2019.05.11 (Sat)
『「涙」に餓え、「感動」に餓え、そして』の続き。
ところで、
現天皇家の内親王である愛子さんの場合は、あまり社交的では なさそうな印象だし、それこそ、『園遊会』だののイベントは、ただでさえ負担となり、
まして、彼女自身で『天皇』という主催者の立場となったひにゃ、大変な苦痛にさえ感じられや しまいか?と、少々心配になる。
かつて、『昭和天皇』も、そのへんの お悩みを おっしゃったことが あったし、
雅子さまも、ご体調の影響から、長らく避けておられた。
先述のとおりで、私個人は、『女性天皇』だろうが『女系天皇』だろうが、どっちゃでもいい。
強いて言えば、
このたびの天皇ご夫妻が結婚された当時も、わが家を含めた俗世間では、どうしても雅子さまのほうが、だんぜん、存在感あるねえ
(その分、皇太子の影が薄いw)、
と苦笑されたように、女性には、やはり、「華が ある」のは、イギリスその他の王室などを見ても感じることだ。
近頃では、野党、それも『共産党』までが、『皇室』温存の姿勢へと積極的に転換したように見えるが、それは、あくまでも、改憲に からむ思惑が あるからだろう。
幾度か繰り返し表明してきたように、私個人としては、『憲法』改正、だめゼッタイ派では ない。
国民・民衆にとって、切実な必要性が あるのならばということだが、
しかし、ほんとうに必要かどうかの考えかたが異なる人々が いるわけで、
私は、自民党の『憲法草案』なるものは言語道断、あんなものは「改正」では なく、まさに「改悪」だと思うし、
ましてや、アベシが主催者という『そうせい日本』(?)とかいう団体の連中が喚いていた
「国民主権を なくせ!!」
などという主張には、断固として抵抗する。
『天皇制』『皇室制度』について、性急に無理に廃止すべしとまでは主張しません。ただ、
「(独自の)伝統文化」だから、残していく価値が ある、という考えかたに一応、私なりに寄り添っているからこそ、その「伝統」を、ひとたび損ねてしまうと、あとに残るものは、いったい何を意味するのか?と問うているだけ。
私には、『天皇』や『皇室』に対して、ことさらの反発や悪意もないが、
それは、彼らの思想の持ちかた、姿勢や態度如何による。
もし、おかしな考えかたを しているのでないか?と感じたり、そう思わせるような言動を出したら、そのときは、容赦しない。
もとより、
基本的に、あくまで「他家」の人たち、という通常感覚以上のものは ないし、
ましてや、自己同一視して、『天皇』『皇室』が ある おかげで「日本人として誇り」とかを感じたことなど ないし、
彼らの存在ゆえに、国民として力づけられたこともない。
もしも、災害等で被災し、お見舞いに来ていただけるからと、お会いしてみたいとも思わない。
要は、一個の人間どうしという感覚しかない。
先日は、退位の儀式だったのだろうか、一連の行事についての画像や動画、解説の類も、殆ど見なかったので、詳しくは分からないのだが、「神器」とか「剣璽」とかいう宝物のレプリカ(?)なのかな、それらを納めてあるらしい箱を、天皇さんたちの前で、うやうやしく捧げ持つ係りの人の姿はチラッと見たけど、ああいう お役目、私は、頼まれてもマッピラです(苦笑)『紫宸殿』の階下の地べたに座ってる者でも ございませんw
こないだ、タイ王室でも即位の行事が あったそうで、王様の金ピカな輿行列を取材した記事の写真をチラッと見たが、
あくまで私一個人としてはだが、
こうした光景を見たときに、失礼ながら、ある種の「みっともなさ」すら感じてしまう。
タイ国民の一人である市井の女性の、感動のあまりに、よよよと泣く ようす、これと ほぼ変わらんのだよなあ、日本の「天皇・皇室崇拝者」は。
ところで、
前『天皇』の言う「現(平和)憲法を大切に守る」という「おコトバ」だが、
これ自体が、けっこうな「政治的発言」になってるじゃないか、と思えるのだがな。
「守る」って、強い意志を持って、か?
