2016.11.10 (Thu)
『多摩美術大学の佐野研二郎葬式ごっこ問題を考える』
2016年11月7日 8時20分配信 常見陽平
http://bylines.news.yahoo.co.jp/tsunemiyohei/20161107-00064160/
【上記に続く】
『多摩美術大学 佐野研二郎葬式パフォーマンス 弔辞全文』
2016年11月8日 13時28分配信
http://bylines.news.yahoo.co.jp/tsunemiyohei/20161108-00064222/
私は、最初に、この「葬式ごっこ」についての記事を、他のメディアで見かけたとき、
まあ、いかにも学生っぽいと言うか稚拙なパフォーマンスなのでは あろうが、
もしかして、
むしろ、誰が「故人」を死なせたか?というような問題提起のつもりなのかしらん、
また、せめても、それくらいのヒネリは ないとなあ、と思っていた。
当の佐野氏ご本人も、その後、相変わらず、お仕事ご活躍なのだそうで、「佐野氏に何かあったら」という心配も余計なことだろう。この程度で何かあるような御仁なら、とっくに、何か あっただろうし(苦笑)
然り、
「パクり」こそは、知恵ある人類発展の みなもとにして、われらが教育、文化や芸術の多様と洗練に欠かせない。
だが、そこには、新たに加えられた発展的意図と、それを表現する豊かな工夫が なければ、ただの安易な真似ごとでしかない。
私の、去年の過去エントリーでも、オリンピック エンブレム問題によって、初めて、一般世間で知られるようになったデザイン界の流儀やら慣例、その業界人特有らしき感覚、佐野氏の(その部下の使いかたも含めた)仕事の やりかた等について、幾つかの感想を述べてある。
最近のエントリーでは、上記のことを少しく思い起こしつつ、このようにも述べた。
『『【最終】「ありえない」デフォルメの許容範囲とは。』に追記。』
自分が社会人になる頃、そもそもは、
もの書きだジャーナリストだライター志望だという前に、むしろ、デザインや美術のほうを志向していた私個人は、以前から、特に、例の「カルト連」ら、芸術や学問に対する俗物的崇拝グループの連中に向けて宣言してきたように、
芸術?それが どうした、
ってなもんでw
「芸術」だからと、是非もなく礼賛は しないし、
むやみに「芸術」というコトバを戴いただけで有難がってる人種も、私にとっては、嘲笑すべき俗物どもに入る。
けれど、上掲コラムにて、この筆者が紹介されておられるところの、
『~「芸術は社会に与える影響を考え、それをコントロールできて初めて芸術たり得る」』
これは、そのままで肯定は でき難いですな。
まず、倫理的な思想が絡む面と、表現上の効果的技術面に おいては、じつに分かりやすい示唆であり、そう言う考えかたや心情も理解できないわけでは ない。
もちろん、「社会に与える影響」その辺を考えたり、まさに「コントロール」することが、現実として切実に必要な場合も まま ある。
だが、
「社会に与える影響を考え」たり、ましてや、それを「コントロールでき」るかどうかなんてことは、芸術家が やるべき仕事なんだろうか?
