2024.11.25 (Mon)
これまでに二度ほど、ニュース ポータルの記事で読んだことが あるのだけど、それによると、
この機能については、道交法で、条件次第では「ロービーム(下向き)」だが、それ以外では積極的に上向き使用することを義務付けられているのだそうな。
それを知って、まず思った感想は、
「そんなバカな」
だった。
いまでも、変わりなく、そう思っております。これには、個人的な経験が あるからなのだが、それは後述するとして、
近年、
自転車乗りのアレがコレがケシカラン!!と糾弾する声が増大しているようだが、そう言う自動車の運転者側こそは、そこ退け、そこ退け!と言わんばかりに、狭い道に無理やり押し入って来ては、そのまま、違反駐車する輩が多過ぎるほど多いのが、昔からの現実。
大雨が降ったあとの水たまりを、スピードを一切、落としも せず、猛然と通り抜けていった ひょうしに、傍を歩行していた こちとらの服や靴を、ビショ濡れにされたことも、何度も ある。
コラーッ!!と怒鳴ったところで、あっという間に去って行ってしまうのだから、完全に泣き寝入りだわよ。
おかげで、学校や会社に遅刻覚悟で、自宅に戻ったことも あった。
で、「ハイビーム」だ。
もちろん、暗くて見通しが利きにくいような、それも、田舎の山道みたいな所で、使用を推奨するのは理解できる。
だが、
私が、実際に、「ハイビーム」によって、肝を冷やした経験を して以来、少なくとも、往来する人や車両の多い街なかの、しかも、かなり狭い道路で、この「ハイビーム」というやつを使う者は、
「大バカ者なの?」
の一言だ。
と言うのは、
数年前に、自転車を漕いで帰宅途中、駅前の目抜き通りながら、比較的狭い道路に差しかかった。
狭いと言っても、普通乗用車どうしなら、なんとかギリギリで擦れ違えるくらいの道幅は あり、いちおう、駅前だけに、時間帯によっては、人の集団も各種の車両も頻繁に通る。
そういう時間帯の、ある日の暮れ方。すでに、かなり暗くなっていた。
私は、自転車で通りかかったのだが、そのときも、そうとうな交通量で、
たまたま、対向から来た乗用車が、まるで、私の顔の正面に当てるかのように、突然、この「ハイビーム」を上向きに切換えて、あの強烈な光を向けてきた。
その頃の私は、「ハイビーム」などというものを知らなくて、ついぞ見たこともないほどの眩しいライトを、至近距離から当てられたので、ひどく驚いた。
まじ、危険ですわ、あれは。
文字どおり、ホワイト アウトというのか、眼の前が真っ白になって、一瞬にして何も見えなくなった。
まさに、盲人状態で、自転車に乗っているのと同じ。
アタマに来ましたよ。
いきなり、上向きにする必要なんか全くないはずなのに、なに考えてんのじゃ?!と。
ところが、よくよく聞けば、上向き下向きの操作を自動設定してある車も増えており、その場合には、運転者の判断に関係なく、勝手に やってしまうのだそうな。それが事実なら、あらためて、
大バカだろが。
積極的に利用しなさいと法的に定められている場合が あるにしても、ふつうに街なかの、人や車両の通行が多い、しかも、かなり狭い道で、前方から来た人や自転車に正面からマトモに当たるような操作を せよと、どこに定められているのか知らんが、
そのせいで、ふらついて、よろけて、ぶつかって倒れたとしても、救助するどころか、サッサと逃げて行ってしまうのだろうがよ。
なので、
それより何より、
自動車のほうを、もっとシッカリ取り締まらんかい!!
