2024.07.02 (Tue)
『脳の異常性――カクレ精神病者に関する話』の続き。
自己愛が過ぎるのか何なんだか、
自分が、ほんの少しでもミスとかしたら、それ自体のことよりも、それを注意されたら、ということを、異常なくらいに恐れていて、そのために、業務の進行が異常に遅い。
その尻拭いを、後輩の私が全て引き受けさせられて、しかも、チョーシこきくさってw先輩づらでエラソーに言ってくるんだけどww
私って、地が素直でノンビリしてて、ボーっとしてるからねwべつだん、腹を立てることも しなかったんだよwwあ、そーですか?ってなもんで。
むしろ、
私のほうは、その同僚のことを、ふつう以上に真面目な性格の人だから、責任感が強すぎるくらいに強いから、あれくらい神経質に拘るんでしょう、みたいに、好意的に受け止めてたんですわ。
でも、ありゃやっぱり常軌を逸してましたなあ。
大問題なのは、
自分の異常な拘りのせいで、何の罪もない同僚が、その分の仕事や責任を負わされて、大いに損しているということに対しては、まったく、平気の平左だった。そういう意味で、徹底した自己中心。
ちょっとでも注意されたり文句を言われたら、それこそ、もの凄い眼つきで、逆恨みしてくるタイプ。
こういう性格って、うちの親らとも、共通してるんだわ。
とは言え、
その同僚のことを話しているうちに、うちの親父は、
「貧乏神じゃないか、そんなやつ」
と言い放ったもんだがw
まあ、そう言う親自身が、私にとっては、何かと足を引っ張る「疫病神」そのものだったけどなww
近頃は、振り返ると、どうも、親に似たタイプの人と遭遇しやすいし、近寄っても来るし、
むかしは、親に似たタイプを、最初は、つい受容してしまいがちだったのだなということに、やっと、気がつき始めた。
とにかく、自己愛。自己愛の権化。そういうタイプだ。
これが極端になると、もう殆ど『サイコパス』ってやつなのかな。
自尊心やプライドが、ちょっとでも傷つけられたと、自分視点で思ったら最後、「手負いの」ナントヤラさながらに怒り狂うのよ。
自分自身は、弱い立場の者をサンザン踏みつけにして平気なのに。
それから、もう一つ。
「人は見かけに」よる場合も、よらない場合も あるわよねw
いわゆる「人相」も含めて。
美男だ美女だとかいう、顔の つくり そのもののこととは別の次元なんですよ。
じつはね、
ふしぎなことに、脳や精神面の異常性を抱えている人が、顔だけ!w人並み以上に整った容貌を していたりするケース。
私は、母親や叔母たちを見るにつけても、けっこう早くから、
「ある種の異常や有害な者だからこそ、先天的容貌で、ある意味カモフラージュしているんじゃないか。利用できる被害者を引き寄せるために」
と思ってた。
だって、それこそは、「弱肉強食」の世に ふさわしい武器だもんw
だが、その分、「悪い虫」が付きやすいし、思わぬ陥穽にも用心しなければ ならない。
ゆえに、人並み外れた狡猾・冷酷な性質も備わらねば ならないww
その頭のなかは、
本人の自覚とは無関係に、何事にも利害意識・勝ち負けのことでパンパン。
そうして、
利用できる弱い者からムシャムシャ喰っていく。
被害者にとっては、このうえなくタチの悪い、有害な存在の生きザマ。
ところが、本人ばかりは、異常に被害意識が突出・肥大していて、
意外なくらい、世俗の価値観に従順、もっと言えば、
俗悪なほどの、いわゆるスノッブな価値観を、ごくアタリマエという感覚で持っていたりもする。
それだから、
自分の理想どおりに運ばなかったとなると、気に病み、ますます、心底の劣等感と被害意識を募らせ、
うまく やった!と会心の出来なら、そりゃもう、ますますウヌボレるし、
要するに俗物根性だから見栄っ張りなわけ。外面がイイのも定評。
なので、
権威や権力に逆らうよりは、積極的に従っておこうとするし、ここぞ有利になれると思えば、おもねりやゴマすり、献身的な行動もマメで、恥じず厭わず、
じつは自分に、そういう権力や支配力を欲しがってもいる。
これまでに私が直に接してきた精神方面の持病持ちは、身内にも他人にも、幾人か いたのだが、
もちろん、それぞれの個性も あり、皆が同様では ないよ。
けれど、
多くは、へんなウヌボレが つよくて、そこへ、恵まれた容姿、経済力、学歴、キャリア、家柄その他どんなことでも、俗世間に評価されやすい材料が一つでも あるとなれば、何の躊躇いもなく、当然のこととして、鼻に かけて やまない。意識的にであれ無意識的にであれ。
それでいて、
どうも自信が乏しいことや、誰かに指摘されたらマズイと思うことに関しては、たちまち、つよい不安や警戒心も併存しているというふうだった。
私なんかには、なぜ、そこまで?と理解し難いほど異様なくらいに。
だから、ああいう人たちは、とにかく隠すことに必死なのよね。
いずれにせよ、基本的に浅薄な感性が目立って見受ける。
このようなタイプが、実は最も、特に身体障碍者を侮蔑していて、少なくとも内心に隠し持っており、
そこに事あれば、堂々とアカラサマに、他人の身体の障碍を嘲笑うことを躊躇しない。