それを重視するのは、なかでもデザインという世界には、関わりが切れない商業的・商売上には必要になるわけだけれど、純然たる芸術家や芸術本来の仕事なのだろうか。
禁じられた女体の美を描きたいあまり、神々の名に かこつけた以上に、
女体を描けば、すけべいなパトロンの歓心を買い、高く売れるからというような算盤尽く、とても不純な動機でないかという気すら してくる。
私にも、佐野氏や佐野氏を擁護する同業者たちの姿勢や意見に、どうしても拭い難い不審と反感が残ったのは、そのあたりも あったからかなと思う。
ここで、ちょっと言い及んでおきたいのだけれど、
最近、神宮外苑にて、どこぞの工業大学(!)が、「ジャングル ジム」形状の構築物を、子ども向け展示会場に出品していて、そこで、大変なことが起きたという、この詳細は、いちいち ここで記すまでもないことだが、この悲惨事を引き起こすことになった第一の原因が、
白熱電球を、可燃物の傍らに用いると、どうなるかという、いたって生活上の常識レベルの欠如が災いしたという、呆然とするほかない現実。
一般からのコメント投稿には、やれ「偏差値がー」「Fランが」と嘲笑の渦だが、そんなの以前の問題だ。小学生でも知っててフシギは ないことなのだから。
しかも、
やることを変えたのなら、主催者なり監督者なりに申し出ることも せず。こういう場合は、すみやかに、事前に許可を申し出て、チェックを受けること、とするルールもなかったのだろうか。
しかもしかも、主催者なり監督者なりも また、全く、目が届いてなかったという、二重三重の失態。。。
引火等が起きる可能性のある材質を多量に用いているのに、消火器の一つも備えていない。
このように、おとなの愚かさ、失態は、すべてが、まず子どもにシワ寄せされることの典型だ。
被害者の親御さんを責めるつもりは毛頭ないのだが、私自身は、もし、子どもを連れて行ったとしても、くだんの「ジャングル ジム」、画像で見ただけでも、そもそも、造り自体が、どこか危なっかしい感じが したので、子どもが登ったりしたら、落っこちるんじゃないかと、瞬時も目を離すことが できなかったろうし、たぶん、最初から禁じて、遊ばせなかっただろうと思えた。
くだんの学生たちは、驚くことに、建築系とか建築デザインとかの専攻だそうなのだが、それを知って、声を大にして言いたいと思ったのは、、、
よりによって、建築方面の仕事に携わらないでもらいたい!!!
頼むわー!!
これからの日本、発展途上国なみの不良建築物が そこかしこに建ちまくるんだろうか。。。この大地震国で。ゾッとする。
まあ、これは、また別の話になるけど、
安藤ナントカいう有名建築家も、物議を醸した民家の例が あるね。
およそ、現実の住まいとしては向かない造りなのに、そこに入居した、氏の信奉者みたいな人が、体調が悪くなったりしても、頑張って長いあいだ住み続けているのを知って、当の安藤氏自身が大いに呆れた、っつう、笑えない話。
「コンクリ打ちっぱなし」が好みの人も多いとは聞くが、やっぱり、普通の住まいには不向きだというし。
くだんの建築家氏も、デザイン コンセプトだか思想的スタイルだかが最優先みたいよね。
ファッション デザイナーならば、ショウに おいては、どれほど実験的作品を発表しても、現実的に、顧客に販売する衣服は、実際の生活で着用するに耐えるものを売るわけだけど。
着て歩けない服や靴なんて、論外。それでは、たった一日も生活できないから。
でも、建築物となると、より長期にわたって、人命にまでもモロに作用してくるからねえ。
ちなみに、
実家の、むかしの隣家の御主人、こないだも書いたように、ソ連抑留後、帰国してからは、長らく、府警に お勤めされていたんだけど、ご趣味の一つが、住まいの建て増しとか大型家具づくりとか、そういう、ものづくりが大好きなかたで、
当時の うちの実家が手狭だったので、その隣家の おじさんの大工仕事で建て増ししてもらったり、私の部屋の本棚までも造ってもらっていた。
なんせ、おじさんは、趣味やボランティアのつもりで、嬉々として やっておられたので、実費以外はロハ。お陰で、本職に依頼せずに済み、親らはホクホク。
