2016.07.12 (Tue)
『古賀茂明さん』
(追記)
古賀さんってかたは、どうも、直情径行に近いのか、歯に衣着せぬ傾向でいらっしゃるのか、
特に自民党政治屋は必須条件の一つであるところの、「タヌキ」を演じる、といったことには、かなり苦手なほうの御性格だろうかと見受けている。
一般に、官僚というと、たしかに頭脳優秀とは言えど、
政治屋に おもねるため、あるいはコントロールするため、どちらの必要性からであろうとも、ヘリクツを捏ねて捏ねて捏ねたおして済ませてみせるていの要領良さが非常に鼻につくイメージも強いんだけれど、
そこから見ても、古賀さんは、ちょっと毛色が異なっているように思える。
古賀さん以外にも、似た感じの人を知っている。
とても真面目で、自他に言行一致で あり続けようとする、若々しいほどの理想主義肌のかたで、こちらも、もと官僚だった人。
ま、私は、こういう人たちが好きなんだが(笑)
やっぱり、国政の場や「政治屋」さんを やるには不向きかもね。
それと、
共産党の若手議員に感じること。
いわゆる「左」系の人には、思想性の強さからなのか、それだけに、極端なリクツや主張欲求が押さえ難い傾向性を見受けていたが、
以前にも、党の上層部の足を引っ張りかねない発言が、よりによって、というタイミングで、若手の議員から出て、志位さんが、厳重注意したことが あったと記憶している。
ごく最近も、
自衛隊について、激烈な形容を用いたことで、志位さんを慌てさせるような事が あったようだが、
この発言者の議員が述べた本来的主旨そのものについては、いたって妥当な内容だと、私は思う。
思うけれども、一言で言って、
「タイミングの見極めと主張のコントロールが できない」すなわち、
「戦いかたが下手くそな議員」
という印象を持った。
いまや、思いあがって、いまに、自分から後頭部を打ちつけるだろうよ、というくらいに、ふんぞり返っている自民党とは違うのだから、
共産党は、もっと、自党の若手議員たちに対する普段からの教育として、しっかりと、戦いにおける事前のクギを刺しておくほうが いい。
共産党の若手議員は、志位さんたちの足を引っ張らないように自戒してほしい。
2016.07.12 (Tue)
ああ、そうなんだぁ(笑)東京都知事選のこと、、、
唐突だけど、私は、むかしから、たまに、いわゆる予知夢の類を見ることが あってね、この現象をも、科学的に解明され得ることを期待しているのだけれど、そこまでのところには いかなくて、もっと ずっと軽い、しいて言えば、予兆的な場面を見ることは少なくない。
さて、数日前は、この古賀茂明氏が登場する夢を、たぶん、初めて見ていて、そのなかで、古賀さんと私が二人で何やら話している途中、ふと、私が、
「あなたは選挙に出ないのですか?」
と尋ねていた。
そのあとも、関連場面は続くんだけど、まあ、端折っておこう。
で、
東京都知事選で、前職の舛添氏が決定する前から、
私は、そのときも次点だったという宇都宮健児氏が良いだろうと考えていた。
もちろん、今回の話題が出ていることは、先刻まで全く知らないでいた。
近頃の日本で恒例となった感ある「日本全国一斉バッシング祭」的大騒ぎのすえ、
ついに、舛添氏が退き、次の都知事選を取りざたされるようになったときも、
少なくとも、こうした おカネのスキャンダルの心配は なさそうな宇都宮氏が良いのではと再び考えていた。
以前のエントリーでも言ったように、前回の都知事選を控えた立候補者討論会の席を、次々に蹴っていった、不真面目じゃなかろうかという印象を持たざるを得なかった人たちのなかで、ただ ひとり、宇都宮氏だけが、討論参加に最後まで前向き、かつ、
都政方針についても、エビデンスとして数値化された資料を用意のうえでスタンバイしておられたのに、せっかくの討論会が中止になってしまい、このかただけがガッカリなさっていたのを憶えていたから。
『【続】都知事選』