「則る」のほうが、たしかに受け身だとは言えようけれど。
むしろ本来的な姿勢と言えるかもしれない、天皇としての あるべき態度は。
同時に、
『天皇』ひいては『皇室』『皇族』の地位を、まさに現憲法が保証しているのだということも忘れては なるまい。
これについても、私の考えとしては、現憲法で「縛っておく」に越したことは ないということ。
つまりは、『天皇』『皇室』という存在は、「国民」では ないのであるそうだから、「憲法で縛っておくべき権力の側」に入ってるということなのかな。
以前のエントリーでも述べたように、
こういう存在は、「悪いムシ」が寄り付きやすく、利用され易いからね。
また、
もしも、現(平和)憲法が変更されることになれば、
それこそ、戦前・戦中のように、主権者たる天皇の立場に戻されてしまうようなことが あればだが、天皇その人にとっても、しごく迷惑千万なことでも あろうと察する。
そこにこそ、前『天皇』を つとめた明仁氏の、その父である『昭和天皇』を、むしろ「被害者だった」と感じていることの表れもあるように思える。
「戦災地や被災地への旅」「人々のなかに入っていく」ことも、そうしなければ、以下の大目的が果たせないから。
これらに滞りが出そうだから「譲位/退位」したということになっているけれど、
民心から遠ざかってしまうことへの深い恐れが あったからに ほかならないだろう。
すなわち、
「『皇室』の存在が、常に途切れることなく(実際、『昭和天皇』の代で潰える危険が あった)、安定的に続いていくことを、ひとえに念じている」
これが、明仁氏の一番の大目的。
やはり、『皇室』という一つの家系に伝わる「帝王学」の威力ということだろうか。骨の髄までだな。
ついでに、
いちおう、知識不足を補おうと、しらべていると、
「『男系=血統』という考え方は、けっして日本だけの特殊な考え方では なく、ほぼ人類普遍の観念であると言えます」云々、てなことを述べているセンセイが いた。
なんですと?
だったら、べつだん、日本の独自の伝統的考えかた、とは ならんのか。
皇學館大学現代日本社会学部教授の新田センセイ、あなたの御解説は、理解できるところは あるけれど、「男系」「女系」に関することでも、
(一般の、民間からの女性も皇族になれるということは)
「むしろ、信頼され、尊ばれているわけです」
てなことを おっしゃってるが、
それはキレイごとのヘリクツです。誤魔化すんじゃありませんよ
本音は、あくまでも「父方」最重視でしょうが。
それじゃ結局は「女系の否定」にならざるを得ないじゃないか。
要するに、昔で言う「女は借り腹」程度に見做してるから、産めさえしたら、誰でも いい、くらいの感覚でしょ。
これだから、「ウヨ」ってのは、、、いや、「サヨ」でも そうなんだろうけど、
キレイごとのヘリクツ言い、欺瞞は、わたしゃ、大キライだ。
さて、当ブログでも幾度か取りあげ、何かと問題が指摘されている『大嘗祭』だが、そもそも男性の天皇でなければならぬ理由というのが、この「秘儀」は、いわゆる「女性原理」に もとづくものであるからということらしいので、
なるほど、古今東西の「復活」すなわち「命の継続」の祭りには、ズバリ、性行為を連想させるものが多いのは共通している。
もっとも、かの折口が提唱した説については、どこまでが参考に価するのか、私には分からないけれど。
聞くところでは、『神道』というもの、「カタチ」を最重視し、なかみは二の次というのが本意なのであれば、
たとえば、古代に、殉死者の代わりと見做したハニワを置き並べるようになったごとく、
ここは、女性の天皇には、男装でも していただいたら よかろうw
表面のカタチは、ととのっているよという お約束ならイイんでしょう。
たしかに、そういう気風の濃厚な国柄だわなw
2019.05.11 (Sat)
「イベント」に餓えている日本の大衆。
『オリンピック』も そうだし、
『改元』、『御代がわり』も、『日本会議』提供の『日の丸』小旗を打ち振る民衆にとってw結局は、イベントの一つに過ぎない。
ここんとこ連日、皇室関係の記事ばっか。うんざり。
イノベーション力に根本的に乏しい代わりに、よその文化や伝統をパクることしかアイデアがないのかwやれ、「クリスマス」、「ヴァレンタイン デー」「ホワイト デー」、昨今では、「ハロウィン」と、次々に設定され続ける、商魂たくましき日本のアキンド。
要するに、商売人の仕掛け。
この「商売人」のなかには、メディア・マスコミ業界も含まれてるよ、もちろんw
飽きやすい民衆、日本国民お得意の、「手のひら返し」に ご用心ww
上げて、上げまくってから、イッキに落とす。
これが、いつもの やりかた。大好きな やりかた。マスコミも民衆も。
ちなみに、とある「ヤフゴミん」に言っておこう。
「空気読め」「長いものに巻かれろ」根性の典型である この手合いは、
『皇室』に対する敬称のことでブーブー文句を言ってたようだが、
「某BBSや一部のツイッターなどでえらく不評」
だとさ。
だから何?
私の場合、べつに「反日」というわけじゃないし、そもそも「某BBSや一部のツイッター」なんぞ、参加してないし、視野にも入れとらんわ、くだらん。
それから、
皆が問題視しているらしい、悠仁さん将来の御結婚相手?
