2023.10.08 (Sun)
むかし、私が、まだ実家で生活していた20歳代の頃のことだ。
うちは、父親の実家が(本当は養家なんだけど)遠い千葉県なので、毎年の お盆や お彼岸、それぞれの先祖の命日に仏壇前にて読経してくださってた お坊さんは、住まい近くの お寺さんに依頼して、そこから来ていただいてたのだが、
ある年の新年早々、「お布施」を集めに回られていたようで、うちにも訪ねて来られたので、親らも、素直に応じて差し出した そのあと、茶の間に戻って、自席に座り直しながら、親父が、
「坊主まる儲けだなあ」
ハハハと笑っていたことが あった。
それでも、
千葉の菩提寺の代わりに、うちに来ていただいてた「おじゅっさん(大阪で言うところの「ご住職」)」は、当時、まだ40歳代前後くらいだったろうか、いたって真面目で、かつ、うちの親とのコミュニケーションもスムーズで、仏教についての研究心も、なお旺盛だったのか、集めた お布施で、はるかなインドまで仏跡の見学に赴かれたとかのことで、おみやげです、と、かの地の菩提樹製数珠を持参して来られたことも あった。
いつも丁寧な読経を聞いていると、私なんかでも、つい聞き惚れるほどの美声で、それを活かしてか、地域の公民館では、「詩吟」クラブに参加しておられたようだが、うちの親父も、その頃は、詩吟にハマっていたので、さすがだと感心していた。
と まあ、こんなことを思い出したのは、
『正圓寺』という、大阪では『聖天』さんを祀っていることで有名な、たいへんに古く、なんと『平安』時代より千年を超えることでも知られた、由緒ある寺院の、こともあろうに、住職が、カネ儲けに大失敗して、法に違反していたことがバレた あげく、加担していた不動産業者ともども逮捕されたというニュースを見たからなんだけど。
そもそも、なぜ、特養ホーム事業を思い立ったのかと訝しく思ったら、くだんの住職、50歳代で再婚してからというもの、おカネに困っていたらしい。(どういうヨメさんなんだ?)
で、そういう事業の経営者はガッポリ稼げるからということらしいのだが、そこで、役所に届け出る書類の虚偽不正を やらかしたのがバレて、補助金もらえなくなったんだそうな。
(なんか、カゴイケっつうオッサンの事件も連想したw)
そういうわけで、たちまち行き詰まり、建てかけの建設費が支払えなくなったというゴタゴタ。
私が生まれた街の わりと近場なので、過去エントリーで数回、触れたことも あったかと思うけど、ほんの2歳未満で、そこを離れたので、くだんの寺そのもののことまでは憶えていなかったのだけれど、亡母が生前、時々思い出しては話していたことの一つに、ここの『聖天』さんのことも登場していたので、生まれた街の恋しさ、懐かしさから、何度目かに訪れた数年前、ふと、足を延ばして、『松虫通り』沿いの、この寺院にも参ったのだった。
そのときは、そんな前代未聞の騒動が起きていたなんて、ちっとも知らないから、高台に広がる敷地のなかに、見るからに古い お堂や僧坊みたいな建物が点在してるなあと思いつつ、なんとなくガラ~ンとした雰囲気を訝しみつつも、ゆっくり巡っただけなんだけど。
初めて知ったニュースに驚いて、検索してみたら、すでに4年ほど前の10月に、『フライデー』が記事を載せてたんだねえ。
いやはや、
「あほらしやの鐘が鳴る~」
てなもんだわな。
もっともらしい お説教を垂れておきながら、護摩なんぞ焚き上げつつ、まったく煩悩まみれの欲得まみれか。
われわれ一般の仏教徒よりも薄~い信心、
いや、皆無なんじゃないの?よりによって僧侶とも あろう身で。
実は、
私の命名時、なかなか決められなくて、近所のオジサンやオバサンたちまでが総出で、いちいちの漢字までは知らんけど、やれ、「けい子」がイイとか、いろんなアイディアを多々提案してきたらしいんだけど、
そのなかでも、強硬に主張してきたのは、特に親しくしていて、私のことも非常に可愛がってくれていた おじさん。
「ワシの名前が三千人(みちひとorみちと)で『千』が付くから、それに ちなんで、百を二つ並べた『百々子』に せえ!」
とか。
母親も、「桃」の花のだったら可愛い感じするけど、、、と、あんまりピンと来なかったらしい。その話を聞いた私も、
「そんなムカデみたいな名前、いやや~」
とw
