2018.01.19 (Fri)
女性として生まれて、一般人と芸能人とを問わず、公の場あるいはプライベートの場において、およそ性的なものを含んだ方面の不快感を齎されたり、被害を全く受けたことのない人は、むしろ少ないだろうと思う。
逆から言えば、
その分、男性一般の性的欲求の激しさが指摘できるわけで。
『「#MeToo」運動は「売名目的」、仏女優バルドーさん セクハラ告発を非難』1/18(木) 9:40配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180118-00000010-jij_afp-int
ははっ。
とーっくに老齢、
容姿のほうも、完全に、昔の面影いまいずこ?に なっちゃったバルドーの発言。
一方での真実も指摘しては いるけれど、
自分が若かった頃の自慢も含まれてる感じねw
この問題に対する最近の大きな国際的動き(もっとも、いまのところ日本だけはブキミなくらい静か、という指摘もあるようだが、そのとおりだなあと思う。ま、毎度のこと。)について、異議を唱える国際的「大女優」たちが連続して出てきたもよう。
もっとも、彼女たちは、出発点からして、非常に有利な立場を享受していただろうと思えるし、
つまるところは、バルドー自身の告白どおり、性的な意味合いを込めた、要は、外見上についての褒めコトバを、本人自身が不快どころか大いに快く感じられたか否かにもよるのだろう。
だいたいが、外見に拘るとか、外面的要素に全面依存するのは、畢竟、なかみに自信が乏しいからであるというのは、的を突いている指摘だろう。
そして、
こういった方面に恵まれている人ほど、思考の程度は浅薄なままになりがちである。
なぜなら、やはり、どこかウヌボレきってしまうほど、苦労しなくて済んでいることが多い人生だからかと思われる。
とにかく第一印象が有利なのは、だんぜんトクだからね。
芸能人のみならず、一般人でも整形が突出して盛んだという噂?の隣国の南北を共に見ていても、なるほどと頷けるじゃありませんかね?w
民族の歴史的に、忸怩たるものを抱え続けてきたせいか。
まあ、そんな隣国へ、整形しに赴く日本人だっているのだし、
両民族ならびに三ヵ国の国民は、一見は正反対のイメージかもしれないが、その性質と価値観は、深く似たか寄ったかであるわww
たしかにね、
女性でも男性でも、異性からチヤホヤされることに、つい快さを感じてしまうのは本能的なものに根ざすのであるから、しかたないとは言えよう。
昨今の日本でも、性的な方面に関して、タブー性というものは どんどん薄れてきていて、
昔は、女性の職業選択肢が ごくごく狭かった事情も あったし、まず家庭の経済のため、それこそ、そういう世界に、親の手で売られたとか、みずから思い切って犠牲にならざるを得なかったといった事例は多かったのだろうが、
いまどきは、インターネットの発達が後押ししているせいもあって、小学生ですら、ただの小遣い稼ぎのために、オッサンらに向けて、みずからの性を売りにする事件も出現している世相だ。
もっとも、
子どもが仕出かすことには、おとなたちの価値観が滲み出る。
「おとなたちの価値観」とは、性的な面における、
要するに、若さ、魅力的容貌を伴う、ことに女体は、商品になる、
ということだ。
女の子たちは、
幼い頃からオマセな女の子は特に敏感に、そのことを知っている。
あくまで一般的にだが、
男性の場合だと、女性以上に、性に関わる肉体欲求が激しいうえ、
反して女性は、男性ほどでないことが多いのも、男性側の劣等感やコンプレックスを齎す根本なのだろう。
だって、
自分はハアハア、ガツガツしてるというのに、相手はクールに澄ましてると思うと、そりゃ、おもしろくないわよねw
少なからぬ男性特有の、ヘンな被害意識は、このへんから発していると思しい。
この世に生まれたのも、女体の力によってであり、
養育者という名の権力者を務めるのも、多く重みを発するのは、女性で あることから、
