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とりあえず、ひかりのくに
     
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2023.09.26 (Tue)

『罪』と『罰』の続き。

 

さて、あとは、

「無罪」判決が維持されたことが、あらためて議論を呼んでいる『神戸』市の北区に おける2017年の事件。祖父母と、たまたま遭遇しただけという近所の女性を殺害し、自分の母親と、これも近所の女性に重傷を負わせた「5人」事件について少し。

 

『津久井やまゆり園』事件、『京アニ』事件の下手人らと同様、当人独自の「ストーリー」に埋没しているらしいが、むやみと「壮大」な構想、下地の部分にも共通しているのは、恋愛感情なんかも あるようだ。

 

荒唐無稽なストーリーを拵え、あるいは、身勝手な「思想」もどきを積み上げて、それにドップリになってしまうという共通性は、『統合失調症』にも見受けられる特徴のようだが、

先日も述べたように、

うちの身内にも『統合失調症』罹患者が いたし(ただ、これについても、およそ「障害」なるものを激しく忌避せんとする うちの母親のキミョウな意向ゆえ、直接に聞いては いないので、あくまでも私の推察と見立てだが)

同じ病名では あっても、そこでも、やはり、個人個人の差は あるもので、

うちの場合は、母親の妹である叔母、この人は、もともと軽薄きわまる思考力(それは、俗悪な価値観を伴う)と同時に、クソ真面目さ、几帳面さ(要するに、融通が利かない、思い込みが激しいということでも ある)が、そのまま並立・両立しているような性格の人だった。

 

調子よく世渡りしてこれた叔母の場合、結局は、将来的な経済面での不安、収入の下落が、発症の直接的引き金に なった。

 

発症直前の頃は、まず、銀行の預金が横領された!という被害の訴えから始まり(真偽不明)、

深刻度を増すに至ってからは、たとえば、玄関ポストに投函されていたチラシ類の端っこが、たまたま少し折り目が ついていたりしたものなら、

「これに意味が ある!」

と、さも尤もらしく言い張るので、

「何の意味よ?

と聞くと、

当人の説明によれば、

「善玉」wの国(と、当人は固く信じているらしい)『アメリカ』との戦いで、共産主義の「悪玉」国w『ソ連』からの暗号連絡が込められているのだ!

などと、やたら壮大なストーリーを広げて語るので、

およそ国際情勢だの政治のことなど、いっさい無知・無関心な人だったはずなのにと、姪の私は、思わず、唖然としたものだった。

あっ、そうそう、

「陰謀論」が大好物のウヨ・ネトウヨ諸氏も、少しは みずからを省みて、自戒しておいたほうが いいよ?w

あとはね、
「悪い国からの侵入者を防ぐためだ」
とか言って、白い紙を三角に折っては、窓際や出入口に、いくつも並べたりとか。 

 

いずれにせよ、第一には、服薬などの治療を怠らない、そのように努めるなかで、当人自身が、少しずつ、その病識を深めていきさえすれば、日常の生活は比較的穏かにコントロール可能です。お薬の効果も良くなってるそうだから。

あくまでも、適切な服薬と治療を中断しては ならない、それが大前提だろう。

ここが実行できていれば、以後、無関係の他者までをも巻き込んでの凶悪な行為に及びは しないことを、私も身内を通して知っているわけだけれど、

それでも なお危惧していたのは、

仮に、「措置入院」ということが あっても、いずれ退院してきて、今度は、他人さまである近所の人たちまでも惨殺に及んだという事件が連続して起きたこと、

たしか、2015年に、『淡路島』のほうで、同じく5人の近隣住人を殺害した、凄惨を極めた事件、

続く2016年には、『津久井やまゆり園』事件が起きて、障碍者19人が殺害され、

そして、これも今、公判中の、2019年『京アニ』事件で36人。

 

これらの下手人は、似たようなパターンの「被害妄想」、かつ、やはり、治療の中断も影響したようだ。

また、
インターネットの存在も、症状を嵩じさせる大きな要因になったらしい。このことは、ネットの普及当初から、危険性を指摘されていた。

 

しかし、
『淡路島』に おける、5人事件の下手人の場合、そもそもは、薬剤性による精神疾患だったという。

だとすれば、
担当医の見立てと処方は どうだったのか、なぜ、乱用など できたのかと不審に思うのだが、よく分からない。

 

こうして振り返ると、近年、立て続けだと言っても過言でないような。。。

 

通常なら、100パーセント、死刑に相当するような凶悪事件を犯している場合でも、精神疾患ゆえ「無罪」と決してしまったら、その後の周囲の安寧は保証され得るのだろうかという不安。

従来とは違ってきて、この方面でも、社会的施策が変化しているのであれば、なるほど、治療薬が功を奏した、そのうえで、少しずつ、外部との接触なども加えていくなか、当人自身が、きちんと納得できているのか否かが問われよう。
まずは家族などを筆頭に、身近の周囲にも理解が必要であり、かつ、人間関係に、互いの信頼を置けているか否か。
このことは、治療に対する患者の姿勢に大きく影響するようだ。

 

