2019.01.28 (Mon)
この姿勢は、「ミギ」だろうが「ヒダリ」だろうが共通した言動を とる人たちが いるね。
こないだも、私は、
「祈ってくださる」から?それが なに??
という疑問を呈したところだが。
ところで、この記事について。
『ヘイトを撒き散らす危険な「愛国思想」の元凶 「教育勅語=日本人至上主義」と認識すべきだ』前川 喜平 2019/01/27 08:10
最初に ことわっておくが、
私は基本的には、前川氏の側につきたいと思う者では あるのだが、
この記事内容に対しては、もう何年も前から呈してきた疑問を再び示そう。
前川さん、
「同胞」「わが民族」といったコトバは、日本国内における「ネトウヨ「ウヨ」ら以上に、在日朝鮮人たち自身が、昔から特に好んで用いているコトバですよ。
ちなみに、個人的な経験で、数十年も前のことになるが、
むかし、近場のスーパーマーケットに行ったとき、階段の踊り場に設けられている休憩用の椅子に腰掛けていた高校生と思しき女子の二人連れが、やにわに立ちあがり、私に声を かけてきたことが あった。
何だろうと思いきや、
「お金を貸して」
と、いかにも なれなれしく言っているのだった。
通りすがりの私に向かって、いきなり何を言ってるんだと思いつつ、今しがた買い物に使ってしまったので、と即座に断った。
のっぴきならない理由が あるのならば、まずは お店の人に相談するとか、ほかに方法は いくらでも あるだろうに、幼い子どもじゃあるまいにと不審を感じつつ呆れたには、彼女たち、朝鮮学校の生徒だということが あきらかな制服を着ていたのだ。
自分の学校に誇りを持っていたら、あきらかな特徴ある制服を着用した身で、顰蹙を買うような軽率な ふるまいは できないだろうにと思ったことだった。
実際、「朝鮮学校」に通っていた人や卒業生のなかにも、あの学校には大きな問題が幾つも あるということを述べている人たちは存在する。そういう人たちのブログを幾つか閲覧したことが あるし、私個人的な見聞においても、これは、政治的なバイアス等は一切抜きで、芳しからぬ感想を述べていた者も知っている。
さて、まず、「朝鮮学校」というものは、「各種学校」の扱いだよね。
その各種学校のなかで、「朝鮮学校」の扱いだけが異なっていて不当であるということなら、それは問題にすべきだろう。
先日、『朝日新聞』のウェブ記事で、
いわゆる在日三世の立場として、日本で生育し、「朝鮮学校」にて教育を受けてきたという青年の紹介記事を読んだ。もっとも、有料記事だったので、途中までしか読めなかったのだが。
その記事中で、またまた、首を傾げたくなるような箇所が あった。
それは、その青年いわく、
「なんだ、日本人にも良いやつが たくさん いるじゃないか」
と考えを改めた、という発言。
どういうことなのかね?