と思うのが常。
私自身、いかにも危なっかしい乗りかたを する、気まぐれな子どもとか学生とか、どんくさいオバちゃんや高齢者などには、距離を あけたり、ルートを変更したりして、できるだけ近づかないようにしているし、
左側通行!と決められていても、守ってない自転車の人に、いちいち注意するわけにも いかないのだし、ルール違反と言われようとも、敢えて そうしないと危ない道が多過ぎるからには、国家権力や お役人に決められたとおりにしていたら、それこそ、自動車と正面衝突しかねん道路事情、それが実態なのだもの。
そりゃ、
今後も、ヘルメットなんか被る気はサラサラない私自身から見ていても、スマホ片手に、のみならず、スマホに集中して、周囲の確認を一切せず、けっこうなスピードのまま、のうのうと漕いでる、それも、いいトシした男性とか、一度ならず目撃して、唖然としたことは あるよ。
こういうノーテンキ愚か者を相手に、右側通行だ左側通行だと叫んでも しょうがないっしょ。まずは、自分のほうで避けないと、もろに正面衝突だもの。
そもそも、自転車の基本的ルールすら全く知らないんだなと思える人は、実際、とても多いのは分かるけれど、
それでも、自動車の迷惑度や危険性とは比べものにならないし、
なんと言っても、
路駐すんなや!!
と怒鳴りつけたくなるくらい、腹が立つ日常茶飯事。
そういう路駐を含め、この国の道路事情が劣悪なのだから、自分だけがクソ真面目に、自転車用ルールを守ってたら、かえって、命に かかわる。臨機応変に やらないと。それが現実だ。
2024.11.03 (Sun)
そういうものが あると言われる。
なんとなく分かるような気は していた。
さて、
『創』という月刊誌の編集長氏が、先日のコラム記事内で、いわゆる「獄中結婚」「獄中養子縁組」のことを解説しておられ、それを読んだ私も、うちのブログ エントリーで、そのことを話題に、あれこれと述べたのだが、
最新の記事に おいては、その話題の関連で、あの『オウム真理教』の信者だった死刑囚と獄中結婚を実行した女性の話が紹介されていて、それについても、いろいろと思うところは あったのだけれど、
ひとつだけ、素朴な疑問を言わせてもらうとすると、
「自分自身が、死刑を宣告された究極の事態になって、そこで初めて、言語道断な罪を犯していたのだということに目が覚めたのですか?」
ということ。
お門違いの他者を、むざむざと殺め、苦しめ続ける前に、もっと、もっと早く、気が ついてもらいたかったね。
まず、『オウム真理教』というと、真っ先に脳裡に浮かぶのが、
「教祖」だった松本智津夫が、衆院選挙に立候補していた おりの、各候補者がアピール演説する、いわゆる政見放送を見たときの話。
たぶん旧ブログ、現ブログともに、過去エントリーで述べたことが あるのだが、
あの当時、私は20歳代だったと思う。
その日、家族は皆、不在だったので、一人で夕食を済ませたあと、なんとなく、テレビの政見放送を眺めていた。
ぼんやりと眺めつつ、
「まあ~、世のなか、いろんな人が いるもんだなあ」
と、
なかば呆れつつ感心、感心しながら呆れ、という気分になっていった。
登場した立候補者たちは、やはり、中高年の男性が殆どだったように思う。
そうしているうちに、例の松本智津夫と、その信者らが登場した。
いまでも、ひときわ、まざまざと思い出せるよ。一見のインパクトだけは凄かったからねw
ただ、そのわりに、松本智津夫本人の肝心の演説に関しては、まーったく憶えていないww
テレビ画面では、やや後方ど真中に、松本智津夫が、どっかりと座り、なんだかニヤニヤと薄ら笑いを浮かべていて、それを中心に、数人が独特な服装で、ミョウな歌や踊りとともに登場、そんなふうな構図だったと思う。
私は、それを見た瞬間、
「なに?これ、、、」
と、まじで呆気に とられた。