要するに、いわゆる「非モテ」男性たちの、女性全体に対する心理的な屈折度は、いやがうえにも高まるわけw
崇拝と侮蔑、怖れと軽侮が並び立つのが、女性に対する男どもの本音。
その相反する どちら側が勝るかは、そのときの情況しだい。
ことに、「母の愛」的受容性に餓える男性ほど、
あるいは、
それを当然のこととして享受してきたことに無自覚な男性に対しても言えるのかもしれないが、
彼らは、自分が、無条件に、女性に受け入れてもらえないことに、いたく悲哀と憤怒を抱えており、もはや被害妄想の域まで拗らせているようだ。
そして、
このテの男性たちは、どういうものか、知性と品性に欠けることが一大特徴でもある「ネトウヨ」に多いのも事実と見受ける。
その点では、より冷静な女性たちは、「条件」というもの、すなわち、みずからの「商品性」のことを、多少なり自覚している人が多い。
もっとも、トシくっちゃっての「婚活」とやらにおいては、かつて、商品価値が あったはずの自分、という未練を引きずったままの人も多いらしいがw
往々にして、男女を問わずで、むやみと、異性に対する攻撃心が激しいのは、だいたいが、異性に対する劣等感やコンプレックスの深さを垣間見させて、みっともない感じすら撒き散らしているものだが、そういう人は、自覚にも乏しいというか、ひらきなおってさえいるのだろう。
最近の日本国内では、もとTBSのオエライだったか何だかのオッサンが、その立場を利用して誘い出した若い女性に、何かアヤシイ薬物でも盛ったのか、正体を失うほど悪酔いさせたあげく、レイプに及んだというので、せっかく、逮捕状が出ていたにも かかわらず、
どうやら、この男が、「アベぽち」というのか「アベノトモズ」の一員だった お陰か、政権筋のチカラでもって握り潰させたらしいという事件が、この被害者の根気強い抗議によって、公に出たということが あったばかりだ。
そして、男の側は、とうてい「反論」にもならない体たらくな言い訳を繰り出しては、猛烈に、被害女性を攻撃、という始末。
くだんの被害者女性については、あくまで私個人としてはだが、よく知らない男性と二人きりで、酒席をハシゴしたという点において、ちょっと理解できないという感覚は あるのだけれど、
やはり、そこには、仕事を斡旋してもらえたら、という下心というか、欲は あったのだろう。
だが、男性側も、そこに つけこむのは論外というもの。
私個人的には、ほとんどの男性が、圧倒的に、女性以上の暴力衝動性と腕力の点で上回っているゆえに、若い頃、男性の殆どに対して、警戒心と嫌悪感を抑えることが困難だった。
しかも私の場合、どういうわけか、幼児期から、性的誘惑が多く、
成人後も、見るからに男っぽい容姿の、支配欲旺盛そうな(=暑苦しいw)男性には、特に勢い強くアカラサマに言い寄られることが多かったから、よけいに嫌悪を募らせていた。
なので、男性に対する嫌悪感を少なからず抱えてきたけれども、
その第一原因は、幼少時からの父親の凶悪な暴力行為にある。
にも かかわらず、
小学高学年になっても、当時すでに、成人女性と間違えられる体格で、そして、わりにオマセでもあった私が、男湯に入って、父親と共に入浴することには、まったくの躊躇いも持たなかったという、自分でも不可解なほど無防備な面は あるのだが(苦笑)
私にとっては羨ましいことに、本来的に自然な家庭環境のなかで、父親に対して、素朴な親愛と信頼感覚を持って生育できた女性は、その延長で、世の男性一般に対しても、疑心や警戒心は薄く、あっけらかんと受け入れられる人が多いように見受ける。
世のなかを見ていると、
父親にかかわる深刻な問題を抱えてきた女性には、当然、私のように、多かれ少なかれ、嫌悪と警戒心を持ってしまう分かりやすいケースと、
逆に、
男性には殊更、不自然なほど媚びてしまうケースとに分かれるようなのだが、
どちらの場合でも、無意識のうちに、自己防御しつつ、世渡りしていこうとするゆえなのかもしれない。
【続く】