何国人のなかにも、って、いろいろ いるのはアタリマエじゃないか。
当然のこと、100パーセントで括れるものじゃない。
ましてや、この日本のなかで生育しておりながら、
「日本人は悪いやつばかり」
という印象を持っていたというのなら、
それは、ほんとうに、どういうことなんだろうか。
どんだけ、狭い世界で生きてきたのかなと、いささか呆れました。
そういう教育を施しているわけだ、「朝鮮学校」という所は。
ただ、この青年は、そのことに気づいて、いまは、日本でも朝鮮半島でもない国で起業し、いまのところは順調にやっていけているそうで、結構なことだと喜ばしく思う。
おりしも、「韓国に経済制裁を!!」という主張が、たぶんに「ネトウヨ」と思しき連中が盛んに主張している最近だが、
経済制裁、これを実行すると、実際に困ることになるのは、結局のところ日本側なのだそうだ。
まあ、私でも、それこそ日・韓断交となっても、あくまで個人的に困る気は しないというのが正直なところだしw
ほんとうに困るのは、日本側でも、企業・商売人たちだろ、としか思えなかった。
あと、朝鮮半島で、もしもの緊急事態が起きたときは、「ネトウヨ」らが猛反発するような、在日米軍の動きが、ここぞと開始されるんだろうww
あるいは、例の「北朝鮮拉致問題」が あるけどね。。。
もっとも、冷静に考えてみると、韓国と大いに仲良くしているのだからといって、この「拉致問題」について、何らかの希望的展開が見えてきた あかつきが訪れたとしても、以降、どれほどの期待が できるかは、正直言って、定かでは ないわな。
で、当ブログでは、何年も前から、かねて疑問を呈してきたのが、
日本国内の「ネトウヨ」「ウヨ」なる者らは、例の如く、「極右団体」ひいては暴力団というところが正体なのであるということならば、
「韓国に経済制裁を!!」「いまこそ断交!!」
と叫びまくってる連中は、まさしく、「北朝鮮」系のナントヤラじゃないのか?とwww
「パチンコ」(正確には「メダルチギ」とかいうものらしい)についても、韓国では禁止されているそうな。
でも、日本では認められている。なぜなんだろうね。
私は、そもそも、「高校無償化」自体、現実的な優先事項であるとは考えていない。もちろん、そうできるなら、それに越したことは ないけれど。
やれ税収が予算が足りない!との政府や官僚ら、その他の「識者」らの主張が本当のことなら、さしあたって、家計に余裕ある家庭の子どもの進学まで無償にする緊急性が あるとは思えない。
それよりも、もっと喫緊の課題が あるのだし、そっちを解決してからでも遅くない。
私は、『教育勅語』を持ち上げるような「全体主義」教育やら「皇民教育」なんざ、へどが出る、と言い続けてきた。
「教育を受ける権利」とは言っても、どんな内容の教育でも、とは到底、思えないのよ。
さて、朝鮮学校という所の教育方針に、問題は ないのだろうか。
私には、
祈ってくださる、あ いや、
「守ってくださる金元帥さま」
と、個人崇拝を前面に出して、
現に日本国内で生活している児童・生徒らに、日本人は悪人であるというように思い込ませ、
もちろん、自国の歴史については、どれほどの客観性を担保しているのやら甚だアヤシイ、そのような「洗脳」めいた教育ぶりは、
まさに、かつての「大日本帝国臣民」教育そっくりだと、大いに共通性を見い出すものだ。
何が何でも、やみくもに片方だけを擁護しまくるのも、胡散臭いと思われてしまう。
ひいきの引き倒しは、逆効果。
それは、「ミギ」でも「ヒダリ」でも同じこと。
2019.01.28 (Mon)
なんだかんだ言って、
白人種以外の人種や他民族、異教徒に対する蔑視感情が潜んだままなのか、あるいは、
植民地に対して、決して謝罪しない、という頑強な姿勢は、白人の精神文化であるらしいところの
「責任を本当に とれないからこそ、もはや取り返しが つかない事こそ、謝らない、謝れない」
という考えかたに由来するのか、
よく分からないが、まあ、だいたい、日本も、それらに倣っているらしい。
そのうえ、
日・韓においては、実質・実態、それらにまつわる機微は どうあれ、
「併合」という国家間の法的手続きを踏んでいた、はず。
「そもそもは、日本に原因」
だ・か・ら。
名目上だか実質だか、日本国民でも、よく分からんところは あるが、とにも かくにも国家間で取決めを行い、補償金を支払った。
そもそもの原因は当方・日本側に存したと認めていたからこそだ。
でなければ、払うはずも ないじゃないか。
このことは、「ネトウヨ」「ウヨ」らも、ちゃんと認識すべきことだぞ。
あとは、
韓国自身が、自国民に対して、相応に やるべきことを やってきたのか どうかだ。
その問いから、いつまでも逃げるな。
逃げるために、国内政局のために、日本を利用するな。
「正式な、本当の謝罪というものを受けたことは ない」そうですか。
ずばり言ってしまおう。
そうだとしても、だから なに?