それは、ぶっちゃけ、彼が、成人したとき、女性から見て、男性としての魅力を最低限ていどには備えているか。
異性として、それなりには、アピール度を備えているかどうか。
まずは、これに尽きるだろうなw
それが最も左右する。
そんなもんなんですwたとえ、いろんな重いプレッシャー問題が あろうとも。
また、
世のなか、とても目立ちたがりやで、自負心や名誉欲が殊のほか旺盛なタイプの人って いるもんでね。
ましてや、一般的には、まあ「普通」レベルに過ぎなくても、なぜか?w『皇室』では、なかなかの「美男・美女」だということになっちゃうww
芸能一家さながらの存在www「象徴」じゃなくて、もはや「アイドル」。
こういうところでも、前天皇ご夫妻の御努力の たまものかしらねw
しかし、すべてが順調に行くとは まいらないのが、この世の常。
いずれ『皇位』を継ぐ立場として生まれた人が、もしも、重篤な、重篤で なくてもか、何らかの障碍を持っていたら、
あるいは、途中で負ってしまったら、どうするんだろなあ。
選択できない不自由の迷惑は、一般国民は勿論、また、皇室の人々も こうむっている面は、現に ある。
そこで、いわゆる「帝王学」とやらの重要性が出てくるんだろう。
一種の洗脳だろうし、だからこそ、生まれたときから、そのもとに置かれなければ ならない。
そして、万が一のトラブル・アクシデントが あった場合、その中断を想定し、言わば「スペア」をも用意しておかなければ ならないのだろうけれど。
「退位」だ「譲位」だ「二重権威」だ「持参金だ」『旧 皇族』復帰だ!と、次々に『皇室』のための費用が、際限もなく増える。
これも「ヤフゴミん」のなかで、ちょくちょく出てくるようなので、言っておくけども、
個々人から召し上げる金額自体は、ごく少額なんだからツベコベ言うな、という牽制は、お門違いだし、ナンセンスだよ。
もちろん、日本国民以外の人々個々からも召し上げている、その総額は当然、莫大な金額となる。
この莫大な金額を、何に費やすか。非常に重大な問題だ。
この国は、国民主権であり、民主主義。
第一に費やすべきは、国民の福祉である。
庶民・国民の生活は、いまや、熱中症や餓死者を出すほど逼迫し始めてるのに。
また、昔の皇室は、国民に頼る必要もない莫大な資産家だったのだ、という主張もナンセンスの一言。
何が どう転んでも、そもそも、すべては、民衆のものなのだ。
だいいち、そのまた昔は、とても貧乏だったでしょ、朝廷w
士族にスポンサーやってもらい、士族に お膳立てしてもらって、権力を与えてもらい、あげく、民衆を「消耗品」として犠牲にし、大失敗。
あわや、天皇制・皇室制度は廃止、という窮地を脱して、ほとぼりが冷めやらぬうちに、臆面もなく『沖縄メッセージ』、
しまいには、
「どうも、気の毒だったとは思うが」。。。
なに?それ
ある種の傾向性がハッキリ見受けられるので、ことばの選択能力に難が あったのだろうけれど(なにやら、現政権の あのひと、このひとを連想するねw)、それにしても、他人事感覚だ。
沖縄、広島・長崎、よくまあ、腹が立たないもんだ。
たとえば、これは、どう考えても、間に合わない話とは思うが、
仮に、愛子さんが、天皇位に就かれることが、もしも あったとして、
かような「洗脳」を施される立場からは、現状では、逃れられているものの、いわゆる「女系」が開始されてしまうのを避けるため、将来、ご結婚相手を否応もなく、同じ『皇族』男子の一員から選ぶよう仕向けるか強要すれば、「男系」は守られるわけだけれど、
さもなくば、その時点で、「男系」継続はプッツリなくなるわけで、
なにごとによらず、日本の民衆の大多数が、いたって不勉強かつ感覚的、感情だけで判断しているのは明らかだと思われるので、
『女性天皇』は良しとしても、その配偶者が、皇族と無関係な人ということになった場合、
それは、『万世一系』――「男系」という、『天皇』そして『皇室』最大のウリであったはずの「伝統」が覆されるときに ほかならないのだ、
ということは、しっかりと周知策を講じるべきだろう。
そのうえで最終判断するのは、主権者たる国民たちだから。無知のままでは いけない。
そこで、私が何度も提起した疑問が出てくるわけ。
「伝統」とは、
残し続けるべき価値ある独自の「伝統文化」とは何ぞや?
