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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2024.07.02 (Tue)

脳の異常性――カクレ精神病者に関する話の続き。

 

自己愛が過ぎるのか何なんだか、

自分が、ほんの少しでもミスとかしたら、それ自体のことよりも、それを注意されたら、ということを、異常なくらいに恐れていて、そのために、業務の進行が異常に遅い。

その尻拭いを、後輩の私が全て引き受けさせられて、しかも、チョーシこきくさってw先輩づらでエラソーに言ってくるんだけどww

私って、地が素直でノンビリしてて、ボーっとしてるからねwべつだん、腹を立てることも しなかったんだよwwあ、そーですか?ってなもんで。

むしろ、

私のほうは、その同僚のことを、ふつう以上に真面目な性格の人だから、責任感が強すぎるくらいに強いから、あれくらい神経質に拘るんでしょう、みたいに、好意的に受け止めてたんですわ。

 

でも、ありゃやっぱり常軌を逸してましたなあ。

大問題なのは、

自分の異常な拘りのせいで、何の罪もない同僚が、その分の仕事や責任を負わされて、大いに損しているということに対しては、まったく、平気の平左だった。そういう意味で、徹底した自己中心。

 

ちょっとでも注意されたり文句を言われたら、それこそ、もの凄い眼つきで、逆恨みしてくるタイプ。

こういう性格って、うちの親らとも、共通してるんだわ。

 

とは言え、

その同僚のことを話しているうちに、うちの親父は、

「貧乏神じゃないか、そんなやつ」

と言い放ったもんだがw

まあ、そう言う親自身が、私にとっては、何かと足を引っ張る「疫病神」そのものだったけどなww

 

近頃は、振り返ると、どうも、親に似たタイプの人と遭遇しやすいし、近寄っても来るし、

むかしは、親に似たタイプを、最初は、つい受容してしまいがちだったのだなということに、やっと、気がつき始めた。

 

とにかく、自己愛。自己愛の権化。そういうタイプだ。

これが極端になると、もう殆ど『サイコパス』ってやつなのかな。

 

自尊心やプライドが、ちょっとでも傷つけられたと、自分視点で思ったら最後、「手負いの」ナントヤラさながらに怒り狂うのよ。

自分自身は、弱い立場の者をサンザン踏みつけにして平気なのに。

 

 

それから、もう一つ。

「人は見かけに」よる場合も、よらない場合も あるわよねw

いわゆる「人相」も含めて。

美男だ美女だとかいう、顔の つくり そのもののこととは別の次元なんですよ。

 

じつはね、

ふしぎなことに、脳や精神面の異常性を抱えている人が、顔だけ!w人並み以上に整った容貌を していたりするケース。

私は、母親や叔母たちを見るにつけても、けっこう早くから、

「ある種の異常や有害な者だからこそ、先天的容貌で、ある意味カモフラージュしているんじゃないか。利用できる被害者を引き寄せるために」

と思ってた。

だって、それこそは、「弱肉強食」の世に ふさわしい武器だもんw

だが、その分、「悪い虫」が付きやすいし、思わぬ陥穽にも用心しなければ ならない。

ゆえに、人並み外れた狡猾・冷酷な性質も備わらねば ならないww

その頭のなかは、

本人の自覚とは無関係に、何事にも利害意識・勝ち負けのことでパンパン。

そうして、

利用できる弱い者からムシャムシャ喰っていく。

被害者にとっては、このうえなくタチの悪い、有害な存在の生きザマ。

 

ところが、本人ばかりは、異常に被害意識が突出・肥大していて、

意外なくらい、世俗の価値観に従順、もっと言えば、
俗悪なほどの、いわゆるスノッブな価値観を、ごくアタリマエという感覚で持っていたりもする。

それだから、

自分の理想どおりに運ばなかったとなると、気に病み、ますます、心底の劣等感と被害意識を募らせ、

うまく やった!と会心の出来なら、そりゃもう、ますますウヌボレるし、

要するに俗物根性だから見栄っ張りなわけ。外面がイイのも定評。

 

なので、

権威や権力に逆らうよりは、積極的に従っておこうとするし、ここぞ有利になれると思えば、おもねりやゴマすり、献身的な行動もマメで、恥じず厭わず、

じつは自分に、そういう権力や支配力を欲しがってもいる。

 

 

これまでに私が直に接してきた精神方面の持病持ちは、身内にも他人にも、幾人か いたのだが、

もちろん、それぞれの個性も あり、皆が同様では ないよ。

けれど、

多くは、へんなウヌボレが つよくて、そこへ、恵まれた容姿、経済力、学歴、キャリア、家柄その他どんなことでも、俗世間に評価されやすい材料が一つでも あるとなれば、何の躊躇いもなく、当然のこととして、鼻に かけて やまない。意識的にであれ無意識的にであれ。

 