いま、再び思い出してみても、浮かぶ感想は、まったく同じ。
「なんだったの?あれは、、、」
でしか ない。
これに付け加えるとしたら、当時も今も変わりなく、
「異様なまでに子どもっぽい」
という印象、それだけだ。
私は、幼少の頃から、
たとえば、特定の宗教に凝っている人とか、そういうわけでなくても、何かしら、ふつうとは思えないような偏った傾向を滲ませて、独特の言動を向けてくる人には、最初からハッキリした迷惑でも被らないかぎりに おいて、べつだんの反感とか嫌悪感に至ることは ないけれど、とにかく違和感が つよいと、どうしても、敬遠しておきたくなる気持ちを払拭できない性格なのだが、
その違和感、どうしても鼻につくほどの異様な感じ、そういう感覚を、『オウム真理教』のようなものに のめり込んでしまう人たちは持ち合わせていない、いなかったらしい、まずは そのことが、終始どうにも理解し難いのである。
ところで、
幼なじみの家の親子が、のちに、とある新興宗教に のめり込み、それを めぐって、私のほうも、多少、特異な経験に巻き込まれたという出来事が起き、このことも、過去エントリーで とりあげたことが ある。
ただ、
いまにして振り返ると、平常の生活のなかに おいて、親しい個人どうしという何気ない交流のなかでは、もっと鷹揚に見過ごしてしまったかもしれないということは、その幼なじみとの経緯のなかで、少し感じたことも あるのだが、結局のところ、やはり、私のほうの違和感が つよ過ぎて、受け入れられるものでは なかった。
学業優秀で、気立ても良かった、その幼なじみが、親子ともども のめり込んだ新興宗教も、ご多分に漏れずと言うか、要するに、個人崇拝を大きな特徴の一つにしていたわけだが、この感覚も、常日頃は利発な彼女と違って、いつもボンヤリした性質の、劣等生そのものだった私には、いまも理解し難いままだ。
これは、ずばり言って、『天皇』『皇室』崇拝に対する違和感や反感とも共通している。
そうは言っても、いちおう、現行憲法を戴く国民のハシクレなのだから、このことに触れざるを得ないようなことが あるたび、やはり違和感やら困惑を来たしてしまい、なんとも言いようのない、どうにも割りきれないような気分になってしまう。なので、ふだんは、極力、考えず、目を逸らしておくようにして やり過ごすことが多い。
そんなわけで、
「男女差別」は言い募るが、それ以上に憲法違反であるはずの「門地差別」「血筋差別」の問題は全くスルーして、その甚だしい矛盾にトンと平気でいられる手合いにも、
そういう手合いが支持している政党と結託している団体組織が主導する国家の権力制度にも、
納得いかなさから不快感さえ もよおす私なのだが、
個人崇拝や特定の対象を崇拝して やまない、そこに何の疑問も持たないでいられるような種類の人たちと、こんな私との あいだに、厳然と横たわるものが あるのだとしたら、
たとえば『オウム真理教』のような宗教の類にドップリ浸りきってしまう、なんなら凶悪な犯罪にまでも、一心不乱の体で突き進めてしまう、そういう種類の人は、およそ違和感や嫌悪感、異様さに辟易するというような、言わば「バランス感覚」とでもいうものを少しも持ち合わせては おらないらしい、このことに対して、私は、ついていけないと感じ、どうしても、不可解さが拭えないのである。
心底で、「自分は特別、特別のはず、特別でなければ ならない」のだと、強迫的かつ無自覚に思い込んでいそうだなと思える。
教祖と信者の双方ともに、本質的には、「ナルシスト」要素が つよいのでは ないかな、とも察している。
2024.10.13 (Sun)
『最近のニュースから感想いろいろ』の続き。
最後に、
『創』という月刊誌の編集長でいらっしゃる篠田博之氏に よると、