ってことだ。
「Y遺伝子」とかのケッタイな説を繰り出してまで、「男系」に拘るのはバカバカしい。
それも そうなのだろう。しかし、
「女系」であっても、とにかく『天皇』『皇室』の「血統」でさえあれば、それで よい、と拘る側だって、五十歩百歩だよ。
「男系」こそ「皇統」なのか、
「女系」でも「皇統」には違いないのか。
「男系」が、論理的に根拠を説明も証明も できやしないシロモノだというのなら、結局のところ、『天皇』『皇室』の「血統」自体の根拠だって、論理的に説明も証明も できやしないのだ。
いずれに転んでも、「ファンタジー」に過ぎない。
だから私は、この両者の どちらにも、くみする気には ならないのだが、
ただ、
「男系」で連綿と続いてきた、それが、すなわち『皇室』の皇室たる血統であるという立場によるならば、五里霧中の昔・昔・大昔にまで遡らずして、いま、この現代において、女性の天皇が立つことに引きずられるように「女系」が始まったとあらば、そのときこそ、それは、われわれ自身が目の当たりに、その「切り替わり」を目撃する出来事、明白な事実となる。
そして、そこから始まっていくのだろう。
『明治』のときに始め、「伝統」の装いを続けていったように。
「伝統」なんてものは、少しづつ変わっていくのであり、柔軟に変わらなければ続かない、それもそうだ。しかし、
主権者の片隅を占める私個人は、そうまでして続けるだけの価値は感じない、それだけのことだ。
したがって、つまるところ、どっちゃでもいいわけだが、
しかも、
崇拝とコキ下ろしの あいだを忙しく行ったり来たりブンブンと揺れまくり、国家的ゴシップのタネを供給し続ける、痛ましくも奇怪な宿命を負わされた、病的なまでの家系の存在なんて、見たくない。必要でもない。
ただ、この国の人々の おゲレツかげんを、天下に曝け出すだけの装置。
日本人の一人として、恥ずかしいので、私は御免こうむる。
なによりも、
現代日本の国民としては、突き詰めれば「家柄」「出自」差別になるものには、とうてい、納得し難いものがあるし、
積極的には賛成する気に ならん、ということ。
なにが悲しゅうて、わけワカランものに「統合」されなきゃならんのよ?w
取って付けたように「象徴」なんて、そもそも、敗戦後の苦肉の策のコジツケだもの、いらない。
【続く】
2019.04.29 (Mon)
『やっぱり「冷気」?w』の続き。
「ヤフゴミん」のなかには、おおかた、これも誰かの受け売りなんだろうが、
『天皇』『天皇制』は、日本人の高い倫理性や治安度を維持するために必要、
等々と、しょうもないことを言ってる輩が混じっていたが、
すると何かい。
『天皇』や『天皇制』が なくなったら、おまえさんは、とたんに、倫理性を かなぐり捨て、犯罪行為に走るのかい。
まあ、ああいう考えかたってのは、白人における『キリスト教』、または、とにかく何らかの宗教の信徒を やってない人間は、必ず悪いことを やらかすに決まっとる、という考えと同じだわな。
わたしにゃ、自分の倫理観その他にとって、『天皇』の存在や『天皇制』は、一切の影響も関係も ない。
自分自身で判断していってることなんでね。
それも できない、思考停止の連中が、「エスタブリッシュメント」を自負する層に焚きつけられて、『天皇・皇室』崇拝者ってわけか。
なさけないオツムと民度だこと(嗤)哲学のカケラも ない(嗤)嗤)
あっ、そうそう、かのイギリスでは「成文化」してないぞ!云々っつうね、そういうのって、なんだか、うちらの日本こそは、大いに好むところのような感じが するんだけども、なぜか、イギリスw
あれは、さすがのオツム、輝かしい狡猾の歴史にかけては、他国の追随を許さなかった国際的代表クラス、栄光の『大英帝国』ならではだなあと思うわよw
総身の知恵もタカが知れw小男『大日本帝国』が、近代化を目指して、いっしょうけんめいに背伸びし、終始、お手本にしてきた憧れの師匠だけのことは あるww
あれほど素晴らしい三枚舌操作能力は、日本ごときが大車輪してみても、かないやしないwww
で、
そのイギリス王室とて、民衆の暴動で襲われかけたことが あるよね。
いかにもな「渡来(――降臨/乗っ取り)の物語」背景を持ち、朝鮮民族(=中国との深い歴史的まじわり)の血を ひくこと明らかという『天皇』を崇拝し、
かつ、
嫌悪・憎悪して やまぬ韓国・朝鮮をルーツとする企業のサイトを愛好する、
この分裂ぶり凄まじき現代日本w
さしづめ、「ヤフゴミ捨て場」を眺めてたら、そのことが、よーく見える。
だから、
しまいにゃ、根深い劣等意識と「同族憎悪」が民族的特徴の一つであり、なおかつ、日本を「パワーゲーム」の相手として引き込みたくてウズウズしてるらしい韓国・朝鮮人こそ、ひょっとして?「ネトウヨ」的な煽りの正体を成しているんじゃあるまいな??と疑わしく思えるわけさw
本来なら積極的に祖国へと馳せ参じるべき徴兵制度もあるのに、にっくき日本に帰化してしまった同胞は、なんだか裏切者みたく思えるんじゃないの?w
在日韓国人は、日本人からの、という以上に、むしろ、祖国の人間から白い眼で見られる「板挟み」傾向もあると聞くし。
特に、日本国籍の取得は、過去の経歴とか周辺関係を厳しく調査して、少しでも引っ掛かるとなると、当局に認めてもらえないらしく、日本では、けっこう難しいのだという話は、全く そのとおりなのかどうか、正確には知らないけれど、昔から聞こえていたのは事実だし、
しかも、暴力団とウヨク団体には、韓国・朝鮮人が多いこと有名だ。
というわけで、
「在日同胞」が、日本国内で、よりいっそう居づらくなるように、
「日本から出て行けー!!」
