2018.01.27 (Sat)
『へどが出るほどの「俗物」』の続き。
さてと。
「人を殺して、なぜ悪いか」
という、「哲学上の」?愚問が あるらしい。
「命」というものを、全き平等の まなざしで見ることが できるとしたら、
それは、言わば「神の視線」とでも言うしかないのだろう。
だが、
ささやかな、脆弱な一個の命として、この世に生まれ出た誰しもが、
自分の命は大切で、惜しいものであろう。たとえ自殺しようとする者でも、例外では ない。
人間以外の生物でも、このことは、ほぼ共通しているだろう。
すなわち、まさに「普遍」である。
それだからこそ、突出して知的に発達してきた人類は、「法」というものを萌芽させ、以後、営々と構築してきた。
「食うか食われるかの野生」のままで良いのなら、法なんぞ無要だ。
産み落とされた あかんぼうが、無事に育つこともない。
そして、
「あすは わが身」
それ以上に、
もともとが、われわれ皆、保護を必要とする あかんぼうから出発した。
ところで、
最近の当ブログで述べておいたとおり、
まさに、「肉体」という物質あるからこそ、「心」の動きも生じるのである。
最も人間の生活に近しい動物たちの ようすを観察していても、このことは、容易に察せられることだ。
人間以外の動物とでも、ある程度なりに「意思の疎通」は可能であることは、多くの人が知っているが、
もちろん、人間社会から遠い野性になるほど、困難度は高いのだろう。
で?
意思の疎通とやらが できる動物なら、どうなんだ?
それが難しい野生動物でも、こんにち、人類は、絶滅を防ぐべく、保護を始めているけどね。
さて、この「生命」というものを めぐってこそ、
大切であるとか、自分にとって大事と感じる者を含めて、これをば最優先で保護・温存したい、あるいは、逆に、自分の生活を脅かすほどの負担を齎すほどになってくると、できるかぎり、これを遠ざけ、排除したい、といった「選別」が起きてくる。心にも、実際の行動にも。
それは、本能的なことであるから、しかたのないこと。人間の解消しきれぬ限界である。
それを責める資格ある者が、どこに いるというのか。
もし、責められるべき対象の存在が あるとしたら、それこそ、この「摂理を造った者」を措いて他には なかろう。
産み落とした当の親ですら、わが子を遠ざけ、排除、抹殺、そうした情況になりかねないのは、第一には、疲弊が降り積もっていくからだろう。
私も、知的障碍者と思しき、十代後半くらいの、大柄な男子を伴った母親らしき人の、疲れ果てて暗い顔つきを、街なかで目撃したことも、一度ならず ある。
ならばこそ、この面における社会的なシステムの構築と改善に努めるのが、人間社会ならでは、人類ならではの理念と目標的責務なのである。要は、結局のところ、自分たち一人ひとりのためだ。
そこには気づかずして、
イッキに、他人を「モノ扱い」して良し、虐殺して良しと、
「行動する」ナンチャラよろしく、犯行に及ぶとは、何さまなのか。
なんたる愚物か。
福祉だボランティアだと精出す人のなかにも、つまるところは、劣等感に裏打ちされた不安ゆえの自己承認欲求に突き動かされて、という自覚が ない場合も ままある。
くだらぬヘリクツを振りかざす前に、
一職員としてすら全うできかね、あげく、
稚拙にして単純な排除のヘリクツにしか思い至らないような非力な愚か者は、自分の器を自覚して、その分にあった仕事と生活を選べば いいだけのことだった。
けっして、恵まれぬ身の上でもなかったどころか、むしろ、恵まれていたはずの ご身分だったじゃないか。苦労知らずの分際で。
ところで、こないだは、このところの大寒波の話題に絡み、
おのれは、どれほど有意義な仕事を やってるからというので、
「ぐうたらしている生活保護受給者に比べ、ホームレスは偉い」
てな放言して恥じない、
日常、「タクシーを乗り回している」のが唯一自慢、らしき投稿者を、
またぞろ「ヤフゴ民」のなかに見かけたので、
「ホームレスの人たちも、生活保護の手続きが必要でありこそすれ、
何らかの持病や障碍を持っている人が大半の生活保護受給者を非難する投稿は、ヤフー運営も、社会的責任を もう少し自覚し、注意してもらいたい」
との旨で通報しておいたんだけどね。
まったくもって、ワープア問題を、ますます根深いものに陥れる自民党・安倍政権のシンパそのものだ。
何のリッパな仕事が つとまってるってんだよ、こんな軽薄短小きわまるオツムで。
これこそ「偽善」そのものなコメントだろうが。馬鹿者が。
それにしても、
当時の「衆院議長」というのは誰だったっけ、手を拱いていたのだろうか。いまだに、このことにも不審が消えないでいる。
ま、障碍というものは、どの場合でも、重度よりは、中度・軽度のほうが、むしろ、最も苦労する。親とかじゃなく、本人の苦労が。
どうしても自力だけ、サポート無しで世渡りを余儀なくされがちという意味で。
一般的な人より、何かと不利なのは確かだし。
少しでも おかしいことが あったら、気を張って用心しておかないと、
うかうかしてたら、簡単に つけ込まれるからね、実の親にすらも、だ。
重度障碍であれば、そりゃあ、しんどいのは、本人は もとより、
家族も必然的に背負わざるを得ないことが大きいわけだが、
私の周囲では、特に精神面での中途半端な病者が一人ならず いたんだけど、
こういう場合、一見は、まともと言う以上に、
むしろ、頭の回転がヘンに速かったり、
口が達者と言うか、よく聞いていたら、ものすごく浅はかで、筋の通らんヘリクツを捲し立ててるだけだと気づくんだけども、
とにかく、根拠が あるのかないのか、異様なほどの勢いで押しまくるから(←これ自体が、異常者の特徴ですよ)、
たいていの場合、周囲は、そんな者を見過ごしてやってしまったり、
それどころか、利発なとか賢い人とか思わされてしまうみたいなのね。
なまじっか、ガッコの勉強は得意だったりするし。
私自身、このテのタイプだった母親だけは、なかなか、疑う気になれなかったんだけど、
死んでしまってから、
実は、脳みそに異常が あったことが発覚していたと聞かされて、
あっ!やっぱり そうだったのか!!と得心いったもんだ。
植松も、そのへんを、よく調べるといい。
これの描いたイラストも、上手いという以上に、真似の上手さ、
それ以上に、なんとも言い難い、吐き気を催させるような いやなものを感じさせるし(佐世保の同級生殺人事件の女子高生の描いたものと似た感じを受ける)、
なまじっか、ガッコの勉強なんかは頑張ったらしいが(←尚更、挫折感)、それも含め、
やけに礼儀正しい ふるまいというのも、それらが、畢竟、こやつにとって「味方を得る」方法の一端であり、
しかも、形式的な範疇のことだからだろう。
ハンパな思考力の脳みそが得意とし、依存しがちなことだ。