これは、日・韓両国ともに指摘できるが、
一般国民に向けた「ストーリー教育」を施して、政局に利用するな。
安倍政権に至っては、特にそうだ。
政治的に好都合のストーリーを施され、洗脳されていたと知ったあとの国民は、戸惑い、恥ずかしい、惨めな思いを することになる。
ますます、コンプレックスが深まる。
コンプレックスが深い者ほど、頑なになる。
だいたい、「非常識だ」などと、
韓国側自身が、そう言われても しかたないとは微塵も考え致さないらしい。
現大統領の文氏は、彼もまた、法曹界の出身だそうだから、青臭いほどの理念や理屈が先行する面が大きいのかもしれない。
私は、こういうタイプは、けっして嫌いでは ない。
だが、国家として未熟な国、と言われても しかたないような印象も受ける。
「個人の請求権」というものは、それは それとして、民主主義の基本的な おかしがたい理念では ある。
しかしながら、国家間で取決めたことも、重大なことである。
それを履行する国内政治の手腕、説得力も問われてくる。
日・韓ともに、それぞれの問題点は ある。
日本側も、「感情むき出し」韓国よりは、幾分か冷静に見せているようでも、「策士、策に溺れる」を地で行くように見えても、ワキの甘さを残していたようだし、
結局のところ、両国ともに、その時々で、自分につごう良く、見解を変遷させてきている。
現代では、陰に陽に、情報をコントロールしていてさえ、そのへんの一般民でも、高い知性を持ち、その気にさえなれば、どこからか、ほんとうのことを知る手立てが多少なりには ある時代だ。
謝罪するべきを、頑として しない、本当に そうであるなら、そんな不誠実きわまる相手を向こうに回して、「千年でも」むなしく執着し、膠着事態を起こし続けるよりも、
あくまでも事実は事実として示したあとは、わが道を粛々と歩んで行くが良い。
ネガ・ポジみたく酷似している日・韓、
似ているからこそ、腐れ縁夫婦よろしく縺れ合う日本と韓国、この二国には、ほんとうにウンザリしてくる。
2019.01.11 (Fri)
そろそろ、対外バラマキするにも、カネが乏しくなってきたという日本だが。
私に言わせれば、アベノ外交とは、![]()
「おホモダチ」作戦![]()
と言うべきほどの体たらくだw
だって、
見てごらん、まずはアメリカ、ロシアのトップに対しては、そうとしか思えないほどの媚びっぷりと二股だし、
北朝鮮、近頃は韓国までにも、こっちもオトモダチかよ?と思わせられるほど、援護射撃してもらってるだろww
いくら、安倍ちんが、無自覚、潜在的にせよ、どうやら、女性よりも、男が好きそうで?、マッチョなタイプの男たちに憧れやまず、個人的にも気に入られたいからってwww
いつの時代からなのか、あの「ロン・ヤス」時代からなのか知らんが、
およそ政治や外交に、個人的指向とかシュミとか好みを大いに混ぜ込むのは、よろしくないと思う。行き過ぎると、見苦しい。
やっぱり、どなたさんとも友好的に、しかし、なあなあには ならないよう、一定の距離は保っておかないと。
ことわっておくけど、個人的に、ホモ自体を嫌っているわけでは ないのよ(苦笑)
まあ、私自身も、いわゆる「LBGT」とかいうもののなかに入るんだろうから。
それとね、
相変わらずの権力おもねり層である「ヤフゴミん」の一人が、
「値上げに対してブーブー言う消費者も問題」とか、知ったふうに言ってたが
(最近になって、さすがに、安倍政権のタチの悪さが知られてきたせいか、悪名高き「ヤフコメ」のなかでも、以前よりは、安倍政権や企業経営者側の肩を全面的に持って、一般国民や、そのなかでも弱い立場にある層をバッシングしまくる投稿は、僅かながら減っては きたようだが、あの『産経』系のブログ サイトでの一般ブロガーらの主張は、それは それは酷いもんだったよ)、
値上げにブーブー言うのは、実際、生活が苦しければ当然だ。
だって、『アベノミクス』だか、それが失敗したのだか知らないが
(私は当初から、『アベノミクス』なんぞ、実質カラッポだと主張してきた)、
「実質給与は、上がるどころか下がってる」ってんでしょ?
