2018.02.03 (Sat)
考えてもみて。
ほとんどの人は、早晩、痛い苦しい思いを経験する日が必ず来るし、
そして、苦痛を味わいつつ、やがて死んでいくことから逃れられない。
そのことを重々承知のうえで、当人から頼まれもせんのに産み落とすんだから。
やっぱり、子どもを産む行為は、本能的欲求を発端としつつ、人間ならではのエゴに ほかならないだろう。
だから、私に言わせりゃ、子ども産むやつぁ無責任で もともと、脳天気でアタリマエだ、っつうの。
ま、自分だけは別、少なくとも、最悪からは守られるであろう、っていう、無根拠な万能感や楽観性は、ほとんど誰しもな面は あるのだし、
あるいは、
何らかの劣等感が つよい人ほど、とりあえず「人並み」であることに拘り過ぎて、それが、「親」になることをもって「一人前である自分」を手っ取り早く達成できる方法、みたいに思ってる人も多いようだ。
ゆえに、
実際、親というものになってみたら、こんなにも大変な思いを するなんて、、、
とヒイヒイ言いながら、負うた子に教わり、成長するが よろし。(←高みの見物的突き放し発言w)
実は、このエントリー、直前にアップしたエントリーよりも、もっと はやく、年末か年初あたりには、ほぼ書きあげてあった。
たまたま、当該エントリーの内容に関連するような記事が出ているのを見かけて、そこで新たに書き始め、アップしたのが、直前のエントリー。
なので、順序は前後してるんだけども。
…しかし、ま、子を なすことって、「儲ける」と表現するんだよねー。
「儲ける」
だよ(爆)
なるほど、どうりで、うちの母親が、私を儲けたのは、
「利用するためだった」
とバラシたわけだw
もっとも、「おとうさんが、だよ」と念押しして、
おのれの亭主のほうに、ハナッから罪なすりつけてたんだけどww
で、その亭主である親父は親父で、
「おかあさんはな、俺を利用したんだよ」
だとwww
でもね、
とにかく、この私を産まないことには、さすがの あの母親も、亭主を利用できる次の段階に進出することは不可能だった。
まずは、
ゴリ押しキメ手ツールとして利用できる、私という子の存在を確保して、それから、だった。
そのわりには、私が胎児のうちから、さんざメチャクチャして、重度仮死状態にしてくれたがw
それに、親父は親父で、「利用された」以上のトクしてるからなw
むしろ感謝するべき。
もちろん、子である私に対してこそだぞ!ww
最近、ふと振り返って、あらためて気づいたんだけど、
私は、ものごころつくか否かの幼いうちから、家族・身内のみならず、ときには他人からさえも、うちの母親の悪口やイヤミを聞かされるハメになることが多かった。
それだけ、人間関係が複雑だった。
で、当の母親は母親で、
子どもが、自分のせいで、不当な目に遭い続けてることを知ってか知らずか、
いや、知ってたうえで、おのれの亭主や、その連れ子らへの強烈な不満を、やっぱり、幼い私に向かって ぶちまけ続けていた。
そのたびに、
自分自身は何も してないどころか、
生まれてきたという、ほとんど その一事のみをもって、親を筆頭に、周囲の役に立っている存在の私ひとり、ひたすら申しわけない気持ちにさせられて恐縮しまくってた。
ああ、本当に、「子の心、親知らず」とは、このことよ。
よりによって、この私に向かって、出来損ないと罵り続けたバカ親よ。
「恩知らず」とは、誰のことか。
「親」と名の付く、アンタらのことだろうが。
気づいて認めることすら かなわぬほどの暗愚な腰抜け夫婦だったから、首尾良く死ぬことでトンズラこきおおせたがね。
親父なんぞ、先立った女房のところへ、もう少しでも早く逝ってくれていれば、その分、私も、ちょっとはラクだった。
どーしようもねかったわ、あのダブル不倫バカップル。
さて、
人間ならではの発想では あろうけれど、同時に、思考停止的「親の恩を」と、ほとんど恫喝めいて主張することしか思いつかない、それが親側としての主張であるなら、じつに、あつかましい!の一言のみ。
犬や猫の親だって、そんな恩着せセリフは言うまいよ。
これが、子の側の発言であるなら、哀れなほどの素直、おめでたさというのみ。
お人よしが過ぎまっせw
では、「親の責任」とは何か。
むろんのことで、何らかの障碍ゆえのトラブルや苦難の重荷を、一人で直に背負っていくのは、あくまでも当の本人であり、
いかに身を粉にして養育している親ですらも、本人の代わりには、断じて なれない。
その意味に限っては、たしかに、「親は関係ない」、
と言うよりも、
究極は、どうしてやることも できない、無力でいるしかないのが現実、ということ。
ま、往々、重度の病・障碍を背負っている本人以上に、その親のほうが苦労するという現象も現実には あり得るわけだけれど、
そこへ来ると、中等度ないし比較的軽度の障碍者の親は、これが最悪なタチの者だった場合、知らんぷりを決め込むどころか、平気で、子の障碍をも利用すべく画策するというケースも あるのだ。
それは、おのれの支配から、子が逃げられぬよう。
自分が踏みつけて、その分、自分を高く見せる道具にするために。
こんな親も いるのさ。
うちの親みたく、小賢しさ満点に外面を飾り、その本質は愚か者が殊勝ぶって言うところの、
「まず食べさせることが、親業の基本」
というのは、初歩も初歩レベルの話であって、
そんなことは、幼い子でも理解している、
野生動物だって、恩に着せることなく行なっている。
端的に言うと、
子の成長と将来を見越して、それに必要な手立てを尽くすこと。
これは、野生動物の世界でさえも、ある程度は行われることのようで、
たとえば、狩りのやりかたを教えるとか、子育ての手伝いを させるとか、けっこう見聞きする例で ある。
私が飼っていた犬や猫でも、飼い主にとって可愛げある、扱い易い性質か否かといった面とは全く別に、
ある程度には「スパン」というものを予測・認識しているからこそ、それに沿うよう考えて行動できる賢さは、やはり、メスのほうが大いに上回っていた。これは、やはり、出産と育児の役割を担う性だからと思しい。
それに比べて、
私の足を引っ張るのを楽しんでた、それと同時に、自分のヘマや強欲を隠蔽するのに汲々としていた、あの母親。
犬・猫以下か、あんたは。。。
ましてや人たる者、
おのれの儲けた子に、防ぐ努力も届かなかった結果として、何らか弱点や障碍が判明したら、そのことを視野の中心に据え、その子なりの人生が立ちゆく算段と努力(他人の懐に託す選択をも含む)を遂行しなければ ならないし、
そうせずには いられなかろうのが、およそ親と呼ばれる者の一般であるはず。
そういうことを尽くしたうえで、
「成人した以上は、もう、親は関係ない」
というセリフも許されるのだ。
ばかな親みずから言う資格は ない。