ところが、おじさん、あまりの強い推しっぷりで、しまいには、
「自分とこの娘でもないのに、なんで、あのオッサンの名前に ちなまんとイカンのじゃあ!?」
と、うちの親父が怒りだし、
「俺の おふくろの名前に ちなんで、『ふさ』を付けて、『房子』に しろ!」
と、押し返し。
親父の母親って言っても、本当は養母で、母方の伯母に当たる人だったんだけどね。
これには、今度は、私の母親自身が猛反発。
「なにが悲しゅうて、あんたの若死にした母親の名前に ちなまんとアカンのや!?ゲンクソ悪いわ!!」
と、だんぜん拒否w
そんなわけで、
わたしゃ、ご町内のアイドルだったもんでwもうー、近所じゅうが喧々囂々の侃々諤々ww
考えあぐねた母親は、くだんの寺院の『聖天』さんから一字もらって、
「聖(せい)」
と名付けようかと思ってたらしいんだけど、
いや、「名前負け」したら いけないと考え直して、また迷い、
結局は、
「なら、あたしの名前からで、どう~?」
と、
自分の妹である叔母が、か~るく提案してきて、急転直下、
二字を もらって、意外にアッサリ決めちゃった、という経緯なんだけど。
私が成人後だったかな、ある日、ふと、
「考えてみたら、『聖』って字は、耳に口の王やろ。聴覚障碍と言語障碍やのに、すごい皮肉やんか」
と指摘したら、母親は苦笑していた。
旧ブログか過去エントリーでも言ったことあるかもだが、
叔母の提案によって付けられた名前ってね、
よーくよく聞けば、本当の出どころは
「なんかヘンな騒ぎを起こして、しまいに、ハラ切って死んだ小説家やん!!」
もとは、そこが由来であると知ったとき、今度は、当の御本人である私自身が怒りましたよw
ゲンクソ悪いとは、このことや!!とww
もっと聞けば、そもそもは、母らの弟である叔父の一人が、その小説家の愛読者だったのだとか。
あの小説家が、あの事件を起こした当時、テレビでも頻りに放映していたのを見たことは憶えてるんだけど、その頃、私は小学生だったので、
みょうな制服だか軍服みたいなものを着込んで、こぶし振りあげながら頻りに叫んでいるが、いったい何を主張していて、何が やりたいんだか、サッパリ理解できず、ただの「へんなオジサン」にしか見えなかった(苦笑)
当時、まだ ずいぶん若かった叔母だが、おバカちゃんのわりにはwけっこう成功していて、まあ、かなり「羽振り」が良いと言うのか、とにかく得意の絶頂、意気揚々状態だった頃なので、その姉である母親にとっても、自分の実妹だから、悪い気は しなかったんだろうけど。
読者のかたは、たぶん、すでに御存じのとおりで、先日のエントリーでも述べたように、叔母は後年、思いがけぬ精神病に罹患し、羽振りの羽もボロボロになってしまい、ドえらいことになったもんね。
【続く】
2023.09.30 (Sat)
去年6月『岡山』県のほうで、
亭主から離婚を切り出されて、先行きを悲観し、それまでの非協力的な夫へアテツケを込めようと、親子無理心中を図り、結果、重度知的障碍を抱える8歳の実子を殺めて、自分自身は死にきれなかったと、さんざん見てきたパターンのような事件が あったそうだが、
刺し殺すよりはと、タオルで首を締めたというのは、辛うじて、私にも、違和感を少なくできた(?)ような気もするのだが、
当然、お子さんは、やはり苦しんで暴れたそうで、なぜ、おのれの鬱憤を、子に押しつけるのかという怒りも、正直、感じないでは ない。
コメント欄の殆どは、身勝手で冷酷なイメージに満ちた夫への怒りと、かたや、思い詰めて、わが子に手を下した母親への同情に満ちているけれど。
こういう類の事件を報じる記事には、必ずのように、絶望感を漂わせ、かつ、夫ら男性側に対する怒りや不満のコメントが、主として、子を持つ女性側から寄せられるけれども、
私は、母親たる者、子を守るためには、もう少し思慮を働かせないことには、、、と、厳しいことも思うのである。
知能や社会形態が、われわれヒトに最も近いとされる猿たちでも、直接的な子育ては、もっぱら雌が担っており、それは、授乳できるのが雌だけだからということで、自然と そうなりやすいのだろうが、それどころか、母猿にとっては、幼い子の父親ですら、厳重に警戒すべき対象のうちなのだ。