例の、『相模原』の障碍者施設『津久井やまゆり園』に おける大量虐殺事件を起こした植松 聖に、いろいろの経緯を経て、最近、いわゆる「獄中結婚」の話が出ているということで、そういった事情に まつわる様々な実例を紹介しておられた。
そのコラムを一読し、私も、「獄中結婚・養子縁組」といった方法が とられる事例については、過去に、少しだけ聞きかじっていたものの、今回の記事では、実行に踏みきった人たちによる法的手続きのことと、そこに伴う心理的な側面などについても、かなり深く分け入った解説だったので、とても興味を覚えた。
やはり、「信仰」ということの背景を示す人も おられるとのことで、私も、『クリスチャン』を自任する人たちの活動の一端として、そういう事例が あることも聞き及んでいたのだが、
また別の事件で、例の『佐世保』に おける、同級生殺害ならびに遺体損壊事件のこと。
この事件を起こした当時の女子高校生が、『医療少年院』の特別収容限界を迎えたことにより、ついに今夏、「退院」という運びにならざるを得ず、実際に、その異常性を、少しは緩和できたものか否かも全く曖昧なまま、現状のことは一切が不明、という、直近の経緯を報じていた。
そういうわけで、
それこそ、この、もと女子高生の場合、植松らのような死刑囚を、法的に、親族として戸籍上も迎え入れてくれることが できる人って、世間に存在するのだろうか?と思ったのである。
くだんの、もと女高生のケースは、本人の実父でさえ、「同じ家のなかで生活していたら危険だ」と忠告された経緯から、まだ高校へ通学しなければ ならない彼女を一人で、マンション住まいさせていたということだったが、
なので、「ヤフゴミん」らが誤解していたことの一つは、くだんの父親が、手に負えない娘を、体よく追いだしたのだと決めつけていい事情では なかったようだ。
で、
「治療」が功を奏し、本人は、心から反省しており、二度と繰り返さないと固く誓えているのであれば ともかくだが、
実際のところ、いまだに、「同じ家のなかで生活していたら危険」という状態が、根本的には変わっていないのであれば、それでも、結婚あるいは養子縁組という かたちで迎え入れる人が、はたして、いるのだろうか?という疑問である。
もちろん、さすがに、彼女ひとりで、ふつうに生活できるというところまでは無理なのだそうだから、当人の身近で世話する人が いるには いるのであろうという話だったが、
篠田氏が実例として挙げておられたクリスチャンの女性には、お子さんたちが いるとのことなので、
「同じ家で生活していたら」いつ何時、襲撃されるか、わかったもんじゃないというような者を迎え入れ、お子さんともども、生活を共にする覚悟なんて あるだろうか?という疑問が拭えないわけです。
自分ひとりならば、もしや、最悪の事態となっても、それが、わが信念と貫くのは自由かもしれないが、戸籍上だけのことなら ともかく、実際に、子どもや他の家族の命まで巻き込むわけには いかないからねえ。
そのへん、どんなもんだろうかと思った しだい。
当該の、もと女子高生も、たぶん、基本的には脳の異常ゆえなのだろう。
この事件が報じられた当初、私は、多少なり、性的なものが絡んでいるのでは ないかと思い、ブログ内でも述べておいたけれど、
だいたいが、「人を殺してみたかったから」とか「からだのなかを見てみたかった」などという動機は、男子であれば、けっこう ありがちな動機で、実際、そのようなことを言っていたという事件も幾つかは あるのだし、
「視覚的な」ものに、つよく関心を ひきつけられる性向は、これも、男子・男性に特に多い。
例の『ススキノ』の頭部切断・損壊事件なども含めて、こういった、いわゆる「猟奇的」犯罪の下手人に関しては、女性では あっても、男性の脳の つくりとの共通性が、かなりの部分、あるのでないかと見受ける。
ちなみに、
以前のエントリーでも少し触れたことだが、
とあるブロガーの女性が言っていたこと。