「祖国へ帰れー!」
と煽りまくりw
そういう構図も、裏側には あるのかもしれないなあとすら思えてくるww
そうして、
つまるところの最終目的さえ合致しているならば、ある層の日本人たちとも、がっちり、手を握り合ってるとwww
なので、
日本人でありながら「ネトウヨ」になっちまってる連中はね、まさに、
大キライな韓国・朝鮮人の、その手のひらで転がされ、踊らされていることになるのよwグヤジイのうww
それ以外は、まず、アメリカの手先、ビジネス ウヨクやってる連中だね。
ま、以前までの一般的日本人の感覚ならば、韓国・朝鮮に対して、殆ど無関心なほうだったはずなんだもの。それこそが、
従来からの韓国・朝鮮人にとっては、このうえない「癪のタネ」みたいなもんなんでしょw
ところが、
なんと まあ、えらく様変わりしたもんだよねえーw
こりゃあ、あちらさんの勝利じゃないの?ww
いまじゃ、年がら年じゅう、韓国と朝鮮人から目が離せなく、憑り付かれたみたいにドップリ夢中な日本人が激増だものwwwうわーwwww
グヤジイのうグヤジイのうwwwww
でさ、
二言目には「特ア~」とか口走ってる「ネトウヨ」ってのは、例の『日本会議』もしくは、これまた悪名高き『在特会』だのチームなんちゃらだのいうところと関係してて、
ところがところが、
常々から敵対してるはずの『しばき隊』?とかいうのとも、裏では、彼ら、いたって仲良くしてるんじゃないのお??ww
いつぞやは、仲が良すぎて、公衆の面前でケンカ騒ぎ起こしたらしいよねww待ち合わせてデート中の痴話ゲンカを(爆)
せいぜい、見苦しい個人崇拝と罵倒を同時並行で永遠と繰り返しておれや。
この分裂精神の大衆が跋扈するエセ民主主義の国で。
2019.04.29 (Mon)
しかし、まじで、からだが ついていけない。
きのうは、頭痛とダルさと軽い吐き気で、やる気なし。
こないだの金曜日は、もはや夏めいた陽ざしで汗ばむほどだったのに。実際、半袖のTシャツ姿で歩いている人もチラホラ、その翌日から一転して、寒いなあ、、、という状況だもの。お天気までもが、酷い「格差」かよ。。。
年々、春と秋が縮小していくようだ。
この国から、春と秋なくしては、耐え難きことなり
若い頃に、春先の服装について、気づいたことが あった。
それは、3月までと4月とでは、がらりと変わるんだということ。
具体的に どういうことかと言うと、3月いっぱいまでは、ウール混のニットものなんかを着ていて、まあまあ、ちょうどいいくらいだったので、4月に入っても、つい、そういう服装で外出すると、たちまち汗ばんで後悔したという経験を数年にわたって経験したことだ。
つまり、4月に入ったとたん、ニットものなんかは脱ぎすて、厚手の長袖ブラウスだけ、薄手のブラウスなら、ベストを重ねる程度で ちょうど いいくらいになる。
ところが、今年の4月は、なかなか、厚手のニットが手離せず。そうとうの暑がりな私だけに、トシくって、寒がりになったか?と思うほどだった。
毎年、満開の花を見せてくれる、いつもの通り道の桜も、今年は、へんな咲きかたを していた。
どんな咲きかただったかと言うと、
途中までの高さの枝では、七分咲き以上になりかけてるのに、
中ほどから上の枝では全然、固い蕾のまま。
しばらく経って、全体が満開になったかと思ったら、
下のほうの枝は、すでに「葉桜」、
上のほうは、普通に満開の花だけ、という、みごとに二分された状態。
今年は、桜も、みょうな咲きかただなあ、と思った。
最近、いよいよ『皇室』の話題で もちきり、
異様な持ち上げと異様なバッシングが同時並行の ありさまで、
これじゃあ、ほんとうに、国民大衆の精神衛生上に良くないなあと思っていたところ、
そこへ差して、今度は『秋篠宮』家の御子息が通う学校にて、侵入者が、刃物が、という不穏な出来事が勃発というので、ますますの大騒ぎ。
そう言えば、
何年前だったか、あの頃は、もっぱらバッシング ターゲットになっていた雅子さまが、ある日、駅頭で、どこぞのオッサンに、いきなり罵倒された事件が あったわな。
毎度の「ヤフゴミ捨て場」も相変わらずで、「『皇太子』がー!」「『秋篠宮』がー!!」と真っ二つに分かれた ていで、罵り合戦。もうウンザリだ。
これって、ほんとうに日本人が書いてるのか?もしかして、痴呆が兆してる老人が投稿してるんじゃないの?と呆れるほど稚拙でケッタイな日本語(もどき)でもって、『皇室』崇拝者が、その口で、「親王」と「内親王」の違いすら分からずに、やれ、子どもの年齢と言えども『天皇』候補に対して「クン」や「さん」付けはケシカランぞ!!と、上から目線の説教を かましてみせる「ヤフゴミ捨て場」の滑稽さ。
まずね、
大昔から、王侯貴族を始めとした、身分の高い人というのは、基本的には、直接的に、顔を出して要望を伝えるという やりかたは とらないで、気心が知れ、信用できる者の口を代わりに借りて言うんだ。
じつは、いまの天皇さんだって、何かにつけ、ごく親しい御友人のかたを通して告げておられるらしいじゃないか。
それと同じように、
秋篠宮さんも、おりおり設けられているという、天皇さんと、ご子息がたの「家族会議」で出た意見を、比較的に気楽な立場として、代わりに口に出されているのではないかという見かたもあるね。
それと、
ずっと前、どこかの記事でチラッと見かけたけど、
秋篠宮ご夫妻は、当時、ご長女を、将来の皇位継承者たる悠仁さんの おせわ係的な立場として、お嫁には出さず、ずっと皇室のなかに留めておきたいという御意向だったとか。
つまり、昨今の議論になっている「女性宮家」の関連だったのかなあ?