私は、この宇都宮氏に関して、前回の都知事選を めぐっての情報でしか存じ上げないし、そういった点では、どちらかと言えば、古賀氏に関することのほうを、より多く知っているし、また、そのなかで、古賀氏の御意見や御主張に教えられたり納得できることも多く、
私自身の普段からの考えと共通点も多いので、古賀氏は、かなり好きなタイプだ(笑)
けれども、
私と、考えかたのベクトルが近いと思しきだけに、古賀氏も また、都知事選 候補者については、たぶん、宇都宮氏を推しておられるのでは ないかなあと思っていた。
なので、
自民党・安倍政権の命運、「この道なかば」の真相も、いよいよ、さすがに、次回の衆院選でハッキリするはず、とは思いつつ、
(但し、先日も指摘したように、自民党が下野することは二度と再び起きないかのように居直った不遜な態度をアカラサマにしていることの理由は何なのか?ということを見抜いておかなければ ならないようだ。
ことに、これからは、ますます、水面下で喰い込んで来るであろう『日本会議』と自民党合作憲法に重々の警戒警報を発令しておく。)
今回の参院選も、
あたかも自民党の象徴の如くに肥厚してアブラギッシュな面々の人相・性向さながら蒸し暑い季候と相俟ち、もう不快不快の顛末、
志位さん率いる共産党が、相変わらず健闘してくれていることくらいしか、明るいと言えそうな材料が ないなかで、
「『(宇都宮氏らと)協議して最終判断する。~』」
という、さしあたっての古賀氏の表明は、さすが御賢明と思った。
だけど、
えらく嬉しそうな表情を包み隠さず浮かべておられる写真が、なんとな~く、気にかかるぅ。。。(苦笑)
すでに述べたことが あるように、私は、共産主義者では ないよ。
上記に挙げた過去エントリーでも述べているように、
学校時分から、共産主義の欠陥性に考えを めぐらし、旧ソ連の崩壊を予見してたくらいなのだよ。ただ、その実現は、もっともっと遅くなるだろうと思ってたから、その点だけは驚いたが。
なので、
選挙においては、全体の趨勢を観察したうえで、バランスを第一に念頭に置き、
自分の好き嫌い感情を臆せずハッキリ言うことを辞さない この私が、
あえて、「戦略」としての投票を実行し、ときには、「死票」覚悟で投票することも ある。
よく、「ヤフコメ」なんかでも、
自分の意見と対立した相手に向かって、脊髄反射か?と言いたくなるほどの短絡性まる出しで「左翼」呼ばわりしたり(そもそもからして、「右翼」も「左翼」もない、どんな思想についても、てんで理解できてないだろうに)、あげくの果て、
「じゃあ、あんたの支持政党は?教えてくれ」
なんて、
そんなこと聞いて、いったい どうするってのよ?バカみたい、
としか言いようのない、
しょーもないアンケートみたいなことを言ってる手合いも少なくないようだが、
私自身は、ほんとうに、「支持政党」と言えるほどの対象を持ったことは、ない。
本来から、ほんものの「無党派」。
そもそも、
どんな「イデオロギー」や宗教の類にも、染まったことは ないし、今後ともマッピラだ。
ましてや、
国家であれ政党であれ個人であれ、崇拝の対象にするだなんて、私の性には合わない。
基本的に敬意は惜しまないけども。
常にグ~ラグラと揺れまくってる人は、
とあるナンセンス ソングみたいに、
「何か、つかまるものは あ~りませんかぁ」と探し、
「目の前に、あった!」と、とりあえずでも縋り付き、
できれば、死ぬまでピッタンコと貼り付ける、
ぶっとい柱みたいな対象が必要なのだろうけどさ。
イデオロギーでも宗教でも何でもいいから。
そうでないと、
揺れてグ~ルグル回り続ける自分の目ン玉を静止させることも できないのだろうなあ。。。
お気の毒ですね。
悲惨な闘いw
2015.10.01 (Thu)
の続き。
そこで、
SEALDsやフォーラム4の かたがたの、次の、そして最終的目標としては、この懸案を最大のものと考え、手を打たなければならないはずじゃなかろうか。