親子間の遺伝による、比較的軽度の知的障害や発達障害を抱える子が いるという人から聞いたことが あったのは、
「なぜ、必要もないのに、嘘を つくのか?」
と、
彼女が、お子さんに訊ねたとき。
その答えは、問いただされた本人に言わせれば、
「おもしろいから」
ということだったそうな。
要するに、相手の反応を確かめることに、おもしろさを感じているらしい。
くだらない嘘を ついた相手が、困惑して、あたふたと慌てるようすを見るのが、ただ単純に、おもしろいのだそうだ。
その女性と子どもさんは、どちらも、軽度の知的障害者だが、
これまでの事件で、国立大学の学生だとか、『佐世保』の件のように、学業優秀である女子が、言うほどの動機も なさそうなのに、摂取すれば毒性のある薬剤の類を、わざと混入させ、筋合も ない他人に、酷いときは、不治の障害まで負わせたという事件も、根は同様の動機なのだろう。
つまり、「反応を見るのが楽しい」わけだ。
そして、往々にして独り善がりで、他者の世話を することが、本来的には苦手であり、無関心である、こういう基本的な傾向が、男性には多いという。
ところで、
まさに、トランプやイーロン・マスクのような人は、際立って子どもっぽいと同時に、やたらエネルギッシュだよね。
総じて、こうだと思い込んだら、ひたすら突き進むという性質、
ある意味、「迷いのなさ」のような直進的な傾向が見受けられるのも、
たとえば、1本の線を引くとか、何かの縫物を するとき、まっすぐ歪まずに、つまり、「機械仕掛け」のごとくに運針できるといった手技の類も、概して、男性のほうが多く得意とする傾向だろうが、
女性でも、この傾向が ある人は、かなり男性的な脳の持ち主かもしれない。
私の知っている事例では、金銭などを数えあげるのが殊のほか速く、計算間違いなど一切することなく、最後の1円までキッチリ数えあげるのが得意な、人型レジスターみたいな女性も、ある意味で、かなり男性的な性質だった。じつは、私の母親や姉たちですがw
加えて、
『自己愛性人格障害』。
これも身内などで、私の知るかぎり、女性で あっても、『自己愛性人格障害』者は、性欲が旺盛だ。
けれど、これも、基本的には男性に多い疾患だという。
一般的に、女性の脳と比べ、男性の脳は、そもそも偏りが あり、その偏りこそが、めざましいアイデアや業績などに結びつく面も あるわけで、
しかしながら、もちろん、その半面では、特異的に、性犯罪や凶悪犯罪や、戦争も起こすのである。
まあ、これも再び言っとくわよ。
戦争が なくなり、つかの間では なく、恒久的平和が実現するためには、世のなかの、ほとんどの男どもには、滅びてもらわないと、ムリだ(嗤)
近頃の私は、
「つくづく、戦争って、男どものシュミなんだな」
と、思ったりする(嗤)
核兵器の問題を解決するメドなんて、豪も立ちや しないのに、「洗練された」殺傷能力は、なんぼでも次々に考えつく。
だからね。
女性たちは、ひたすら男性に従順に、
「肉屋を支持する家畜女」
なんぞを やっていてはダメなんですw
男性なんてものは、あとから産んでもらった、欠陥製品、不良品なの(大嗤)
まともな方向で働いてもらわんことには、ただの有害物にしか ならんのです(爆)
人類も地球も滅亡するまで、やりたいほうだい させておくつもりか?(嗤)(嘲)
2024.09.27 (Fri)
「犠牲者とは、自分が受けた不当な被害を証明することが出来ない人のことである」
という警句は、
先日のエントリー『「子どもが可愛いと思えない」ことについて』でも少々言っておいたように、
ぶっちゃけ、私自身も、いろんな面や意味で、いわゆる「サバイバー」の一人だから、こうした事件の内容を読むのは、非常に、気が重くて、
読んだあと鬱々とした気分に陥ってしまうので、治療を中断したままの鬱病を刺激しないためにも、近頃は、なるべく読まないようになった。