これが とにかく丈夫な出来で、のちに、お隣が、新居に引っ越され、その跡を取り壊すとき、本職の人が、「誰が造ったんや?むちゃくちゃ頑丈にシッカリ造ってあるわ~」とビックリ仰天、壊すにも、これまた非常に苦労したという。
こういう日本人、希少になってきてるのかねえ。
あっちでも こっちでも、いいかげんな手抜き・無責任仕事や劣悪な商売品、どうやら、日本人と その社会の劣化は、間違いないところかも しれない。
ところで、話を戻すと、
キューバの女性だったが、往年の名プリマドンナは、
芸術とは、人の心を豊かにするもの、それが芸術だ。
というふうに言っていた。
言い替えれば、
人心を殺伐とさせるものは、芸術とは言えない、ということだろう。
芸術、それは、命ある人間から生じるもの、人間の排泄物の一種みたいなものw
だから、人間の命を奪ってしまうものは、芸術ではない。
芸術に「善悪」なし、ならば、
命そのものにも、もともと、善悪は ないように、
命あってのモノダネ、命あっての芸術。
命が なくては、芸術も生まれてこれない。
きょうの おまんまは大切だ。
おまんま なければ、命もないのだから。
だから、人の おまんま、ひいては、命を奪う輩は、芸術の敵!(笑)
今回の「葬式」ごっこ、あるいは、問題提起や告発のつもりだったらしいパフォーマンスも、どうせなら、あたかも「キリスト受難」から始まって、「復活劇」あたりまで やり抜けば、訴えんとするところが もうちっと分かりやすくマシな出来になって、「社会に与える影響もコントロール」できたんじゃないかな?(嗤)
それでも、「コントロール」すべき一般社会からの根強い反感を消すことまでは叶わなかったかもしれないけどさw
2016.11.06 (Sun)
『more♪more♪more♪Steve Stevens』の続き。
ああ、ちょっと真面目に書いておこう。
スティーヴ・スティーヴンスというミュージシャンは、大概どんなジャンルのものでも、誰が相手であろうとも、過不足なく演奏しきれるほどの技量とセンスを持っているギタリストなのだから、引く手あまたで当然だし、彼と組んだ相手は、もちろんスティーヴ自身の側も、そのたびに、いっそう、腕を上げていくわけだろうけど、誰であれ、まず間違いなく、多かれ少なかれ、彼からの恩恵を受け取っていると思われる。
彼は、共演する相手たちに対して、
自分一人、勝手気ままに、というアーティストのタイプでは ないと思う。
なので、
何ゆえに、「孤高の」と言われなくちゃならないのか、私には よく分からない。
もっとも、ストイックさ、求道的、という意味でなら、そういう言い方もあるとは思うけど。。。
彼ほど、他者であるミュージシャンたちの一人ひとりに、柔軟かつ絶妙に合わせられる伴奏者は、けっして、世に多くはないだろうに。
それでいて、
一個のアーティストとしての主張を曲げることが ないというので、この面では、譲れないアーティストどうしの衝突は時として起きるにせよ、相手方への多大なプラスに乗せて お返しするかたちで、同時に、みずからも存分に放出してしまう、そんな稀有さが ある。
その腕や指に、マシンが仕掛けられているのではと思えるほどの、
クラシック分野で最も重要視される正確さ的確さ揺るぎなさ真摯さというもの、と同時に、深い探求の遊び心、滾る血の通ったロック スピリットの炸裂を終始、失わないのだから、その存在感ときたら、そうとう特異じゃなかろうかと、
ほんの横好き どシロウトに過ぎない私ですら、ビリー・アイドルの傍らに寄り添う姿からだけで、早々に気づいていた。
なので、
「過小評価」というコトバが また、判で押したごとく、彼に付きまとっているのも、ワケわからんところ。
私は、以前から、このように感じ、言っても きたのだが、
ほんとうの名手というものは常に共通していて、
ホットにしてクール、クールにしてホットなのだ。
それだから、
優れた感性の芸術家や知性の人に多いのだろうか、
幸せなはずのスティーヴの、これだけは若い頃と変わらない瞳に、どこか寂しげな影を宿したままでいるのが、かなり気になる。
うふっ惚れちゃったかな?(笑)
しかし、このスティーヴ・スティーヴンス、どうも圧倒的に、同性のほうにモテてるようだ。
