2016.02.21 (Sun)
青空みたら綿のような雲が
悲しみをのせて飛んでいった
(リフレイン)
いたずらが過ぎて
叱られて泣いた
こどもの頃を憶い(おもい)だした
夕空みたら教会の窓の
ステンドグラスが眞赫(まっか)に燃えてた
……
夜空をみたら小さな星が
涙のように光っていた
2016.02.21 (Sun)
哀しくなって、ちょい泣いちったもんw
これ↓日韓・給食比べ
当該記事に付いたコメント投稿の、この切なさよ。思わず号泣もんw
『日本と韓国の給食をのぞいたら、「格差」の問題が見えてきた』
投稿日: 2015年11月21日 16時45分JST 更新: 2015年11月21日 16時45分JST
http://www.huffingtonpost.jp/asahiglobe/school-lunch_b_8614048.html
ずっと前に、世界各国の給食を、ラージ サイズ写真で比較していた記事を思い出した。
また別の記事の、給食の食べ比べで、アメリカあたりの小学生女児が、「フランスって、なんでもファンシーよね」
とか何とか、こましゃくれた称賛の感想を述べてから、
今度は日本の給食を出され、見て一瞬ひいたあとで、腰が引けたまま、しぶしぶ、一口食べ、
なんとも複雑な表情を浮かべていた、という記事も思い出した。
当該記事では一番上に、日本の給食の写真が出てるので、
それを見て、真っ先に思ったのは、
私も、中学時代は基本的に お弁当持参、持って来れない場合は、パンを注文しておくシステムだったけど、
また、小学校時代には完全給食だったけど、当時と比べても、ここまで貧相なメニューだったっけ?と、軽くショック。。。
次に、韓国の小学校給食を見て、がぜん羨ましく思った(悲哀)
量もタップリで、私も呼んでほしいwと思うと同時に、
先に見た、日本の給食、あれ、中学校のだろ?
どう見ても少な過ぎやろ?
先般の東北の大震災後、給食を普通に出せない時期が続き、
食べ盛りの中学生たちが、空腹をガマンしているという不憫な記事があったのも思い出したりして、
そもそも、日本では、食べ物の量が少なめ設定というか、飲食物に限らず、なにごとにもキチキチぎみで、余裕というものが少ないんだよねと思った。
そのくせ、
肝心のところはユルユルがばがば。
自民党・安倍政権を見てたら、まる出しだ
2016.02.21 (Sun)
まさに、「残酷な」対比。
まさに、知性の大差。
あまりに一目瞭然。
『自民党丸山発言と2004年のオバマ演説に見る「政治家たる資質」の差』2016年02月20日
オバマ大統領は、さすがである。
ひるがえって、
わが方、自民党・丸山さんのようなひとに、国際的な会議等に出席されては困る。実に困る。
かの「シャラップ上田」氏を思い出した。
なお、この記事では、「橋下推し」の高齢者が、彼と丸山氏とを比べているのも見かけたので、そういう投稿者のコメントに対して言っておきたい。
橋下さんと丸山さんとで、知性の大差は、ありません。
「従軍慰安婦」の件で、アメリカの大顰蹙を買った失言騒ぎを、もう忘れているのだろうか。
彼も また、一見、正反対のキャラのようでいて、安倍さんとの共通点が大きく、独り善がりな野心とか狭量な野望は旺盛、
要領だけは元気いっぱいバツグンだけれど、それでいて、
ズレてることに無自覚だが、それを是正するには不勉強のままで、何が本質の問題であるのかが分かっていない。
分かろうともしないし、分かるだけの哲学的深みや大人としてのセンスが乏しい。
そこを見抜けないから、畢竟、「民度の低い」愚衆だと言うんです。
はた大迷惑な愚衆だと。
下記の記事もオススメ。論点と指摘が鋭い。
映像自体は、かなり長いし、私の聴力では、この御二方の話を聞き取るのが困難なので、そっちは端折って、記事のほうを全部読んだけど。
『安倍政権が放送局への介入を躊躇しない理由が判明した』
ビデオニュース・ドットコム 2月20日(土)21時11分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160220-00010000-videonewsv-pol
『小心と無神経』
2016.02.19 (Fri)
神経質にして鈍感。
(私自身にも、そういう傾向は あるのを自覚しているのだが。)
『靖国神社』の ありかたなどを考察したおりにも、
近ごろのエントリーのどこかでも、