さいわいにして罹患経験のない者は見逃しがちだけれど、
幻覚や幻聴に振り回され、あるいは妄想に苛まれる当の本人自身からして、深刻な違和感や恐怖に さらされてきているはずなので、

まず、罹患している当人が、服薬治療に信頼を置けて、納得できていることが大切。そのなかでこそ、落ち着きを取り戻していき、病識を得て、二度と、発症時の苦しさ、恐怖を味わいたくないとの自覚を持つようになること。

 

しかしながら、家族と言えども、慣れ親しんだ者を相手に、いきなり酷くヘンになったとは、意外と気づきにくいもので。

うちの親も、最初のうちは、「あんた、何を おかしなことばっかり言うの!」と、つよく叱り続けていたのだが、ムダだった。

発症した当人は泣くばかりで、分かってくれないんだ、という、被害意識や孤立感を嵩じさせただけだった。

 

まあ、精神障害などのことが ないはずなのに、凶悪事件を起こす者が いるのも、この世の現実だがね。

 

植松 聖にしても、いま公判中の青葉真司にしても、最も大事なところで投げ出していたことが、のちの凶悪事件を起こすに至らせたかと思う。

また、

あの下手人たちは、言っていることの荒唐無稽きわまるヘリクツから、その内面性や精神性の甚だしい幼稚ぶりも如実に窺えるところだが、

同時に、当人なりの自尊心や精いっぱいのプライドが、激しく傷ついてしまっているようでも ある。いかに身勝手で、浅薄・俗悪な価値観ゆえにせよ。

その「損傷」を埋めるために、自分で納得できるためのツジツマ合わせに拵えたのが、たとえば『ナンバーツー』などの登場人物だろう。

 

 

現行、処罰を処罰として、当人が納得できないならば、それは、ただに、「被害意識」や「逆恨み」しか もたらさないということになるのだろう。

『京アニ』事件の青葉真司の、自己中心的な被害意識でパンパンに膨れあがっているようすを見ていたら、よく分かるよね。
まさに、突けば膿が噴き出すような水膨れだ。

やはり、敢えて救命した意味は あった。苦い苦い「意味」では あるが。

 

もっとも、

「パクり」に関しては、私自身にも、多少の経験が あるし、

あの『東京オリンピック2020』に おいても、プロのデザイナーたちが、そのへんの一般シロウトのブログなどから盛んに失敬していた実態がバレているので、完全に あり得ないこと、とまでは断言できないかもなと思っているけれど、

それにしても、

『京アニ』事件の犯人、その主張するところの「パクられた」という現象が、実際には、物理的に成り立たないというリクツを、いまだに理解していないのだろうか?

あるいは、物理的になど、どうでも よくて、やっぱり、いわゆる「デンパ」云々といった類の主張を繰り返すレベルなんだろうか??

これも、よく分からない。。。

 

それでも、

何らの罰、相応の罰が与えられないことには釈然としない、被害者側の、また、大多数の心情も大いに分かるよなあ。

かと言って、

恨みを募らせたままの者を、強制的に死に赴かせる、刑務官たち担当各位のストレスも大変だろうと思う。

刑務所にも、スペース的な限りが あるし。

 

 

ほんとうに、「差別はダメだから」というのなら、

むしろ、精神疾患を抱えていようとも、等しく刑罰を受けさせるべきなのだという主張も一理あるようには思えるが、

しかしながら、たとえば、

足が不自由な人に、ふつうに走れる人と対等な競争を させたりなんか しないよね。

それは当然、片方の人に不利になるハンディが あることを分かってるからね。

 

精神、すなわち、脳にハンディが ある場合は、どうなんだろ。

 

「ヤフゴミ捨て場」のコメントのなかに、

精神障害者からの被害は、言わば、自然災害を被ったようなものかと喩えている投稿も あったが、それも頷けるし、

だからこそ、

およそ先天的なものから来た「障害というものは本人の自己責任なんかじゃないわけよ。わかる?w

誰も好き好んで、望んで障碍者に生まれついてや しませんから。

もっとも、私の場合、後天性でも、原因は、親の不注意だ。
障碍を忌み嫌う母親は、断固として、責任とらなかったけどね。

 

 

でもね、

私の経験上、身体面での障害を嘲笑するのは、意外なことに、精神面の障害者とか、まともな人物に見えては いても、隠れた内面性に歪みが大きい人ほど、そうなのよね。

 

で、たいがい、からっぽなプライドに拘泥していて、見栄っ張りだ。

精神面での子どもっぽさや浅薄さ、俗悪さに通じているんだろうと思う。

 

青葉真司は、ナンタラの憂鬱とかいう、いわゆるラノベに、「感銘を受けた」のだそうな。

これと似た感性は、おそらく、例の「札幌クビちょんぱ」事件の親子とも通底しているだろうと思える。

 

 

将来的に、当人にとっても益となる「躾」とか「教育」とか「矯正」というのでも なくて、

「罰を受ける権利」と言われてしまうと、

はて、罰を受けることは権利なのか?

ましてや、当人にとっては心外で、極刑ともなると、、、

概念が、ちょっと理解しにくいのだけれど。

 

「償い」を行う権利、とでも言うのであれば、そのほうが、もう少し分かりやすいかなと思った。

 

 

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