また、同時に、大手メディアも(但し、アベぽち『産経』ならびに『読売』は外すしかないがw)、この忌々しき問題について、国民の一大「後の祭り」になってしまわぬよう、大々的に警鐘を鳴らすことを、次回選挙を見据えて、やっておくべきじゃないか。
特に『朝日』新聞が、安倍政権の画策と、『朝日』新聞自身の身から出た錆的なワキの甘さによって、あっけなく骨抜きの体たらくに堕した昨今、『毎日』新聞社には、『朝日』の分までも気を吐いてもらわなければならない。
もし、それを怠るようなら、
二度と、日本の新聞社というものを、自民党に対してと同様に、金輪際、信用することなく、完全に見限るだろうと思う。
あとは野となれ山となれ。
私は もう、ことにネットでは不愉快な思いばかりしてきて、
あたかも「カサンドラ」になってしまったような気分、ものを言う顎もダルくて、うんざり。
自民党政権によって、主権を踏み躙られた日本国民の再びの地獄は、そこからスタートするだろう。
そうした事態を舌なめずりして待ち続けている連中もいるのかもしれない。
この連中にも、ほぼ2種類あって、
日本という存在に対する、何らかの理由から、水面下での怨嗟や、または魂胆を持ち続けているらしき者、
もう一つは、
為政者でありながら、歪んだエリート意識以外には、一般国民に対する責任意識がない、すなわち「愛がない」ということに等しいわけだが、
それらの自覚すらも ない。
あっても、罪の意識がない。
こうした者が、世襲家業よろしく、政治家なんぞになっては いけない。
それと、自分一個の野心や野望で政治家になる者も。
こうした連中は、本来ならば、政治家になっては いけないのだ。
のちの世の若い人々には、自分自身が生まれる前から存在するものを、なぜ、そこに存在しているのか、根本を問い、疑うことも、そのために知ることも、もはや大いに困難。
『安保法案』賛成側の主張で しょっちゅう見かける、「(仮想)敵」が攻めてきたら どうするんだ!というのも、相手側が、そうとうにハッキリした敵対行為を起こさぬかぎりは、こちらから手出しできないのもアタリマエな話。
何もしてないうちから逮捕しまくれるような警察が居る国って、まともな国か?ってことさw
「抑止!抑止!!」と叫んでも、
以前から指摘しているように、一回ズドンと来られたら、そこでオシマイになるだけ。
日本の現憲法で、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと 決意した」云々と言う宣言は、なにも奇特なものではないよ。
それこそ、ごく普通のことを言ってるに過ぎないと思う。
だって、われわれの卑近な日常生活でもそうでしょ。
一応にせよ、他者の良心や善意なり良識や理性なりを前提にしていなければ、おちおち、家の外にも出られないわな。
だいたいは、それで通せる日常だから。
通せなくなったら、それは異常事態だけど。
ふだん、そのことを、ほとんど意識してないだけのことで。
ある意味ノーテンキでないと、普通に生活もできやしないもの。
【オマケ:オマージュみたいなつもりでw】
『60年安保』闘争のとき、国内では、この歌が流行したんだそうな。
『アカシアの雨が やむとき』(藤 圭子さんで)
『いちご白書』――アメリカの60年代、コロンビア大学での学生闘争が題材だそうです。その主題歌。
『サークル ゲーム』
そういえば、『いちご白書を もう一度』というのがありましたなあ。
この歌が流行ったのは、リアルタイムで、私の記憶にも残っている。
映画の『いちご白書』を観たこともないまま、
ギターを習い始めたころ、カバーレパートリーのなかに加えていた1曲であった。
懐かしいので、youtubeで探してみたけど、やっぱり、カラオケばっかし。あの当時、レコード出してた『バンバン』ご本人のも あったけど、、、
ハッキリ言って、私のほうが上手いかも(爆)