なぜ、そうなるの?
一般消費者が、どれだけケチで、情弱、もの知らずだったとしても、実際の生活が逼迫していなければ、10円、20円値上げされたからといって、おとなしい国民性で、そんなにまでブーブー言うはずが ない。
貯金を溜め込んでるだけの余裕が ある人たちがブーブー言ってるわけじゃないだろう。
現実、ろくな貯金もない人たちが大いに増えつつある状況で、
しかも、一つずつは、たかだか数十円でも、あらゆるものが一斉に、それも、贅沢品ではない、日常の必需品に相当する品であれば、困ったなあと思うのは本音だ。
本来なら、日常生活に必要なものだから、購入することを躊躇う理由も なく、
しかも、すぐにでも必要だから、買えるかぎりは、ただちに買うはずの層が、せめてもと、買う頻度を減らす。
商売人だって、困るはず。
なぜ、こうなる?
求人の「有効倍率」なんたらだって、表面だけ見てたんじゃ、何にもならない。
相変わらず、非正規が中心、
どれほど人手不足で、高齢になっても働け働け、障碍者や病人も働け!と言っても、
ある一定の年齢層から上になると、ばっさり圏外、こんなの、何十年も前から変わってない。
これらは、一般消費者のせいじゃない。
ひとえに、
長年の歪んだ政治と、甘ったれた経営者側の齎した問題だ。
カン違いするなよ?ヤフゴミん![]()
アタマ悪いうえに無知でカン違いだらけなんだから、すっこんどれ![]()
それにしても、社会に有害なバカの巣窟、かの『2ちゃんねる』の跡継ぎ「ヤフーコメント」、いーかげんに閉じてくれんかのお![]()
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2019.01.11 (Fri)
まず、思い当たるのは、インターネット。
こんにち、ほとんどの人が頷くことと思う。
これと同様に、医療の分野でも、機器の発達・発展と共に情報量の膨大な増加と、それらを捌ききれないといった、現場の問題が持ちあがっているらしい。
このエントリーは、下書きしたまま、毎度のごとく、ブログにアップできず、放置してあったのだけれど、年末に、これらの記事を読んでは いた。
『東大病院、画像診断書「未開封」4割…主治医の確認形骸化』12/28(金) 9:55配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181228-00050000-yomidr-soci
『がんの「画像見落とし」はなぜ起きる? 放射線科医が語る“原因”』
https://www.fnn.jp/posts/00397050HDK
読んでいるうちに、何かに似てるなあ、、、と感じ、
あっ、そうか、と思い起こしたのが、かつて、自分が従事していた職業のこと。つまり、校正・校閲の部署でも ありがちな問題だったのだ。
掻い摘んで言うと、たとえば、私の経験では、制作部署のライターが、チェックお願いね、と言って回してきた原稿を、各段階に おいて、校正・校閲で、可能なかぎり、全チェックする。だけど、ライターにしてみれば、自分が見落としていたり、リスクが隠れているとは思いもしなかった箇所すべてを挙げつらってくれるのは、なんとも頼もしく思う反面、やっぱり、ずらずら並んだ、それらに目を通せば、その分の時間を取られるばかりか、ヘタすると、思わぬ大仕事やメンドクサイ作業が増えるわけだから、鬱陶しく思う面もある。
これは、私自身が、もともとライターから出発してるので、気持ちは大いに理解できるのだが。。。
まあ、私なんかは生来が横着だし、けっして、仕事が早いわけじゃないんだが、紙媒体では、各段階に応じて、優先順位を つける、
と言うとカッコイイかもしれないが、それなりの「手の抜き」ようが ないこともないのでw