父猿のほうも、せいぜい子守くらいは時たま引き受けるけれど、殆どは無関心。たまに、子煩悩みたいな父猿も見かけるが、主としてオス猿のなかでもボスとなった者の責任は、自分たちのグループ・集団全体の保全と発展が第一なので、それに比べたら、苦労を分かち合う雌どうしのほうが、よっぽど細かく協力し合っている。
先日、久しぶりに見た動画では、相変わらず、『アンコール トム』遺跡周辺を根城にしている猿たちのうちの、ちょうど少年・少女に相当する年齢の子猿が、猿の横断なんぞ、気にもせず、堂々とスピードを出して通行する車両に撥ねられ、悲惨な死を迎えるところを、他の猿たちも、おそるおそる遠巻きに見つめたり、もっと幼い子猿は、そばに近寄り、恐怖に眼を見開きながらも、断末魔さなかの少女猿を気にかけているようすだったが、それが ついに息絶えたあとで、今度は、ボスと思しきオス猿が、無神経に走り抜けていく車両の合間を見計らうように、道路の真ん中近くに進み出て、咆哮するかのように大きく口を開け、
「いつも!いつも!おまえらニンゲンは よお!!」
と、威嚇するかのような しぐさだったが、それも、次の車が猛スピードで近づいてきたら、すごすごと引っ込んでいき、屈辱と惨めさと憤懣に満ちた表情を浮かべていた。
本題に戻って、
私が疑問を感じるのは、くだんの母親だけでは なく、母親の実家の親に対してもだ。
娘を、かなり若いうちに、幼なじみの嫁に出しているようなので、実家としても、なるべく、今さら自分たちのほうへ逃げ込んでくるようなことは なかろうし、そんなことのないように、という本音が あったのだろうかと思うが、
学校時分の私の個人的な記憶――
それは、毎度のように、酔った親父が暴れだし、母親と二人で、近所の親しい知人の家に逃げ込んだものの、そこのオジサンに、もちろん私は泊めるが、母親に対して、「あんたは自宅に戻るべきだ」と言われて、母親が、再び、制止する者も いなくなった家のなかで、親父に酷く暴行されることを危惧する私は、結局、二人して、知人の家を出て、とぼとぼ帰宅した、そんな夜が あったことを思い出す。
毎度の事とは言え、みじめで、死にたくなった私は、
「おまえなんか、産むんじゃなかった」
と、幼い頃から言い放ち続けた母親に、
「おかあさん、もう、死にたいね」
と、つぶやくように言って、母親に どやされた。
この、なさけない記憶を呼び覚ましたのが、
子を殺めた、くだんの女が、いったんは二人で自宅に戻れと、実家の父親から言われたという話。
非常に帰りづらい場所に帰れというのも酷な話では ないかと思う。
私が、この女の親の立場なら、とりあえず、実家の家族内の「コロナ」感染が おさまるまでの あいだ、適当なホテルにでも逗留しておくのは どうか?と提案し、宿泊費は、自分が出してやれる余裕が ないのなら、直談判してでも、娘の夫が出すように、つよく言うと思う。
夫側の親も、どのように考えていたのか知らないが、息子の身勝手、わが子に対する、親に あるまじき無関心を咎めることも なかったのだろうか?
そして、家庭裁判所に申立てるとか、手の打ちようは他にも あったのでは ないだろうか。
このような場合、家裁も、だんぜん、夫側のほうに厳しいだろうと思うんだけどね。
何度も流産、死産を繰り返せるくらいだから、体力だけは人並み以上なんじゃないの?
そもそも、
「妊活」なんて くだらない、「不妊治療」だのは、はっきり言って、「ないものねだり」に等しいだろと思っている私は、
じつに薄情な仕打ちを平気で やる、自己中心的で身勝手な夫への愛情を、それでも捨てられなかったということにも大いに呆れたし、
こんな亭主の子どもが、無理してでも欲しいもんかねえ?
と、それからして、理解し難いので(苦笑)、あまり同情できんわ。。。
最初は、ほんとに、しょうもない口論(スマホ ゲームとか)が発端だったというのだから、亭主に捨てられたら、たちまち路頭に迷うという心細い身の上ならば、さっさと素直に謝っておけば よかったのでは ないだろうか。
昔の女性は、そういうふうに、自分一人ガマンして、折れて、まるく穏便に やり過ごしてきたのだと聞く。
そんな時代錯誤を!と思うのなら、将来に不利を抱えている わが子のために、闘うしかないでは ないか。
この事件も、直接に手を汚した母親を中心に、周囲の全員、それぞれに愚かで無思慮で、それぞれに無責任だったのでは ないかな?
