2018.02.02 (Fri)
あるに決まっとるw
少なくとも、この人間社会に おいては。
子どもが何歳になったからとて、
ある時点でスパッと無くなるわきゃないだろww
そのくらい、
親、また、生育環境が及ぼす影響は、子の全人生に関わってくる。当然のことだわ。
だからこそ、積極的に、人の子の親になりたいという願望を持つ連中は、昔から いる。
非力な者でも、自分の子には、絶大な支配を及ぼせるし、
わが子以外に、どこの誰が、平凡でブサイクな女を、ファムファタルやら女神さまのように崇めてくれるかw
ただ、現代では、いちおうの目安として「成人年齢」までは、保護者・養育者としてのベストは尽くすべしとされては いるのだろうが、それ以降は、その責務から解放されても いいだろう、という程度のことでしかない。
だって、キリがないしね。
「親としてのベストを尽くす」つったって、個々の思考力やら培ってこれた見識やら性格などなどにより、すでにスタート地点から大きく差が出てくるわけだし。
それらは、親にとっても未知数の、子ども側の資質や知能を含めた肉体条件によっても左右されるのだし。
ま、いずれの場合にせよ、
いちおう「普通」の範疇の子なら概ねは、成人年齢に達していたら、自分で自分の世話が できるはずだと、世間では見做すからね。
しかし、実際には、そうも いかない場合が ある。
わかりやすい例とすれば、障碍児の場合だろう。
それも、重度障碍の場合。
それでも、
子の背負っている障碍に対して、その将来に備えるべく、的確な手立てをベストに尽くしておいた場合は、「健常者」に伍し、社会で大いに活躍できることも可能だ。
ひるがえって、
軽度・中度の場合は、かえって難しく、
親が無知・無理解であったり、怠惰・無責任であったりした場合、子ども本人は、一般の人々よりも、あきらかに不利な条件下にあれど、周囲からのサポートも希薄で、最初から最後まで、ほぼ自力のみで生きていかざるを得ない人生も ままあるということは、先日のエントリーで指摘しておいた。
さて、
たとえば、近頃になって発覚した、寝屋川市における、監禁により衰弱死へと至らしめた事件。
この被害者の女性は、十代の頃から、過酷な環境下に、親の手によって閉じ込められ始めて、
発見されたときには、すでに、実年齢上は30歳代になっていたらしい。
当然、成人年齢を、とうに超えているわけだが、
だからといって、彼女の「自己責任」ということには なり得まい。
むろん、ひとえに、保護・養育者である親の責任問題が第一に くることを疑う者は、まず いないだろう。
もし、何らかの理由で、親でありながら、自分の手に余る子であったとしても、自分自身による保護・養育の代わりを見込める手立てを、やはり、その者なりに、尽くさねば ならない。
「たられば」にしかならないけれども、
辛うじて、くだんの被害者が、成人年齢に達する手前で発見・救出されていたとしても、彼女の、その後の人生に、親の手によって齎された辛苦の影響は、有形無形に付き纏ったに違いない。
…ところで、
こういう記事が、また出ているのを見かけた。
『父親は誰? 「AID」で生まれた38歳女性の叫び』2/2(金) 5:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180202-00205944-toyo-soci&p=1
~
「出自を知る権利」とは、子どもが自らの遺伝的ルーツ(この場合は精子提供者)を知る権利のことです。日本も批准する「子どもの権利条約」でも、「児童はできる限りその父母を知り、且つその父母によって養育される権利を有する」ということが、うたわれています(第7条)。
~
このあたりを読むとね、
私は いつも、『あしながおじさん』の主人公、孤児のジュディの言ってたことを思い出す。
それと、
私には、幼い頃に生き別れたまま育った、父親違いの姉も存在するんだけど、
彼女は、私と二人だけで話しているとき、うちらの母親について、どうしても、
「親戚の おばさん」
くらいにしか感じられない、と言ってた。
それ以上に、ハッキリと、母親のことを、
「嫌い」
と、告白したことも ある。
まあ、あの姉が、実の母親を嫌うのも無理は ない理由が あってね。
これは、まったく、母親が悪いんだけど、ここでは、この話は置いておく。また そのうちに書くことも あるだろう。
あまりに えげつない話のうえ、
実は、すでに、当の母親から、言い訳めいたことも聞かされていた私ですら、
「おいおい、そんな理由は通らんだろ!」
とツッコミたくなるほど、ヒドイ話なので、これについてはと言うか、これについても、私は全面的に、この姉の味方を するものである。
私が、母親の脳みそについての異常を知らされたとき、意外に思うよりは、やっぱり そうか、、、と思ってしまったことの一因でも あった。
ともあれ、
この問題についても、旧ブログの頃から取りあげておいたと思うのだが、
当ブログを開始してから、比較的初期の頃だったかに、上掲のエントリー『AID問題』として、再び取りあげている。
内容は、自分でもウロ覚えになってしまっていたが、
なぜか、さきのエントリーについては、わりと繰り返しアクセスしてくる人たちが いるのを知っていたので、当ブログにても取りあげてあることの記憶が残っていたのである。
で、
この「『AID』の子どもたち」という問題については、数年前どころか、私が まだ実家で生活していた頃くらいだったかと思うので、かれこれ数十年前にもなろうかというほど、かなり むかしのこと、ある日、新聞記事で読んだ内容に、少なからぬショックを感じたから、後年になっても憶えており、問題意識も継続していたわけで。
当時に読んだ記事内容の記憶では、たしか、私学の名門の一つとされるk大学の、たった一人の男子学生による精子の提供が、多くの場合に用いられているということが明かされてあり、まずは、そのことに、衝撃を受けたのだった。
そして、
あの頃は、当事者である子どもたちも、この世に生を受けて、まだ時間が浅い頃だったはずだが、この子たちの将来について、ほぼ何らの考慮も なされていないらしいことにも大きなショックを受けた。
…
だいぶ前にも、どこかのエントリーで言ったと思うけど、
親なんて者ぁ、そもそもからしてノーテンキかつ無責任だからこそ産めるんですよ。
だって、
ある意味、賭けや冒険に等しいでしょ、子を産み落とすってのは。
私自身は、はやくも、中学生の頃には、影も形も あり得ない、心のなかの「わが子」に向かって語りかけていた。
「おかあさんは、まだ見ぬ あんたを愛しているからこそ、産まないよ」
と。
そして、そのとおりになった。。。
よくしたもので(?)産めないカラダになったから、病気でね。
地主の跡取りとの縁談話が壊れたことも あったなあ。
たった一度だけ、自分から、
「このひとの子ども産みたい。私と同じ、『不倫の子』になってしまうけれど、もしも産んだら、その子に対しては、
『おかあさんね、あんたの おとうさんにホレちゃって、好きで好きで、おとうさんの子が欲しくて もお たまらなかったから、あんたを産んだのよ~♪』」
と、あっけらかんと言えると思った。
それから ほどなくのことだった、産めない身となったのは。
【続く】