダム』の弊害をも、検証に加えなければならないだろう。
次回、またぞろ起きる恐れの高い大災害に備え、今回の、むしろ「アクシデント」だったと言うべき現象について、しっかりとシミュレーションや検証を しておかないと。
最初に出した『読売』の記事の、狡猾にも、それとなさげなタチの悪さも困ったもんだが、
『産経』や『フジ』のバカさかげんには、もう慣れてるけどwと言うか、ハナから視聴に値しないものと、私は一切無視してるけど。
地元の新聞社なんかも、嬉し気に、無責任な記事を出していたね。
おたくら、社会的責任というものを自覚しなさいよ。
あと、「タワマン」の脆弱さが意外~、といった話題にも、私に言わせれば、なーにが?アタリマエだと思うけど、と言いたいところ。
あんな建物に入居したいなんて、ちょっとも思ったことないわ。
脆弱で当然じゃないの?と、直感で思ってたもん、私は。
ま、「カレーを出すの出さないの」と些末なことを取り沙汰するより重大なことをサッサと議論してね、与・野党もメディアも。
いま、どんな状況なのよ?わかってるのかな??
ほんと、あっちも こっちもパホーマンスとバカまる出しだ。アクビが出るよ。
2019.10.14 (Mon)
まずまず、ですと?
「まずまずに収まった」(?)
はあ??
まーだまだ これからやろ?地盤崩れなど関連事も含めて、詳細が判明するのは。
最初に報じられた被害規模や死傷人数を知っただけでも、「うわあ」と思ったけどね、私ですら。
むろん、これから増加していくであろうことが明白だからだ。
まあ、国民の命は、「数」そのものでしかない。
まさに、得票数と同じなんだ。
あるいは、かの『ナチ』の収容所に、うずたかく夥しく積み上げられていた、犠牲となった収容者たちから奪い取って、種類ごとに分別されていたメガネやら靴やら、そんな感覚なんだろう。
それが、政治屋の感覚。なかんづく『自民党』は。
相も変わらず、ことばの感覚が極めて粗く、稚拙、無神経、思いやりも、寄り添うも何も あったもんじゃない。
その年齢になっても、
大ベテランとして、与党の重鎮として、長の年月を「政治」の第一線に立ってきた人が、国民の神経を逆撫でするようなセリフを平気で吐く。
平気で吐けるのは、気が咎める意識もないから。
つまりは、それが当然という感覚が根底にあるゆえの本音だからだ。
「政治屋」ならば別だろうが、「政治家」というものは、国民や民衆への愛が なければ、そのための政治は つとまらないだろうし、そもそも、政治の世界に入らないでもらいたい。
政治は、売り上げを数える商売では ないのだから。
ところで、
昨夜、『八ッ場ダム』についての、『読売』新聞の、さも事実だけを冷静に伝えました(つごうに合わないことはダンマリですがw)と言わんばかりの記事の言外に、なんともイヤラシ~イものが滲み出ているのを、早速、旧『民主党』叩きに使えるとて、マダニの如く飛びついている「ヤフゴミ」どものコメントを眺めていたら、
そのなかに、
「自分たち土木系は、ミンスなど絶対に支持することは ない!」
というふうな投稿が混じっていて、そりゃそうよねwと苦笑した。
先日の当ブログ エントリーでも、
以前から指摘していた、頑丈な公営住宅の問題ならびに、今後の避難所の問題それ以前に、
そもそも、自民党の従来、飽くまで「個人で持ち家を推進」政策の弊害を述べておいたのだが、
ま、二階さん自身、まさに「土木」「建設」系の出身だそうだから、そっちの皮算用でホクホクなのかもね(嗤)
ここで あらためて付け加えておくが、
「備え!」「備蓄!」と言ったって、個々のケースによって、大きな限界も ままあるし、せいいっぱい万全のつもりでいても、大規模災害となると、何ら役に立たない事態も ままある。
避難所へ行ったからって、それだけで安心とは限らないし、場合によっては、そこでも隔絶が起きたり、緊急救助が必要になる恐れも ある。
自民党政府と、その手下どもの本音である「自己責任」を根底に潜めた、ていの良い説教を真に受けないことだ。
各種の災害に強い家屋で、子どもを含んだ家族と共に生活できているのは、あたりまえのように見えても、実は そうでは なく、むしろ、とても恵まれている層であり、今後、どんどん少数層になっていくかもしれない。
昨今では、もはや、老いも若きも、一人世帯という現状が増えている。
『八ッ場ダム』の本当のところについて、嘘つき『自民党』支持者や暗愚の代表たる「ネトウヨ」の言うことなんざ一切、信用できないのは当然で、
今後、ヘンな組織からの根回しが効いてない、真面目で、まともな専門家らのシミュレーションなど出してもらい、その検証結果でしか判断できないことだ。
なんせ今回は、工事中断を経てのち、『八ッ場ダム』完成前の試験途上という、たまたまのタイミングによる不幸中の幸いという結果であって、
次からは、もう このテは使えないんでしょうが?
ほんと、自民党のシンパって、なりふり構わずのバカまる出し。
いつでも どこでも、信仰対象あるいは、甘い汁の分け前に あずからせてくれる自民党のためならエーンヤコーラ!とばかり、
恥知らずにも、デマ・ガセだろうがネタだろうが広げ回し垂れ流し
そうやって、無知な一般社会にカン違いさせる。
野党と報道人、しっかりしてくださいね、ほんとに。
『八ッ場ダム』を めぐっても、住民や関係者間の激しい対立・分断が起きたように、
長年にわたって住み慣れた家屋や地域を離れることだけでも、当事者にとっては「人生が ひっくり返る」ほどの大事件だ。
ましてや、
命というものは、一回性のものであって、リセットは利かないのだ、
ということを、当ブログでは近頃、何度か言及した。
たった一人にとって、その命は、ただ一つしかない。
かわりは ない。
したがって、
自分の命を なくすことは即ち、
「日本」どころか、この世界まるごと全てが消滅することに ほかならないのだ。
ま しかし、
決して おろそかにして見逃しては ならない大スキャンダルが、各界で次々に浮上している さなかの、大災害。
これこそは、日本と、その国民の宿命的な、最大の不幸なのかも しれない。
おかげで、
政府自身も追及され、窮地に追い込まれる恐れのある あの問題、この問題から、全国民の眼がイッキに逸らされる状態になってしまい、
むしろ、政権側は喜んでいるんじゃあるまいな。
毎度の冷血ぶりが表れた発言を見ても、それが透けているようだよ。