もっとも、第一義として、結婚や出産、子育てする大のオトナの、自立した男女がシッカリしてなきゃおかしいんだけどね。
それから、
一昨日あたりに、『静岡』県のほうでは、長年、頭部系の疾患を専門に治療するらしい病院に入院していた娘と、半年ほど前に倒れ、娘と同じ病院に入院した妻の二人ともを殺害した男が、その後すぐ自害し、絶命したという事件が起きた。
私は、自分自身も、多少の似た状況を経験したし、早くも60歳代にして晩年となった母親を、父親とともに介護し、看取ったなかで、
あれほどケチだったのに、帰宅したときに暗い自宅が厭だと、電気代を気にせず、照明を点けっぱなしで外出するようになった、老いた親父から滲む、男性ならではかとも思える寂しさ、一種の侘びしさ、かつ、今後の経済や体力への不安や葛藤も、傍で見ていて察せられたけれども、
当該事件のように、まずは、妻子を、刃物で刺し殺せるということへの違和感が強く、ついていけないと思ってしまう。
別の事件でも、
長年、他からの助力を頑ななまでに断わり続け、自分で介護していた末に、いつしか自身も老いてきて、疲労困憊した80代の男が、身体が不自由な妻を、必死の抵抗を示しているにも かかわらず、残酷にも、その車椅子ごと、岸壁から海へ突き落として殺害したという事が あったが、
私個人的に拭い難い拒絶感は ともかくとして、
もちろん、とても気の毒だと思うし、もし、実際に自分に相談が向けられるようなことが あったら、私なりに蓄積してきて知っている、これまでの心当たりの かぎりを探って、少しでも明るい気持ちを取り戻し、納得してもらえる手立てを考えたと思うけれども、
こういう、救いようが ないと感じさせられる悲惨な家族内の事件が起きると、たちまちにして、手を下した者こそ可哀そうだから責めるなとか、なかには、褒め称えるようなことすら述べたり、
やはり「安楽死」が必要とかと主張するコメントが、ここぞと押し寄せるのは常のことだが、
こやつら、ホントいやらしいなあと、つい思ってしまう。
結局、周囲に助力を求めることも できないまま、密室の家庭内や自分一人で、痛ましくも、事を決し終えてしまった事件ならば、大いに同情して見せて、周囲に相談は、遠慮せずに役所の窓口へ云々などと、理解あるところを演じる。
あげく、
何の宗教だか知らないが、
またぞろ「来世」「天国」「あの世では」と来る。
この世の人の問題は、この世で解決するほかは あるまいに。
「リセット」が利くとでも思ってるんだろうなあ。
そりゃ、「あの世ではシアワセになれるんだから万事メデタシ」ならば、この世で解決する要も何も ないわな(嗤)
なーんにも 仙人でヨロシク夜露死苦w
政治家もラクできるというもんだ(嗤(嗤)
本音では、前首相らと同じく、他人事の、
「自助、自助!自助!!」
「せいぜい共助までにしてね。家族内で、ねっ!!んじゃ夜露死苦!」
【続く】
2023.09.26 (Tue)
『『罪』と『罰』』の続き。
さて、あとは、
「無罪」判決が維持されたことが、あらためて議論を呼んでいる『神戸』市の北区に おける2017年の事件。祖父母と、たまたま遭遇しただけという近所の女性を殺害し、自分の母親と、これも近所の女性に重傷を負わせた「5人」事件について少し。
『津久井やまゆり園』事件、『京アニ』事件の下手人らと同様、当人独自の「ストーリー」に埋没しているらしいが、むやみと「壮大」な構想、下地の部分にも共通しているのは、恋愛感情なんかも あるようだ。
荒唐無稽なストーリーを拵え、あるいは、身勝手な「思想」もどきを積み上げて、それにドップリになってしまうという共通性は、『統合失調症』にも見受けられる特徴のようだが、
先日も述べたように、
うちの身内にも『統合失調症』罹患者が いたし(ただ、これについても、およそ「障害」なるものを激しく忌避せんとする うちの母親のキミョウな意向ゆえ、直接に聞いては いないので、あくまでも私の推察と見立てだが)、
同じ病名では あっても、そこでも、やはり、個人個人の差は あるもので、
うちの場合は、母親の妹である叔母、この人は、もともと軽薄きわまる思考力(それは、俗悪な価値観を伴う)と同時に、クソ真面目さ、几帳面さ(要するに、融通が利かない、思い込みが激しいということでも ある)が、そのまま並立・両立しているような性格の人だった。
調子よく世渡りしてこれた叔母の場合、結局は、将来的な経済面での不安、収入の下落が、発症の直接的引き金に なった。
発症直前の頃は、まず、銀行の預金が横領された!という被害の訴えから始まり(真偽不明)、
深刻度を増すに至ってからは、たとえば、玄関ポストに投函されていたチラシ類の端っこが、たまたま少し折り目が ついていたりしたものなら、
「これに意味が ある!」
と、さも尤もらしく言い張るので、
「何の意味よ?」
と聞くと、
当人の説明によれば、
「善玉」wの国(と、当人は固く信じているらしい)『アメリカ』との戦いで、共産主義の「悪玉」国w『ソ連』からの暗号連絡が込められているのだ!