実際問題、締め切り押せ押せの仕事は、そういうふうに、うまく「手抜き」していかないと、次の段階に なかなか回せない。
これの融通が利かないクソ真面目しかないタイプの先輩社員のトバッチリが、全部、私に被せられた苦い経験も ある。
けっこう人が良いんでね、私もwwそのうえ、こちとら、はっきりと障碍者であるということを明らかにしたうえで中途入社してたから、ヒケメも あるのよ。
過去エントリーで、この、「仕事できない」先輩社員について幾つか書いたことあるんだけど、いまにして振り返ると、彼女、何らかの内部的な、つまり、精神とか発達系の問題が あったんだと思うってこと。
それだけなら、責める気持ちには ならないが、
なにしろ、劣等感の裏返しなのか、えっらそうに言うタイプだったんでねw
最終的には、ネタミの塊りみたいな性質の人なんだと見極めて、すっぱり切ったけど。
一言で言えば、この人の場合も、「自己保身」が過ぎるタイプ。
自分の立場が不利になるのを、病的なくらい恐れるがゆえ、立場の弱い者へトバッチリが行こうと、かまってられない、という、余裕のない人。
生活や生きかた全て、そういう方針で、どんな些細なことにも用心深い。たとえば、カゼ?と、ちょっとでも思ったら即、病院へ駆け込む。
それでいて、あるいは、有給休暇を、全く、とらなかったりもする。
こういったことも、広い視野で見たら、社会的に弊害が あるものだね。
(生活費全般をケチってでも、『宝くじ』だけは、希少な楽しみとして購入しているらしいがw)
それは、何ごとにも手抜きせず、慎重に丁寧に進めるという、一見、美質のようでも あるんだけれど、私に言わせれば、本質は、自己中だ。
だってね、
ふつう、1、2回も見直せば済むはずを、10回でも20回でも、同じところを確認してる。
こんなの、ビョーキでしょ。
そうやって、ふつうなら、ものの5、10分もあれば終わるはずを、1時間でも2時間でも かけてる。
むだに時間を費やして、自分は安心感を得るかもしれないけど、誰が、そのシワ寄せを受けるんだ、ちゅうの。
それで、「(障碍者のくせに)仕事が早い」というんで、私という後輩社員を陰に陽にネタムわけ。
精神だか何だか知らないが、迷惑がられても しゃあないやろ、これじゃ。
…
でも、校正・校閲部署の基本的責務として、「ん?」と思った箇所は全てチェックし、訂正させるべき箇所は、ライターを叱りつけてでも、訂正させなくては ならぬ。単なる外注の業者の立場だったら、いーから、とにかく訂正!とまで言う権限も必要もないので、クライアント側に、ほっといておくれやす、と言われたら そこまでで、あっそーですか、で済むだろうが、それにしたって、いちおう、ひっかかってくる箇所は、それとして指摘したうえでのこと、ましてや、同じ企業のなかでの制作部署と校正・校閲部署だと、畢竟、同じ会社の者どうしなんだから、「そりゃ、こっちの話でさ、ほっといてちょ」「あっそ、どーぞ御勝手に」では済まないからね。
しかも、どっちかと言うと、分が悪くなるのは、校正・校閲側なんだから、ライターは、もの知らず、感覚だけで書き散らす脳天気、くらいに思っておかないと(笑)
けれども、コレぜったい訂正なっ!!というレベルでは なく、「このままゴーして だいじょうぶ?」程度の微妙さだと、担当ライター側がウンともスンとも反応しない場合は ままあり、最終段階に至るまで、しつこく延々とダメ出しを続ける。だって、世間に、その出版なり印刷物が出回った後になってから、「あーっ!?なんで言ってくれなかったんだよお!!」てな責任転嫁されたくないもん。だから、証拠を残す。
