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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2019.04.04 (Thu)

大昔から、日本人は、「舶来もの」が大好きだ。「舶来信仰」というコトバが あるくらいだ。

 

どうにも、「オリジナリティ」や大胆な「イノベーション」力に乏しい傾向だから、なおさら。

 

香炉峰の雪や いかに、と。

『天皇』や『皇室』、それらを囲む上流階級の「王朝文化」を権威付けするための、最大の拠り所であった古代中国、その典籍からピックアップする、それこそが、わが国の「伝統」だったはずのことを止めてw

今回は、『万葉集』からピックアップしてみました、ということだそうだが。さてねw

 

早速、何やら問題になっているらしいのが、私個人的にも、なんとなく引っ掛かっていた「」の一文字。

もっとも、私としては、語感のほうから先に、躊躇うものを覚えていたのだけれど、

「令」という文字の意味は、単に良い悪いとか言う以前に、どうしても、「上を仰ぎ見る下からの視線」、「上下」関係の存在を含んでいることは確かだと思う。「令夫人」といった尊称にも同様。

 

で、その『万葉集』中の序文であるらしい、ひとまとまりの箇所に含まれているという、「令月」というコトバを、偉い学者さんも、世間の人々も、「令」は「良い」といった意味合いを持つとのみ解釈しているようだ。

そして、安倍政府も、今ごろになって慌てたかのように、「美しい」という意味で解釈するよう、諸外国へ告げよ、という指示を出したらしい。

ホレ見ろ、やっぱり、「令」だろ、と嗤っている向きも あるw

 

あくまで日本の国内でしか通用しない、内輪の話レベルのことでしかないものを、なんだか、くだらなくも大げさな騒ぎになってきたもんだなあ、という感じだが、

そこへ『外務省』が、省内公文書を西暦で統一方針とかいう話が報じられると、とたんに、「せっかくの慶事に水を差すな!!」と、いかにもウヨ的ネトウヨ的な感情まる出し指弾の声が大きいとやらいうので、外相である河野さんが必死でマスコミのせいにしてみたりの言い訳。

 

「慶事」などとはサラサラ思わぬ私も、「え?なんで今ごろ?」とは思ったよ。だって、

「こんなときに水を注す」も なにも、『外務省』ともなれば、西暦あるいは世界標準を基本にするのは当然のことなので、とうの昔から そうやってるものだとばかり思ってたから。そういう意味で、なに言ってんだ?てな呆れしかなかったけど。

 

 

さて、

くだんの「令月」というコトバ、
この直前に「初春の」と置かれていることもあり、「令」という文字の持つ第一義的に、「知らしめる」といった意味を持つ以上、本来は、「令月」が直接に「良い月」「美しい月」というよりも、陰暦2月の別称の一つで、春の季節の訪れを(大自然界が)「知らしめる月」である、という意味かなと、私は思ってたんだけども。

 

 

とにかく、「美しい」という意味で解釈させろ、という安倍政府の姿勢は、毎度ここでも相変わらずのゴリ押しかよ、とシラケた。

 

「人々が美しく心を寄せ合う」?

まーたまた、そらぞらしいことを おっしゃる。

安倍さん、あーたが、そのシンパ団体らと共に やってきたことは、

分断」「格差」の促進でしょ。

 

 

なるほど、

「和」という文字は、日本の別称でもある。となると、

「日本(国民)」に「命令」して、「臣民」として縛りつけたい欲望ミエミエじゃんw

といった解釈も、言われてみれば、そんなバカな、まさか!と笑っておれない気が してくる。

そんな解釈は、「ネトウヨ」らが頻りと呼ばわる「パヨク」だの「左翼」だのに該当するからだ、とばかりは思えないな。

まあ、ミギもヒダリも無関係な私自身は、ただ、安倍さん、そして『自民党』に対して、そうとうに つよい嫌悪感を持ってるのは確かだけどw

 

 

すでに多くの人から指摘されちゃってるようだが、

さすが、自己陶酔のナルシスト、という人物評が定着してるわけか、

とにかく、「ウツクシイ」というコトバが言いたくてしょうがないのね、安倍ちん、そして『日本会議』はw

そう言えば、「森羅万象」が どうだとか口走ったんですって?安倍ちん。

私は、いよいよ、現シュショーに関するニュースなどは、あの御仁の顔を見るのも、声を聞くのも、極力、避けるようにしているのでw詳しくは殆ど知らないんだけど、

「大自然界が(春を)知らしめる」ということで、
安倍ちんの「森羅万象」発言に繋がってくる?ww


 

「美しい」「うつくしい」「ウツクシイ」こればかりを口走りたがる者の姿の、あべこべな醜悪さ。

 

「信任された」「責任を持って」「丁寧な説明」

これらについても、全く裏腹な姿勢であることの羞恥のカケラもない。

 

 

さしづめ、安倍政権支持層である「ウヨ」「ネトウヨ」と呼ばれている連中が特に好んでいるらしい「潔い」というコトバが彼らの態度からは ほど遠いのが実態であるように、

人間、やたら言いたくなるセリフは、自己自身の実態からかけ離れてるからこそ、だったりする。

 

 

おまけに、「元号で、政権支持率アップ」ですってさw

イベント盛り上げ演出で誤魔化そうとするのが定番パターン、安倍政権お得意の狙いどおりか。

 