もっとも、いまでは、私のノドも、サンザン掻き鳴らしていた相棒ギターの弦も、すっかり錆びついてしまってるけど。
『青春の光と影』
2015.10.01 (Thu)
長い独白のような前置きを読んでいて、このようすでは、、、
結論は?(汗)と思ってたら、そういうことですね。
今後、どうするのか。
そういうことですよ。
『香山リカ 安保法案抗議デモに燃えた夏を振り返る』
(SPA!)2015年9月29日(火)配信
http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/spa-20150929-947771/1.htm
~
一方で「運動の閉じ方」を検討するチームも必要なのではないか、とついそんなことが気になったのだ。
~
いやいや、
いまの段階で閉じること考えるのは早過ぎるし、間違ってると思うなあ。
むしろ、
いま最も大事なのは、継続していくための方法論、モチベーション。
一番、大きな目的を果たし終えたのか?というと、そうでは ないんだから。
SEALDsの参加メンバーの一人が言ってたそうだけど、なるほど、憲法にも宣言されてある、国民の不断の努力ってやつ。
ただ、孤独のままでの「闘い」は、やっぱり、伸びていきにくいし、
とかく、時間が かかってしまうのが現実。
私も、今回の集会やデモの参加者たちには、酷暑の季節柄もあって、
とにかく、無理はせずに、持続しやすいように、くふうしながら、と、
陰ながら願っていたのだけれど、
今後は、
ときに、こぢんまりと集まって、カフェ形式なりサロン形式なりで、とりとめもなくブレイン ストーミングを やったり、そうかと思えば、
ここぞというタイミングで、たちまち、ぐわっと拡がったり。
連帯して、連帯して、目的・目標を確認し合って、連帯して、
何かの生き物みたく伸び縮み自在な、しかも緩やかな活動形態で いくのは どうかしらん?という期待もあるんだけど。
なんせ、次の選挙が控えてるんだからさ。
私は、たとえば、原発問題についても、基本的には反対側に違いないのだけれども、
過去のブログ エントリーでも述べてきたのと同様に、
これ以上の推進は断固反対であり、
「原発ムラ」やらの利権集団の隠然たる妨げもあったのだろうか、代替・自然エネルギー促進研究の遅れがあったなら、これを挽回し、同時に、原発廃棄物の安全な処理開発を急ぎ進めるべし、とまでは自信を持って言えても、
即時全廃と言い切るべきことなのか、徐々にという方法が、より望ましいのか、なんら専門的蓄積を有しているわけでなし、賛成にしても反対にしても、100パーセントの確信をもって、明確に主張することは難しい。
ほとんどの方面に、門外漢でしかない、凡人の立場なのだ。
それでも
今回、安倍政権のような自己チュー暴走政府をゾンビの如く返り咲かせてしまい、案の定で、国民主権と民主主義の背骨をギリギリと締めつけられたことは、戦後最大の危機と捉えるべきだと思う。
このぶんでは、あんな憲法草案をブチあげておる自民党が完全に潰れないかぎり、こうした危機は、今後も頻々と起きてくることを覚悟せねばなるまい。
だから、
自民党をペチャンコにするまでが闘いなのですよ。
その前に やめてしまったら、元の木阿弥ってものだ。
たとえば、こういった記事があることを、
デオクレチアヌスたる私も今年あたりになってから知ったというニブさで、
『安倍内閣を支配する日本会議の面々――シリーズ【草の根保守の蠢動】』
2015年02月14日
なんせ、私の周辺では、こういった独特の傾向性を持つ宗教のであれ、政治関係のであれ、およそ組織に参加しているという人は、一人も いない(勧誘されることがあっても、早々断ってしまう)ので、
個人で「裏付け取材」なんぞ できるわけもなく、ただ、
個人的に、ネット上で、理由も意味も不明なまま、なんとも言えず不愉快なイヤガラセを仕掛けられた相手方の、ことごとくが、何らかの宗教系、それも、