もしも、そうだとすれば、言わば、「アテが外れた」ということになるのだろうか、と同時に、この問題は、他の内親王たちにとっても、なかなか複雑な心境になってしまうであろうことが窺えるわね。
「自由」や「人権」が ない、とも言えるだろうが、それは、庶民の場合でも、それこそ、生命にかかわるほどの不自由さは ある。
少なくとも、「シモジモ」のなかには実際存在している、病気になっても、医者のところに行けないとか、餓えに直面しているとか、遠からず倒壊しそうな家屋で暮らし続けねば ならない、ということは ありえないのだし、
それぞれ個人としての趣味や娯楽の類に関しては勿論のこと、留学等を含む学歴や職に関しても、天皇家以外の宮家の かたならば尚更、ある程度にはと言うか、そのへんの庶民には、とうてい望むべくもない希望が通るようだし。
ま、最高クラスの「特権」の代わりに、「基本的人権」の一部に、欠損が あるわけだ。
そこを穴埋めしているものは、周囲からの大きなプレッシャーとともに、彼ら自身の大きな自負心だろう。
ここで、前回のエントリー『令は「律令」の令w』にて、『皇室』における「伝統」のことについて再び三たび言及しておいた くだりに、付け加えておくと。
これも、旧ブログで紹介したことが ある、どこかで読んだエピソードなんだけど、
あるとき、『昭和天皇』が御不在にされる日に、どうしても、何かの祭祀の実施日と かちあってしまい、どうしたものか考えていた侍従さんに、当時の良子皇后が、
「じゃあ、わたしが(陛下の代わりに)やろうか?」
と、おっしゃったので、侍従さんが厳しく お諌め申し上げたという内容だった。
なかなか興味深いエピソードだなあと思ったわけよ。
当事者も当事者たる『天皇』という主催者の、その妻たる人、彼女ご自身も皇族の血筋とは言えど、男性しか務まらぬ、務めては ならぬはずの祭祀を、代わりに やっとこうか?と、いかにも気軽く提案なされ、
あくまで、その周囲で お手伝いを担当するに過ぎない立場の職員が、真っ向から拒否するのだから。
「皇室」とは、その「伝統」とは、なんぞや。
そもそも、身分が高いと、実の親から引き離され、専門官によって養育・教育されるということは、洋の東西を問わずに、よく見かける話。あたかも、「出家」した者は、以後、修行に一意専念し、自分自身や自分の実家の者たちに拘泥しては いけないという姿勢に似て、先日のエントリーで私も指摘したように、自分一個のこと、そのまわりのことに気を取られるようでは、「帝王道」に悖るというのは、現代における為政者でも同じことだ。第一に関心を向けねばならないことは、自分や特定の者たちの幸せのことでは ない、のだから。
『皇室』においても、いまの天皇さんまでは、やはり、ご両親のもとを離れて育ったことを寂しく思っておられたと、
それを聞いた美智子さまは、おかわいそうに思われたのだそうな。
で、美智子さまの代から、一般家庭のように、お子さまたちを、ご自分の手もとにて養育されたと。
さて、言っとくけど、わたしゃ、目下も目下の中学生に対して、それが誰であろうとも、「さま」付けで呼ぶ気は ないよ。ご本人の教育上も、あまり良くないように思えるし。
だいいち、
おのれが気に入らないとなると、皇室の かたがた、それぞれを つかまえて、「さん」付けどころか、むき出しの呼び捨てだものな、「ヤフゴミん」どもは。
まともな日本語も使えない、
初歩的な知識すらない、
自分のオツムで思考できないから、邪まな者からの受け売りで投稿しまくり、
こんな連中に、しゃーしゃーと、敬称や尊称の別についての講釈たれてもらっても、笑止千万だわ。ばかばかしい。
それ自体で、あたかも「神」扱いの呼称である『天皇』や『宮』と付く場合、むしろ、私は敢えての、「さん」付けだ。
だいたい関西では、普通に『神』に対しても「神さん」と呼びならわすね。
たしか、『三笠宮』家の どなたかは、職場では、「三笠さん」と呼ばれているということだった。
美智子さまとか雅子さまとかの場合は、そもそもが単に個人の お名前だから、いちおう、「さま」付けにしてるけど、「さま」の場合、一般人どうしでも普通に使用するからね。
外国の要人に対する場合ならば、当該人物そのものに対してというよりも、彼・彼女が代表するところの国民の多くが望む呼称であろうと判断して、その国民に対する敬意を表するつもりをもって、「殿下」なり「陛下」という敬称を付けるにヤブサカでない。
しかしながら、あくまで自国内のことに関しては、私は、この国の主権者でありますから、一個の主権者として、自分なりに判断させてもらってます。
【続く】
2019.04.24 (Wed)
やっぱり「命令」の令かww
『昭和と平成、元号に込められた「願い」はなぜ現実にならないのか』4/22(月) 6:00配信
というコラムですわ。
これ、明治大学の専門職の大学院のグローバルのビジネスの研究科うんたらカンタラいうところの教授さんで、野田 稔氏というかたが筆者ということなのだが。
どうやら、
気に入ろうが入るまいが、「上」から下し置かれた目標を実現・達成できるよう、「シモジモ」国民、民衆は、とにかくシッカリ受け入れて、努力しなさい!