などと、やたら壮大なストーリーを広げて語るので、
およそ国際情勢だの政治のことなど、いっさい無知・無関心な人だったはずなのにと、姪の私は、思わず、唖然としたものだった。
あっ、そうそう、
「陰謀論」が大好物のウヨ・ネトウヨ諸氏も、少しは みずからを省みて、自戒しておいたほうが いいよ?w
「悪い国からの侵入者を防ぐためだ」
とか言って、白い紙を三角に折っては、窓際や出入口に、いくつも並べたりとか。
いずれにせよ、第一には、服薬などの治療を怠らない、そのように努めるなかで、当人自身が、少しずつ、その病識を深めていきさえすれば、日常の生活は比較的穏かにコントロール可能です。お薬の効果も良くなってるそうだから。
あくまでも、適切な服薬と治療を中断しては ならない、それが大前提だろう。
ここが実行できていれば、以後、無関係の他者までをも巻き込んでの凶悪な行為に及びは しないことを、私も身内を通して知っているわけだけれど、
それでも なお危惧していたのは、
仮に、「措置入院」ということが あっても、いずれ退院してきて、今度は、他人さまである近所の人たちまでも惨殺に及んだという事件が連続して起きたこと、
たしか、2015年に、『淡路島』のほうで、同じく5人の近隣住人を殺害した、凄惨を極めた事件、
続く2016年には、『津久井やまゆり園』事件が起きて、障碍者19人が殺害され、
そして、これも今、公判中の、2019年『京アニ』事件で36人。
これらの下手人は、似たようなパターンの「被害妄想」、かつ、やはり、治療の中断も影響したようだ。
また、
インターネットの存在も、症状を嵩じさせる大きな要因になったらしい。このことは、ネットの普及当初から、危険性を指摘されていた。
しかし、
『淡路島』に おける、5人事件の下手人の場合、そもそもは、薬剤性による精神疾患だったという。
だとすれば、
担当医の見立てと処方は どうだったのか、なぜ、乱用など できたのかと不審に思うのだが、よく分からない。
こうして振り返ると、近年、立て続けだと言っても過言でないような。。。
通常なら、100パーセント、死刑に相当するような凶悪事件を犯している場合でも、精神疾患ゆえ「無罪」と決してしまったら、その後の周囲の安寧は保証され得るのだろうかという不安。
従来とは違ってきて、この方面でも、社会的施策が変化しているのであれば、なるほど、治療薬が功を奏した、そのうえで、少しずつ、外部との接触なども加えていくなか、当人自身が、きちんと納得できているのか否かが問われよう。
まずは家族などを筆頭に、身近の周囲にも理解が必要であり、かつ、人間関係に、互いの信頼を置けているか否か。
このことは、治療に対する患者の姿勢に大きく影響するようだ。
さいわいにして罹患経験のない者は見逃しがちだけれど、
幻覚や幻聴に振り回され、あるいは妄想に苛まれる当の本人自身からして、深刻な違和感や恐怖に さらされてきているはずなので、
まず、罹患している当人が、服薬治療に信頼を置けて、納得できていることが大切。そのなかでこそ、落ち着きを取り戻していき、病識を得て、二度と、発症時の苦しさ、恐怖を味わいたくないとの自覚を持つようになること。
しかしながら、家族と言えども、慣れ親しんだ者を相手に、いきなり酷くヘンになったとは、意外と気づきにくいもので。
うちの親も、最初のうちは、「あんた、何を おかしなことばっかり言うの!」と、つよく叱り続けていたのだが、ムダだった。
発症した当人は泣くばかりで、分かってくれないんだ、という、被害意識や孤立感を嵩じさせただけだった。
まあ、精神障害などのことが ないはずなのに、凶悪事件を起こす者が いるのも、この世の現実だがね。
植松 聖にしても、いま公判中の青葉真司にしても、最も大事なところで投げ出していたことが、のちの凶悪事件を起こすに至らせたかと思う。
また、
あの下手人たちは、言っていることの荒唐無稽きわまるヘリクツから、その内面性や精神性の甚だしい幼稚ぶりも如実に窺えるところだが、
同時に、当人なりの自尊心や精いっぱいのプライドが、激しく傷ついてしまっているようでも ある。いかに身勝手で、浅薄・俗悪な価値観ゆえにせよ。
