2019.10.25 (Fri)
『敵・毒・嘘・孤独』の続き。
鴻上氏の おっしゃりたい気持は、基本的には理解できるし、
やっぱり、当該の相談者本人だけでなく、その ご亭主のほうをも視野に入れての御解答でしょうね。
このかたの御解答は、大概の場合、細かいところでは、私なりの経験上、ちょっとした異論を差し挟みたくなることもあるのだけれど、最終結論としては合致することが多い。
私のような、ひどくヘンな来し方では なかったでしょうけど、そもそも頭が非常に良い人だから、説得力のある答えを出せるのでしょうね。
当該相談者の場合、私からも少しばかり言えることが あるとすれば、
まず、50歳代は、やはり、若いとは言えない側面も大きくなってくるのでは、ということ。
ご亭主も、この相談者の女性も、遠からず、何らかの疾病や介護に直面する年代に さしかかっているはずなので、
このままでは、ご亭主が倒れたとき、どうするのか、
それ以上に、
自分が倒れてしまったとき、どうなるのかを第一に考慮しないと。
何が直接の原因で、夫婦間が、そこまでスレ違うようになったのか、本文を読んでも、よく分からないのだけど、
いずれにせよ、いつまでも引き延ばさずに、話し合いは喫緊だわね。
これは確かだと思う。
私なんか、そんなズルズル状態はガマンできないわ(苦笑)
ほんとうに、人間関係で苦労してきていたら、「孤独」を恐れるどころか、むしろ、孤独のほうが安らげる面も あるんだけどね。
…
ムスタキという、ギリシャかフランスかのシンガー・ソング ライターの作品で、『私の孤独』という歌が あったっけ。
(ちなみに、うちの親父、なぜか、この歌に猛反発してるのを見て、私は怪訝に思ったことが ある。いまだに理由不明だ)
ただ、「孤独」にも大まかに2種類あって、
自分自身の世界に満たされている場合は、ハタから見えてるほどには、「孤独」で苦しんでは いない場合も あるけど、
同じくハタから見て、家族も ちゃんと いる、友人たちにも囲まれ、賑やかな暮らしのように一見は見えても、内実は孤独ということも ある。実は、そういうの、意外なほど多いみたいよね。
このたびの災害で犠牲になった家族や身内の話を見聞しても、ええっ?と思うような、コミュニケーションを疑ってしまうような事例も あるし、
そもそも、家族間での争いこそは、世のなか最多であるとも聞く。
ただし、
それや これやも、若い頃と老いてからとでは、様相が だいぶ変わるだろう。
若い頃に、孤独を噛み締める最大の機会は、なんと言っても、簡単ではない疾病になったときだろう。
親にも誰にも代わってもらえない、自分自身で耐え、乗り切るしかない、これは、中途半端に障碍を抱えている人の殆ども、日常的に味わってきていることだろうと察する。
自分で自分を、どうにでもコントロールでき得るという自信が少しでも残っているうちは、あるていど強気で いられるし、
社会において、若い肉体(脳を含む)は、強力な切り札であり、それ自体が資本だが、
自分自身の肉体すら、思うようにならなくなっていく年齢で味わう孤独は、若い頃の それとは変わり、ずっしりと重く、そして、なんとも うら寂しい心地が、底から ひしひしと迫ってくるかもしれない。
特に、持たざる老人はね。
ただ、「欲も得もないわ」とばかり、ある種の ひらきなおりで、ヘンな肩の力を脱ぎ捨てることもできるかもしれない、と言うか、そうせざるを得なくなっていくのだろうが。
要するに、生半可なミエは張ってられなくなる。
とことん意地を通すなら、孤独と死はセットで覚悟するほか ない。
麻生さん他、代表的な政治屋さんたちや世襲層、エリート層の お歴々のように、いざ「地獄の沙汰」で使えるものが ないんだからさ(苦笑)
けど、
うちの母親も、「そりゃあ、一人のほうが気ままに やれてラク」とは言ってたよ。
でも、それは、人の評価を得ようとシャカリキになるからであって、本当の一人は、やっぱり寂しいんだよね。
心の底では、人を、つよく求めてる。
決して、人嫌いには ならないし、なれない。疑り深いわりにはw
私は、そんな親に全く似なかったので、全然逆で、疑り深くもないし、
若い頃はボケーーーッとして、それこそ「赤子の手を捻」られる感じの、のんびりタイプだったが、
むかしも いまでも、ぶっちゃけ、ヒトが好きでは ないw
こちらから好もしく思えるタイプの人は、希少。
まあ、他の雑誌系の記事にも「悩み事相談コーナー」というものが あり、たまに読んでたら、ああ、これは作り話かな?と思うことも少なくないわねw
なので、
最近は、ほとんど、この類を読まないし、
たまに読んでも、「話半分」な受け止め方しか しなくなってしまったなあ。
「ヤフゴミ捨て場」なんざ夥しいだろ、弱者叩きやマイノリティ排斥のためなら、それ用のストーリーつくってるもんな。
くだんの相談者の場合、やはり、経済力の不安が大きくて、それもあるから、ご亭主にしてみれば、むしろ自分の側こそがガマンして、追い出さずに同居してやってるじゃないかという気持ちなのかも?
だから、食事の したくなんか、してくれて当然だろ?と。
あと、
子どもが できなかった?のかな、そのへんの話し合い不足も絡んでるのかも。
まっ、「倦怠期」も、とうの昔という夫婦は、やがて「家庭内別居」さながらになるのが めずらしくもないみたいだけどさ。
いよいよ、どちらかの からだが弱ると、また状況は変化してくるよ、これは確実だと思う。
その前に、手を打っておかないと、ほんとうにズルズルを続けざるを得なくなるから、それで悔いは ないだろうか、自分の胸に手を当て、よくよく考えておかないと、これまた家庭内殺人になりかねないわな。