あのカルロス・サンタナについても、似たようなこと言って悶えてる男たちが いたものだけどw
のっけからの音でシビレまくり、
演奏する容姿で、これまたシビレ続け、
結局、カコイイ両面から め~ろめろにさせられるー!っつって、むせび泣いてる男性たちが多いようです(笑)
あのー、むかしのさぁ、私が幼い頃、「グループ サウンズ」とか言って、オーディエンスの女の子たちが、「きゃー死む~~」とか言ってバッタバタ失神してたつう、ああいう心境に近いのかなあ??ww
もしも、彼の生演奏を聴いた男の人たちが、スティーヴの眼前で、悶えのあまり、バッタバッタ倒れ伏したら、かなりオモロいわーwww
いまどきの「一山ナンボ」アイドル握手会場で、まだ おケツの青そうな女の子に襲いかかる男なんかよりも、よっぽど共感するわよ。
なんてったって、スティーヴ・スティーヴンスという、いろんな意味で、ただ者でないギタリストの存在と名前を、ずっと知らないでいた私程度のが、女性には多いみたいだ。
知っていても、見るからに華やかなビリーのほうにばっかり、目が行ってて、
男性のファンたちが、スティーヴのギターの凄さに仰天し、
ついには、スティーヴまるごとに、「男が男に」惚れてまうというのとは違ってるみたい。
男の人って、第一には仕事のできる、それでいて、おれがオレがと前面に出てこずに、裏から支えてます~的なケナゲさに、ぐっーとくるみたいだね(笑)
私だって、ビリー・アイドルの怒り顔に拒否感さえ持ってなかったら?wとっくのむかしに、彼らのことを知ってたはずだけども。
あ、もちろん、知った以上は、私もメロメロにさせられました、スティーヴのほうにね(笑)
ま、私は、どうやら「男脳」の範疇らしいので(?)そのせいかなw
ちょっとマリリン・モンローの場合を連想するのよ。と言うのも、
彼女も、けっして、典型的な美人とは違うし、彼女よりも整った顔立ちで、スタイル抜群な女優さんなら、他にも たくさん いるね。
でも、モンローの存在感には、誰も勝てなかったし、彼女の真似を して、そのとおり上手く いった人を見たこともない。
彼女の役を演じたり、彼女のメイクやスタイルを真似た女性たちは何人も いるけど、モンローの姿に似せようとすれば するほど、似ても似つかないことになってしまってた。
そして、実は、マリリン・モンローも また、同性からの支持が高い。
うちの親父なんかは、いわゆるクール ビューティなタイプが好みだったから、モンローの どこが そんなにいいのか?あまり理解できないみたいだったし、
同僚の男性は、「最高のコメディエンヌ」とは大いに褒めても、容姿については、また別の好みだったようだ。
母のほうは、若い頃から洋画鑑賞を好んでいたこともあってか、やはり、女優としてのモンローを、非常に高く評価していた。
そして、私は、、、
モンローのブロマイドや画集から小物類に至るまで持ってるし、
時々、動画を漁っては、
「あぁ~ん、かわえぇえぇ~!!」
と、ヨダレくっとります。。。
以前なんか、モンローの おっぱいで窒息しそうになる夢を見て、
目を覚ました瞬間、「むふふ。。。」ええ夢見てたわ~と、ほくそ笑んだもんです。
また見てぇ。。。ハァハァ
でもね、こういうの、なにも私だけじゃないみたいよ。
Youtubeあたりのコメント見ても一目瞭然で、
だんぜん、女性からのコメントが圧倒的、いずれも、モンローを熱く讃えておりますわ。
そういう点で、スティーヴとの共通点を感じるの。
つまり、天性の技量をもって「魅せる」タイプなのね。
言わば、この二人も また、「無双」の存在なのです。
この“TOP GUN ANTHEM”の演奏でも、いかにもなロック スターの姿では あるけれど、普通に、ロックのギター弾いてるのと、何かが違う。
まさにクラシックの壮大な楽曲をヴァイオリンか何かで、当代一流のマエストロが熱くクールに、クールに熱く奏でてる。。。って感じです。
“TOP GUN ANTHEM”
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煌めきに見入る眼を離せなくなってしまう、しとやかな炎の舞踊