その「損傷」を埋めるために、自分で納得できるためのツジツマ合わせに拵えたのが、たとえば『ナンバーツー』などの登場人物だろう。
現行、処罰を処罰として、当人が納得できないならば、それは、ただに、「被害意識」や「逆恨み」しか もたらさないということになるのだろう。
『京アニ』事件の青葉真司の、自己中心的な被害意識でパンパンに膨れあがっているようすを見ていたら、よく分かるよね。
まさに、突けば膿が噴き出すような水膨れだ。
やはり、敢えて救命した意味は あった。苦い苦い「意味」では あるが。
もっとも、
「パクり」に関しては、私自身にも、多少の経験が あるし、
あの『東京オリンピック2020』に おいても、プロのデザイナーたちが、そのへんの一般シロウトのブログなどから盛んに失敬していた実態がバレているので、完全に あり得ないこと、とまでは断言できないかもなと思っているけれど、
それにしても、
『京アニ』事件の犯人、その主張するところの「パクられた」という現象が、実際には、物理的に成り立たないというリクツを、いまだに理解していないのだろうか?
あるいは、物理的になど、どうでも よくて、やっぱり、いわゆる「デンパ」云々といった類の主張を繰り返すレベルなんだろうか??
これも、よく分からない。。。
それでも、
何らの罰、相応の罰が与えられないことには釈然としない、被害者側の、また、大多数の心情も大いに分かるよなあ。
かと言って、
恨みを募らせたままの者を、強制的に死に赴かせる、刑務官たち担当各位のストレスも大変だろうと思う。
刑務所にも、スペース的な限りが あるし。
ほんとうに、「差別はダメだから」というのなら、
むしろ、精神疾患を抱えていようとも、等しく刑罰を受けさせるべきなのだという主張も一理あるようには思えるが、
しかしながら、たとえば、
足が不自由な人に、ふつうに走れる人と対等な競争を させたりなんか しないよね。
それは当然、片方の人に不利になるハンディが あることを分かってるからね。
精神、すなわち、脳にハンディが ある場合は、どうなんだろ。
「ヤフゴミ捨て場」のコメントのなかに、
精神障害者からの被害は、言わば、自然災害を被ったようなものかと喩えている投稿も あったが、それも頷けるし、
だからこそ、
およそ先天的なものから来た「障害」というものは、本人の自己責任なんかじゃないわけよ。わかる?w
誰も好き好んで、望んで障碍者に生まれついてや しませんから。
もっとも、私の場合、後天性でも、原因は、親の不注意だ。
障碍を忌み嫌う母親は、断固として、責任とらなかったけどね。
でもね、
私の経験上、身体面での障害を嘲笑するのは、意外なことに、精神面の障害者とか、まともな人物に見えては いても、隠れた内面性に歪みが大きい人ほど、そうなのよね。
で、たいがい、からっぽなプライドに拘泥していて、見栄っ張りだ。
精神面での子どもっぽさや浅薄さ、俗悪さに通じているんだろうと思う。
青葉真司は、ナンタラの憂鬱とかいう、いわゆるラノベに、「感銘を受けた」のだそうな。
これと似た感性は、おそらく、例の「札幌クビちょんぱ」事件の親子とも通底しているだろうと思える。
将来的に、当人にとっても益となる「躾」とか「教育」とか「矯正」というのでも なくて、
「罰を受ける権利」と言われてしまうと、
はて、罰を受けることは権利なのか?
ましてや、当人にとっては心外で、極刑ともなると、、、
概念が、ちょっと理解しにくいのだけれど。
「償い」を行う権利、とでも言うのであれば、そのほうが、もう少し分かりやすいかなと思った。
2023.09.15 (Fri)
最近、よりによって、ガッコの教頭センセイが、女性用のトイレに、盗撮する目的でカメラを仕掛けていたのがバレたそうな。
トイレを使おうとした女性職員に報告されて、即、白状したらしいのも、いやに素直でケッタイだけども。
むしろ、私が驚いたのは、「便器と便座の あいだに」仕掛けていた、ということ。
だって、いちばんバレやすそうな位置じゃないの?