さて、医療の分野で起きてるという、CTやMRIなどの画像から得られる情報量が膨大になってきているうえ、「読影」方面の専門医が不足しているという内容の記事。
日本では、CTやMRIの機器が、アメリカを上まわって設置数が多いということなので、少々驚くと共に、そうなると、読影の専門医不足という現象にも、なるほどなと思わされた。
まず、「開封」ボタンの問題について、「未開封」でも、実際は読めるようになっているのは、現場でのチームワーク上の必要が あってのことらしいし、ボタンの使い勝手には、さしあたって、くふうと改善の しようが ありそうに思える。
それ以上に、「読影」専門医の養成を急ぐのは勿論だろうが、
何段階かに分けて、改善策を設けるとともに、やはり、ここでも、患者の「自己選択」の必要性が出てきていると言えるのかもしれない。
これは、当エントリー冒頭に挙げた、特に、インターネットに接して、多くの人が、昨今の情報量の膨大さのなかで、いかに選択していくのかということの重要性と共通していると思われる。
日本人というものは、もともと、「パターナリズム」を好む国民性が あるように見受ける、というのは、従来から私は指摘し続けてきたけれど、
こと、医療の分野において、こういう傾向性は昔から顕著だったし、医師も患者も、それを好んでさえ いたと思う。
ごく近年に至って、「インフォームド コンセント」とともに、患者自身の自主性や自己選択というものが重視されてきているようでは あるが、それでも、まだまだ、やっぱり「先生、先生」となりがちなのが現実だろうなあと思う。
うちの母親みたいに、漢方医の父親を手伝っていた子ども時分や、医師になった弟のことを思うにつけ、「ワタシだって、ワタシだって、男にさえ生まれていたら」では あるまいけれど、医師に向かって、
「先生、あの薬を出しなさい!」
てなセリフを吐くというのはトンデモナイことには違いない(苦笑)
だいいち、ヤバい話なのだ。
これは、かれこれ30年ほども前のことでは あるが、
くだんの「あの薬」というのを、うちの母親が執着し始める頃になってから、当時の母親の かかりつけ医は、ぴたっと、処方することを止めた。
そして、母親は、「先生、あの薬を出しなさい」と、命令口調で のたまうに至った。
ちなみに、その主治医の家庭では、夫人が三度ほど変わっている。
最初と2番目の奥さんは、いずれも、若くして、謎の(?)死を遂げているらしいという話が、近所では密やかに流布していた。。。
(株に凝っているらしく、診察の途中でも、株屋から電話があると、あーだ こーだと長電話でウンザリする、とも言ってたなあ)
私自身も、急病のとき、この医師に特別に往診、注射してもらったあと、なぜか、症状が急激に悪化し、一晩じゅう苦悶で七転八倒したことが あった。
当時は、何らの疑心も持たぬまま、ついに、救急を頼んで、他院に緊急入院し、一命を取留めた。
その入院時、容体が回復し始めてから、かねて、学生時分から困っていた腰痛、これは多分「椎間板ヘルニア」というものなんじゃないかと自分で推察していたのだが、ことのついでに、こっちも調べてもらおうと思って頼んだレントゲン撮影。
いま振り返ると、なぜ、ほぼ裸にならないと いけなかったのか、よく分からんのだが、そのレントゲン室にて、背中から腰のあたりまで撮るための、ベッドのような台に横たわり、ふと、室内外を隔てている壁に穿たれた小窓を見たとき、
そこには、担当の技師のみならず、白衣を着た男どもの顔が、スズナリ状態になって、全員、こちらを凝視していた。。。
いずれも、何だったんだろうか、あれらは。
この話、旧ブログで書いたことあったかなあ、憶えてないんだけど、そのうち、詳しく書いたろうと思っていた。
さて置き、