甘えるためなのか傷つけるためなのか判然としない しのび足で近づいてくる、人なつこい猛獣
触れたが最後、はらっても はらっても纏わりつく、金色の蜘蛛が吐いた銀の糸
引きずり込み溺れさせる、稀な種類の麻薬
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2016.11.06 (Sun)
職人芸の芸術家肌。。。
動画でも、あの眼を見たら分かるけど、
とっても繊細な内面の人だと思う。
普通に しゃべってるときは、普通のオッサン的しゃべりかたしてるけど(笑)、それでも、ときに、妙に神経質そうな不安定な表情がチラ見えする。
Billy Idol “Rebel Yell”
この頃のビリーたち、若いのお~
スティーヴは、プリンスに似てる~
上のとは違うヴィデオだったけど、これを歌ってるビリーが、
「ポッ、ポッ、ポ~」と言ってるように思えた耳に障碍ある私w
はて?どういう意味かいな??と怪訝に思ってたら、
「モア、モア、モア」
と言っているのであったww
そのため、
世間では(日本だけ?だろうね)、従来から、も~も~「牛の歌」だと言われてきたんだそうで(爆笑)だったら私のは、「鳩の歌」になっちゃう(笑)
ビリーは、いつからか「パンク エルヴィス」って呼ばれてて、
私も、同じこと思ってたから、あ、やっぱりね、と笑えた。
なんか、単純そうなイメージのビリーがアメリカ人で、
どこか屈折感を感じるスティーヴがイギリス人、
というほうが、しっくり くるんだけど?
たぶん、とは言え、スティーヴは、ユダヤ系ドイツ人が御先祖なんだろうけど、黒い髪でフラメンコ ギターやってたら、前知識が ないと、てっきり、スペイン系の人かと思っちゃいそうだ。
ビリーのほうは、年齢と来し方の積み重ねから来る影響が大きいんだろうなと思うけど
(だって、彼の うんと若い頃は、インタビューにも、まともに応答してやらないぜぇ!みたいな、自分勝手上等だぜい!!な態度みたいだったし)
ところが、いまじゃあ、いたって話し好きの賑やかしい、明るく愛想の良いオッサンになってたではないか。
もしかして、イギリス人の男性は、中高年にもなると、そんなふうに変化する人が多いのかね?
ビリーは、歌ってるときと、しゃべってるときの差が、ほとんど ないような感じが するの(笑)
要するに「一本調子」と言うか、
良い悪い抜きに、ある意味の単純さ、スカッとした元気、ちょいワル的、かつ、セクシーな華やかさが際立ってたのは確かだけど、
スティーヴには、その点、隠しきれない繊細さと、一種の屈折感みたいなものが漂ってる。
けれども、育った家庭の環境とか親子関係は良好だったようなので、そっちから湧いてきてる「屈折感」等ではなく、
あくまで、本人個人のアーティスト資質ゆえなんだろうなと思う。
そこのところは、
一見、スティーヴと似てると、よく言われるらしいニッキ・シックスとも全く異なっているはずだ。
両者のイメージ タイプの真逆な違いのため、
その種類も最初から異なったものになるんだけど、
ビリーは、若い頃、基本的には、まあ美男子と言っていい顔だちに違いなかったとは思うものの、むかしも今も、その本質は、、、
☆わっせ!わっせ!!ガッハッハー☆タイプなのよね。。。(笑)
つまり、私に言わせると、
ビリーのほうが、あっけらサバサバしてる分、
どこか湿り気を帯びて、引きずり込む深みは、彼の眼に現れているように、セクシーさにおいて、スティーヴのほうが、ずーっと上なんです。
若い頃から、元気いっぱいの雄たけび?(笑)を あげる、分かり易い男性版「セックス シンボル」的なビリーの、あたかも「影」のように、しなやかな獣のように寄り添っていたスティーヴのほうがね。
それだから、
ビリー・アイドルを、いまごろになって聴いてみた私は、早々、ビリーよりもスティーヴのほうへ ほうへと、目が泳いでいき、最後には釘付けになってしまってたw
ええ、ワルな華やかさと自信たっぷりに仁王立ちする(笑)愛すべきビリーの周囲を素早く歩き回りながら、プライド高き鋭敏な野生動物が静かに、そっと、喰ってしまってたのよ、私の眼に映ったスティーヴは(笑)