その反面で、
自分自身の持病が、精神の方面ならば、
「精神病は、天与の才能ゆえだから、特別の価値が ある!」
などと、
聞いているほうが恥ずかしいほどのナルシスティックなことも言ってのける。
それで、
むかし、私は、『自己愛性人格障害』であることを(←ほぼ性格の問題であるとされているらしいがw)自慢げに公言していた、とある女に嘲笑されたとき、
「身体にも精神にも同時に障害を抱えている人だって いるでしょうに?」
と指摘したら、まさに狂ったようにブチ切れられたw
ただ、うちの母親の場合、もともと際立った容姿や、ある方面での才能などには幾つも恵まれ、加えて、気迫に満ちた雰囲気の おかげで、
家族・身内、他人も含めた周囲の人たち全員から、頭が良すぎるくらい良い、しっかりし過ぎなくらいシッカリした人、という定評は終始、揺るぎなかったと思う。
しかしながら、
なかには、なんとなく「恐い」という印象を持った人も、一人ならず いたらしくて、
このことを、母親は、はなはだ心外に思い、そのような人物イメージを持たれたということに、むしろ、自分側の被害意識を刺激されたようで、とても不快そうにしていた。
『「魔の特異日」』
過去エントリーでも触れたように、
生来のんびりというよりもボーとしていた私は、進学や就職で、いよいよ深刻に悩まなければ ならない時期が到来してから、やっと、おかしいなと、自分で気づき始めたのだが、
そこからも、孤立無援の、むなしい試行錯誤が続く続く。
いまのようなパソコンだのインターネットで検索だの、一般には別世界の話だった時代。
ピりピリ警戒する母親の眼を避けて、自分ひとりで考え詰め、図書館で調べたり、役所に問い合わせしてみたり、あちこち当たってみて、少しは改善策に辿り着けそうかと思ったが早いか、母親は、狡猾な妨害、拒絶、徹底的な責任転嫁のための攻撃を開始した、ってわけ。
どんなに、えげつなく冷酷なことを しているのかという自覚が あったのやら なかったのやら、
母親の真意は、子である私にも、いまだに解明しきれないのだが、
だいたい、生まれつき、脳の異常が遺伝的に あったらしいのだから、たぶん、母親自身、自分のなかの闇から、眼を背けるように、生きてきたのだろう。しかも、これが また、異常なほど、プライドが高い。
ついには、そんなの おかしい!と指摘し始めた私のほうが、
「親に勝てると思ってるのか!!」「精神病院で診てもらえ!!」
と、怒鳴りつけられるしまつ。
ちなみに、最近のエントリーでも再び述べたように、
叔母の発病時には、「精神科」で診察させることを徹底的に避けたいが ために、まったく無関係の病名をデッチアゲた母親が、「精神科」以外の医師に診察を受けさせたのは、
今にして思えば、精神病の患者が抵抗する場合に使えるテかも しれませんなw
もっとも、うちのケースは、叔母自身よりも、姉である母親のほうが、「精神科」に抵抗感を持っていたわけだけど。
それでも、
私の実感でも あるように、精神科の医師って、なんだかな、、、と思わなくもないことも あってw
あくまで叔母の場合は、他科の医師に診てもらったことが、結果は幸いだったのかもと思う。
…
ま、そんなわけで、
どうにも埒が明かず、隠蔽された私の苦悩を理解してくれるどころか、
隙あらば、説教を垂れ、
それで足りないと見たら、容赦なく侮辱しに かかる、
そんな家族や身内のなかに一人とて理解者が存在するはずもなく、
ただ、あるとき、思いがけず、他人さまのなかに、ほんとうに一人のみ、あらわれた。
私とは大違いに優秀だった、のちにはエリートの道を歩んだ幼なじみの男の子の、おかあさん。
ひたすら黙々と内職に励み、
家事も子育ても、いまどきで言う「ワンオペ」、
ご主人は、だいたい不在で、あまり頼りにできなかったらしいけれど、
うちの母親のように、グチや不満を こぼすでもなく、いつも、もの静かで、おだやかで、地味に、控えめにしていて、
現代では珍しいだろうけれど、あの当時の、いたって平凡な「主婦」のパターンのうちでは あったのだが、
誰も、オクビにも出そうとしなかった忠告・苦言を、うちの母親に一言、ズバリと言ってくれたのは、それ以来、いまに至っても、その おばさんだけだった。
つくづく、有難くも聡明な存在と思うのである。
2024.07.02 (Tue)
『『思春期早発症』に関する話』からの続き。
しかし、やはり、当の娘自身、自分で自分を持て余していたようだな。
ま、「小人閑居して」ナントヤラとは このことか。
もともと、少なくとも首から下は健康体で、毎日のんびり、働きもせず、家事もせず、気ままに過ごしてたら、男性は特に そうだが、性欲も含めて、ただでさえ持て余すほどのエネルギーの行き場が ないわな。
私は、以前のエントリーでも指摘したように、
下手人である女の父親自身、自分の父親との関係に、ひそかな軋轢が存在したのでは ないかと察しているが、
この女も、特に母親に対する劣等感的な感情も持っていたのかもしれないと思う。というのは、