日本人は「分裂」的様相を帯びているのでないかと述べたけれど。
繊細と呼ぶよりも小心、
(再び言う。)日本人のコトバ感覚に窺える甘えの特徴、その背中合わせの傲慢と横暴。
『【オマケその弐】「靖国神社」』
『ネットウヨクは言語音痴w』
イギリス王家に出生したばかりの王女にちなんだ名前を、日本国内の猿の あかんぼうに名付けたというので、たいへん失礼じゃないかと「忖度」して騒ぐ、その反面、
今回のような、無思慮で軽率極まる失言には、なにが、どこが悪いのか?と、トコトンひらきなおる。
「喩え」様がズレていき、適切にできないという、きみょう極まる癖も そうなのだが、この原因は、やはり、
まずは、個々の認識間違い、それは要するに、基本的事実の勉強不足でありながら、しかも思い込んだままウヌボレきっていることと、
加えて、論理能力面での粗雑傾向にあるのではないかと思われる。
これを言い替えれば、
要は、感性・感情の赴くまま ひとっ飛びー!パターン。
それでも当たっていればメデタシだが、
大概は最初から、ボタンを掛け違えたまま、
着地点は当然のこと、自他とも戸惑うばかりの、とんでもない位置に降り立ってしまっている。
だが しかし。
「当時の価値観や概念においては」なる大前提をもって語りたがるネットウヨの癖とピッタリ共通しているところを見ると、
やはり、自民党関係者全般の癖でもあると見做しておくべきなのだろう。
これらのことは、私が、おりに触れて挙げてきた「カルト連」の特徴でも ある。もちろん、あの連中は、自民党支持者・安倍シンパであり、
そうと分かってみれば、なるほど、
安倍さんの やりくちと同手法を用いて、私に対し攻撃してきていたことに、あとになってから気づいて驚いたものだが、
彼らに言わせれば、「文学」である、「芸術」である、との主張なのだけれど
(そういえば、自民党の「勉強会」の一つに、『芸術』なんたら懇話会、とかいうのがあったなw)、
そんなことでは、およそ議論に ならないし、緻密な検証にも耐え得ないし、
わが国会論戦を見ていても分かるように、国際間の対等な議論に耐えるものではないだろう。
この歪と稚拙。
あまりにも たび重なって非礼な失言が続くと、
これは敢えて、わざと やっている、のではないか?と、ますます、相手を不愉快にする恐れもある。
私が、「カルト連」に対して抱いた不快感にも、そんな面が あった。
世のなか、ずいぶんと変わった癖を持つひとたちもいるのだし、
そういう、病的なまでの癖を持っていることを、あらかじめ知ってさえいたなら、ある程度わかっていたなら、それは、仕方のないこととして、まさにスルーしておくしかないのだけれど。
例の麻生発言の その後を鑑みても明らかなことに、
彼らの好んで曰く、「当時の時代の価値観として」「例えとしての話」
という大前提は畢竟、彼ら自身の心底の本音と価値観そのものなのだ。こういうものは、
ウヌボレ屋ほど、「しのぶ」でもなく勝手気ままに色に出にけりとばかり、知らず知らず滲み出るもの。そこを指摘されて、
本当に、「真意を誤解された」と被害意識的に思うのならば、ひとえに、おのれの自覚の欠如ゆえ。
ズレてるのが分からなくても【国際】弁護士業が務まってるらしいフシギの丸山さんよ。
ならびに、麻生さんらの毎度の失言時と同様、彼を擁護するのに必死なシンパらよ。
「良心において恥じることはない」のなら、
アメリカ人、黒人、オバマ大統領御自身の面前で、そっくりそのまま同じこと言えますか?そういうことだ。
ま、もしも実際に言ってしまったらば、たちまちにして国際的大ヒンシュクを招くのは、火を見るより明らかだがね。それこそ、国益の毀損。
そういえば、麻生さんのときも、また、曽野綾子さんのときも、彼らの発言によって不快を買った外国の人々の指摘と苦情が早速に寄こされた。
おまけに、
みずから、「日本がアメリカの51州目に」
「日本人の大統領」ウンヌン発言なんどは、
大いなる失笑と共に軽蔑されるのみならず、いたく警戒されるだろう。
ちなみに、
かれこれン十数年ほど前になるが、私の学校時分のクラスメートのなかに、いわゆる「帰国子女」で、アメリカ育ちの女子が いた。
親子ともクリスチャン ネームを持つ彼女の話では、当時でも、アメリカ国内の人種差別はハッキリ残っているよ、ということだった。
はたして、アメリカは、この問題を本当に克服できたのか?