音楽の世界にデビューして年数の浅い頃の写真なんか見たら、むしろ、スティーヴは全体に華奢で、なんとなく、からだも弱そうなボウヤにさえ見える。それでいて、
ビリーに負けないくらい、けっこう毛深いところも また、フシギな雰囲気w
あ、そうだ、
スティーヴ追いかけて、動画あれこれ、とっかえひっかえ視聴してたら、日本人シンガーで、氷室涼介?とかいう人の動画を見かけたんだけど、あっ、名前でき過ぎやんと思ったら、京介さんでしたかね?失礼(苦笑)
スティーヴの親友という、これもアメリカから参加していたドラマーの男性が、当時、インタビューに対する応答のなかで、
ロッカーには濃ゆいコーヒーが欠かせないんだ(と、手もとのカップを持ち上げつつ)このコーヒーも濃くて美味しいよ~、などと気さくに話しているのを見た私は、
「ふむふむ、スティーヴのような繊細さを秘めた人には、こういう、陽気で、気取りも肩の力も抜けてるようなアッケラカンくらいの人ならば、プライベートでも友人づきあいしやすいのだろうなあ」と、
私自身、コーヒー好き(でも、ミルクは必須)なので、
「ええ人やなあ」「スティーヴ、よかったねー、良い友だち いて」
とか単純に思ってたら、
今度は、わりと近年のものらしいスティーヴのインタビューで、
彼が、カップの飲み物を手にしているのを指して、
「スティーヴは、いまでもコーラが手離せないのだ」
とか言う意味深なコメントが付いてるので、
どういう意味だぁ?と、首かしげていた私。
その後、とあるところで知ったには、
どうやら、コーヒーって、「コカイン」に似てるのだとか、
ロック ミュージシャンにとっての「コーヒー」ってのは、
つまり、コカイン(入りコカ・コーラ??)のことらしいとか知って、あ然とした。
「麻薬やるやつはぁー、人間のクズーー!!!」
とキビシク断罪してたというリッチー(ブラックモア)。。。
あなたは、えらかった。
とは言え、ジャニス・ジョプリンのことなんかを思うと、
必ずしも、元来がワルで不真面目だから、ヤクなんかに手を出すのかというと、ちと違うんでないか、むしろ、この場合は逆なのかもという気も してくるけど。。。
もちろん、擁護する気は ないよ。
なんか、サーファーとかマリン スポーツ系に入れ込んでる者にも多いみたいね。
おりしも、
最近、さる有名女優の事件で騒ぎになってるらしい大麻だかマリファナを やってたサーファーが、あるときに、私に向かって、お決まりの「タバコに比べたら」云々というパターンで説教みたいな言い訳を並べ始めたので、
「だけどさ、現状、国として禁止されてることなのに、こっそり隠れてまで やるという、その精神性のほうは どうなのよ?」
と、お説教し返したことが あるくらいだ。
ま、難しい話は置いといて、
ちなみに、スティーヴ・スティーヴンスが組んだ時期もある相手の一人、マイケル・モンローあたりは、健康のため、すごく節制してることで有名らしい。
わたしゃ、スティーヴたちが好きだという『ヴァン・ヘイレン』のデイヴ・リー・ロスは、あの顔が嫌いだったのでw
最近までのビリー・アイドル同様、まさに「食わず嫌い」的に、まともには聴いたことないシンガーで あったのだが、かえって、そのせいで、この人だけは、ちゃんと見分けが つくのよw
でも、実際に、マイケル・モンローとかヴィンス・ニールとかとか混じってくると、この金髪男らがゴッチャになって、どっちが誰だかサッパリ分かんなくなると思うわ(笑)
その話も置いといて、
でもさぁ、ここ数年のあいだに?なのかな、スティーヴは、ヘンな感じの肥りかたしてる。顔色も良くなく見えるし、インタビューを受けてるときなんか、いつものように愛想良く努めては いるんだろうけど、とにかく、ダルそうだ。
「ドイツ女」呼ばわりされたとてw
実の父親からも、「おまえは女じゃないな!」と言われたとて、
やっぱり、いちおう、わらわも日本女性ゆえ、そんなふうに思うのかな?どんだけスキャンダラスでドドド派手な人工物みたいな奥さんでも、見かけによらず、気立てだけは良いのなら、真面目に、スティーヴのことを思ってあげているなら、普段の食生活のこととかにも、できるだけ、気を配ってあげてほしいねえ、と思っちゃったのよ。
こういう考えかたって、よくないのかしら?