『「亡くなって初めて体が語った」小1女児の全身にはあざが広がっていた 届かなかった訴え「パンチされた」。虐待予兆、2度の保護も救えなかった命』
47NEWS9/23(月) 10:02配信 最終更新:9/23(月) 13:25
さて、
「ヤフゴミ捨て場」の、以前は「オーサー」とか称していたっけ、
「見解」とか「解説」とかを述べる識者ね。
このかたたちも、しょせんは直接の当事者経験までは ないから知らないのか、わかってないのか、失念しているのか、はたまた、見逃しているのか等は不明だが、
まず、子どもの心理を考察するときに、
べつだん、虐待レベルのことでは なくても、親などの養育者ら、おとなから叱責されたり怒られたりすると、それが、どんなに理不尽なものであろうとも、基本的には、自分が悪いからなのでないかと、
ましてや、自分の親から、そのような理由付けをハッキリされると、たいがいの子どもは、ほぼ自動的なまでに素直に受け入れる本能のようなものが あるし、
そういうことが続くと、やがては習い性の如くになり、ついには自虐的なところまで達してしまうことも あるということ。
もっとも、いまどきの子どもは、世間の風潮を如実に受ける機会が激増したからだろうか、おとなの世界でも、むやみとプライドばかりが高いというのか、ナルシストかよ?と思うような、うぬぼれ激しい、自分棚上げの身勝手きわまる手合いも多く見かけるようになった世相と呼応しているかのように、自己肯定感とか自己愛性が肥大しとるのじゃないか?と思えるような子どもが増えてきているような感も ある。
それでも、さすがに小学生の低学年くらいまでは、まだまだ、昔ながらの素朴な子どもらしさや素直さは失われていないと思うのだが。
私自身は、子を持ったことが ないので、あくまでも、周辺の子どもたちと接したかぎりでの印象しかないけれど。
うちの親と私の場合は、親子の関係性が逆転していた、ということを、過去エントリーで触れたことも あったが、
それは、一般的に通常のパターンであるところの、親が子をと言うより、むしろ、子である私のほうが、親を心配し続けていた、ということ。
だから、私が不在の あいだに、母親が、親父から殺されるような目に遭うのでは ないかと恐れ、心配の あまりに、修学旅行を躊躇ったことも あった。
ところで、
もう一つ、重大なことが ある。
これも、おそらく、大多数の、特に男性にとっては、自覚が あろうとも、ましてや、なかろうとも、性的な面の凄まじさ、かつ、脆さは、見逃しては ならないことである。
と言うのも、
きょうだい姉妹のなかで、最も幼かった私自身、家族全員からの暴力と暴言を、様々な かたちで受けてきたと同時に、性的な面での虐待も経験しているが、
それでも、
世間を見わたせば、たとえ男性と言えども人それぞれ、紳士的で理性的で、ほんとうに良心的、良識的な人たちも少なくないことは、もちろん知っている。
それでも。
私が、まだ学校時分だった頃、直接的に知ったことが ある。
しかし、あえて、ここで詳しいことは述べたくない。
まあ、深刻なまでの事態が起きたというわけでも なかったのだけれど、非常に微妙な面を含んでいて、それを見逃さなかった私自身が、そのことを思い出すと、どうしても不快だし、基本的には信用していた男性の名誉にも かかわるので。
要は、
子ども心に、全幅の信頼を置くに値すると判断していた男性ですらも、ちょっとした切っ掛けで、理性も良識も吹っ飛んでしまいかねないのだ、それが、男性というものなのだ、ということ。
まさに、男性一般の、最大の弱点なのだろうと見受けた瞬間だった。
そのくらい、脆い。
つくづく思う。
男性って、脳も偏ってるしwその おかげか、女性一般よりも目覚ましい働きや能力を発揮することも多いかわりに、ほんとうに脆いんだな、と。