手描きのイラストなどに窺えるように、なかなか才能が あると見受ける母親に対して、やたらと「自分の作品」「作品を見てよ」と要求していたらしいから。
当初の報道によれば、
娘の異常な性質が大きく認められる前、もっと幼い頃に、この父親は、この娘にとっては、かなり不快を強いるような、独善的で、過干渉的な振る舞いを していたらしいがね。
それを、「しつけ」していた つもり、と言ってるみたいだな。
たとえ、一人娘かわいさの あまりであったにせよ。
その反動が噴き出したようにも見える。
これまでも指摘してきたけど、
だいたい、親になることはアタリマエ、とか、権利、みたいな俗な感覚を持っているということは、ズバリ、そこに疑問や問題意識のカケラも持たない、単純・素朴なウヌボレとエゴが あるからに ほかならないわけで。
だからこそ、
人間たる者、自分自身に対する客観性、そして「負うた子に教えられる」という謙虚さも大事だ。
それにしたって、自分たちは容認や幇助に問われることなく「逮捕されるのは娘だけ」と思い込んでいたというのも、つくづくヘンな話だよ。
それだけでも、常識はずれじゃないのかな、ここの親らも。
もっともらしいキレイごとに まとめてるけど。胡散臭さは拭えない。
また、
この娘、親に名付けられた凝った名前を、ひどく厭っていたそうだが、
じつは私自身、親、もっと正確には、母親の妹である叔母も加えてだが、軽率な彼女らによって付けられた名前を厭う気持ちが ある。
私個人の名付けには参加させてもらえなかったらしいw親父に対しては、姓のほうが不満。
いまからでも、可能であれば、変えてしまいたいと思っている。
要は、姓・名ともに、それぞれの理由で、きらいだ。
それには、一つだけでない理由が あるからなのだが、
名前を付けるってのは、親のエゴと特権の最たるものでも あるからね。
それを徹底的に厭うというのは、
それだけ、自分の親を苦々しく思っている あらわれでも あるわけ。
しかし、まあ、「ルナ」だの「シンシア」だの、
親も娘も、やすっぽいナルシスト趣味まる出しだな。
ま、被害者となった男性自身、「飛んで火に入る」なんとやら、
厳しく問えば、彼自身も性犯罪者じゃないのかという見方も ありうるし、
以前から言っているように、私個人としても、同情する気にまでは なれない。
しょせんは、被害者側も加害者側も、世間に隠れたように潜む、多数の「見せかけ」「見かけだおし」の「機能不全家庭」、「仮面家庭」「無関心家族」という、その面では重なっている者どうしの、不吉な遭遇だったのだろう。
あらためて、公判に伴う情報が出始めているようだが、
それらのニュース記事に対してのコメント欄を眺めていて思う。
たしかに、性犯罪や公務員の汚職等々の「わかりやすい」かつ「叩きやすい」事件や事案なら、毎度、滑稽なほど、すぐに「ちょん切れ!」だの「死刑!!」だのと、子ども向けマンガさながらの、ど単純にして軽薄、下品なコメントが目白押しになるのだがw
「ヤフゴミん」ってのは、自分らも自覚しているのか どうなんだか知らないが、
これが、子捨てや子殺しを はたらいた母親とか、今度の『ススキノ』事件みたいなケースとなると、犯人側を、ヘンに庇い立てする連中が押し寄せるのねw
インターネット上で、初めての経験から思い知ったのが、ネットというのは、ほんっとうに、
軽度知的障害者あるいは、精神科の患者が多いんだなってこと。
精神方面のなかでも、とりわけ、『自己愛性人格障害』みたいなケースね。
ほんっっとうに、いやな目に遭ってきましたもん。
とにかく、しつこい、しつこい。
バカみたいに執拗かつ、あさはかなヘリクツを言い募って、どこまでも食い下がろうとする。
自身が精神系の持病持ちの人ですら、精神病の仲間を相手にすると、ひどく疲れるから鬱陶しいと言ってたけど、
そりゃ、きらわれても しょうがないとは思う。
一般的な病気や身体的のみの障碍と比べると、あきらかに、タチが悪くて難しいことが多いもんね。
だからと言うんで、
「ヤフゴミ」の一人が、さっそく、「障害者は」と、一括りにして誹謗中傷・侮蔑発言を投稿していたので、運営に通報したけど、
ま、
えてして、こういう者こそが、知的や精神の障害だったりする現実。
以前から言っているとおり、
権威的パターナリズムにスンナリと染まるのは勿論のこと、
世間一般的な、あるいは俗悪な価値観にまでも毒され、疑問の一つとて持たず、そのまま年齢を重ねていく、ある種の「素直さ」。
持って生まれた脳の つくりによっては、精神的な問題が、あきらかな表出までには至らず、身近の周囲ですら、「なにかヘンだな」とは思いつつも、分かりにくいことが ままあると見受けるし、往々にして、その者の個性なんだろうくらいに流すことも多い。
これは、実のところ、社会で最も多くを占めている層と思う。
そこには、くだんの事件の父親らも含まれているように、世渡り上手な、要領の良い「優等生」ちゃんも、著しく偏った感受性の者、はっきりと精神病の域を示す者も等しく存在している。
私は、実際に、職場の人でも経験してきた。