いまだ「発展途上国」が多いアジア圏でも、
(なぜか)アジア第一の先進国を名乗ってきた日本を除き、すでに何ヵ国もが、女性の元首や国家代表者を誕生させてきているのだが、
ならば、女性に対する迫害や差別は なくなっているかというと、それは また、別の次元らしいし。
実際、
「アメリカ51番めの州になりたい」という願望をば、はっきり述べている「ヤフコメ」投稿を、何度も見かけてきたw
こういう手合いって、まず例外なく、自民党支持者ときてる(嗤)
それに加えて、私の推察では、
コアな自民党支持者のなかの、在日韓国・朝鮮人たちの存在、
日本人ながら、アメリカに深く関係している者たち、
アメリカ在住「もと日本人」たちといった、「アメリカの手先」的存在の連中も、それぞれ思惑と目的から、結局、似たり寄ったりなことを言うはずだ。
そして、
パチンコ、「統一」何たらと、朝鮮半島の縁が切れるはずもない安倍朕、
ロシア大統領の姿を見つけるやピョコピョコ小走りに駆け寄ったという、威厳のカケラも ありゃしない姿で媚びる日本の首相w
あの『汚気・愚』での、ウロ覚えだが、たしか「身体言語」とやらに関しての質問だったかにて、その回答中、浜村 淳氏のエピソードを用いたことが あった。
現代の政治家や「オピニオン リーダー」を自ら任じる者は特に、この人の実践を見習うが良いだろうと思う。
2016.02.15 (Mon)
の続き。
さて、
『<虐待予防>妊娠中から支援対象を把握へ 大阪府が対策』
毎日新聞 2月7日(日)10時15分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160207-00000010-mai-soci
集団的自衛権かよw
「切れ目ない支援」とか「特ア」
あ違った、
「特定妊婦」とはww
ま、私なんかも、母親の腹のなかにいるときから虐待されてたようなもんだからなあw
重度の仮死状態で生まれたのも、それが第一の要因。
『虚空の吾が子』
生まれて最初の1、2年ほどは、いくつかの家庭事情ゆえ、私たち母子は、ある閑静な お屋敷街の一画に建っていた古いアパートで暮らしていた。
そこへ、父親が時々やって来る、という生活形態を、しばらく続けていたらしいのだが、
生後半年にて、いきなり立ち上がって歩き始めたという現象で、周辺の大人たちを仰天させたという奇跡の私はw
自然と、人生最初の記憶も それに つられ、
事実として、生後半年ごろから始まっているのだが、
なぜか、その頃の記憶に、父親の姿だけは一切、ない。
幼少時の記憶鮮明な私を して、
この時期、親らの記憶について、ほぼ唯一残っているのは、
ある晩、何かのひょうしに激怒した母が、私を、箒を手に取って追い回してきた姿、それだけ。
おっかなさのあまり、そのまま、お隣の部屋へ駆け込み、
普段から可愛がってもらっていた人たちの一人である、そこの おばさんに宥めてもらい、
そのとき、おばさんが小引き出しから取り出した一口羊羹を与えられたところまでは憶えている。
この時分の私の記憶は、ほとんどが、他人さんと、その当時に暮らしていた街の ようすばかり。周囲の人々に非常に可愛がられていたからでもあるのだろうが、それにしても、親の記憶に関してだけは奇妙だ。
その、おっかない母の話では、
当時、父は、けっこう頻繁に訪れていたし、来れば、幼い私を、ふろにも丁寧に入れてくれていたというのだが、
この奇跡の記憶力を保つ私にして(笑)、
父についての記憶だけがスッポリと抜け落ちているのだ。
思うに、