特定のというよりは、各宗教宗派なんでもアリで結託してるゴチャ混ぜ集団だったり(他にも共通点はある。
たとえば「ホメオパシー」等の代替医療みたいなのは、いまや、ほとんど宗教みたくなってるらしいけど、そういうのに関係してる医療関係者とか)、
あとは、
もちろん、ずばりのウヨ系、もしくは全体主義志向を出してくるという共通点にも大いに思い当たるふしがあって、
共通点のなかでも、代表的なところでは、ヒットラー称賛ね。
しかも、
こんにちの安倍政権の水面下で蠢き続けているらしい、幼児的万能感を思わせるほどの稚拙な思想だか思惑とかの方向性と、もののみごとに細部までが合致していて、
かつて、あの、いっとき私の身に起きた、
「(これこれの)精神疾患である、その病識がない狂疾者なのであるから、こいつを相手にするな」
等々と、
そのへんの市井の一般人に過ぎない個人でしかない私が、お門違いのレッテルをベタベタ貼られ、猛烈な勢いで寄ってたかって侮辱され続けたトラブルを考察するにつけ、
クッキリ浮かびあがってくることに、いちいち思い当たる合致が多過ぎて、
あの連中の自己申告にて「神秘主義」だかの研究を しているだのと言っていた、「オカルト」とか、いわゆる霊的現象への、並々ならぬ傾倒ぶりを思うにつけても、なんとも言えぬ不快で、気持ちが悪くなるのだ。
で、
近ごろになって、遅ればせながら私も、『日本会議』なる組織があることを知り、
内海愛子教授が、過去に指摘なさっていた、教科書問題に まつわる『日本会議』メンバーである各大学教員の不穏な話なども思い当たり、
急ぎ集中検索し、各社の記事を探してみたらば、
どういうわけか、去年の一時期のみ、各界メディア数社が申し合わせたかのように、『日本会議』に関する不審な問題を多少は報じていたものの、それも いっときのこと、
あとは、また沈黙している。
ほんとうに、どういうことだろうか。
【続く】
2015.09.21 (Mon)
『「忘れないぞ」』
の続き
いまごろになって、毎日新聞は、
イラク戦争のときの現地派遣自衛隊が、どれほど大変な危険状況だったかを、一般の国民は知る機会がなかっただろうから云々とか言ってたけれど、それこそ、報道界の怠慢じゃないのかな。
アメリカが、日本のために、血を流してきた、それを思うと、涙が出るだの「男が廃る」等々と、
「ヤフコメ民」のネトウヨ・ネトサポらが、毎度、音程はずれっぱの、やかましいラッパ吹いてるのを何度も目撃させられては、つくづく、そのオツムの めでたさかげんに呆れ、
甚だしきは、知能とか精神状態の正常までをも疑う気分にさせられたものだが、
再び三たび言う。
アメリカが、いつ、日本のために、血を流したのか?
覇権の欲望かぎりないアメリカは、みずから血を流したいから、そうしてきたまで。
それが、「世界の警察」を気取ってきた覇権国家アメリカの野望と計算上、どうしても必要だったからなのだろう。
ましてや、旧ソ連との冷戦体制時代には。
そのアメリカも、さすがに、血を流し過ぎ、流させ過ぎて、いいかげん、「教え子」の日本に、少しずつでも肩代わりさせて、自分がラクになりたいだけだろう。
早速、自衛隊には、中東へ赴くことを期待すると、アメリカの軍事方面の おエライが、米議会での安倍朕のゴマすり演説に喜びついで、あからさまに要望していた。
だが、もともと、中東方面での救い難い泥沼の争いは、誰が、どの国が原因だったろうか。
そこに、日本が加わって、応戦を余儀なくされ、現地の恨みを買う事態になったら、リスクは、自衛隊員だけのものでは なくなる。
ぶっちゃけ、私は、自衛隊員の かたがたの身の危険増加を心配しての反対、というわけでもなくて、
あくまでも、国内で、われわれ一般市民を巻き込んだテロ等のリスク増大を心配しているのだ。
それと、近年ますます相次ぐ災害時の人員不足は だいじょうぶなのだろうかと。
これでは逆に、国民を守れていることにならないのではないか?