その後、他の病気で手術前に受けたCTやMRIに関しては、あの頃は、いまよりも、もう少しだけ、撮像時間を要していたと記憶する。
技師が出す、息を止めたりする指示が、聴力障碍者の私には聞こえづらくて、何度か やりなおすハメになり、ご迷惑を かけたことも思い出した。
その前の時代は、もっと時間が かかってたらしい。
当時の隣家の おばさんが、MRIを受けて、けっこう長時間かかるあいだに、だんだん、気分が おかしくなってきて、錯乱したんだって!と、うちの母親が、なかば呆れてたけど(苦笑)
話を戻して、
「何段階かの改善策」というのは、たとえば、安価にして基本的に有用な機器であるレントゲン以外に、高額となるCT(CTスキャン。コンピューター断層診断)やMRI(磁気共鳴画像診断)を受けるかどうかの選択、
そして、受けたならば、その結果を、どこまで知らせてもらうかの選択、
あるいは、もれなく全体の読影結果を知らせてもらうか否か、否の場合には、そのとき診察・治療を受けようとしている箇所のみに絞って留めるか、やはり、全体的な所見を知らせてもらうのかの選択、
また、全体的な読影の結果、もちろん、多忙を極める主治医の負担を、これ以上にも増やすのは よろしくなかろうので、主治医の専門分野以外の箇所で見受けられる懸念が あった場合には、ごくシンプルに、簡潔に挙げることを前提として、主治医または画像診断専門医側から、それに相応した専門部署に知らせる、ただし、これも事前の、患者側の選択による、といった方策は どうだろうか。
いずれにせよ、患者側の主体的選択が重要になってくるだろう。
また、この選択の各段階に おいて、従来から当然のことでは あろうが、患者各自の経済事情が左右することも起き得る。
経済的事情ゆえの選択は、主体的選択とは言い難かろうが。。。
政治分野の情報の的確な取捨選択も そうなのだが、
自分や家族の病気に関する取捨選択にも、情報の蓄積と見識、哲学のレベルまでもが問われる時代に入ったようだ。
患者も、そして医師にとってさえも、「パターナリズム」の心地良い揺り籠から、いよいよ這い出なければならないのか。
おめでたき、単純な「しろうと」であることが許されない時代。
「しろうと」にとって、そして、専門家にも、厳しい時代になりそうだ。
2019.01.06 (Sun)
『この年末・年始に:祈りますw』の続き。
「~鬱屈してくるし、フテクサレたり、陰湿になって、根性まがってくる」のは、もともと「自己愛性」が肥大していて、そのせいで、むやみと「被害意識」が突出してる自己中タイプほど、そうなる。
どうガンバってみても、相手が、自分の思うとおりになってくれなかった、となると、もの凄い勢いでバッシングを始める。
それは、被害意識を突出させずにいられないほど、可愛い自分が損させられそうになってると、過敏なまでに感じてしまうとか、損させられちゃ ならないから、事前に!とて、自己防御に鋭意邁進するわけで、
そこで、必要以上の被害意識をもって防御に努めるあまり、
「攻撃⇔防御」
に進むということは、必然的に、筋違いの被害を被り、巻き込まれる他者が発生してしまうわけだ。
その被害者が、理性的でガマンづよい性格なら まだ いいけれど、あるいは、「多勢に無勢」で弱い立場だったりで、被害を被ったままスゴスゴ引き下がると、それこそ、「連鎖」に繋がりかねない。
だから、私は常々、社会的に有害な、こういう被害意識の突出した者は、何が「被害」で、自分の「居場所」を脅かされていると感じるのか、論理的に分析しなさい、と言うのです。
人間であり、野生の獣じゃないと言うのなら。
敵対心を感じた相手をバッシングするために、「包囲網」構築する仲間、と言うよりは手下を増やす努力にも余念がない。
