2025.04.14 (Mon)
『【続】どうすんだ、コレ』の続き。
これも、旧ブログの頃から言っておいたけれど、
「癖が つよい」なんてもんじゃない超大国にジリジリ挟まれていく日本国は、かつては、みずからが踏み躙ってきた小国の悲哀を、いよいよ、わが身で味わう日が来るだろうと。
それにしても、
日本以上に「本音と建て前」の乖離が激しい『アメリカ』。
おのれこそが望んで、躍起になって手にしてきたヘゲモニーを、おもちゃに飽きた小児のように、ポイッと放り投げる無責任。
かたや、
かつては文明、文化を分けてもらってきた歴史を持つ日本ですら、とても真似しきれないほど、「面子」への拘りが異様に激しい『中国』。
プライドが踏み躙られたという屈辱感、劣等意識の補償を激烈にする者は、国家でも個人でも同様の反応になっていく。
そして、
どちらにも、独裁や全体主義が付き物だ。
同じく付き物である「イエスマン」や「長い物には巻かれる」手合いこそが厚く遇されるのは古今東西のパターンであると見受けるけれど、
それこそトランプ自身にしても、イエスマンを厚遇することは、「義理堅い」ことの表れなのだと思っているのかもしれない。故 安倍氏も、こういう点で よく似ている性質だった。
要するに、公私混同ということが分かっていないのか、分かっていないから、それを咎められると、たちまち逆恨みする。
自己愛ゆえの投影、同一視。
自己保全欲求ゆえの小心、警戒心。
被害意識を嵩じさせるにつれて、自分棚上げも酷くなる。
やがて、怨みを募らせた対象相手と同様のことを やるようになる。
心底では憧れていたかのように、堰を切った如くに、真似を したがる。
その背中合わせで、かつての自分のように非力だと見做す者への虐待欲求と侮蔑心を募らせる。
やっぱり、これで上手く いくのだなと思えば、どんどんウヌボレを深める。
この調子で、一気呵成に やっちまえ、と なる。
だから、「味を占め」させては ならないのだ。
たとえば、プーチン。彼のせいで、どれだけの人が、命を落としたことだろうか。
だが、彼のような者は、「自分が及ぼす影響力」が強大であるか如何か、それを確かめることにしか、興味が なさそうだ。
自分のせいで、命を落とした者の数は、多ければ多いほど、「自分の力」の証しとなるのだから、反省なんぞ、する理由が ないわけよw
死ぬまでに、どこまで拡大できるか、「自分の力」、「自分が及ぼす影響」を。
ところで先日は、『イギリス』の現国王が、「戦いに備えてこその」平和なのだとかいった主旨の演説を されたらしいのだが、この人もね、根っからのウヌボレ、、、まあ、しかたないのだろうね、そういう「お育ち」だもんねw
そういう「お育ち」の人は、極端な恐れとウヌボレの あいだを、常に揺れ動いているのだろうし、かつ、それを隠さなければ ならない。死んだって演じなければ ならない。
んで、以前も言ったけど、
戦い、つまり「戦争に備えなければ ならない平和」なんてのは、ほんとうの平和なんかじゃないじゃんw
いいや、戦争に備える必要が なくなった平和こそは、ありえないって言うの?ww
それは、さんざんチョーシこいてきた男どもの、勝手な思い込みです。
そりゃ、この世で生きていくうえで、あらゆる場での、自分自身をも対象に含めた、何らかの「戦い」「闘い」は あるにせよ、
先日のエントリーでも指摘したけど、
まず「領土争い」なんぞは、男どものシュミに過ぎない。
ほとんどの女性の興味や関心の対象では ない。
「守ってやってるんだ」「誰の おかげで守られてると思っているんだ」
強迫とウヌボレに囚われている男性は、ほんとうに、もう そろそろ、消滅するが吉なのでしょうよw
この先、ますます、いらんことばかり仕出かしそうだもんなww
もともとは「出来損ない」としてポロポロ産み落とされた存在をも、このバリエテ世界は、ほいほい受け入れてやり、そして、淘汰どころか、増やしていき、もはや増やし過ぎた。
失敗作、出来損ないだったはずの者たち、その名は、男(爆)
ついでに、『皇室』についても、また指摘しておくよ。
日本の場合は、『王室』では なく、『皇室』。ということになっているw
わりと近年まで、『天皇』すなわち「現人神」なのだと、宗教的な意味合いを濃くしてきて、それが最上の「伝統」とされてきたし、それだけに、国民に極めて悲惨を味わわせた敗戦後は、「平和憲法」のイの一番めに、ハリツケになってますわな。
手段と目的がゴッチャになってか どうなのだか知らないが、ある方面では、この「平和憲法」を、そっと そのまま、 そ~っと そのままにしておくがために、ハリツケ状態も そのままで、と、主張したい向きも存在するようだw
お気の毒、ああ、おかわいそう、とても辛い お立場だ。人権侵害。あまりにも、お気の毒。