その脆さを、女性側の罪に転嫁したがる男性の、また多いことよ。
どうりで、
「オレたち男をイジメないでくれ~」
と、めそめそイジイジ言い募る男が多いわけだ(嗤)
そうかと思えば、
「男は皆オオカミよ♪」
と、みずから言うのも、本音なのだろうw
ええ、そう。
たしかに、男性の余計な真似を したがるバカで「さもしい」女も いる。男性に対するコンプレックスや、女性としての性的劣等感に苛まれているようなタイプの女は、これは例外的だとしても、
本来的に、妊娠、出産のリスクゆえか、それに合わせたような身体の つくりになっている大多数の女性は、「撒き散らす」ことに特化されている男性ほどには、性的にギラギラがつがつする必要が乏しいのは確かですけどねw
だからと言って、
僻んで僻んで、女性全体を ねたみ、見下したようなセリフを吐くのは、やめときなさーいww
一般人のコメント欄を見ていても、知名度ある男性の言動の端々でも同様に、殊のほか共通しているのは、特に性的な面に おける、女性への揶揄的言動。
男性たちは、もう少し自覚して、謙虚に わきまえたほうが いいよ。
私ら女性の多くは、ちゃんと嗅ぎ取っているのだからねw
あなたたちが、ほんとうに、女性が大好きで大好きで、寝ても覚めても、女性や女体に対する執着、脅迫観念、妄想で苦しんでいること、
転じて、お門違いの憎悪にまでなっていることも知ってるよ(苦笑)
なので、
かく言う私自身も、若い頃は、知らず知らず、周囲の男性たちを挑発していたようなものだったのだなあと、いまになって思い当たりは するのだけれど(苦笑)
世のなかの女性たちに向かっても、
「まあ、ほどほどにしときなさいねw」
「男性が、世のなかの権力という権力筋を圧倒的に占めている社会では、かの『チャドル』や『ブルカ』は、あっという間に究極の姿よ」
と、忠告しておきたいと思うことも、ときには あるww
2024.07.14 (Sun)
以前から指摘してるけど、
近頃は、
「賢いから、有能だから金持ちなんだ!」
「貧乏人はバカで無能だから貧乏!!」
と断言する、
それこそバカで世間知らずのコメントを見かけることは激減したようだw
ビンボボ種族の一員であることを余儀なくされてきた私、けっして、自分を賢いとも有能だともウヌボレては いないし、むしろ、常日頃、ボ~~とした性質ゆえに、「かーっ、なにやってんだ自分!」と、われとわが身にツッコミたくなるミスなどは日常茶飯事なのだが、それでも、
通りすがりのオッサンなどに、声を かけられ、そのまま、ついて行くてな、小学生でも、もう少しは警戒するだろうにと呆れるほどの、「素直さ」は持ち合わせていないし、
いや、
いまどき小学生は、小遣い欲しさで、「出会い系」なんちゃらで売春することも辞さないくらいな らしいから、
私らが小学生時分、
「知らない人に、道順などを尋ねられたとしても、知っていることを、その場で教えてあげるだけにして、いっしょに ついて行ってあげたりしてはダメですよ。たとえ、いっしょに来てと頼まれても」
との周知を初めて耳にしたとき、子ども心にショックを受けた時代とは、大きく異なってしまっているようだ。
それと、
いまどきの若い人、
と言っても、とっくに成人した20歳代や30歳代だけれども、この世代も また、首を傾げたくなるほど、私らの当時とは、かなり、様相が違ってきているふうに思える。
と言うのは、
『“ニセ逮捕状”“ニセ警察手帳”…警察官装う詐欺相次ぐ手口は「警察官と信用させること」【Nスタ解説】』
7/12(金) 21:57配信 最終更新:7/12(金) 21:57
TBS NEWS DIG Powered by JNN
~
日比キャスター:たとえばインターネットバンキングなど、かなり距離が近い世代こそ、こういった被害に遭いやすいという傾向もあるようです。どのようにご覧になりますか?