それが事実なら、たしかに、つくづく軽薄短小が多い国なんだなと、あらためて、なさけなく思うけれど、

日本の大手メディア・マスコミも、この国の人々を、そういうふうに仕向けてきているでしょう。

あー、やだ やだ。。。

 

 

たとえば、イギリスあたりの王室崇拝者の名物的な人物を話題にしている記事なんかも見かけたことが あるけど、しょせん他国のことだから、「ふうん、もの好きというか何と言うのか、こんな人も いるんだ」と、他人事感覚で笑っておれる。

ここまでの崇拝者というのも、けっして多数派では ないだろうとは思うが、しかし、ひるがえって、自国の人々の、少数でなく、もしや大多数が、こんなふうだとなると、同じ国の人間として、なんだかナサケナイというか、やりきれんものが漂ってくるよなぁと思ってる。

その滑稽なまでの軽薄さ、おめでたい単純さ、知性の乏しさを剥き出しにしたようなスノッブぶりは。

 

こういう崇拝者の存在って、彼らに持ち上げられてる側の当人(女王とか)から見ると、けっして悪い気は しないとか、やっぱり、嬉しいものなのかねえ?

 

かえって、そこはかとない見下し感情すらも内心に湧いて、
「やれやれ、わが民とは言えど、しょうがないなあ。。。」
という持て余すような感覚にならないのかなと思っちゃう。

 

近頃、女王の夫君が、交通事故を起こし、そのために危険な目に遭わされた被害者たちが、ろくな謝罪もないままだということで、苦情を明らかにしたところ、やっと、少しは誠意らしきものを示してもらえた、という記事を読んだけれど、

日本なんかは、ほら、

例の、『オリンピック』のエライさん。
『皇族』でもないのに、「プリンス」と呼ばれていたらしい、あのかたなどは、過去に、死亡事故を起こしておりながら、『皇室』と繋がりを持つ家柄だからと周囲の協力や何かでムニャムニャとかいうスキャンダルも あるよね。

 

 

今度の「元号」の話題に戻ると、

『気淑』(「きよく」と読むらしい)が、この「淑」にしても、また、「和」にしても、全体に、いかにも女性的イメージである。

なんだか、あの仙谷氏の「柳腰」騒動を思い出してしまうw

 

 

まあ、個人的には、『一世一元法』には、良い印象を持てないのが実感だ。なぜなら、

旧ブログでも述べておいたことなんだが、

『昭和』時代に生まれ育った一員である私も、あの元号の時代が長過ぎるほど長かったせいなのか、これしか実地に経験していない『昭和』という元号も、いつの日にかは変更になるのだということをチラッとでも意識に上せたことすらなかった。

なんとなく、いつまでも『昭和』のままで続いていくかのような錯覚を起こしていることの自覚もなかった。

要するに、

親が老いて、死にゆく日が訪れること、

自分も また、同じような日を迎えるであろうことを、アタマでは分かっているつもりでも、正面きって考えることを、先に延ばしつつ延ばしつつしてるうちに、
「きのう きょうとは思わざりしを」てなことになる、そんな感覚に近い。

 

そして、

いよいよ『昭和』時代が終わるのだという日に直面してみれば、

自分でも驚くほど、心理的な抵抗感が起きていることに愕然とした。

ああ、こういうことなのか!と。

 

ほんとうに、愕然emojiとしたのである。

 

なので、ハッキリ言う。

『一世一元法』は、有害です。やめるべき。

こんな心理操作、心理的に有害なもの、国民一般に強いるもんじゃないと思う。

 

 

一個の人間に過ぎない者に、「神話」を背負わせ、無謬性を要求し、

「聖上」などと持ち上げるバカ。

 

おのれが、そういう立場であったら、耐えられるか?

「自分には耐えられないから、天皇は偉いのだ」、
しかし、天皇さん御自身、やりたくて やってるのか?

もし そうであるなら、こんな奇怪で不自然なこともない。

少なくとも私は、押しつけたくないね。自分を含め、誰に対しても。

 

「やりたくない」と言ってはいけない、

言わさないようにしているのだから、こっちも、何も言わない、言えない。

 

国民全員おのおのが当事者であることを避け、心煩わしいことは、
「おまえだけ祈っておれ」と、ただ一人に押しつける。

代わりに「祈ってくださる」のだから、国民は気楽、

国民どうしで「心を寄せ合う」どころか、他人事として遠巻きに眺めるだけで済む。

 

そうして、お互い黙りこくったまま、

「中空」に、見えない目配せと声なき声が、ひそひそ飛び交う。

 

その国では、

「祈らなければならない人」も「祈らなくていい人」も、誰もが、ほんとうの責任を とることは ない。

「責任者」は いないから。

ぽっかり空っぽなまま。

 

 

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Updated   
2019.04.03 (Wed)

なんだか、寂し~い印象だね。

 

スッキリしてると言えば そういう感じもするけれど。。。

敢えて喩えてみると、

『高松塚』古墳の壁画に描かれた女官のような、飛鳥時代の、「大き のり まします」的、素朴にして おおどか、ゆったりと ふくよかな女性の顔だちが、元禄時代に爛熟した芸能である「歌舞伎」の女役が代表したような、キリリと痩せて凄艶なまでの雰囲気へ、