だったら、廃止しましょうよw
「人の上に人」を拵えてるわけだしさ。
でも、そこは避けて済まそうとするのよね?wwミギもヒダリもwww
まあ、廃止したら したで、それだと都合が悪い立場の人たちも一部には いるし(箔付けとか儲けが なくなるとかね)、タチの悪い不穏な問題も陰に陽に引き摺り続けてるしね。
ま、もう ええんちゃいますか?いいかげんに、その洗脳やらコントロールやらから目を覚まし、言うことと やることが乖離し過ぎた果てに、とうとうオツム分裂を きたした暴走列車には乗らないよう、賢明に、慎重に。
『皇室』温存にも徹底的計算を はたらかせたアメさんとは、そろそろ適切な距離を置かせてもらって、もっと こう、見通しと筋の通った、時代錯誤でない志を共有し、高め合える国々と仲良く連携させてもらいまひょ。
と、このように いきたいところでは あるが、
いちばん重要なこと、喫緊のことは、また言うけど、国民大衆の不勉強と無関心を、改善していくこと。
もちろん、個々の生来の資質も、積み重ねてきた土台も大きく作用するのだが、
昨今のアメリカは特に目立ってるけど、日本でも そう、どこの国の民衆でも、不勉強と無関心の第一の原因となるのは、心身の余裕のなさだ。
それ以外は、知能に少なからぬ難ありとしても、けっして圧倒的大多数を占めては いない、はずでしょ。
再びハッキリ言って、知能は勿論のこと、人格、人間性に問題ありと知れている者に、何かを自由に判断させたり、ものごとを任せたりしないわな、ふつうは。
高い知能と要領の良さを誇るエリートも また少数存在では あるが、このケースでは往々「順風満帆」が災いして、視野が狭い。
視野が狭いと、想像力に欠けて、独り善がりになりがちなのでは、結局、困った人たちの部類に仲間入りだ。
しかも、プライドや自負心が人並み以上に旺盛なもんで、内心で見下してかかる対象相手の言うことなんか無視する。
わが「順風満帆」を邪魔する者は、敵、と心得ているのだろうw
それよりも、むしろ、もっと問題なのは、多少なり元気に動けている多数層の人々。
中途半端な状態では、かえって、より安きに流れがちなのが、おおかたの人情というもの。
エリートでも順風満帆でも全然ないのに、なぜか、プライドばかりが異常に肥大している人種も それなりに多く混じってるし(嗤)
突出ということに無縁な われこそ「人並み」「世間並み」である、そこからハミ出したことだけは ない、それ自体が、この人種にとってのプライドであり、価値観を上げたり下げたりするための、目盛が動くモノサシだ。
ただし、このモノサシは、単に見慣れた、聞き慣れた、もう慣れて、慣れたというだけの対象にも、大いに影響を受けてしまう。だから、あてに できるものでは ないし、あてにしては いけないシロモノだw
とにかく、驚かなくて済む、いつもの安心感が、いつもどおりで変わらないように、目盛もヒョイヒョイ動かすww
結局は、変わらない、変わらないために動く、それが、いちばん大事♪なのだろうw
もっと深刻なのは、
かつての私自身も それに近かったけど、いよいよフリーズしてしまったら、もう動けない。
そこまで陥る前に、辛うじて動けないと、本当にヤバい。
しかしながら、
日本は、なりかけているに違いなさそうだと思うのだけれど、これが大多数となってしまったら、最も困難な存在となるのは、「自己不信」「諦め」という柵に囲われて、フリーズ状態に陥っている層。
不勉強どころか、考えてみる余裕も なくしている。
考えるためには、情報を得なければ始まらないのだが、ひたすら、なんとなく足の下に見えている地面や床だけを見つめて、うつむいて、とにかく転ばないように歩くので精いっぱい。
「第一」から「第四」だろうが、およそ権力層というものは、まずは、教育に介入し、コントロールを図る。
その結果、「衆愚」は衆愚に気づけないという事態が起きうる。悪しき権力なら必ず図ることだ。国家でも一般家庭でも同じ。
「力」よりも負担のほうが予想外に大きかったと思い知れば、被害意識を、子に ぶつける。ぶつけられるのなら、ギリギリの範囲で。
人間が拵えた あらゆる概念の土台は大穴を隠し持ち、何らかの願望や欲求が詰まっていて、「民主主義」という思想も また、克服し難い欠陥を持つ。
民主主義ってぇか、どんな思想や体制でも、結局は同じ。
最後の最後に泣くのは誰なのか?ってこと。
それは、あなた自身かもしれない。
「最後に笑う勝者」なんて、いないので。
皆、底で繋がってるのだから。
まっ、いつかは、何もかも、ことごとくがペッチャンコに圧縮されてバクハツして粉々になる繰り返しらしいのだから、誰しも、自分だけが偉そうなことばかり言っては いられないのだけどね(苦笑)
だって、溶けて流れりゃ、みな同じだもの、チャンチャン♫