2025.03.03 (Mon)
『もう、きみには頼まない』の続き。
先述の知的障碍者の場合、その親さんが言っていたには、自分が言った嘘を真に受けた相手が、驚いて、慌てたり困惑したりする ようすが見たくて、要は、とにかく、「反応を見るのがオモシロくて」嘘を つきまくってたというんだけれど、
うちの母親の場合、知的障碍では なかったし、
まあ、娘である私自身と同様wいわゆる「発達障害」的な要素が、どこかしら あったのかもしれないとも思えるのだが、
なんせ、遺伝的に「脳の異常」を抱えていたのは事実としても、IQ自体はズバ抜けていたと、ま、この点については、本人自身の自慢話で聞かされたに過ぎないのだがw
たしかに、あたまが良いというか、物覚えが良く、何でも器用で、いわゆる「回転が速い」タイプでは あった。
だけども、
母親の姉妹つまり、私の叔母はと言うと、
ハッキリ言って、おつむが よろしくない、ずばり「パー子ちゃん」という定評だったのだからねw
そんな叔母ですら、いちおう美人だった おかげも あってか、バリバリ稼いで、家賃100万円のマンション暮らしやってたんだからなww結局は発狂したけどwww
ちなみに、
脳や精神の異常を抱えている人と、その人の、あまりに「整い過ぎている」ような顔貌との関連性を、誰か研究してみたら、興味深い発見が あるかもね。
もちろん、整形なんかじゃなくて、生まれつきのままの顔貌ですよ。うちの母親が、典型的だったのだけど、ただ、非常に整った美人だとか人相が優れているとか言っても、なかみや人格が必ずしも つり合っているとは かぎらない現実も あるもんですw
…
考えるに、
うちの母親の場合、その嘘や作話の意味するところは、ひとえに、特に娘である私に対して、母である自分が正しいのであり、最も賢明な存在なのだと認めさせるため、イイほうへ回るため、また、同情をも買うためだったのだなと、いまになって、明白に分かるようになった。
私が出生するときの、大変な難産も、聴覚障碍のことも、事実とアベコベの、とんだ作話だったことが、母親の死後、だいぶ後年になって、次々に発覚したから。
要するに、全部、母親に都合のイイ話だった。
その分、私も大いに含めてw家族全員が悪役ww
まあ、あっけらかんと単純だった私以外は、たしかに、陰湿な狡猾なことを やっていた事実も少なくないんだけどさ、特に、親父はね。
まっ、
感謝してもらいたいのなら、まずは、私利私欲や欲得づくの計算から離れたものでないとね。
そういう動機からの提案や要請など、えてして、相手の望まない、また、良くない方向へと押しやるものだ。
まあ、感謝を期待したり、強要するようなな手合いには、そもそもが、できないことか。。。
最後に、もう1回言うよ。
核兵器が あったって、戦争は起きているし、起こしている、この現実。
では、
「日本の核兵器装備!」を声高に主張してやまない連中は、何を どのように考慮していると言えるのだろうか。
このテの連中は、もう ずいぶん前から跋扈していて、その主張の根拠や見通しの如何についても、さっぱり明らかにしないまま、ただ喚き嗾けんとするだけだから、ほんとうのところは、まったくの不勉強のまま、ただのイキった感情だけで、無責任に主張しているだけだということがバレバレだ。これは、およそ「ウヨ」どもの特徴である。
オマエさんらの言うことはな、どれも これも、それこそノーテンキの「お花畑」なんだ。一言で言って、妄想の類に過ぎない。
そうでは ないと言いたいならば、私が以前から問うていることに、せめて一つでも答えてみなはれ。
まず、
小国ながら、なまいきで執拗だった軍事最優先国、もと「枢軸国」であった敗戦国、それも、原爆を もってしての敗戦となった日本を、戦後80年に なんなんとしても、「宗主国」アメリカ自身、その持てる原爆を用い、完膚なきまでに叩き潰しおおせたにも かかわらず、いまだに、心底では疑いを捨てておらず、優越した立場を譲る気配は なし。
