2018.01.27 (Sat)
『【続】へどが出るほどの俗物』の続き。
私は「外野」でもなければ、「キレイごと」言ってるんでもないよ。
いたって現実的な話を しているつもり。
そりゃあ、具体的なプランを提案し、政治レベルの施策に向けていくこととなると、やはり、世のなかの研究者・識者の情報力や政治家の力量に頼むしかない個人としての現実生活の限界は認めざるをえないけどね。
それでも、私なりに、何もアイデア一つ ないわけでは ない。
むしろ、政治家や、お役人らの分かってなさ、基本や本質に対する暗愚さには、ほとほと呆れることが増えた。
いやいや、もしかしたら、連中とて分かっていて敢えて、国民の不利益や悪事を はたらくこそ、腹黒い政治屋たる面目なんだろうなと見受けるがね。
さて、
私自身も、幼児期から、親にすら理解してもらえなかった障碍を抱えてるし、
自分たちのミエと保身を最優先するためには、私という娘を利用し、犠牲にし、
劣悪な家庭環境を与えた娘である私の幸せ、私の人生や生活を、有形無形にジャマし続けてきた親ら、
結局、その本人自身、異常な脳みそを持っていた親ら(親戚も含めて)の めんどう・介護を、一人で引き受ける経験も してきた。
そんな私から、もう少々付け加えておこう。
いわく、自分は「当事者」だから、キレイごとを言う者よりは、植松の考えのほうが理解できるとかなんとか言い募ってる者たちへ、だ。
要するに、おまえさんたちは、
現状の社会が こうだから、ああだから、
それが原因で、
だから、植松の考えには共感できるんだと?
じゃあ、なぜ、おまえさんたちは、
つまるところが、現状の不備を克服できていない社会に対する不満と、
自分自身の生活状態を嘆息するあまりが、
それが、
なぜ、植松の考えへの共感に向かってしまうのか?
その甚だしい本末転倒に気づけっての。
だから、知性が「植松レベル」なんだと言うの。
告白するならば、ローティーンの頃から何度か自殺を図ったし、
いつか、父親を殺める日が来るかもしれないと思ったことも あったし、
その後も続く、不本意で、すさんだ生活のなかで、無差別殺人を犯す者の心情が理解できるような気さえ した時期もあったよ、この私にも。
弱った からだを引きずるようにしながら、ブツブツ独り言を呟きつつ歩いていて、通行人の怯えた目に気づいたり、
車両がブンブン通って行く道路に、無意識のうちに、自転車ごと突っ込もうとしていることに、間一髪でハッと気づいたことも あった。
言わば、私だって「サバイバー」なんだ。
もうトシも くっちゃって、かなりヘトヘトになってしまったけど。
私は、おそらく、少なくとも植松に比べたら、こやつには想像も できないであろうほど、もっともっと厳しい過去を生きてきたけど、
それでも、こんな下劣きわまる考えかたに共感するところまでは落ちてない。
それを、せめてもの幸いだっだと思う。
自分自身のみならず、親や身内連中にとっても。
これも以前から何度か言ってきたことだけど、
社会を成り立たしめているのが、僅かな特権層や富裕層の お陰なんぞで あるはずがなく、全く、その逆なのだということを、いまだに理解できず、アベコベな主張を飽きもせず繰り返している愚かもんが居るけれど、これが大概、「ネトウヨ」とか自民党・安倍シンパの お唱えだ。
おのれの主張が、まさしく妥当か否か、それこそ、無法地帯の野生世界へ赴いて、実験してみたら いい。
あほでもバカでも、イッパツで思い知るこった。
植松の考えに対する理解や共感を宣言してみせるなんて、とことん有害でしかないこと。
そんなことより、
もっと喫緊で重大で、意義も意味もあることじゃないかね?社会の未熟さや不備や問題を指摘することは。
だが、おまえさんたちは、
主権者国民から集めた税金を、当の国民の福祉向上のため用いることにはブーブーブーブー文句を つけ続け、
政治屋や役人どもが、「オトモダチ」優遇のために注ぎ込むことには黙るどころか、
汚職・癒着の権化の如き自民党・戦後最悪に酷薄な安倍政治に憤りを持つ者を敵視するあまり、
「他人のせいにするなー、環境や社会のせいにするなー、政治のせいにするなー」
という、
それこそ欺瞞のカタマリみたいな主張には押し黙る。
そりゃま、安倍政権にとっては、また、宗主国アメリカにとっても、しごく つごうの良い、理想的国民たちだろうさ(嗤)