「軽度知的」ケースの人ってのは、まあ、悪気までは ないのだろうとは思ってるけれど、
やっぱり、いわゆる「かまってちゃん」タイプが多いのかね。
ふだん、まともには相手を してもらいにくい不満とか寂しさとかが あるのだろうか、
こちらが、ふつうに好意的に接し、バカにすることなく、ふつうに話相手になってあげようものなら、たちまち調子に乗って増長し、それなりに、相手を見分けて分類しようとするのか、
「こいつ、けっこう『くみしやすい』『怒られない』っぽい」
と判断したら、とたんに、いっちょまえの口調で説教とか してくるw
どんなアホでも、誰しも、自尊心やプライドみたいなものは あるんだろうけど、
やっぱり、自覚とか謙虚さに欠けて、自分棚上げなところが大きな特徴の一つなのかなと思わせられることが多かった。
それも、皮肉なことに、心底の劣等感とか、自分に対する扱われかたへの不満を蓄積してきている反動も あるのかなって感じだ。
精神面のほうの場合は、じつは、あとから思い当たった。
『ススキノ』事件の犯人の女の顔つき、眼つき。
これ、どこかで見た誰かに似てるような、、、
という感覚は あったんだけど、
やっと思い出したのは、過去エントリーで取りあげたことのある、むかしの同僚。
「仕事できない」見本だった同僚です。
当時から、なんかヘンだなぁとは思ってたのよね。
私は、他人を最初から悪く思って警戒したりバカにしたり、よほど煮え湯でも飲まされないかぎりは、人によって態度を変える傾向は ない性格なもんで、
その同僚の言動も、振り返るに、そうとうの悪意やネタミが込められていたことに気づいたんだけれども、とっくに終わったことだから、もう どうでもいいことなんだが、
あの当時、かなり親しくなり始めてから、ちょっと違和感を持ったのは、その同僚の親御さん。
たとえば、
先方の自宅に電話を掛けたら、本人が出る前に切られちゃったり、私に対して、なにか疑ってるみたいな雰囲気を出されたりで、いったい、なんなんだろ?とは思っていた。
当人自身、家族全員が旅行に行くときにも、自分は留守番ばかり、とか言ってたし、お姉さんが婚約者を連れてきたときなんか、「彼が来てるあいだ、あんたは出て来ないでね」と、クギ刺されたりしてたとも言ってた。
でね、
『ススキノ』事件の犯人の女って、まあ、視力が悪いせいもあるんだろうけど、眼つき悪いよねwすごく意地悪い感じの。
くだんの同僚も、ああいう、睨みつけるような眼つきだったのよ。
ソックリだと言っていいくらい。
で、
このことも、今にして思い当たるのは、
その同僚も、どうやら、精神方面の持病が あったんだな、ってこと。
当人は、別の持病を装って、うまいこと言って誤魔化してたけど。
だいたい、仕事の進め方が異様だったからね。
【続く】
2024.06.13 (Thu)
『最近、思うことの いろいろ』の続き。
危険性が伴う、重い力仕事であるといった理由だけでなく、医者やプロ料理人などにも男性が圧倒的に多いのは、このへんのこととも無関係でないように思うのは、
基本的に、多くの男性には、機械、マシーン、メカニズムといった方面に対する興味や関心が高い傾向が あるのは明らかであり、
そういう「メカニック」的うけとめかたの感覚には、人間の、特に、妊娠や出産機能を本来的に備えている女性の「神秘的」肉体は尚更だろうが、
そういったものの機序、操作、ひいては、支配に対する関心の高さ、
反面に伴う不安の つよさにも あらわれているように思う。
かえって、自分を支配しきってくれるくらいな女性のほうに、むしろリスペクトを もよおし、怖い母ちゃんの如くに有難がりさえする男性も珍しくないのがオモシロイ。
(うん、あの「おカルト連」の、「手綱を握ってー!」ってやつ?大嗤)
もっとも、男性のハシクレであるはずの親父は、およそ機械モノ全般の扱いが苦手だったw
そういう点は、明らかに母親や私のほうが、よっぽど上手かったのだがww
これも、旧ブログか過去エントリーで、怒りと嫌悪を込めて述べたことが あるのだが、
麻薬組織が牛耳っていることで、国際間でも知られた、南米圏の、いわゆる発展途上国にて、警察や国家、自治体などの要職に敢えて就いた勇気ある女性が、取り締まり強化を警戒する組織に狙われ、その魔手に囚われて惨殺された。
その遺体を損壊した動画や画像をば、麻薬組織が公開しているという、いかがわしいサイトまで、ワザワザ覗きに行ったという男どもが、
「ふう、、、よかった」
などとホザイていたのである。
もちろん、これは、性的快感を得られたという意味だ。
こんなにも下劣な男ども。
思い出すと、こちらのハラワタが煮えくり返る。
それと、
あの『IS』ってえのが、安倍政権時の数年前に、日本人である男性を二人、頭部切断して殺害した忌まわしい事件が あった。
皆さん、憶えてますかね?
あのおりの公開動画も、多くの男どもを中心に、物見高く覗きに行ってたみたいよね。
そこのアータも、その一人じゃないの?
もちろん、私は、そんなエゲツナイ趣味なんかないよ!