まっ、あっしも、人さまのこと心配する筋合いじゃないものね。
まあ、とにかく、
スティーヴぅ、少しだけでもいいから、やせようよぉー。
そのまま いったら、成人病まっしぐらでしょうがぁー。
おでぶちゃんのままで終わらないでーお願いよーん、
もとのセクシーなスティーヴに戻ってほし(懇願;)
あたしも一緒にガンバルからぁ(なにが???苦笑)、
だいたい、今度の奥さんて人は、一目見ただけでギョギョッとしたのは、べつに かまわんけど、スタイリストてな肩書も持ってるらしいのだが、
げげっ、センスわるーっ!!
と たまげたよ。
まことに すんませんがねぇ、
この奥さんの影響なのか お見立てなのかは知らないけども、
ちっとも似合ってないやん、そのファッション感覚、スティーヴには。
特に、今の体型のスティーヴには!(冷酷w)
Steve Stevens“Memory Crash”
【続く】
2016.11.06 (Sun)
『頭の中で鳴り続けるあの音楽、止まらない理由は? 英調査』CNN.co.jp 11/4(金) 15:00配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161104-35091640-cnn-int
これね、
私も、ちょうど ここ数日、疲労と寝不足のせいか、
撫で肩の宿命でもある肩凝りに伴う耳鳴りの轟音が、一大オーケストラの如く、頭のなかの無限反復演奏状態で、辟易してたとこ(笑)
しかも、自分の好きな曲ほど、当初に覚え込もうとしたぶん、あとあとになって、時ともなく脳内リピートされる確率は高まるんだけど、それだけで済まず、
時を経るにつれて、だんだん、みょうなふうにデフォルメが始まるんだよね。
しまいには、そのヘンにデフォルメされた、原曲とは かけ離れた編曲が、延々と。。。
おまけに、
どういうものか、何かで急いでいるとか焦ってるときほど、がんがん鳴り響くのよ;そのデフォルメされたやつが。
でも、「ウォークマン」等が出てくる以前の時代は、あえて、自分の脳内で鳴り響かせられるようにと、いっしょうけんめい叩き込んでおいて、
外出先なんかで、気に入ったシチュエーションのとき、ここぞと脳内音響機器で再生し、悦に入ってた、って言うね、その頃の若者は。(笑)
Fischer(1860-1934)An Evening at the Royal Theatre, Copenhagen
夢のなかで、立派な音楽ホールのなかに居て、
何の曲なのか、やたら豪壮なオーケストラの生演奏を、目前で聴いてる途中、目が覚めたときに、耳鳴りが していたということも あった。
Chase(1849-1916)The Song(1907)
Stevens(1823-1906)Le Femme a la Harpe
うちの母親が、お三味線の練習を始めた頃、
同じ箇所で躓くのか、何度も繰り返して、そのパートを反復演奏するもんだから、
隣室に居て、ずーっと聴かされ続けていた私は、たまりかねて怒鳴ったこともある。ノイローゼなるわ!!てw
でも、三味線が鳴りだすと、当時、庭に居付いてたノラ猫たちが、母親の部屋の掃き出し窓の外に集まって、じっと聴き入ってる姿が、磨りガラス越しのシルエットになって並んでた(笑)
あれから数十年後の今でも、どうかしたら、あの三味線の音がエンドレスで よみがえってくるからオソロシい。
セックスのときでも そうだけどw
なにごとも、特定反復の し過ぎは、うんざりするもんですよww