だからこそ、世俗の権力を目指したがる。権力者は、最も多数の手下を持てるからね。
ゴマも する、恩に着せまくって威嚇・恫喝もする、カネさえあれば、札束で頬を叩くこともする。
相手が思いどおりになってくれるまでは、さも、私は立派な人なんですよ、とイメージさせたり、そういうストーリーづくりに熱心で、
とにかく、相手に受け入れさせるようになるまで、しつこいシツコイ。。。「疲れを知らない子ども」のようだ。
それは、見込んだ相手を、必要としているからなのだ。
何に必要かって、
自分の役に立ってくれる相手だと見込んでるからだ。
その目的の大概は、ピンからキリに至るまで私利私欲、個人的な野心に過ぎない。
なので、「役に立ってくれなかった」イコール、自分は「裏切られた」、相手は「裏切者だ」というバッシングを始める。
このときこそ、それまで培っておいた「人脈」という名目のグルやら手下を結集させる。
しょせんは、似た者どうし、「類友」どうし、お互いに「うぬ、裏切ったな」とならないよう、「腹心の友」とか言ってたって、内奥は、常に探り合い。
恋人だろうが家族だろうが、そういう「カケヒキ」が生き甲斐みたいよねw「ヒリヒリする~♪」とかってさww
その反面、家族や身内となったならば、完全に安心させてもらいたがりもする。
そのためには、パートナーは、自分に感化されてくれていて、基本的に、ほぼ言いなりになってくれる程度の知性レベルでなければ、家庭内でも争いは絶えず、平和では いられないから。
しかも、もともとが「ヒリヒリ」好きなもんどうしで ひっついてるwとなると、これは これで、お互い、毎日が勝負!で飽きることが ない。
一種の生き甲斐と化して、離れられない。
殺したいほど憎い。
いないと もの足りない。
憎悪の やり場が なくて、全身を掻き毟りたくなるほど。
相手の存在まるごと喰ってしまいたいほど、憎い。
こんなにまで毎日ワクワク胸躍らせてくれて、
ギラギラ煮えたぎる油のような憎悪を掻き立ててくれるのは、
この世のなかで、たった一人、あいつしか いないんよw離れられない。
そして、腐れ縁の泥沼に、共に絡み合いつつブクブクと沈んでいくのが快感w
もとはアカの他人だった配偶者よりも始末が悪いのは、こういうのが、親だった場合よ。
子が、どっちに味方するのかでも争うし、
実の子(本能的に、子は、親、特に母親の最大の味方だものw)で あろうとも、自覚の有無と関係なく、
まさに本能みたいに、利用せずには おれないから。
期待されるのって、じつは、ひどく しんどいこと。
ところが、
『自己愛性人格障害』者というものは、「期待してもらいたい」から、何が何でもガンバルらしいね。その根本にあるのは、
「自分の居場所が脅かされてる」と感じて、「居場所の確保」という目的での「努力」ひいては「自己承認欲求」らしいんだけど、こういう人は、他者を見て、
「あいつ、努力してない!」
「ガンバッてる自分より下のランクなのに、それで満足してるのか、なんだか のんびりノホホンとしてる」
ように見えるタイプが、もう絶対に許せないほど憎く感じるらしい。
努力して、それに見合った結果を順調に出せている人を見たら、むしろ安心を覚えるのかな、自己投影するから。
努力してなさそうでも、自分には縁がないほどの高みに のぼってしまえてる人ならば、努力を厳しく問うたり、嫉妬を あらわにすることなく、個人崇拝までする。もともと、「才能」「天才」や「地位・権力」といったものに対して俗物根性だから。
才能や地位の持ち主が自分の子で あれば、世間に向かって自慢できるという大きなメリットも ある。
しかし、内心の奥深くでは、やはり嫉妬してるかもよ。
嫉妬とは、呪いなのです。
【続く】