2025.03.30 (Sun)
で、まあ、そういった流れのなかで、時々、考えていたのですわ。
宇宙の発生とは。いわゆる『ビッグ バン』以前の それは、と。
思い切って雑な言い方で言ってしまえば、
いわくビッグ バン云々については、それほどには難しい話でも ないでしょう。要するに、やがては縮んで、そしてバクハツ、縮んではバクハツ、
「リサイクル」に次ぐ延々リサイクルの世界ということなら。私が小学生の時分に思いついた、宇宙の仕組みみたいなことについても、これに近いものだった。
いずれ、宇宙自体が収縮していき、「粒」とか「点」とかのレベルまで圧縮されて、ほんで またバーンと いくと。
ほんとうの問題かつ見果てぬ永遠の疑問は、やっぱり、ビッグ バンすらも起きてない状態で発生したのだろうか?ってことですわな。
むろん、人間が考える「必要」性だとか「価値」なんぞは全く意味を なさない、ましてや「主の思し召し~」だとか、笑止千万の論外。
「んなもん、カンケーねえ~」ってことだ。
聞くところによれば、専門家の あいだでは、「揺らぎ」がぁとか言ってるらしいけど、揺らぐには揺らげるものが必要でしょw
そうなると、われわれドしろうと一般人の あいだでも、何かと言えば
「無ぢゃ~」「無なのぢゃあ~」
と、見てきたような悟り澄ましたことを言うスピリチュアル趣味の手合いが散見される俗世間だけど、この手合い、例の「(オ)カルト連」の構成員にも多かったわよぉ(爆)
あやつらについては、わたしゃ、思い出せば、いまでも不快で大っキライだし、ぶっちゃけ、軽蔑を誘われざるを得ないほど、哲学や科学には ほど遠いくせに、そういう所で愚にも つかない演説したがる、単なる俗物、
しかも、俗物ならではのコンプレックスを刺激されたとたん悪罵を繰り出す癖のあるオゲレツ連中だったけどさ、
それは さて置き、
当ブログには「科学」系カテゴリーを中心に、宇宙について話題にした過去エントリーも幾つか あるけれど、
そこでも触れてきた、「無」と「有」の問題ね。
次いで、「無機物」から「有機物」への相転移に対する疑問。
われわれ人類の感覚や歴史的な積み重ねから否応なく影響される「無」と「有」の現象だけれど、つくづく考えるに、実際、ほんとうの「無」なんて、この世の どこにも ありゃしないんだからねえ。
ふだんの生活場面でも言われがちな「無」というのは、どこまで行っても、われわれ人間の思う「無」であって、宇宙や科学の場面で言う「無」とは異なっている。
だったら、どこまで遡って追求しても、そこには、結局、「有」の世界しか ないのであって、「有」の状態から始まったのだと、そう考えれば、辛うじて、ツジツマみたいなものは合う。
そこで、思い当たった。
ちょっとだけ頓智っぽいようなだけど、
「無」とは、ないこと、そのものであると。
だったら、無そのものが、ないのである。ちゃんちゃん♪
いや しかし、それにしたって、どう転んでも、なんかキモチわるいのよねえ。。。
「ほんとうの無」も、「有」しかない世界も、どっちも。
んま、こんなことを ふと思い始めたら、いつまでも つらつら考えてるんだから、そりゃ、「ヘンなやつ」とか思われて、浮きまくってバカにされまくっても しょうがないか(苦笑)さすがに、ふだん、こんな話題は、おくびにも出さないけど(苦笑)
日常の多忙な生活感覚や、それに つごう良く合うことしか思わない、考えない、それが、「ふつうの人」ってことなんだろうから。
閑話休題。
ま、当ブログを読んでこられた人は、ほぼ首肯なさることだろうけど、ここまで、私が述べてきた あらゆる分野、特に、政治関係の見通し、展開について、ほぼほぼ言い当てていたことは お分かりだろうと思います。べつに、自慢してるつもりは全く ないですよ。ただ、呆れているんです。なさけないとすら思うの。
なぜ、大学も行けなかったボケ~としてる私でも、それなりに、すぐに理解でき、分かることが、多くの賢い人は、
もっとも、民衆や一般大衆というものは、愚かなものなのだろうにせよ、
とりわけ、私と違って、知能も学歴もズバ抜けて優秀なはずの人たちですら、的を外しっぱなしの愚見を振り撒いては、事の次第が明らかになるにつれて、とたんに口を つぐむか、あるいは、そんなこと言いましたっけ?ウフフ、みたいな、唖然とするほど素早い変わり身を披露するのか、その あさましい態度、思考がね。
いま、まさに、トランプの姿が見本になってるけど、
個人は勿論、国家のレベルでも同様に、劣等感やコンプレックスが異常に つよいタイプ、プライドだけが異様に つよいタイプ、それと、ウヌボレが やたらと つよいタイプ、たいがいは、これらを同時に背中合わせで持っているようだが、こういうタイプを、およそ権力の椅子に座らせてはダメなんだ。