というと、それこそ「人工美」というような感さえしてくるが。

 

まあ、夜桜見物のための提灯に書かれた字面なんかの写真を見てると、いっそう、そんな印象を受ける。

なんとなく江戸期めいた古風感もあり、そこはかとない寂しさの漂う感じもある。

 

 

要するにね、

和』の令が、「気」の冷に見えてくるような(苦笑)

 

つい、「冷気※年」とか口走ってしまいそうで、いまから怖い。。。emoji

なんせ、「失われしン十年」のあとだもんねw

 

 

何ら実績らしいものが ないどころか、マイナスだらけにしてしまった安倍政権の、相変わらずな、ここぞとばかり、鼻につくイベント演出ぶりとか、

か~るいミコシの安倍ちんの、相変わらずな軽薄短小ぶりとか、

そもそも、「元号」制に対する批判等々は、ここでは さて置くとして、

私個人も従来から、『キリスト教』を基底に置いているらしい西暦一辺倒にするというのは、多少の不満が  あるものの、

今回の「元号」には、自分から使用することを避けたくなるのみならず、やはり、公的な書類の場面でも、できるだけ、見たくない気が してしまう。

元号なんてものは、せいぜい、貨幣などだけに残しておくていどでいいんじゃないかな。

 

強制ではないと言いつつも、役所の書類などは、「和暦」でしか書き込めないようになっていたりして、
ま、こういう やりくちが、昔から日本の公が得意とするところである。

 

現憲法が保証している『天皇制』(それもあるから、天皇家は、現憲法を大切に、と常から主張するわけ)
その大前提に、「日本国民の総意に基づく」云々という欺瞞が堂々と記されてあるように、

「選択肢」を保証・保障しておりますよ~んと、表面的には言うけれど、

内実は、真綿で首を絞めるてな やりかた。

 

だから、日本人はイヤラシイと思われちゃうんだろうね。まさに「スネ夫」的なイヤラシサだもの()

うん、さしづめ、現シュショーや、ネトウヨ総本山らしき『日本会議』のメンツそのものの姿じゃんか())

 

 

私自身も、日本人の気風といったものが、どこか合わないような感覚が ずっと あったので、おとなになったら、実家を出るどころか、日本を出たいと思っていたものだ。

まず、障害、そして、親の問題とかに足を引っ張られなければ、さっさと実行してたと思う。こういうことは、若いうちでないとね。

 

 

わりと最近のエントリーでも、
かつての『昭和』や現在の『平成』という呼称を例に、「名前負け」という皮肉な現象が ありうる、という話を した。

 

「和」と付けたせいか、かえって、大戦争をき、さんざんな敗戦を喫する結果となった『昭和』。

後半においては、あくまで表面的な「経済大国」としてのし上がったように見えるけれど、それも、うたかた。

 

そうして、

「平らかに成」らなかった。

国土も、人心も、大きなデコボコだらけ。

 

 

非常に頭が良いはずの人でも、日本は、かつての勢いを取り戻すべく、いかに稼げるようにしていくのか、「経済の立て直しを!」といった論ばかりを展開する識者たちは、掃いて捨てるほども多いようだけれど、

今後は、こういう「枠組みに囚われた」ような論それ自体に対する疑問を持ち、客観性を問い直すべき時代に入ったのでは ないかと思う。経済でも、軍事面でも。どこの国家もだ。つまり、人類的課題。

 

要するに、

たとえば日本の現況、「少子高齢」の問題は、むしろ、誇りにすべき医療と福祉の高度化が齎した恩恵の現れとも言える結果、「高齢者が増え過ぎて」というよりも、第一には、人口のアンバランスから起きている面が大きいし、一般国民・大衆が、素朴に単純に、「子どもを持つ」ことが妨げられやすい情況・状況となっているのであれば、そこを分析し、改善していかなければ ならなかった

 

あくまで私個人的には、子を産み落とすことに抵抗感つよいけどね。

ましてや、これからの日本は、戦争でなくても、大災害が、いよいよ頻々と起きるであろう国で、よく産めるなあ、と感心するのも通り越して呆れるけどw

 

まあ、こないだは、かねてより私が考案してあった「世界養子」を提案しておいたがwいずれにせよ、「親」とか子産みというのは、
「道連れ」にせんものとするシタゴコロ
である以上、しょせんエゴの世界には違いないですわww

 

「マカク猿」の世界を観察しても、自分自身や自分たちグループの勢力維持・拡大は、人間と同様、それを最も重要としているのは明らかなようで、

しかも、猿たちは、人間ほどの計算や下心で細々したことまでは当然、考えないからね。

 

とある雌猿ときたら、ボス猿にモテるらしいものの、次々産んだ子猿は、長女は病気持ち、長男は知的障碍、やっと普通らしい娘が生まれたら、それは幼くして あっけなく事故死、最近、また産んだ息子は、見るからに弱っちいと、こんなんばっかりだ。

 

でも、
例のアブノーマル・マザコンの知的障碍者である息子を産んで、一時は大いに悩んでいるようすではあったけれど、結局、いまでも、そのアホ息子を一番、可愛がってるところを見るとw