私にとって、父親は、すでに この時分から、興味も関心も全く持ち得ない対象だったに違いない。
終生、違和感しか感じない父親だった。
幼いうちは、父がシラフで穏やかにしているときには、それなりに甘えた記憶もあるし、むかしの写真も残っているし、
外見的な面や、ある種の感覚とかに共通した点は自覚しているので、実の父親に違いないことは理解できるのだけれど。
何と言うか、人種が違う、みたいな違和感と言うか、生理的な違和感。
年々、この違和感は嵩じていった。
だいたい、酒乱になるほど飲んでは、
圧倒的に力弱い女性や子どもに、殺しかねないほどの暴力を振るえるという、その感覚が理解できない。
しかも、
ひとしきり、思うさま振る舞ったあとでは、
一転して、卑屈このうえない態度の みっともなさ。
真似してみろ、ったって、私には できない。
この頃の話は、例の『汚気・愚』での回答や、旧ブログにおいても、ある出来事に まつわる想い出等エピソードとして記しておいたことが ある。
生後半年にての記憶などのことは、すべて事実だ。
よく、一般的に、記憶の捏造であるとか、心理的なもので云々と説かれるのが常のようだが、
私の場合は、親を始めとして周囲の者たちが目撃していることも、のちに確認してあり、ある程度以上に裏は取れていると言っていい事実なのである。
もしも、母親の腹中で死に瀕することが なかったなら、
おそらく、「胎内記憶」というものも保持していたのではと思う。
『追憶【旧ブログ“Eine Prinzessin des Lichtes”より】』
『からっぽの部屋で』
ある日のことだ。
若かった母たちが、アパートの一室から、か細く泣き続ける あかんぼうの声が、ここ数日たて続けに漏れてくることを、住人間で話題にしたことがあり、
ようすを探った母たちは、
室内で、あかんぼうと共に、ぽつねんと取り残されたような、若い女を見つけた。
その女には、時おり、かよって来る中年の男が いたようなのだが、
もともとは良家の子女らしき育ちの女が、勤務先上司の囲い者になったすえに、いつしか捨てられてしまい、善後策を講じるチエもオツムもなくて、ただ茫然と過ごしていたものらしい。
あかんぼうが、空腹のために泣き続けていたという真相を知った母たちは、それっとばかり、あちこちから、当座の必要物資を掻き集め、
そのなかには、自分の持っていた着物やら、うちの母は、くだんの女に履かせる草履を新調してやり、
同時に、
高級クラブのホステス募集の口を、誰かが見つけてきて、女には、用意してやった着物と草履を身に着けさせ、なんとか、クラブ勤めを開始させた。
あの当時の日本は、景気が上昇の一途となっていた時代で、水商売の世界も、非常に儲けが良かったのだそうな。
しばらくして、新たに困ったことが起きていることに、母たちは気づいた。
あかんぼうの身は、女が出勤するときに、母たち、アパートの女連中が、かわりばんこで預かってやっていたのだが、
あかんぼうの母親である女が、仕事を終えても、なかなか帰宅しない日が頻々と起きるようになったのだ。
困惑と共に、またもや、その女の動向を探らなければならなくなった母たちが突き止めた真相は、
クラブ ホステスとして勤め始めた女が、やがて、店の常連客と ねんごろになり、外泊を重ねるようになっていたということ。
その後、どうなったのか、この話の続きは、私の記憶からはトンと薄くなってしまっているのだが、
結局は、くだんの女の実家に連絡し、
両親が大慌てで迎えに来て、あかんぼうと共に引き取られていったとか、そんなところだったと薄々憶えている。