てことが言いたいらしい。
まずね、
「『願い』を現実のものにする 実践者になろう」
ってところで、いきなり、
はあ?
って印象よw
チカラこぶ振りあげて、センセイらしくも指導的口調の主張が並んでいます。
「~そうした名前であり、新たな時代のブランドを皆で大切にし、その名前に込められた意味をしかと受け止める。そして、その元号に恥じない時代を作っていく。それは為政者ではなく、私たち国民であり市民の責務なのだと~」
「私たちはこのブランドを守るべきなのだと~」
「~こうした日本人好みのたおやかな世を保つためには、力強い意志と不断の努力が必要なのです」
「日本の文明は世界で最長を誇り、1万2000年も続いています。その間、外敵からの本格的な侵略は一度も受けずに、国土が踏みにじられることもありませんでした」
「日本人好みの」?「たおやかな世」??
「国土が踏みにじられることもありませんでした」???
ですと。
あなたの言ってることは本当に本当ですか?
いやはや、それよりもですね、
「願い」を命令するとはねえw
宗教と同じやんか。
「要は『自分が自分らしくどう生きるか』」!
ってw
あのですね。明治大学の専門職大学院のグローバルなんたらカンタラの教授さん。
そもそも、いやも応もなく、いきなり「上」から湧いて降ってきたように与えられたものを、イコールで、「国民・市民の責務」だとか「守るべき」なんだとか「力強い意志と不断の努力が必要」だとか。
なんのジョークですか?w
やれやれ、大学で、これから成長していく若者、学生相手に、ものを教える立場の人が、これだもんね。
私は、こんな、のっけからハズシまくってるセンセイに教わりとうないよw
「ブランド」「ブランド」って、どこかの誰かが唱えたリクツを信奉している優等生が、そのまんまでセンセイになりました、って典型だね。
わるいけど、私は、「ブランド価値」というものを裏付ける不断の努力は当然だろうとは思うけど、いつの間にやら勝手に他者から押しつけられた「ファンタジー」を「ブランド」そのものとして信奉する趣味は ない。
このコラムは、時間のムダだあ、読むんじゃなかったと後悔したもののなかへ放り込んだ。
ま、「ないものねだり」というコトバもあるw
一般的に、子どもとか個人の名付けにおいても、親などが良かれと願いを込めるのはアタリマエと思ってる人が多いようなんだけど、
じつのところ、昔はさ、必ずしも そんなことなかったじゃない?