人間の世界で言われるような
「子に条件を付けないと愛せない」
ということでは なさそう。

 

 

ちなみに、最近のエントリーで付け加えるのを忘れたが、

知的や精神面の病気とか異常が あることと、あたかも引き換えのようにして、何らかの特異的才能や能力が あるに違いない、という考え方自体が、「条件を付けないと愛せない」ことに通じるよ。

「自分の子」「自分の!」ということに拘り過ぎるのも、同じことだ。

 

 

生殖の問題というのは、繊細・微妙になればなるほど、うまく いきにくいものなのかもしれない。

だから、だらしない者ほど、だらしなく、子どもをホイホイぼこぼこ産みまくるというのが、ありがちなことでw

おまけに、人間社会では、ことに、こんにちの日本社会では、

ぽこぽこ産んでボコボコ殴り殺す、

そういう、猿以下の社会になりつつある。emoji

 

 

年齢が高くなるにつれ、女性は妊娠・出産に悪影響が出易いとか、男性ホルモンの減少とかいった支障が、「晩婚化時代」には必然として伴ってくるし、

科学的には本当のところ どうなのか知らないが、たとえば、女性の場合は、パソコン仕事を長時間するだけで、婦人科の病気を負いやすいとかいう説も、どこかで読んだことが ある。

 

 

「アジア」何番目の経済大国だの「G」何ヵ国のうちに入っておらずとも、軍事に税金を注ぎ込んでおらずとも、

国民や民衆が、まずは平和に、そこそこの水準の生活を送れる、穏やかな国であることは、けっして不可能ではないのじゃないかということ。

 

そのためには、どうするのが良いのか。

各国のケースの研究も、もっともっと深くしてみたらいいのにと思う。

 

 

冷たい空気が、この列島を覆わぬように願いたい、

と思ってたら、新元号が発表されたとたん、

とうに4月だと言うのに、なぜか、冬の寒さが戻ってきたemoji

 
emoji emoji emoji emoji emoji

 

春は名のみの。。。

おばけのような桜が おわったとおもうと

 

「骨皮筋ヱ門」桜のこと

なお、その「骨皮筋ヱ門」さんは、並んで立っていた仲間の桜の木たちと共に、ばっさり切り倒されていました。。。emoji

 

花は、騒がしい人間のことなど 知ったこっちゃないのだろう

 

 

Updated   
2019.03.30 (Sat)

というのも、

「いまは、時代が変わって、『天皇制』や『皇室制度』にも、宗教的な面は不要なんだから」

といった主張が あるようだね。

まあ、それ自体が、単に出自差別」でしかなくなってしまう、
という大前提をスルーしていることにしかならない、
そういう思考停止でしかないことの自覚が皆無
なわけだけど。

 

「女性天皇」だろうが「女系天皇」だろうが、
え?なんだソレ??よくワカランてな、疎い一般国民が言う、

天皇は男女どちらでもいいよ~、むしろ、女性の天皇歓迎!

という意見は、「男女差別は廃止すべきだから」という以前の、

「出自」「家柄」差別でしかない

という問題を、『国連』のナントカいう組織ですらも、分かってないようだ。


「男女平等」にした、「宗教色を廃した」と、どのようにリクツを付けてみても、
特定の家系出身だからという理由で、特別な地位に就かせること自体、じゅうぶんに「宗教」的である。

 

で、

『大嘗祭』ってのは、何のためにやるの?

あの、ひときわ莫大な税金つぎ込んでやるという。

 

国民が餓死するところまで追い込まれてる、えせ民主主義の、「成熟」しきらないうちから早々に腐り始めていた、こんなシケた国でw

 

 

はっきり言わせてもらうと、

現天皇ご夫妻は、とことん、イメージ重視、それは昔からのことでは あるが、

要は、ご自分たちのファミリーが、一般国民や大衆の目に、

「お手本のように非の打ちどころのない、穏やかで、仲が良くて、ご清潔で、ご立派で」

完璧なファミリーだというふうに見えてくれてさえいたら、それで良い、
みたいに見えるときが ある。

 

 

最近の天皇さんは、ずいぶん涙もろくなられた ごようすで、

本来ならば、『天皇』となれば、個人的なことを、あれやこれや言及したり、ましてや嘆いたりするのは、いわゆる『帝王道』とやらに悖るはずなのだけれど、

天皇その人のみならず、近頃は、宮家の人たちも、堂々と、ご自分たちの家庭のことを中心に語られる傾向が見受けられる。

なるほど、時代が変わったのだし、「新しい天皇像」「一個の人間である天皇像」を模索されてきて、ここへ至ったのだろう。

同時に、

おそらく、老齢に特有の、ある種の病にかかっておられるからだろうか、

それが一番大きな理由で、ただでさえ「お出まし」の機会を過剰なまでに増やし続けてきた立場でもあるゆえ、これ以上の深刻な状態に至る前に、できるだけ早い退場を、という御決断を なされたのだろうと察しているが、

それでも、
ここぞとばかり、いろんな儀式やイベントに出ずっぱりらしい。

負担が重くて、ますます悪化するんじゃないの?そんなことばかりやってたら。

何のための「退位」なんだろう、と思う。

 

まあ、この『日本』という国においては、およそ障がい者や病者を、最も隠蔽したがるのは、皮肉にも、『皇室』というファミリーが代表格だものね。

 

 

すでに、当ブログでは何度か問題提起してきたように、『大嘗祭』のような、このテの「伝統的儀式」は、男性の天皇でないと いけないというのだが、

そこを、どこかしら変えて、性別問題は、もう関係ないことにしてしまったりもできるのであるなら、

最初の疑問に立ち返り、

「伝統」ってなに?