こんにちのカメラは、凄まじく小型化してるということなんだろうか、詳しいことは知らんけど。
さて、
正直、私自身も、かねて、理解できんわ~と思っていたのが、特に性犯罪が発覚したときの男の言いわけに多く出てくる理由であるところの「ストレス」ってやつ。
今回の、この教頭センセイは、『熊本』県の50歳代だそうだが、
ストレスで、の あとに、「性的欲求が強くなった」と説明してるらしいが、これは、わりと正直で、なかなか科学的な説明しとるじゃないかいとも思ったw
これもね、以前から、旧ブログや過去エントリーで指摘してきてるんだけど、ここで あらためて。
最初は、ある人の回顧談を読んでだったか、戦争で、戦地だか抑留地だかに回され、飢餓に瀕した、日本人兵士だった男性が、ご飯恋しさに、炊きたての「銀シャリ」をフッと思い浮かべたとたん、アソコが勃起したって話。
もう一つは、
『阪神』や『東北』での大震災時、花が咲くとか実の生る木々が、例年以上に多く咲かせたり生らせたとかいう話。
いずれも、実話ということなんだけど、
男性の脳は、食欲と性欲が ひっついて連動し易い構造だとか、何かで読んだことも あるのだが、
そういう事例にも鑑みて、やはり、女性の脳と、男性の それとは、違う面が あるんだなとも思う。
要するに、自己の生命への何らかの危機に瀕すると、ということが共通しているように見受けられる。
生物学的にも、意外と、男性は本来、女性よりも偏っていると共に脆弱な傾向が あるせいかね。
「ヤフゴミ捨て場」のヤフゴミんたちは、やれ、「ストレス発散方法を考えるべし」とか、「なぜ、そんな方法を選ぶのか」などという尤もらしい内容を投稿しているけれど、
なかには、
「管理職に適さない人がなるからだ」
てなことを主張している者も いて、
だったら、管理職こそは、女性が就くほうが無難だと言えそうだねw
ちなみに、この投稿者、いわゆる「ネトウヨ」らしくて、暴力的で偏見むき出しな内容の投稿を しているのを、他でも見かけているよw
それから、
「歌って発散」とかいうのとも、まったく違うんだよなあ。これは、女性の投稿者のようだが。
というわけで、
いずれも、「ヤフゴミ捨て場」のヤフゴミん通常運転の、
ピントはずればっかり、やれやれ
ということだ。
まあ、私は、ずっと前から言ってるように、ここ最近の、「猫も杓子も」のテイで、盗撮事件が際立って夥しいのは、やはり、エロ系盗撮で小遣い稼ぎも兼ねられるというサイトの存在が大きいのでは ないかなと睨んでます。なぜか、あまり報じられないみたいなんで、怪訝に思ってるんだけどもね。
2023.09.11 (Mon)
『この、恥ずべき世界は、もう要らない。』の続き。
それから、
最近、例の『京アニ』事件の裁判が報じられるようになった。
この事件が起きた当初から、下手人の男は、自分の作品が「パクられていた」ということを頻りに訴えていたようだが、
私自身、パクられたなんてことは、あちこちで何度か経験してきているけれど、いちいち立腹は しなかった。
むしろ、
私なんかからでもパクらないと立ち行かないらしい相手の能力のほうを哀れんだくらいだw
百歩譲って、この犯人が恨んでいることの内容が事実だという側面が あったとしても、
あれだけ、用意周到に かかろうとするだけのアタマが あったのだから、なにも、下っ端の従業員たちを襲撃せずとも、決定権を握っている会社のトップだけをブスッと やったら、、、とか思ったw
それだけでも、パクられたんで!!と、世のなかに向けてアピールすることは できたろうに、と。
まあ、それはブラック ジョークと かたづけておいて、
時々、目を通している記事によれば、被告の生育環境のことも公開されているらしく、それについて、「ヤフゴミ捨て場」でも、あれこれの意見が飛び交っているようだが、
犯人の言い分だけを聞けば、さすがに、同情的なコメントが散見されるのも理解できなくは ないものの、
私も、これを知って、なんとも言えない気分になったのが、
犯人の実母が、
「人のせいにする性格なども、父親にソックリだ」
とかというふうに述べたのだそうで、
この述べようについて、冷酷無慈悲を憚らぬヤフゴミんですら、あまりの酷い言いかたに愕然としたと、批判していた向きも多々。
で、私としては、
「ふうん。。。そんなに驚くほど酷い言いかたなんだ」
と、いささか意外な感。
と言うのは、
いつぞやの過去エントリーでも述べたことが あるように、
