2014.05.30 (Fri)
『<人工授精>精子提供、子どもの幸せは 当事者ら苦しみ語る』
毎日新聞 5月29日(木)8時57分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140529-00000013-mai-soci
『人工授精:遺伝上の父、捜し続ける 40歳の医師、情報開示ルール化訴え』毎日新聞 2014年03月26日 東京朝刊
http://mainichi.jp/shimen/news/20140326ddm041040159000c.html
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長年、数多くのAID治療に携わってきた吉村教授も「生殖補助医療は、その治療を受けるかどうかについて子どもの同意を得られないことが特徴だ。医療者には子どもの思いは分からないが、それでも子どもたちの『知りたい』という気持ちは想像できる」と応じ、次のように言い切った。「出自を知る権利の問題が克服できなければ、AIDを続けていくことは難しい」
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なにを いまさらw
もっとも、
いわゆる「もらいッ子」の「アイデンティティ」問題だって、めずらしくもなかったわけで。
太古の昔より変わらず、子どもを産む側には、事前に、子どもの気持ちなんか確かめようがない(まだ胎児としてしか存在し得ない)のだから、最初から、そんなものはないという割り切った前提のもとにサッサと産むわけだけどw
それでも、それは、どこまでも自然の営為なのであって、少なくとも、個々の自我、不自然なまでのエゴに とらわれてだけは いなかったろう。
人間の子どもは、個人一個にせよ国家レベルの思惑からにせよ、何かしらのエゴによる目的で産むと、あとあとの問題が深刻になる。
いっそのこと、子どもが幼い時分から、「AID」「AIDなんだよ」と言い聞かせておいたほうが、まだしも急激なショックだけは防げたかもしれないのに。
~「顔や身長、体重を知りたいわけじゃない。親ではないが自分と最も近い男性と交流して、どんな人なのかを知りたい。それが僕の一番の思いなんです」。~
要するに、「おとなの つごう」ってことよw
このテの話を聞くと、いつも、『あしながおじさん』の主人公ジュディのことを思い出す。
あと、芥川の小説に、そういう感じのがあったな。河童の子どもに、生まれてくるか どうするか聞くっての?
んで、河童?の胎児が、やめときまっさ、と答えたとか(笑)
ちなみに、
この話も、私のブログのどこかで、過去に書いたか どうか、さだかには憶えてないけど、
慶応大学もしくは大学院の特定個人の学生が、ほとんどの精子の提供者だということは、もう、かれこれ十数年近く前だったかに、私も、新聞の記事で読んだ記憶あるよ。
なので、いずれ、いろんな面で問題になる日が来るだろうってことが明白なのは、そのときも指摘されていた。
なんでも、先送り。
それが、科学者の暴走というやつ。
そこへ、一般個々人のエゴが飛び付く。
そうして、国家ぐるみの隠蔽工作。
だいたいね、
「治療」というコトバ、当てはまってるのか?w
やめなさいよ、そんな欺瞞このうえもないコトバww
「ないものねだり」と言うべきじゃないの?www