さて、
『ススキノ』の事件と、下地になった家族間の軋轢や凄惨きわまる猟奇性という共通点が明白な『佐世保』の事件は、いずれも女性が犯人だが、これらと全く別の時期の、とある家庭内暴力事件では、逆に、その家の息子が「被害者」の立場になっている。
この事件は、もう、かれこれ数十年も前に報じられていたかと思うが、当時、私が読んだ新聞の記事によると、
いちおうの始まりとしては、息子の暴力が原因だった。
家族構成は、母親、くだんの一人息子、母親の父親である祖父の三人で、息子の父親は、離婚か死別か忘れたが、この息子は、何が理由なのか、中学生頃から、いろいろと問題行動を起こすようになり、特に、母親に対する暴力がエスカレートしていったらしい。
この母親も、ふだんは、息子の要求や暴力に、あまり逆らわず、おとなしく従っていたようだ。
年末年始の、ある晩のこと。
すでに深夜で、就寝していた母親を、息子が叩き起こし、「餅を焼け」と命じた。
仕事や家事に加えて、息子の問題に耐えつつ、疲労困憊の母親は、真夜中に起き上がるのも大儀で辛く、さすがに、このときには、文句を言ったのか、スローな動きで、渋々と餅を取り出し、眠い目を こすりながらも、網に乗せて焼き始めた。
すると、
自分のために餅を焼いてくれている母親の背中を、「早くしろ!」と急かして、背後から蹴りあげ、
しまいには、焼き上がったばかりの餅を、いきなり、母親の顔面に押しつけたとか、そういう狼藉を はたらいたというのだった。
たまりかねて、孫の母親である娘に加勢した祖父と二人がかりで押さえつけ、ついに絞殺してしまったと、ちょっとウロ覚えだが、おおよそは、そんな経緯の事件だったと記憶している。
ひととおり読んでから、
私は、疲れた背中を丸めて、餅を焼いている母親と、その背中を蹴りつける息子の光景を、眼前のように想像して、思わず、涙が出た。
私自身、親らに対する憤りを抱えて生きてきた身であるから、まだ実家で生活していた若い頃の、あるとき、障碍の影響で、当時の仕事にも支障が起きていることに疲れ、苦悩を訴えたところ、母親が、いつものように冷淡な言動を軽く投げつけてきたので、ついに、「堪忍袋の緒が」という感じで、一度だけだが、母親に対して、激しい暴力に及びかけたことは ある。
まあ、すぐに自分を抑えたけれど。
そのときの母親の顔、
ふだんの傲慢なほどの自信に満ち溢れた表情とは打って変わって、「青天の霹靂」の如く、予想も想定も していなかった恐怖に歪んだ顔で、怯えに震えていた。
で、
私は、それを見て、多少はスカッとしたのかというと、全く違うんだよね。
親を、それも、あっという間に縮こまって震えだした親を、思うさま打ち据えても、
その手は、自分自身を打っているに等しい。
親を殴るたびに、子は、自分自身を殴っているのだと思う。
もちろん、気が晴れるわけでも何でもない。
ただ、なさけなさが襲ってくる。
悲哀だけが追いかけてくる
『ススキノ』のようなケースは分からんけども、
たぶん、ほとんどの場合は、
親が、キョトキョトと怯えた眼を しながら、やめてくれと宥めに かかり、自分の言いなりになる姿を見た子どもは、ほんとうに見捨てられたのだという気持ちを味わうだろう。
こんなことを味わわせる親なんて、サイッテーですよ。
「ヤフゴミ捨て場」あたりでは相変わらずで、
「選んで生まれてきたんだー!」
そこにしか生まれられない自分が悪い!!
と、ヒステリックに言い張ってるオカルト信者が出てくるけどさ(嗤)
いったい、どこの、何のカルト宗教なんだか。バカまる出しで。
まずさぁ、
何らかの悪いことしたから、ああなるんだ、こうなったんだ!と、
いわゆる「輪廻」みたいなことを主張し続けるんなら、
そもそも。
この世の原初に、誰が何の悪事を犯したのか、言ってみな?
およそ意識やら自覚やらも ないままであったろうに、原初から「悪事」を犯させてしまうようなシステムの、
この世界そのものが、「悪」そのものじゃないのかいw
つくったん、誰や?(爆)
つくった自分を棚上げしてからに、人のせいにするな!(爆(爆)
この世界・現世でハッキリ「悪事」を はたらいたのは事実なら、へんな勿体つけてんと、この世にいるうちに、サッサと、見合うように罰しといたらエエんやがな(嗤(嗤)
ところが、
なぜか、「巨」が付くほどの悪ともなると、バレてても、ろくろく、見合った処罰されもせず、のうのうと ふんぞり返っているヤカラが存在し続けてるわな。なんでやねん(爆)
世間にバレることなくトンズラしおおせた、「悪運」つよい者も少なからず いるだろうし、
ましてや、
筋合いもなく、侮辱され、虐待され、殺されてしまった者の「罪」とは、
いったい、どこで何を犯したのか。
その経緯、事情など皆目わからないのに、この「現世」で、いったい何を償わせられているというのか。
そもそも、それは何のためなのか。
明確に答えてみな。
まずね。
おたくらのホザイてることは、
虐待され、殺されていった子どもたちや弱者への、酷い侮辱、セカンド レイプに等しいのよ。自覚しとるか?
ま、おたくらのような忌々しい侮辱を繰り返した、まさに「悪」、
そのツケは、
今度は、おたくら自身が、
言うところの「今生」だか「来世」だかで、
しっかり払うことになるのは必定、ってことよね(嗤)嗤)
クビ洗って待っとけ(大嗤)
【続く】
2024.06.11 (Tue)
昨今、世間では、「親ガチャ」「子ガチャ」と言う。
「子ガチャ」については、たしかに、ある意味の「賭け」とも言え、これは もう、ひとえに親側のノーテンキ的幼児的楽観性のゆえに尽きるだろう。
そうでなくて、産めるわけが なかろうというもの。
まあ、たしかに、楽観性なくば、誰しも殆ど何も できまいだろうけれど。
特に、凶悪事件の場合、ほかならぬ「製造者」、実の親が、テレビ局のインタビューに、なんだか気軽なようすで応じているのを見てたら、どこか他人事みたいな答えかたを しているのを時々見かけるけれど、
こういう場合、
やはり、凶悪・悪質な犯罪を やらかすだけの冷淡な下地は、遺伝的な素質といった面も含めて、親ら自身の側にも あったのかもな、、、
と、正直な感想が浮かばなくもない。
そうして、
犯人自身も また、大概は、自分の親を深く怨んでいたりする。
「被害意識肥大症」みたいな逆恨みも含まれているケースは あるとしても。
わが子を死なせるまで虐待している亭主や交際相手に対して、全く何も言えない、警察に駆け込むことも できないどころか、わが身かわいさの恐怖で、あるいは、みずからも、けっこう楽しんでいたか、悪に加担するような態度に終始した無力そのものな母親の事例も目立つ。
『ススキノ・頭部切断』事件のケースでも、真っ先に公判が開始された母親の言い分を聞いて、ちょっと それに近い傾向も あるように思える。
亭主に引きずられ、娘に引きずられ、ということだろうか。
ひたすら、非常に受け身なのだなという感じ。
案の定と言うべきなのか、私個人は、ちょっと意外と思ったのだが、
下手人となった娘も、徹底的に甘やかしてくれた親を、徹底的に憎悪していたことが明るみに出たようで。
こんな自分を、親たちだけは理解し、愛情を注いでくれた、とは決して思っていないようだ。なぜなのだろうか。
まあ、この母親自身は、その娘の誕生までは、いたって「ふつう」という以上に良い人生、経歴だったと、そう言える来し方だったらしい。
それも、一人娘を産んだ日まで。そこから以降は、恐怖でガンジガラメの生活に落ちていったということらしい。
「まさか、うちの娘が殺人するなんて」とは、、、とも言ってるそうだけど、
ほんとうに、そう思っていたのかなあ。
警察に通報するのも躊躇うほど、娘を恐れていたらしいがねえ。
それにしても、これってパターンなのか?