東京大学准教授 斎藤幸平さん:それが驚きですよね。今までの“オレオレ詐欺”などは高齢の方が引っかかってしまっていましたが、今回は普通の比較的若い、しかも1000万円などのお金を持っているような人たちが、簡単に引っかかってしまっています。 SNSだけに触れていると、フェイクなどに対するある種のリテラシーみたいなものを十分に養う力がなくなってしまうのか、「日本、大丈夫かな」という気もします。新聞やニュースなどを見ていれば普通にわかる感じがするので、気をつけてもらいたいですよね。
~
(文字強調は、当ブログ主による)
「こんなボンクラが、なぜに、こんな大金を持っているのか?親からの相続とかで、労せずして得ているだけなのか?」
先日のエントリーで、このように疑問を呈しておいたとおりだ。
あのさ。
いわゆる「反社」に、莫大な資金を提供し続けていることになるんだよ?わかってるのかなあ?だからこそ、同情しにくいし、
旧ブログでは、
被害者も逮捕しちゃえば?「反社」加担、資金提供のカドで、
とまで言ったことが あるw
学校の「IT教育」なんかも、どうなってるんだろうか。
いろいろと危惧されるなかを、
「子どもの頃から親しませることは、セキュリティ教育にも なるから」
とか言ってたけどなあ。
ちなみに、
『瑠奈被告は中学時代から通院…精神科医の父親・修被告を有名精神科医はどう見ているか【ススキノ首切り裁判】』
7/13(土) 10:10配信 最終更新:7/13(土) 12:28
デイリー新潮
わたしゃ、ここの記事も、めったと読まないんだけどw
さて置き、
父親の証言「幼いころから瑠奈被告は《虫も殺さないような子》だった」
って、ホンマかいな。
まあ、母親が、虫愛好家だったからかね?w
てか、
小学生の頃から、気に入らない同級生に とびかかりノシかかりしてたって話は、どこいった?ww
『昭和大学附属烏山病院』の特任教授を務める岩波明氏、というかたが指摘された、要するに「ヒキコモリの子を抱えている典型的な家庭の ありさま」というのは、私も同じく受けとめていたことだけれど、
結局、この田村家も、まともに機能していない家庭情況だったには違いないわけでしょ。
先日のエントリーで指摘したように、
ほとんど知りもしない、見るからに胡散臭いオッサンと、ラブホの密室で二人きりにさせて平気な感覚の親なんて、まともと言えるか?っての。
それこそ、
可愛い、大切な、愛する娘のほうが殺されるかも しれないじゃないか。
なーにが、どーこが、いわく「社会的経験のため」なんだか。
だったら、まずは、家事の一つでも させろや。
「娘を裏切ることになるから」ってのも、
いずれ出てくる娘に、さしづめ「お礼参り」されるのが恐かった、ってことじゃないの?
「~修被告と同じ状況になればどんな人でも、彼と同じように警察への連絡をためらうのではないでしょうか」
そんなことは ないですよ、岩波センセイ。
そもそも、そこまでの事態に陥ってしまう前に、なんとか、どうにかしようとするでしょうよ、ふつうはね。
少なくとも、
うちの叔母が発病し、やはり、いろんな妄想に耽り始めても、特に、姉である母親は、ぜったいに許さなかったですよ。
「なにを おかしなことばかり言ってるのか!」
「おまえ(←私)も、妹に同調するな!!ますますヘンなことを言い出すから!」
と。
ただし、
叔母の場合、その妄想は、ナルシスティックとか、本人にとっては快い世界とか、そんなこととは全く逆で、
だからこそ、幻視や幻聴が怖い怖いと、怯えていたよ。
そして、首ちょんぱ女のような、えげつないホラー趣味なんぞ、カケラも好まなかったわよ。
【続く】