それでいて、
どうも自信が乏しいことや、誰かに指摘されたらマズイと思うことに関しては、たちまち、つよい不安や警戒心も併存しているというふうだった。

私なんかには、なぜ、そこまで?と理解し難いほど異様なくらいに。

だから、ああいう人たちは、とにかく隠すことに必死なのよね。

 

いずれにせよ、基本的に浅薄な感性が目立って見受ける。

このようなタイプが、実は最も、特に身体障碍者を侮蔑していて、少なくとも内心に隠し持っており、

そこに事あれば、堂々とアカラサマに、他人の身体の障碍を嘲笑うことを躊躇しない。

その反面で、

自分自身の持病が、精神の方面ならば、

「精神病は、天与の才能ゆえだから、特別の価値が ある!」

などと、
聞いているほうが恥ずかしいほどのナルシスティックなことも言ってのける。

それで、

むかし、私は、『自己愛性人格障害』であることを(←ほぼ性格の問題であるとされているらしいがw)自慢げに公言していた、とある女に嘲笑されたとき、

「身体にも精神にも同時に障害を抱えている人だって いるでしょうに?」

と指摘したら、まさに狂ったようにブチ切れられたw

 

 

ただ、うちの母親の場合、もともと際立った容姿や、ある方面での才能などには幾つも恵まれ、加えて、気迫に満ちた雰囲気の おかげで、

家族・身内、他人も含めた周囲の人たち全員から、頭が良すぎるくらい良い、しっかりし過ぎなくらいシッカリした人、という定評は終始、揺るぎなかったと思う。

しかしながら、

なかには、なんとなく「恐い」という印象を持った人も、一人ならず いたらしくて、

このことを、母親は、はなはだ心外に思い、そのような人物イメージを持たれたということに、むしろ、自分側の被害意識を刺激されたようで、とても不快そうにしていた。

 

「魔の特異日」

 

過去エントリーでも触れたように、

生来のんびりというよりもボーとしていた私は、進学や就職で、いよいよ深刻に悩まなければ ならない時期が到来してから、やっと、おかしいなと、自分で気づき始めたのだが、

そこからも、孤立無援の、むなしい試行錯誤が続く続く。

いまのようなパソコンだのインターネットで検索だの、一般には別世界の話だった時代。

 

ピりピリ警戒する母親の眼を避けて、自分ひとりで考え詰め、図書館で調べたり、役所に問い合わせしてみたり、あちこち当たってみて、少しは改善策に辿り着けそうかと思ったが早いか、母親は、狡猾な妨害、拒絶、徹底的な責任転嫁のための攻撃を開始した、ってわけ。

 

どんなに、えげつなく冷酷なことを しているのかという自覚が あったのやら なかったのやら、

母親の真意は、子である私にも、いまだに解明しきれないのだが、

だいたい、生まれつき、脳の異常が遺伝的に あったらしいのだから、たぶん、母親自身、自分のなかの闇から、眼を背けるように、生きてきたのだろう。しかも、これが また、異常なほど、プライドが高い。

 

ついには、そんなの おかしい!と指摘し始めた私のほうが、

「親に勝てると思ってるのか!!」「精神病院で診てもらえ!!」

と、怒鳴りつけられるしまつ。

 

ちなみに、最近のエントリーでも再び述べたように、

叔母の発病時には、「精神科」で診察させることを徹底的に避けたいが ために、まったく無関係の病名をデッチアゲた母親が、「精神科」以外の医師に診察を受けさせたのは、

今にして思えば、精神病の患者が抵抗する場合に使えるテかも しれませんなw

 

もっとも、うちのケースは、叔母自身よりも、姉である母親のほうが、「精神科」に抵抗感を持っていたわけだけど。

それでも、

私の実感でも あるように、精神科の医師って、なんだかな、、、と思わなくもないことも あってw

あくまで叔母の場合は、他科の医師に診てもらったことが、結果は幸いだったのかもと思う。

 

ま、そんなわけで、

どうにも埒が明かず、隠蔽された私の苦悩を理解してくれるどころか、

隙あらば、説教を垂れ、
それで足りないと見たら、容赦なく侮辱しに かかる、

そんな家族や身内のなかに一人とて理解者が存在するはずもなく、

ただ、あるとき、思いがけず、他人さまのなかに、ほんとうに一人のみ、あらわれた。

それは、
私とは大違いに優秀だった、のちにはエリートの道を歩んだ幼なじみの男の子の、おかあさん。

ひたすら黙々と内職に励み、
家事も子育ても、いまどきで言う「ワンオペ」、

ご主人は、だいたい不在で、あまり頼りにできなかったらしいけれど、
うちの母親のように、グチや不満を こぼすでもなく、いつも、もの静かで、おだやかで、地味に、控えめにしていて、

現代では珍しいだろうけれど、あの当時の、いたって平凡な「主婦」のパターンのうちでは あったのだが、

誰も、オクビにも出そうとしなかった忠告・苦言を、うちの母親に一言、ズバリと言ってくれたのは、それ以来、いまに至っても、その おばさんだけだった。

つくづく、有難くも聡明な存在と思うのである。

 

 

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