それは本当の、正当な、連綿と伝え遺すべき「伝統」であるのか?

また、

「男女差別だから」という以前に、

まるで、「□□時代から漬け込んでおります~」という自称で、古さだけを自慢する糠床やら、だし汁なんかと変わりやしない、

「出自」や「家柄」で差別・優遇してるだけでは ないか。

という疑問は おさまらない。

 

 

いずれにせよ、

こないだまで、「秋篠宮家マンセー、皇太子一家コキおろし」してた

(そう言や、「皇太子」さんについて、「天皇」位を御辞退なされませ!とか主張していた、けっこう有名らしい識者だか学者だかのオジイチャンいたじゃない?どこ行ったのかしらw)

ネット、「ヤフゴミ」あたりが騒いでるような、

「女性天皇を、愛子さまに」

といったことは、当の天皇ご夫妻の胸中にないだろうよ。

 

なぜなら、『秋篠宮』さんも指摘されたという、「帝王学」と言うのか「天皇になる教育」とやらいうものを、生まれたときから置かれてきているのは、いまは、近く新『天皇』位に就かれる徳仁(この字で合ってる?w)氏、そのあとに続くであろう予定の、悠仁さんしか いないから。

たぶん、秋篠宮さんは、それこそ「繋ぎの」存在であり、その御子息が「成年皇族」の年齢に達したあたりで、伯父にあたる、そして、予定どおりに天皇位に就いた徳仁さんも、お父上に倣い、みずからも「退位」ルートを踏まれて、甥御さんにバトンタッチするのでは ないかなあという気が する。

 

問題は、それらがスムーズに運ぶとして、悠仁さん以降の成り行きだ。

もちろん、すぐ そこに来ている、全然、遠くもない、近い将来である。

 

 

だいたい、日本では昔から、「滅びゆく運命に入った家は、女の子ばかりが生まれやすくなるものだ」と言われる。

 

美智子さまも、紀子さまも、もとは「平民」だとか庶民の出だが、古い歴史上では、こういう事例が実際に行われていたとして、あくまで表面的形式を整えたうえで、公式の かたちを外に示す、ということは、一般には知られざるところで、少なからず あったのかもしれない。

いま現在の「天皇家」そのものですら、もとを ただせば、古来の本筋とは、かなり変わっているらしい。

 

「血」というものは、どこかで、大きく入れ替わらないと、そのまま潰えていくのが、「家系」やら「王朝」やらいうものにはハッキリ出やすい現象のようで、言わば、ここでも「新陳代謝」ということが ないと いけないのだろう。

 

あくまでも残したいものらしい『天皇家』という、殊のほか「古い」らしい血が、微かに微かに混じっているという「糠床」「だし汁」のようなものについて、

私個人としてもキーワードの一言を示すなら、

「自然淘汰」

これに尽きると思う。

やみくもに小細工して残そうとしても、しょうがない。

 

 

なにしろ、以前から指摘されていたとおり、『秋篠宮』さんの風貌などは、どちらかと言えば、美智子さまのほうの系統に近く見える。

その御子息が、また庶民出の母親を持っていて、いずれ『天皇位』となるわけだから、これも、「血の入れ替わり」なのだろう。

 

まさに、『明治帝』が深く恐れたという『崇徳上皇』の逸話を思い出す、とは、以前にも言ったけれど、ま、現実は、こういうものだ。
なしくずし、止められない、こういうことは、世の常である。

 

思えば、あの敗戦時に、アメリカの思惑など無視して、皇室廃止という筋を通せなかった日本人だ。

 

さしあたっては何よりも、まずは『大嘗祭』を無しにすりゃいいのに、
と思うわ。

もし、女性の天皇OKにするためには、
そして また、
「一切の宗教色を廃し、あくまでも象徴としてのみの存在」にするためには必要な手続きでもあると思う。

 

 

税金バカ喰いの『宮内庁』も、無しでいい。

 

 

Updated   
2019.03.30 (Sat)

『発達障碍』について、私なりの見解を少し。』の続き。

 

まあ、自分自身の実感で言えることは、

どんな障碍でも、中途半端は、いちばん、しまつが悪いと思える。

そして、

中途半端な知的や精神的異常者なら、そのへんにゴロゴロいるようだ。

 

 

ハンパな身体障碍は、たいがい、本人ひとり苦労する面が大きいが、

やはり、パッと見で分かりにくい場合もある内部障碍だから、はたの者が事情を知らないと、

知的や精神面での障碍は、本人よりも、むしろ、周囲の人が振り回されて難儀することのほうが多いと思う。

それが重なっていくと、当然、周囲からの怒りや不評を買うので、結局、本人も辛くなる、ってことだと思う。

大概は自覚もないし、いたって真面目にやっていて、はたに迷惑かけているつもりもないのだろうから。

 