女の子でも、こういうケースだと、
「壁を殴って、穴あけた」
ってなバカ力。
そう言えば、
同じようなことを繰り返していた娘を、ついには絞殺した父親も いたよね。
被害者となった男性に対して、「会わないでくれと懇願していた」というのだが、それどころじゃないだろうに。
私だったら、ずばり言うよ。
「娘は、刃物などを買い揃えている。次に会ったら、あんた、殺されるよ」
と。
まあ、この親ら、どこか何かがムジュンしてる感は拭えないわ。
徐々に経緯が明らかになってくるにつれて、
やはり、例の『佐世保』の同級生殺害・遺体損壊事件を思い起こしてしまうのだが、
あの事件では、まず、父親がボコボコに襲撃されていたよね。
ただ、やはり、その根底には、実母が病没して日も浅いうちに、後添えを迎え入れた父親に対する心理的憤りも あったらしいのだが。
あえて言うなら、唯一、われわれ平凡な者にも少しは理解可能な理由とは思えたものの。
うちの叔母も、幼くして実母を亡くして以来、母親がわりの姉であった、私の母親が、へんにミエっぱりのせいか、最初は、とんちんかんな病名を、母親自身がデッチアゲて(←私の母親は、なぜか、こういったことを平気で貫く傾向が あった。父親もなんだけど、ただし、親父のほうは、すぐにバレる稚拙さだったので 爆)、
それで、私の母親が泣いて拒絶したゆえ、本来ならの『精神』でなく、『神経』の付く科で、とりあえずの診察を受けさせ、そのまま、即、入院となった経緯が あるのだけれど、
そのため、明確な病名は、私は いまだに知らないままなんだが、おりに触れては、いろいろと情報に当たってみたり、私自身が、学生時代から、『心理学』の方面に関心が高かったことも あるので、こんにちでは、インターネットからの情報で、多少の知識も蓄積されてきて、叔母の場合も、昔で言う『精神分裂病』だっけ、こんにちでは『統合失調症』ということだったのだなと察するに至った。
叔母も、まさに「警察沙汰」、一歩でも違えば、人命をも損なっていたかもしれない騒ぎを起こしたので、他人さまに通報されて、警察から、うちの親へ連絡が来たという経緯。とうてい、隠蔽どころでなかった。
うちの家系や私の身内の全体が、多かれ少なかれ何らかの特異性や複雑怪奇な事情アリなんだけれど、母方も同じくで、
叔母にとって、ほんとうの「身内」と呼べるのは、実質、姉の家庭(私の実家)しか なかったので、あのおりも、うちの両親が大急ぎで、精神に異常を来した叔母を引き取りに行って、100万円とかの家賃を払っていた高級マンションを引き払い、大荷物を処理し、こちら大阪の片隅まで引っ越しさせた。そのうえでの診察、入院。
不幸中の幸い、担当医師が、とても良い医師だった おかげで、ほどなく、叔母も信頼を寄せることが できるようになっていき、服薬がスムーズに こなせるようになってからは、飛躍的に回復した。
このへんのことを、過去エントリーでも述べておいたことが ある。
たしかに、
当初は、異様に警戒していて、母親や、姪である私以外の周囲を敵視しており、処方された薬も、毒が入っているなどと言い張って、飲むのを拒んでいた。
その担当医師から、うちの母親が言われたことに、
「妹さんにとって、お姉さんのように信頼関係の ある人を中心に、治療をリードしていくことが望ましい」
というふうな話が あったということを、いまでも思い出すことが ある。
何よりも、服薬が有効にスムーズに進めば、必然的に、病状の改善が見込めるわけで、なるほど、やはり、完治までには至らなかったが、
叔母の場合、生来の几帳面さも あってか、ふだんよりも疲れているとか調子が良くないときは、てきめんに幻聴が兆してくるので、そうなると、「あ、お薬を飲まなくっちゃ!」と、自分で用心すると言っていた。
なぜなら、幻聴や幻視が始まると、ものすごく怖いからと。
いちばん怖ろしい思いに苦しむのは、まず患者自身なんだなあと、その吐露を聞いたとき、私は思ったことも憶えている。
ところが、
そういう幻聴や幻視にドップリと浸りきって、怖いどころか、むしろ、快感そのものであるらしいケースも見受ける。
その一つが、今回の『ススキノ』事件のケースだ。
専門医ならではの、「否定も肯定も避ける」って、、、う~ん、、、
うちの母親は、叔母が妄想を口走るたびに、
「あんた!なにをヘンなこと言ってるんや!!」
と、即座に、鬼の如く思いっきり否定してたしw
すると、
発病以前は強気な性格だった叔母が、めそめそ泣きだすのが可哀そうになって、ちょっとだけ、なだめるように、うんうんと受け入れようもんなら、今度は私が、母親に怒鳴りつけられたもんだww
「おまえまで、その気にさせて どうする!!」と。
あの下手人の女は、いつからか、いわゆるホラー系の作品などに耽溺していたらしいが、
それに往々伴うであろう、生物、とくに人体損傷などの光景を見たがるのは、男性に顕著な傾向だろうとは、かねて思っていた。
この点、うちの叔母とは正反対。
