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とりあえず、ひかりのくに
     
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2023.09.30 (Sat)

去年6月『岡山』県のほうで、
亭主から離婚を切り出されて、先行きを悲観し、それまでの非協力的な夫へアテツケを込めようと、親子無理心中を図り、結果、重度知的障碍を抱える8歳の実子を殺めて、自分自身は死にきれなかったと、さんざん見てきたパターンのような事件が あったそうだが、

刺し殺すよりはと、タオルで首を締めたというのは、辛うじて、私にも、違和感を少なくできた(?)ような気もするのだが、
当然、お子さんは、やはり苦しんで暴れたそうで、なぜ、おのれの鬱憤を、子に押しつけるのかという怒りも、正直、感じないでは ない。

コメント欄の殆どは、身勝手で冷酷なイメージに満ちた夫への怒りと、かたや、思い詰めて、わが子に手を下した母親への同情に満ちているけれど。

こういう類の事件を報じる記事には、必ずのように、絶望感を漂わせ、かつ、夫ら男性側に対する怒りや不満のコメントが、主として、子を持つ女性側から寄せられるけれども、

私は、母親たる者、子を守るためには、もう少し思慮を働かせないことには、、、と、厳しいことも思うのである。

知能や社会形態が、われわれヒトに最も近いとされる猿たちでも、直接的な子育ては、もっぱら雌が担っており、それは、授乳できるのが雌だけだからということで、自然と そうなりやすいのだろうが、それどころか、母猿にとっては、幼い子の父親ですら、厳重に警戒すべき対象のうちなのだ。

父猿のほうも、せいぜい子守くらいは時たま引き受けるけれど、殆どは無関心。たまに、子煩悩みたいな父猿も見かけるが、主としてオス猿のなかでもボスとなった者の責任は、自分たちのグループ・集団全体の保全と発展が第一なので、それに比べたら、苦労を分かち合う雌どうしのほうが、よっぽど細かく協力し合っている。

 

先日、久しぶりに見た動画では、相変わらず、『アンコール トム』遺跡周辺を根城にしている猿たちのうちの、ちょうど少年・少女に相当する年齢の子猿が、猿の横断なんぞ、気にもせず、堂々とスピードを出して通行する車両に撥ねられ、悲惨な死を迎えるところを、他の猿たちも、おそるおそる遠巻きに見つめたり、もっと幼い子猿は、そばに近寄り、恐怖に眼を見開きながらも、断末魔さなかの少女猿を気にかけているようすだったが、それが ついに息絶えたあとで、今度は、ボスと思しきオス猿が、無神経に走り抜けていく車両の合間を見計らうように、道路の真ん中近くに進み出て、咆哮するかのように大きく口を開け、

「いつも!いつも!おまえらニンゲンは よお!!」

と、威嚇するかのような しぐさだったが、それも、次の車が猛スピードで近づいてきたら、すごすごと引っ込んでいき、屈辱と惨めさと憤懣に満ちた表情を浮かべていた。

 

本題に戻って、

私が疑問を感じるのは、くだんの母親だけでは なく、母親の実家の親に対してもだ。

娘を、かなり若いうちに、幼なじみの嫁に出しているようなので、実家としても、なるべく、今さら自分たちのほうへ逃げ込んでくるようなことは なかろうし、そんなことのないように、という本音が あったのだろうかと思うが、

学校時分の私の個人的な記憶――

それは、毎度のように、酔った親父が暴れだし、母親と二人で、近所の親しい知人の家に逃げ込んだものの、そこのオジサンに、もちろん私は泊めるが、母親に対して、「あんたは自宅に戻るべきだ」と言われて、母親が、再び、制止する者も いなくなった家のなかで、親父に酷く暴行されることを危惧する私は、結局、二人して、知人の家を出て、とぼとぼ帰宅した、そんな夜が あったことを思い出す。

 

毎度の事とは言え、みじめで、死にたくなった私は、
「おまえなんか、産むんじゃなかった」
と、幼い頃から言い放ち続けた母親に、

「おかあさん、もう、死にたいね」

と、つぶやくように言って、母親に どやされた。

 

この、なさけない記憶を呼び覚ましたのが、

子を殺めた、くだんの女が、いったんは二人で自宅に戻れと、実家の父親から言われたという話。

非常に帰りづらい場所に帰れというのも酷な話では ないかと思う。

 

私が、この女の親の立場なら、とりあえず、実家の家族内の「コロナ」感染が おさまるまでの あいだ、適当なホテルにでも逗留しておくのは どうか?と提案し、宿泊費は、自分が出してやれる余裕が ないのなら、直談判してでも、娘の夫が出すように、つよく言うと思う。

 

夫側の親も、どのように考えていたのか知らないが、息子の身勝手、わが子に対する、親に あるまじき無関心を咎めることも なかったのだろうか?