まだ、幼稚園にも行かない年齢の幼い私は、毎日のように、母親から、
「おまえは、おとうさんソックリ!」
とも罵られていた定番のセリフだったから。
母親だけじゃないよ。
父親からも、
そして、親父の連れ子だった、年齢が ずっと上の義理の姉や兄からも、口を揃えて、
「おまえは、おまえの母親ソックリ!」
と言われ続けていた。
特に、母親が入院中などで不在のときはサンザン言われた。
いずれも、悪いところだけ、相手に似てると言うんだよ、互いにねw
親父と、義理の姉や兄らと、同じ家のなかで暮らし始めたのは、母親に連れられた私が2歳に なった頃。
その頃から、ずーっと、
「父親に母親に悪いところがソックリ!」
と言われ続けてきた幼い私の、立つ瀬のなさよ。
言い返す力もなく、黙り込んでしまうか、しくしく泣くしか なかったわ。
いま思い出しても、なさけない気分に陥ってしまう。
でさ、
近頃のヤフゴミんのなかには、
毎度の「来世」だのいうセリフに替えてか、
「子どもは、親を選んで生まれてくる」
と、断言しているバカを見かけたので、
「遠まわしに、殺された子どものせいにしているに等しい」
と、運営に、削除するよう通告しといた。
「見てきたようなことを言い」w
ほんと、バカなことを言い続けるもんだ。
だったら、オマエさん自身、生まれてくるのに、親を選んできた記憶が あるんかいな?(嗤)
私よりも記憶力が優れているようには、微塵も見受けられないけどな(嗤(嗤)
いいトシこいてても、こんなことを言い放つ愚かもんにかぎって、ガキの2、3匹も産み散らかしてるもんだわ。
おつむカラッポでも、首から下だけ頑丈なのね(嗤)
てめえのガキも、俗物を絵に描いたような、ろくなもんになるめえ。
とは言っても、
私みたいに、親に全く似なかった、奇跡的ケースも あるわけだから、
ヤフゴミんみたいに、「親や家庭や生育環境に問題が あったら」いわゆる「連鎖」を起こすに違いないのだ!みたいな、受け売りの決めつけは言わないよ、私はね。
私自身は、中学生の時分に、ただ、子を産むことは避けようと、ひそかに決心していたわけだ。
自分が産み落とされたことを、肯定できないでいるかぎりは、と考えて。
14歳の頃から、何度か自殺を試みた私だけれど、
いまでも思う。
あの頃、ほんとうに死んでしまっていたら、
両親、とりわけ母親は、どんなに惨めな老後だったろうかと。
私同様、ある意味では私以上に虐待されていた兄ですら、自分の子に暴力を振るっていたということは なかったよ。
むしろ、自分が そうしてもらいたかったであろうように、甘やかしていたほどだ。
そうして、他者を虐待したり殺すのではなく、自殺した。
家庭環境が良いはずでも、とんでもない凶悪事件を起こす者は いるのが、世の現実。
最近の事例では、『札幌』市の首ちょんぱ事件とかね。
たしかに、家庭や生育環境が劣悪だったことは、本人の内側に深い影を つきまとわせるだろう、恐らくは生涯に渡って。
それでも、
若い頃は、体力・気力で頑張れば、それなりの報われと共に、なんとか人並みの人生に乗って行けるだろうという希望も あり得なくは なかろうけれど、
この深い影は、むしろ、歳を取ったあと、がぜん、よみがえってくることも あるのだ。
つくづくと深い疲労と共に。
私なんかは、この中途半端な障碍さえ なかったなら、厭な親や、その家からサッサと出て、自分だけの生活を築いていったであろうから、
なぜ、そうできなかったのか、『京アニ』事件の犯人などは、もともと、人並み、あるいは それ以上に恵まれた身体だけは(知能も含めて)与えられていたようなのに、もったいないと、思ってしまうのよ。
そもそも、子を産むという行為は、エゴそのもの。
しかも、人並み外れたエゴイストの親が、反省なんかしてくれるはずもない。
たしかに、理不尽な世界に ずっと居ると、素朴な疑問すら封じられて、だんだん、ふつうの感覚や思考力も失われていくような感じは、私自身も如実に知っているけれど、
せっかく、少なくとも身体的には人並みのものを備えているのなら、
それすらも蝕まれてしまう前に、脱出しとかないと いけないね。
「人並み」でいられるのは、たまたまのこと。幸いなことなのだが、そこを自覚せずに、くだらない欲求不満を抱えて、自分よりも不利な立場や情況にある者を叩くな。
そういう恥ずべき者どもが多数だと、世にも あさましい、いやらしい地域や国家を築きあげてしまうんだよ。