叔母は、不穏とか、ましてや残虐な場面などを見たものなら、たちまち、怯えて泣き叫んでいたから。
なので、かわいらしいとか愛嬌の感じられる、他愛ないものを見ている分には、わりとキゲンが良かった。
もちろん、女性にも、『ススキノ』事件の犯人のように、そういう傾向の人は いるのが現実だが、『ススキノ』にせよ、また、『佐世保』の同級生殺害・遺体損壊事件にせよ、からだは女性だけれど、言ってしまえば、「脳だけ男性」のタイプなのでは ないかという感じが する。
そして、そこには、やはり、性的な欲求との結び付きも窺える。
これも勿論のことで、男性にも様々なタイプは存在しているわけだし、
男の子のほうが、幼い頃は甘えん坊だったり、怖がりだったり、おとなになってからも、血が苦手という男性は少なくないようでは ある。
私が高校時代の生物の担当教師は、過去エントリーでも述べたことが あったかと思うが、もとは医学部の出身で、医師になるつもりが、解剖の授業中に卒倒してしまい、結果、うちの高校で、生物を教えていた。
そりゃそうかもと納得したくらい、とても紳士的な、優しい先生だった。
ヒステリックで、この男性教師よりも、よっぽどキツイ女性教師も いたけれど。
また、私の知合いの家庭で、そこの娘さんが、長風呂だったのか、浴室で倒れ、割れたガラスで出血したのを見たとたん、何やら叫びながら、家じゅうを無意味に走り回っていた御亭主を叱りつけ、冷静に救急車を呼んだのは、奥さんのほうだった。わりと気の強い、けっこう意地悪いところのある人だったけどw
ちなみに、ここの御主人、ベテランの『自衛隊員』ですw
加えて、
いまでも そうなのかは知らないけど、あの当時、ご夫婦とも『自民党(=本名:ダッピ統一壺売国党)』支持者であることは明言されていて、
なるほどの?『和歌山』県の田舎の出身だったww
一説には、女性のほうが、「血に強い」と言われる理由に、毎月の自身の経血を見慣れているから、というものが ある。
それでも、私みたいな、大量の経血に悩まされていた女でも、他者の血を見るのは、やっぱり嫌だけどね。
【続く】
2024.05.07 (Tue)
いずこの国や民族の出身であろうとも、まず一人が住み着けば、それを追い、慕うように、あとに続いて、やがては一団の規模となって住み着いていくというのは、古今東西で一般的なパターンだろう。
大昔から、世界じゅう あちこちに住み着いている規模と言えば、かの『ユダヤ』人と双璧を なすくらい負けてないのが『中国』人だが、
両者の大きな共通事項は、商売。
ユダヤ系のほうは、有名なところでは、かのシェイクスピアやドストエフスキーですら描いたような、およそ抜け目も情け容赦もない金融系の商売ぶりで、どこの国や地域でも、ひどく嫌われていったというのにも めげず、
特に、こんにちの『アメリカ』の政治中枢にも殊のほか目立っているように、やがては、集住・定住した先の各国の政治、統治中枢に おいても大いに喰い込み続けてきた。
それでなくとも、宗教と政治と商売、この三者は、利権セットで相携えるのが、世の習い。
清らかなる「信心」「信仰」も嘘っぱちなら、
「国民(くにたみ)思う大御心」とやらも嘘っぱちで、
私利私欲のカネ儲け、ハラ勘定アタリマエの商売へと、結局は収斂していくのも また、世の習い。
さて、こちら日本の大阪でも、
『コロナ(covid19)』明けとなって以降、乗車するタイミングによっては、電車内が、中国人観光(=買い出し)客と思しき老若男女で溢れかえる状態に戻っている。
先日、大型連休直前の車内も、座席は、スーツケースを足もとに置いた中国人らしき人々にズラリと占められており、立ったままで、やはり、足もとにスーツケースという定番の人々も大勢いて、仕事帰りで疲れている多くの日本人にとっては、ちょっとイラッとくる場面かもしれないなと思った。
いつぞやのエントリーでも話題にしたが、
十把一絡げにするな!という声も あるものの、「汚染水ガー」と盛んに糾弾していた中国から来日し、きれいだのオイシイだのと、いささかは面映ゆい表情ながら、日本のテレビ局のインタビューに、調子よく応えていた、そんなレベルも通り越して、いわゆるオーバーツーリズムでも、元気いっぱいに、中心となっての大活躍w
日本の原発からの「汚染水」「処理水」に対する見解は、内外ともに様々のようでは あるが、
まぎれもなく世界じゅうに深刻な影響を巻き起こした『コロナ(covid19)』発生国でありながら、いっそうの強硬姿勢を貫き、とうとうウヤムヤにしてしまった中国だって、政治権力中枢も一般人民も、ともに、なかなかの面の皮の厚さじゃないかいと感じないでもないが、まあ、こちとら日本も含めて、えらそうに言っていい資格の備わっている国も少なかろう。
『足立』区あたりは、もはや、定住している中国人だらけになっていると、ニュース番組で見かけたけれど、