 

そして、家庭裁判所に申立てるとか、手の打ちようは他にも あったのでは ないだろうか。

このような場合、家裁も、だんぜん、夫側のほうに厳しいだろうと思うんだけどね。

 

 

何度も流産、死産を繰り返せるくらいだから、体力だけは人並み以上なんじゃないの?

そもそも、

「妊活」なんて くだらない、「不妊治療」だのは、はっきり言って、「ないものねだり」に等しいだろと思っている私は、

じつに薄情な仕打ちを平気で やる、自己中心的で身勝手な夫への愛情を、それでも捨てられなかったということにも大いに呆れたし、

こんな亭主の子どもが、無理してでも欲しいもんかねえ?

と、それからして、理解し難いので(苦笑)、あまり同情できんわ。。。

 

最初は、ほんとに、しょうもない口論(スマホ ゲームとか)が発端だったというのだから、亭主に捨てられたら、たちまち路頭に迷うという心細い身の上ならば、さっさと素直に謝っておけば よかったのでは ないだろうか。

昔の女性は、そういうふうに、自分一人ガマンして、折れて、まるく穏便に やり過ごしてきたのだと聞く。

そんな時代錯誤を!と思うのなら、将来に不利を抱えている わが子のために、闘うしかないでは ないか。

 

この事件も、直接に手を汚した母親を中心に、周囲の全員、それぞれに愚かで無思慮で、それぞれに無責任だったのでは ないかな?

 

もっとも、第一義として、結婚や出産、子育てする大のオトナの、自立した男女がシッカリしてなきゃおかしいんだけどね。

 

 

それから、

一昨日あたりに、『静岡』県のほうでは、長年、頭部系の疾患を専門に治療するらしい病院に入院していた娘と、半年ほど前に倒れ、娘と同じ病院に入院した妻の二人ともを殺害した男が、その後すぐ自害し、絶命したという事件が起きた。

 

私は、自分自身も、多少の似た状況を経験したし、早くも60歳代にして晩年となった母親を、父親とともに介護し、看取ったなかで、
あれほどケチだったのに、帰宅したときに暗い自宅が厭だと、電気代を気にせず、照明を点けっぱなしで外出するようになった、老いた親父から滲む、男性ならではかとも思える寂しさ、一種の侘びしさ、かつ、今後の経済や体力への不安や葛藤も、傍で見ていて察せられたけれども、

当該事件のように、まずは、妻子を、刃物で刺し殺せるということへの違和感が強く、ついていけないと思ってしまう。

 

別の事件でも、

長年、他からの助力を頑ななまでに断わり続け、自分で介護していた末に、いつしか自身も老いてきて、疲労困憊した80代の男が、身体が不自由な妻を、必死の抵抗を示しているにも かかわらず、残酷にも、その車椅子ごと、岸壁から海へ突き落として殺害したという事が あったが、

私個人的に拭い難い拒絶感は ともかくとして、

もちろん、とても気の毒だと思うし、もし、実際に自分に相談が向けられるようなことが あったら、私なりに蓄積してきて知っている、これまでの心当たりの かぎりを探って、少しでも明るい気持ちを取り戻し、納得してもらえる手立てを考えたと思うけれども、

こういう、救いようが ないと感じさせられる悲惨な家族内の事件が起きると、たちまちにして、手を下した者こそ可哀そうだから責めるなとか、なかには、褒め称えるようなことすら述べたり、

やはり「安楽死」が必要とかと主張するコメントが、ここぞと押し寄せるのは常のことだが、

こやつら、ホントいやらしいなあと、つい思ってしまう。

 

結局、周囲に助力を求めることも できないまま、密室の家庭内や自分一人で、痛ましくも、事を決し終えてしまった事件ならば、大いに同情して見せて、周囲に相談は、遠慮せずに役所の窓口へ云々などと、理解あるところを演じる。

 

あげく、

何の宗教だか知らないが、

またぞろ「来世」「天国」「あの世では」と来る。

 

この世の人の問題は、この世で解決するほかは あるまいに。

 

「リセット」が利くとでも思ってるんだろうなあ。

 

そりゃ、「あの世ではシアワセになれるんだから万事メデタシ」ならば、この世で解決する要も何も ないわな()

なーんにも 仙人でヨロシク夜露死苦w

 

政治家もラクできるというもんだ(()

 

本音では、前首相らと同じく、他人事の、

「自助、自助!自助!!」

「せいぜい共助までにしてね。家族内で、ねっ!!んじゃ夜露死苦!」

 

【続く】

 

 

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