けれど、えてして、こういうタイプこそは、自己愛のため、そのためだけに、がつがつガンバっちゃうからねえ。
しかも、
単純に好きでガンバってきたわけでは ないのが本音なのだろう、何か別の目的を、無理して遂げようとガンバってきた証左が、ああいう連中の、傍迷惑でワケわかめな被害意識。
それは、俗物根性だからです。
まさに、「謝ったら死ぬ」病なんですよ。
そのうえ、深刻な間違いや、悪業を重ねてきたからこそ、素直に謝れなくなるでしょ。
トランプ政権全体が、見本を見せてくれてますやん(嗤)
一般の家庭内でも、同じですよ。
うちの親が、ほんとうに、こういうタイプだったけど、まったくもって、傍迷惑なんてもんじゃない、本質的に無責任だし(親なんて、無責任だからこそだけどw)、自己愛のために、抵抗力の乏しい者を利用し尽くし、その人生を潰すことすらも辞さないからね。
もともと精神的に脆弱な おのれの、いよいよ首から下の身体面も弱ってきたら、たちまち、それまで以上に依存を強烈にするからね。
なので、いわゆる「毒親」つまりは「自己愛性人格障害」者を親に持っている人に対しては、私からはシンプルに一言。
障害とかを負わされてしまっていたら、脱出するにも困難を極めるかもしれないけど、そうじゃないなら、
とにもかくにも、いちおう自活できる経済力を持つこと。
それから、可能なかぎり、遠くへ去ること。
ぐずぐずしてたら、いよいよ自分もトシくってしまってから、親に踏み潰されるよ。
ブツブツぼやいてるヒマは ないのよ。
「三十六計逃げるに如かず」だ。
ほとんどのところ無自覚だったのだろうか、そういうふうに装っていただけなのだろうか、
私には、うちの親の本当の正体を、正確にまでは分からないままだけど。
なんせ、優秀であったはずの脳に、生来的異常をも抱えた、まるで「人種が違う」としか思いようのないタイプの人たちだったからね。
さて、
「建国の歴史が浅いから」とか、そんなことが当たってるかどうかは分からないけど、「騎士道」も「武士道」も、そんなものは最初から持ち合わせや しないまま、世界じゅう、あちこちの紛争や戦争に首つっこみまくり、みずからが仕掛けさえ してきたことも、世界じゅうの人々が、『アメリカ』について知っていることの大なる一つだが、
そのため、肝心の自国兵士などの人命を筆頭に、莫大な損失を生じさせ、保険業界も深刻な負担を被ったであろう、というようなコメント投稿を見かけたのだが、そこで、当ブログの過去エントリー内で紹介しておいた『赤旗新聞』の、この記事を思い出したわ。
一昨日のエントリーでは、最近、鑑賞させてもらった、少し古い時代の映画の感想を述べておいたけれど、言い添えるのを失念していたことについて、追加。
制作された時代が、敗戦後、まだ10年も経っていないせいなのか、こんにちでは、すっかり失われてしまったような日本人と、その社会の、基本に生真面目さが濃厚に残る気風や矜持を見受けたが、特に、垣間見て、ひときわ驚いたシーンが、『愛すればこそ』の一場面。
当時の機動隊(正確な名称は知らないけど)と衝突する一般の民衆、国民たちのデモ隊が手に手に掲げていたプラカードの文言だ。
そこには、
「日本の再武装と教育を」
といった要望のコトバが並び、特に、若い世代を演じた俳優のセリフにも、
「日本の独立のために」
といったコトバが出てくる。
しかし、
この映画の監督さんについての批判に近い指摘を見ると、「左翼」思想が強いので、辟易したという内容なのよね(苦笑)
昨今の「右翼」「ネトウヨ」などと、いつの間にやら入れ替わったのかいなと思えたほどの話なので、世代が全く違う私は面食らい、とにかくビックリした しだい。
ついでに加えておこう。
『細雪』の結末にしても、
やっぱりと言うか、谷崎の、俗な、あるいは「保守」的なと言えば いいんだろうか、女性の人生、生きかたに対しては、うちの過去エントリーでも批判しておいた、かのオスカー・ワイルドとの共通した感覚が窺えた。
結局は、女性は、亭主を頼りにし、従順でいることが幸せの近道、
そして、理想の女性の姿とは、芯から貞操ゆるがぬ、気高い淑女であるという結論。
なので、そこからの逸脱や、逆なキャラ、生きかたを する女性は、結局は、罰が与えられるのだよ、、、みたいな(苦笑)たぶん、古今東西の男の共通性の一つでしょうねwでも、「悪女」も大好きでショww
…
というわけで、
またまた、おひさしぶりねえ♪な更新でしたが、
さすがに数ヵ月ほども放置状態になったら、それは、おそらく、生死にまで関わるほどの何らかが起きたなと察してもらっても いいだろうけど、なんせ、気まぐれな性分なもんでしてね、また、できるだけw近いうちにねww
それでは、ごきげんよう~