ただ、、、

実際、周囲の者が、いっさい咎め立てせず、ひたすら許容し、全面的に受け入れているかぎりは、当の本人が、いちばんノホホンとしてる。

そういう状態なら、とくに問題も感じずにいられるのは本人ばかりなり、なのだ。

客観的に、自分を見ることも、反省することもない。

それどころか、

逆に、うぬぼれて、舐めてかかるようになり、
こっちのことを見下して、エラそーに言いよるで、

しまいには、

「黙って聞いてりゃウヌボレくさって、いっぺんブッ飛ばしたろか!!なにさまのつもり?!」

と怒り心頭になったことも少なからず あったよ、私は。基本的に穏やかで優しかったからねwどうやら、つけあがらせてしまうらしい。

 

でも、本人としては、悪気は ないのだから、あくまでも自分は悪くない、つもり。

つい、おかどちがいな人に向かってにエラソーなことを口走ってしまい、

それを咎められると、被害意識を持つ、
というのでは、自分勝手と思われても しかたないぞ。

 

 

私の場合、ハンパな障碍者としての立場で、最大の「敵」となったのは、むしろ、他人よりも、親だった。

 

いっそ、紛れもなく重度であれば、有無や否応、つべこべ文句を言わせることも一切なかったのだが。

そうであったなら、
根本が無責任体質であり、ミエを張ることによって「責任」を示しているつもりという混同を起こしていた うちの親は、どうしただろうなあと、たまに考えることが ある。

 

私を捨て子にしただろうか。

何とか理由を つけて、どこかに置き去ろうとしただろうか。

何度も私を脅してきたセリフどおりに、母親は、さっさと家出しただろうか。

それとも、

彼らのなかの遺伝が目を覚まし、発狂しただろうか。

 

 

ということで、

もしかしたら、自分はマイペースが過ぎるのでは ないか?

と、おりおり、自分自身に注意し、言って聞かせる心がけは大事ですよ。

過ぎた「マイペース」だけじゃないよ、

わりと平穏に日々が流れてると、ついつい、「自分棚上げ」になりやすいウヌボレ、もね。
ただ、これは、「健常者」についても指摘できることで、要するに、「挫折を知らない」とか苦労知らずな者ほど、ウヌボレがちってことだ。

 

つまり、客観的な姿勢を忘れないことが常に必要だということ。ハンパな障碍者は特に。

どうしても、一般社会に出て、仕事しながら生活せざるを得ないのだから、自分自身が しんどいのは勿論だが、当の自分側が、知らず知らずとは言え、思わぬ迷惑行為を及ぼしてしまうこともあるから、自覚が大事になってくる。

 

でも、その自覚が全くないことによる問題は、畢竟、表面的に「健常」の範疇に おさまってると安心してウヌボレてる「健常者」だって、じゅうぶんタチが悪い。

 

 

ウヌボレと言えば、

最近、就活に伴う「OB訪問」とやらで、お酒を飲まされ
(そもそも、べろべろになるまで飲まなきゃならないほどの必要あるか?上手に断れんの??と、女の子のほうにも言いたいけどさ)
あげく、レイプされたという事件の表面化が相次いでいる。

 

商社マンというのは、うちの身内にもいるけど、やっぱり、皆が皆どうこうだと決めつけるわけには いかないが、少なくとも、はっきりと「幹部候補生」としてエリートとしての入社を果たすような男性だと、そもそも、大学に在学中から、つきあってる女の子やら婚約者が、すでにいる人も多いらしい。というのは、

女性のほうも、自分の身近にいる将来有望である男性は、ほっとかないわけで。がっちり掴んでおりますよ()

 

ああいう「OB訪問」レイプ事件を起こしちゃう男はね、まず、ウヌボレてるんです。

勉強でけたオレ、

有名大学に入って、卒業して、一流の大企業に就職でけたオレ。

何やったって、オレには許されるんぢゃー!!

というウ・ヌ・ボ・レ。

 

まさに、この世の春、オレさまの天下ぢゃないかぁー!

春と言えば、女だ!!

そこへ、
自分で期待してたほどには、収穫を、いまだ得てないとなったら、それも また、
「オレさまこそは、何やってもイイはずなんぢゃー!!」病に掻き立てられ、犯罪行為に及ぶバカ。

 

ほら、エリートと目される官僚なんかにも少なくないでしょ。

ただ、要領だけはイイおつむなら、とにかく「手が後ろに」まわらないようにして、罪を犯す。

それすら できかねるアホーは、手が後ろにまわるような犯罪やっちまい、

その原因が、単純すぎるウヌボレにあったとなると、
これは もう、知的障碍者を嗤えない立場だよ。

知的障碍者と異なる点は、ただ単に、ガッコの(暗記第一の日本の学校教育における)勉強だけは、まんべんなく できた、それだけ。

 

 

最後に繰り返すが、

自分はマイペースあるいは、思い込み、独り善がりが過ぎるのでないか?