自衛隊構成員の大多数は従来から、伝統的なまでに自民党支持者らしいと みているゆえに、恐らく、彼らの多くは、納得している以上に積極的受け止めなのであろうと、私は察していた。それは違うのだろうか。
もちろん、私は、中国にも言いたいことはある。
それだけではない、
中国と争っている自分たちの つごうに、日本を引っ張り出せると期待している、ベトナムにも、フィリピンにも。
皆、自国の国益第一だ。
よしんば、多数の他国が歓迎していようとも、自国の議会、自国の憲法を蔑ろにするのは本末転倒。
日本には日本の立ち位置、とるべき道があろう。
何度も言い続けてきたが、
「普通の国」になって嬉しいとは、どこが愛国心なのか、はなはだ理解に苦しむ。
安倍朕の言うことは、いつも、肝心のところで裏目に出る。
あるいは、最初から不誠実な答弁。
最も赦し難くアカラサマに出たのが、あの原発の予備電源問題に対する答弁だ。忘れないぞ。
今回の「安保法案」についての答弁も、はなはだ不誠実な、要領を得ないものに終始した。
まあ、彼の魂胆は、第一には、とにかく自分個人の目的を果たすツールである政権の延命策としての、アメリカに対するゴマすり作戦だろう。
ましてや、安倍朕は、もともとオバマさんの好みには合わないタイプなのだそうだからwなお必死だろう。
今回の「安保(戦争)法案」を通した収穫として、アメリカとの絆が、より強固に、そして、徐々にでも対等な関係にしていけるのだから、と主張する賛成派の言い分の笑止なことよ。
だって、日本は、敗戦以降、アメリカに逆らうようなことは、まず、できなかった。
せいぜいが、「平和憲法」たる9条をタテに、アメリカの戦争で手先を務めることだけは避けてきたという程度。
その意味では、たしかに、「9条に守られてきた」とも言えよう。
その代わりの貢ぎ物も、主権、土地、金銭いずれも多大だったが、これは、
日本を守る義務を、自ら課さざるを得なかったアメリカへの、「思いやり」という名の用心棒代だった。
はたして、本当に、今後、アメリカに、もの申せる日本となれるだろうか?
ムリでしょw
「ウヨ」さん「ネトウヨ」さんたち、二言目には「70年も経って、いつまで、押し付けられた憲法」と言い募るけれど、
第一の矛盾が、「日米地位協定」を、どうすることもできず、
北方領土返還交渉についても牛耳られ続け、
毎年、一方的な宿題をエラソーに突きつけられて呑み込むしかできない日本です。
アメリカと共に「血を流し」てきたと言えば、
ドサクサに乗じて、アメリカさまに許可してもらって、「竹島」を手にしたようなものである、かつての日本国の一部であった韓国が、まさに そうであり、
「血の同盟」と呼ぶに ふさわしい米韓関係なのだそうだが、
では、
あの国は、アメリカと対等な関係を築きあげ、ときには、アメリカに、苦言を、もの申せているのだろうか。
そんな感じは全く しないがねw
ただ、韓国は、アメリカ一辺倒になるまいという苦心が、昨今の中国との関係構築に現れているとも とれる。
翻って、日米間は、
いったい、われわれ国民の知らない裏側で、何が続いていたのだろうか。
これも何度も言い続けたことだが、
力弱い他国に つけ込み、白人列強の真似に余念がなかった日本は、
いまでは、超大国に、左も右も頭の上も挟まれてしまい、
軽侮してきた小国の悲哀というものが、いよいよ他人事ではなくなってきた。
まあ、日本の今後が どうなろうと、私自身も、あくまで個人的には痛くも痒くもない身だけれど、
未来の日本が、世襲ぼんぼん凡々政治屋の個人的野望の結果、
(それにしても、成金のボンボンや娘や婿が世襲などというのは、問題ではないのだろうか。従来選挙システムの根本的な改革が必要ではないのか。)
あわれアメリカのパシリ国となってしまわないように祈る。
デオクレチアヌスな私でも、後の祭りが大好きな日本国民には、ほとほと、うんざりし始めている。
私が実際行動に移せるのは、これまでどおり、
自民党には投票しないこと。
これが最高の抵抗だから。
ただ、
『SEALDs』のような集会やデモが、現行政権の進める取り決めを覆すには至らなくても、
実は、一番、アピールしなければならない対象は、政府よりも、一般国民に、無知の知でさえも自覚しない、ボケーとした有権者に、なのだ。
だからこそ、声を挙げて、指し示し、注視を喚起するのは大事なこと。
あんなの無意味だ無力だとか言ってる連中は、愚かである。