むしろ、彼ら彼女らの本国である中国のほうが、すでに、あらゆる方面で、日本を追い越し、発展し、隆盛の一途であるはずなのに?それでなくとも、恨みツラミや反感を抱え続ける対象なのに、なぜ、いまさら、その日本に やって来て、永住する勢いで住み着くのだろうかと、フシギに思えるほどなのだが、
大阪の ある地域も、とうの昔に、同様な状態になっているらしい。
『維新=維沈』と、その支持者らがハリキッてやまない「カジノ」にしても、こうした、羽振りの良い中国人たちが主な常連となって御来店を見込めるはずという皮算用だろうか。
ところで、
最近の当ブログ エントリー内にて、
私は、『不逮捕特権』や『免責特権』やらというものを不要と見做している、ということを述べたのだけれど、
このエントリー内容に おいては、あくまでも日本国内の政界についてのことを言ったつもりだったのだが、
では、
政治の方面に おける、いわゆる「政敵」に対する牽制や迫害などを企図しての不当な拘束を防止する「不逮捕特権」と同様に、ある国の統治権力筋が、駐在している他国の大使など外交官に対して、なにかしら、気に喰わないだの、知られたり暴かれたりされるとマズイだのいう本音から、不当にも逮捕や拘束に及ぶという場合、そんなエゲツナイことを平気で やってのける国と言ったら、どんな国なのか?ってことになるわよね。
まあ、「先進国」であるとか「民主主義」体制が、きちんと機能している国家では ない、要するに、まともな国家じゃない、アメリカによる表現を借りれば、「ならず者」国家、てなところだろうか。
明白な政情不安や治安の酷い状態にある国ということであれば、日本の政府も、さすがに「渡航まかりならぬ」という オフレを出したりも するじゃないですか。
しかしながら、
むしろ、そういうヤバい国だからこそというので、敢えて内部に入って、いろんな情報を得たり、対話や改善の糸口を探らんものと、主にジャーナリストとか、国際的NPOあるいはNGO団体の人たちなどが、わが身の危険を賭しても赴くわけだけれど、
これが、
れっきとした国家のバック アップや お墨付きを背負って乗り込む大使・公使といった外交官の身分であれば、何のため、リスクの非常に高い国へ入って行くか。
そこでは、自国側のメリットを期して、どのような仕事や活動が可能で不可能か、それこそ、不当な逮捕や拘束にまで至ってしまうのを防ぐには どうするべきなのか、事前段階のうちから、得られるかぎりの相手国の内情や統治体制に かかわるタブー、じゅうぶんな対処方法などを わきまえて、赴任しているのでは ないのかな。
それでも、はっきり「不当」なる逮捕や拘束の仕打ちを被ったと明言して抗議できるなら、これは、国際間での共有も当然に持たれるし、当事国以外の国々からも連帯して抗議を寄せることは大いに あるわけで。
では、そうは ならないケースって、どういうことだろうか。
最近、
『シンガポール』の在日大使館員が、なぜか、わざわざ「銭湯」に出向いて、そこの脱衣場で、性的な盗撮を やらかしていたということが発覚したにも かかわらず、尤もらしい理由を立てて、スタコラと本国に戻していたとかいうので、ここでも「不逮捕特権」なるものについての物議を醸すに至ったらしい。
こういう場合の「不逮捕特権」だのは範疇外だ!とする線引きを設けておかないでいたのか?と、疎いもんだから、私は、意外な感じを持った しだい。
当事国の一方も独立国であり法治国家なら、もう一方も独立国であり法治国家なのだから。
れっきとした外交官であろうとも、あきらかな犯罪行為を やらかしたのが発覚した場合ともなれば、それを不問にしておいて、本国へ舞い戻ったっきりウヤムヤ、というほうが、よっぽど、「外交問題」になるじゃないかと思うのでね。
それにつけても、こういった、あらゆる、または何らかの特権的な保障というもの、実際には悪用されることが殆どじゃないのかなという印象は、わが国の政権与党である『自民党=本名:ダッピ統一壺売国党』の やりくちを見るたびに実感させられること甚だしく多し。
数十年このかた、
実質的アメリカの傀儡としての「一党独裁」国家だった日本だが、やっとかめ、ちっとは雲行きが変わって来つつあるというのだが、
もともと『自民党=本名:ダッピ統一壺売国党』支持の者らが、さも正義ぶって、賢し気に、「いったん、下野させないと~」みたいなことを口々に言い始めた向きも見受けるが、
いったん下野?
だめだね(冷笑)
アメリカの思惑どおりに動くことによって、
「日本なんか、どうなっても いい」、
自分たちの政権さえ安泰なら、
という『自民党=本名:ダッピ統一壺売国党』なんぞ、永久の下野しかない。
かつ、消滅させるしかないのよ。
『立憲民主党』も、まさに「兜の緒を締めよ」であるし、
『日本共産党』その他の(自民党=本名:ダッピ統一壺売国党の手下は除く)野党各党にも、もっともっと、しっかりしてほしい。
それが できないのであれば、
たしかに「日本なんか、どうなっても いい」程度の国でしかない。