と、ときには、自分自身に注意し、言って聞かせる心がけ。

「マイペース」「独り善がり」だけじゃないよ、

ともすれば、「自分棚上げ」になりやすいウヌボレも。

 

けれど。

 

哀しいことに、

そういうコントロールは、もとより、性に合わないことなんだ。

 

性に合わないことを長年やってると、ストレスたまるのアタリマエ。

 

聴障者の私が、就職の面接でも、社内会議でも、「健常者」または健聴者の人の数倍は疲労困憊してしまうことと同じようなことなんだよ。

 

中途半端は、理解者が少ない、ひどく、気を遣う。そのわりに、責められる。

 

速いペースで疲れが蓄積し、積み重なっていくと、

ある日あるとき、張り詰めていた糸が切れてしまう、

そして、放心したように弛緩したまま戻れなくなる。

そんな状態になる。

 

結局、無理は続かないということだ。

 

 

ま、とにかく、

さしあたっては、少しでも早く気づけるかどうかが、第一の分かれ目だと思う。

 

まして、親がアテにならないどころか、ことごとく足ひっぱる敵にしかならないような環境だと、

自分で何とかして、環境を一から つくり直すなりして、生き延びないとならないからね。

そのためには、その悪環境を、一日も早く絶ち切らないとならない。

 

遅くなると、致命的。

むしろ、親が元気で強気で押してくるうちにでないと、正面きって戦えなくなる。

 

 

死も、そして病気も障碍も、誰にも代わっては もらえないのだから。

 

 

Updated   
2019.03.30 (Sat)

冒頭に、キーワードを一言。それは、

「マイペース」。

 

じつのところ、私自身、これに該当してるんじゃないかなと自分で思っている面が あるし、

亡くなった両親それぞれにも、いまにして振り返れば、大いに思い当たるし、

私や身内のみならず、ご近所の人や同僚たちといった他人にも、ああ、この人も、たぶん、そうだと思える人たちは、少なからず いる。

なので、けっして、ほんとうの「マイノリティ」ではないらしい実態が察せられるし、

しかしながら、
そうじゃないかなと見受けても、皆が同じ共通性が あるからというわけでは なく、それぞれに、特徴的な、突出した感じの面が あるので、やはり、「アスペルガー」の場合にも、「何割」であるとか、
「スペクトラム」というコトバに窺えるように、要は軽重とか度合によって、はっきりとした「障碍」とは認識されないまま生育したあとは社会人として生活している、そういう当人自身の「生き辛さ」、そして また、周囲に与える「迷惑」度合も違ってくるのは確かだと思う。

 

このような方面で特に代表的なこととして、私自身が経験・体験してきたケースやシチュエーションのなかでの出来事や事例も、おりに触れて、当ブログで述べてある過去エントリーでは、かつての同僚のことを話題にしているエントリーが幾つか ある。

正直言って、いまでも多少は不快な思いが残っている。
しかし、そればかりではなく、自分自身に対する戒めともしている。

 

まずは、一言で言って、

「マイペース」が過ぎないように、みずからを注意している、

ということ。

自分自身にも思い当たるだけにね。

ということは、「自覚」の有無も重要になってくるわけで。

 

 

ところで、

近場で行きつけのスーパーマーケットに、最近、社員か非正規かアルバイトかなどは知らないけれど、見慣れない若い人なので、新入りさんだなと思いつつ買い物中、その人の行動や態度から、ああ、傾向のある人かなと思った出来事が あった。それは、ほんとうに、ちょっとしたことなんだけれど、

やっぱり、

固執しているようにさえ見えるほどのマイペース

な感じが見受けられたということ。

というのは、

私は、とある商品を、棚から取りたいのだけれど、その新入りらしき男の子が、大きな台車のようなものを、商品棚のド真ん前に据えたまま黙々と作業しているので、ちょっとのあいだ待ってみたのだけれど、すぐには終わらないようす。

熱心な作業を中断させるのも、わるい気がして、とりあえず、他の物を買って回ってから、また戻ってきてみたら、まだ同じ状況。

少し離れた所で待っているのを、ふと、顔を上げたときに、私に気づいて、それでも、またすぐ俯き、作業に没頭しているかのように、全く同様のペースで続けている。

まあ、商品を取らせてちょうだいと、私のほうからハッキリ言ってあげれば よかったんだろうけど、何やら誤解したのかもしれないが、向こうは、さも怪訝そうな表情を浮かべていた。

 

その怪訝そうな表情を見て、私は、

「この子、これから どれくらいのあいだ、ここで、こういう仕事を続けていけるか、こっちには知りようもないけど、おそらく、今後、他の人たちから注意されることが重なると、そのたび、本人にしてみれば不本意な気持になって、ヘタすると、被害意識を募らせるようになるかもな」

と思った。

 

他の店員さんなら、客が少しでも立ち止まって待とうとする気配を察したら、丁寧な接客態度の人であれば、すかさず、「申し訳ございません!」と言いつつ、棚の前をサッと あけてくれるのだけれど。あるいは、何か お探しですかと聞いて、代わりに、こちらが指定した商品を取ってくれる。

 

 

私の過去の同僚も、あえて一言で言うと、これだった。

「マイペースが過ぎる」

そのために、私に迷惑かけてしまっていることに気づいていなかった、
あるいは、
大したことじゃないと ひらきなおって甘えている感じすら あった。

 