なにを やってもダメ、まともな実を結ぶことが なかった故 安倍氏も、その生前にブチアゲてみせていたことの一つ、「核兵器の共用」ですら、許可しないだろう。
それ以外の各国も、とりわけ、隣国を筆頭としたアジア諸国も、日本への警戒と反発を捨てているわけでは ないのだ。
この揺るぎなき事情のなかで、日本が、核兵器装備することを、どのようにして、理解を得ていくのか。
主要な各国にだけでも理解を得られないことには、あの『北朝鮮』と同様のテツを踏むことに ほかならないい。
そこを越えていくには、営々の長い年月と苦心惨憺の努力が必要だ。
「百歩譲って」、もしも、その段階を乗り越えたなら、次には、どれくらいの核兵器を、狭い列島の どこに据え、あるいは並べていくのか、そのための莫大な資金を、今後は、明るい材料に乏しいであろう日本の庶民から、どのように搾りあげるのか。
古今東西、軍事に注力した分は、必ず、庶民の生活を圧迫する。
そこまでの犠牲を払っても、戦争は起きるのだ。
「戦いに備えてこその平和」、そんなものは、ほんとうの平和では ない。
戦争、領土争い、カルトでしかない各種宗教その戒律、
そんなものは、男どものシュミ。
そして、
これが最大にして、最後の難問。
この列島は、太古から、自然災害の宝庫であるが、近年は、ますます、大規模災害の回数が増えている。
うち続く災害からの復興も、ままならなくなっていってる。今後の災害回数と規模によっては、いよいよ、見捨てられる国民が増えていくのだろう。
あの原発大事故を起こしてしまった日本だ。
日本には、核兵器装備は、現実として、いろんな面で、そぐわないのだ。
さて、そこで、「平和外交」とは、どれほど深い、重い意味が あったことか。
昨今は、「『台湾』有事」!という叫び かまびすしく、しかも、そこへ、『ウクライナ』『ロシア』の大問題が勃発した。
このような事態を見るにつけ、「あすは我が身」という懸念は多少なり理解できるが、だからといって、防衛予算を爆上げだ、軍事に注力だ、核兵器装備だと叫んだとて、それは、この国の来歴と現実に沿っていないのだから、よくよく考えてみるしかない。
まず、ウクライナという国、本来なら、日本との直接的な縁は なかった。
そして、台湾のケースとウクライナの それには、基本的共通性が ある。それは、どちらも、自国よりも強大な軍事大国と地続き(追記:但、台湾は、地理的には島国だが、あくまで中国の一部地域で、一つの国に含まれているという「公式見解」も あり、日本も、いちおう、その見解に立っている)でありつつ、敵対も続けてきたといいう事情だ。
あるいは、台湾の本音にも、すぐ手が届く所に居る日本が、自分たちの肩を持ってくれるかぎりで、日本の軍事力を当てにできるならば、という願望めいたものが あるかもしれないが、それと同時に、かつての日本に味わわされた苦みや屈辱も忘れたわけでは ないのだ。
ウクライナにも また、そもそも、自身の初動や対応の浅慮が指摘されうる余地は少なからず ある。
それでも、なお概ねは被害国として見做されており、圧倒的悪と位置付けられているのは、やはり、プーチンのロシアだ。
『レア アース』などの地下資源云々にせよ、ウクライナ国内の埋蔵量が、それほど豊富に あるという話は、ついぞ、聞いたことが ないと、これは、専門分野の研究者が言っていた。
そして、ウクライナが狙われたのは、むしろ、稀有なほどに肥えている「土」そのものでは ないか、とも。
さて、日本は、少なくとも、戦後、一貫して、どこの国とも、敵対していない。ましてや、自分のほうから、ケンカを吹っかけるマネは しておらない。
『9条』憎しの連中が喚くように、そりゃ、『9条』の おかげで平和だったのだと言ってしまっては、たしかにズレている。
日本は、ただ実行してきたのだ。
「平和外交」というものを。
その おかげで、こんにちに至るまで、どの国とも、生活を台無しにし、命を遣り取りするようなケンカを せずに済んでいる、そういうことだ。