2015.11.10 (Tue)
ワン イシュー、ワン イシューと、
覚えたての単語を振り回すガキみたいな嬉しがりどもと、
「任期いっぱい続けて云々それが責任」とかホザいとる そこのアホに言っとくが、
間違ってることを、いやしくも国会での討論も端折り、
上っ面の形式で誤魔化し、
ゴリ押しし続けるのは、責任を果たしていることになるどころか、後年へのツケと禍根にしかならないのよ。
今回、違憲の横車ゴリ押しで「安保(戦争)法案」とおしちゃったけども、
この問題は、憲法、まさに「国の かたち」を左右するレベルの問題なのであって、普通の政策やら法案と同列に並べていい問題じゃないよ。
だから、志位さんは、安倍政権がゴリ押しパターンで通してしまった この問題を、とにかく白紙に戻すという目的を果たしたら、すみやかに解散、総選挙を、という提言を しているわけだ。
それは当然のこと、「安保(戦争)法案」のみが、こんにちの懸案ではないということを踏まえているからこその案だろう。
筋は通ってるよ。
でも、これらの意味が、よく分かりもしないで、分かっている気になってるだけみたいな日本の一般国民は(さしづめ、アンタみたいなねw)、一応「成熟国家」と呼んでもらってる この時代になっても、まだまだ暗愚な面が残ってるんだろうな。
日本では、大手各メディアも、強い者に巻かれることを優先、重要な情報を、いかに重要な問題であるかを、世のなかに知らしめるという中心的使命を怠りがちのようだし。
それどころか、
政権に おもねって、いそいそと提灯や太鼓持ちを請け負う大手メディアが、世間に向かって唆し、煽り、フキまくってる体たらくだもの。
たしかに、民主主義というものは、このような衆愚に堕さないよう、常に警戒が必要だ。かと言って、
独裁体制は、無謬性の不可能を考えれば、限界あきらかなのは、子どもでも分かるほどの論外だろう。
そのために、まずは、個々の国家の責務として、国民の知的向上面での投資努力を必要とする、これこそが、
「知らしむべからず」とて、おのれの矮小な利害についてのみ汲々と計算することに費やす為政者にとっては剣呑であるから、真っ先にボイコットしたい義務だろう。
その姿勢を、よく観察して、見分けなければならない。
それが できる国民が大多数ならば、パターナリズムの ぬるま湯で茹で蛙と化すこともないし、
そもそも、政治家という存在や既得権的政治の重厚長大システムに否応もなく依存したまま鬱屈を抱え込み、ついには無気力になることも ない。
そうした政治的存在は、どんどん縮小させていけばいいのだ。
民主主義が悪いのではない。それどころか、
民主主義を健全に維持しようと欲するなら、すなわち、国民全体の知的向上と聡明さに基づいた主体性を保たねばならないのは自明の理。
どうしても、最終的に必要なプロセスなのであり、これは、一国の国民の範囲で済む問題ではなく、結局は人類全体の課題。