こちらは明白な障碍持ちであるため、一部、ある種の仕事(電話応対など)が できかねることを受け入れてもらっての新入りだった、そんな私の立場からは言いにくいので、

このような場合は やはり、直属の上司が指導し、
部下各人の能力を勘案して、業務上の公平な配分や采配すべきところなんだけど、

このときの上司も、やたら こまかく指示を出し、それを遂行せよと押しが強いばかりで、本音は自己利益と保身のカタマリでね。

こんなハッキリ言ってしまって悪いかもしれないけど、全社的にも、評判よくない上司だったし、私一個の感覚から来る被害意識ばかりでは ないと思う。

 

とにかく、全体のノルマを はけさえしたら、無能社員のシワ寄せを、別の社員一人に全面的に背負わせてでも、上司である自分の立場が安泰でさえあれば、それで良い、という姿勢まる出し。

もっとも、こっちにシワ寄せ、おんぶに抱っこ状態だった「無能社員」側に言わせれば、

「あの上司は、優秀な社員ほど潰したがってるから~」

という言い分だったw

ま、私には理解不能ざんす。

 

 

言っとくけど、

「発達障碍」だとか、あるいは、精神的な何かの病気であるとかいうことが、すなわち、何らかの面で特異的能力や才能を必ず備えているなんて保証は ないのよ。

その点を、こういうタイプの子どもを持った親さんたちも、肝に銘じていてほしいわ。

こっちが潰されかねないほど、タチの悪いケースも あるんでね、悪しからず。

 

だいたい、たとえば、目の見えない人が、あたかも その代わりのように、聴覚が鋭いとか、よく聞くパターンの話だけれど、

逆に、聴覚障碍だからって、視力が良いとは限らないでしょ。
どっちの機能も、すごく落ちていることなんてザラだろうと思う。

 

私自身も、聴覚障碍を持つ身だから、その軋轢から来るのか、いわゆる発達障碍の何かに該当するような面を併発してるように、自分で思えるし、ストレス多過ぎて、うつ病にも罹患した。

 

 

そう言えば、

とある看護助手の人で、患者を殺害した犯人だという自白にもとづいているということで、無実なのに、刑期をつとめあげてしまったという女性が いたよね。

この人の場合、軽度とは言え知的障碍のため、「迎合的」傾向が あり、そのうえ、彼女の側が、恋愛感情を持ってしまっていたという当時の取調官に、あたかもサービスするかのように、自分が加害者であると認めてしまったらしいという。

この人のケースは、ご本人自身で引っ被った かたちになってるけど、

もしもだよ、

もしも、その「迎合性」とやらのために、誰か他の人に、罪を着せることになってたら、、、

そういう恐れも全くありえないわけじゃないだろう。

 

 

厳しいこと言いたくなるのも、

これまでの私自身の人生において、聴覚障碍ひいては身体障碍一般のことを、最も侮蔑した態度を見せたり、攻撃的な態度を見せてきたのは、ほとんどが、知的や精神面の問題を抱えている人たちだったから。

 

「迎合的」とか、思考停止とか毒され易い傾向が あるのなら、そうなってもフシギは ない。

身近の周囲からや世間の俗悪さに、最も感化されるであろうから。
そういう面において、ある意味で最も脆弱なタイプだということ。

 

少なくとも知的や精神的に、いちおう「健常者」の範疇にある人なら、もう少し計算も働くからか、あからさまなまでの態度には出さない、ま、その程度の違いでしかないんだけど。

 

特に、私が、過去にネットで遭遇した連中からは、最悪の侮辱を受けたもので、それによって、

「世のなか、こんなにも、精神に問題ある者らが、インターネットじゅうを徘徊してるんだ」

と、初めて思い知ったわけ。

 

そりゃ、そもそも思考や感性に、大きな歪みや病みを抱えているんだから、さもありなんということだろう。

 

もちろん、だからと言って、知的障碍者や精神障碍者でも、皆が皆、そういう人ばかりでは ない。

私自身の実際に知っている人たちのなかにも、やっぱり、気立ての良い人というのは いるし、
症状さえ出てないなら、むしろ、しっかりしてるくらいの人だって いる。

知的や精神障碍者、と一言で言っても、結局のところ、その現れ様は、その人にもよる。その意味においては、「健常者」たちと変わりは ないのだ。

 

ちなみに、

ある精神障碍の人は、自分と同じような精神障碍の人とは、うまく いかなくて苦手だと、そう言ってる人が いた。

う~ん、
「類友」のはずなのに、自分と似ている相手だと、うまく いきにくいとか、何かしら衝突したりするというのであれば、当の自分自身の性格の悪さも疑うべきかもなw

うちの両親が典型的だった。
見かけは、ある意味、正反対のタイプに見えなくもないんだけど、根本が同類だったから。

 

でも、こういう場合、目的や利害関係を共にして、それが噛み合っているかぎりにおいては、とんとん拍子で進んで行ったりする、最初のうちはねw

 

ひとたび、利害対立する兆しが浮上したとたん、手のひら返したごとくに右・左へ別れたり、争いになったりもする。
しょせん、利害で結ばってるだけだからだ。

 

 

私?私自身は、自分と似ているタイプの人ほど、ばっちりスムーズだよ()
そもそも、ケンカにもならない。お互いに腹を立てたり、被害を被るような事態には ならないから。

 

まあ、私に似てる人なんて、およそ いなかったけど。

 

【続く】