私が幼い頃には まだ、おじいちゃん・おばあちゃんと呼ばれる高齢の人の名前に、こりゃ酷いなと思っちゃうような名前の人、けっこう多かったの、憶えてるもん。
「捨て」とか「ヨソ」とか。
こういうのは、「名前負け」を避けるためとか、一種の「魔除け」的な意味合いが あるのだと聞いたことも ある。
まあ、昔は、現代と違って、何人いるのか、こしらえた親すらも覚えてられないほどの子だくさんで、しかも女の子だと、しまいにゃ、いちいち名付けするも めんどくさくなって、テキトーに済ませてたというのが実際には多かったのかもしれないけど。
で、私は先日、このエントリーを書いてアップした。
まさか、くだんのセンセイも、うちのブログをパクってないやろな??w
もういっぺん言っとくけど、
「元号」自体については、日本国内においてさえも、『キリスト教』に由来するという西暦一辺倒というのでは、それも またオモロないような感じもする私だって、反対しているわけじゃないのだが、
『一身一元法』には反対してるわけ。
なぜなら、これは、無自覚のうちに、個人崇拝させんがため、一般国民の心理をコントロールする力が働くからだ。無自覚のうちに、だ。
『昭和天皇』のときに、突如として、それを実感、自覚したからね、私は。
ハッキリ言って、無自覚な日本国民と天皇・皇室の関係性は、「共依存」状態にさせられてる。
まあ、いずれにせよ、次期天皇ご夫妻の力で、どこまで、『皇室』に対する関心を繋ぎとめておけるか、あるいは、この間、過去に見られなかったほどの反発なり、徹底的な無関心なりを国民において招いてしまうかがカギだろう。
そこは、マスコミの大衆操作や、宮内庁を始めとする官僚、政権、「エスタブリッシュ」層、それらの、一般国民や大衆には見えざる思惑、計算が大いに絡んでくるだろう。
いわゆるエスタブリッシュ層の者こそは、アメリカに対する「売国行為」に励んでいたという事実。
『昭和天皇』の「沖縄メッセージ」にも、それは現れてる。
なぜか、当の沖縄でさえも、ほとんど追及しないようなのがフシギだが。
「消耗品」にされた無知な庶民は、いい面の皮だ。
皇室も、どうやら、例の『日本会議』と密接に繋がってるようだし。
すでに先日、述べておいたことだが、次期天皇も、おそらくは、『退位』の道を踏まれることになるだろうと思う。
『皇嗣』とやらの、聞き慣れぬ肩書きを得られることになった秋篠宮さんが、最近、あらためて、年齢のことを指摘されたというので、なかには、兄宮の皇位引退を、いまから急かしているのでは、という、悪意混じりともとれるような穿った指摘も あるようなのだが、
いずれにしても、これから30年もつかどうか。
ただでさえ、雅子さまのコンディション問題が解決されたとは見えないし、せいぜい長くても20年ほどかなと、私個人は予想しているのだが、それも、個人的には何ら関係のない話、どうなろうと知ったこっちゃない。
ただ、ヘタすると、10年ほどで、またも「退位します~」ということになったら、ますます、よけいに莫大な税金投入を繰り返し要することになるので、それも また大問題だ。
だから、
それでなくても憲法違反の疑い濃厚な『大嘗祭』を、これは、『大嘗祭』の特徴的な性質上からも、「女性天皇」「女系天皇」を容認するという現実的段階に至る前に、あくまで皇室の内々の行事にしておくか、すっぱりと廃止するか考えておくべきじゃないのかなと言ったわけよ。
もちろん、「総意」やらいうもののなかに加わらせてもらった覚えも全くない私個人は、
「伝統文化」なんて、ほんとは、そんな なかみは ないのだ、どうでもイイことなんだ、
というのが真実であるならば、いっそ、『天皇制』『皇室制度』自体、なくすべきがスジという考えだよ。
なぜならば、
「伝統」そっちのけでいいんだという そのあとに残るのは、どう考えても、
単に「出自差別」「出自優遇」しか残らないでは ないか。
それでは、いつまで経っても、ほんとうの「民主主義」「国民主権」の精神が根付くはずは ない、と思うから。
国民自身が、いつまで経っても、「偶像崇拝」を好む、「お上」まかせ精神の自覚なく、上から下まで無責任で いつづけるしかないから。
天皇家・皇室のなかだけで、天皇の意向のみで全て何事も決めるべきだ、国民は黙っとれ!という、大バカ者のコメントを投稿するヤフゴミんも いたが、
そんなら、苦しい庶民の税金の世話にならずに、天皇家ならびに皇室は、今後は自力のみで、(海外に隠し財産を逃してあるという説も あるが)せいぜい、取り巻きに支援してもらうなりして、やっていったら よろし。
そしたら、秋篠宮さんとこも、あれほど口汚く誹られることもないんだろう。
崇拝するか、罵るか、どっちかで極端だもんな、ネットに溢れかえってる声は。
国民全体の精神衛生にも、はなはだ有害だ。
「裏付けしてもらう権威」なんてものは、
カネだけは唸るほど得た商売人が、最後に手に入れたがるのは「名誉」のブランド、というパターンと同じこと。
長らく、武家が実権力を握っていたあいだは、彼らとの取引による商売。相手先の事情で、実入りが うまく いかないときゃあ、『天皇・皇族』でありながらも貧乏たらたらに耐えなければ ならんかった。
欧米からの画期的な文明・文化が怒涛の如く流れ込み、新たな権威に取って代わる節目までは、ひたすら、中国大陸からの古い受け売り文化を、「権威」ブランドを保つ よすがにして、それを、商売取引に利用するかたちで、辛うじてプライドを保っていた天皇家も、
『ごイッシン』だというんで、ここでも また、士族に担ぎ出されなければ、そのまま潰えていたかもしれないんだろ、あの家は。
この現代においても、パターンは共通していて、「天皇が任命している」ような形式を とってるだけのことだもの。
まあ、「男女産み分け」技術を利用できたのが、秋篠宮家の男子誕生を齎したという説も あるようだし、それが事実なら、ヤキモキ心配せんでも、今後は、それで いけるんやないの?(笑)知らんけどw