うーん、上掲の記事中で挙げられている特徴は、興味深いけれど、
すべての場合に当てはまるものではないと、私も体験上から思うし、
たしかに、どういう特徴を有するとき、その現象が起き易いかという統計的データを示しただけの記事と指摘されても しかたないね。
要は、その特徴がイコールで理由になってるってことなんだろうけど。
心理学者と、脳科学者とでは、仕事の内容が異なるし。
なぜ、ある楽曲の持つ特徴が、その脳内現象の原因になるのか?という掘り下げは、こと、脳に関しては、たいへん難しいのだと思う。現代でも、まだまだ発展途上だからね、この分野は特に。
2016.10.30 (Sun)
最近のエントリーで、ビリー・アイドルにハマってるっていうことで、動画を紹介したけど。。。
『“Les yeux sans visage-eyes without a face”』(←そのエントリー)
“Eyes Without A Face (live@saint vincent estate”
今度は、スティーヴにハマっちゃいまして(笑)
あまりにもカッコイイ演奏ぶりなので、
ほんとに弾いてるの~?って、疑いたくなるくらいw
“Steve Stevens - Atomic Playboys”
寝っ転がって足バタバタしながら弾いてるよぉ、器用だなあ(笑)
しかし、凄い速弾きだねー。
これって、子どもの頃から覚えのある誰かに似てるような……??
と感じていて、
思い当たったのが、これだす↓
『宮川左近ショウ』
なんと、私は、今ごろになって知ったんだけど、
上掲のエントリーをアップした、ちょうど1年後の去年2015年5月29日に、暁 照雄さん、亡くなられてたんだ。。。(茫然)
お弟子さんと組んでの晩年の舞台を動画で見てたから、ちょっと やつれてはるのは、さすがに年齢のせいなのかなあと思ったけど、そのぶん、若い頃の見るからにシャープさの代わりに、円熟した優しい雰囲気になっておられて。
78歳になられてたんだ。
でも、やっぱり、若く見えてたんだね。なかなか男前だったでしょ。
照雄師匠も、以前から、誰かに似てるなあと思ってて、今、思い当たったのは、、、
ダリル・ホールだよ!(笑)
うちの母親も、トシいってから始めた お三味線やらを教えてたんだけど、それ以前から、暁師匠の芸をテレビで見るたびに、
「子どもの頃に お稽古 始めて馴染んでるやろから、こうも やすやす、という感じで弾けるんやなぁ。三味線が、まさに、体の一部みたいや」
と感心してた。
ピックで弾いてるところが前代未聞級だろうけど、普通に撥を使っても、やっぱり名手だったでしょうね。
この3人のなかでギター担当の故 松島一夫さんは、うちの親の知人たちのなかでも、私が幼い頃、とっても可愛がってくれたうちの一人に、特に雰囲気が よく似ているのです。同じ九州出身のせいか、話し方も似てた。
私が小学生の頃、交通事故で、残念なことに亡くなられたけど、子ども心に大好きなオッチャンだったので、記憶は今でもハッキリしてる。
見るたびに、そのオッチャンを思い出すので、よけい懐かしいのだ。
ちなみに、この松島さんが弾いているギターってのは、ようつべのコメントで見かけたんだけど、ちと珍しい種類のものなんだそうです。そう言われれば、いまどきは、ほとんど見かけないようではある。。。
なぜか、スティーヴ・スティーヴンスの話が、宮川左近ショウで終わっちゃった
Steve Stevens“Water on Ares”