2019.05.11 (Sat)
「イベント」に餓えている日本の大衆。
『オリンピック』も そうだし、
『改元』、『御代がわり』も、『日本会議』提供の『日の丸』小旗を打ち振る民衆にとってw結局は、イベントの一つに過ぎない。
ここんとこ連日、皇室関係の記事ばっか。うんざり。
イノベーション力に根本的に乏しい代わりに、よその文化や伝統をパクることしかアイデアがないのかwやれ、「クリスマス」、「ヴァレンタイン デー」「ホワイト デー」、昨今では、「ハロウィン」と、次々に設定され続ける、商魂たくましき日本のアキンド。
要するに、商売人の仕掛け。
この「商売人」のなかには、メディア・マスコミ業界も含まれてるよ、もちろんw
飽きやすい民衆、日本国民お得意の、「手のひら返し」に ご用心ww
上げて、上げまくってから、イッキに落とす。
これが、いつもの やりかた。大好きな やりかた。マスコミも民衆も。
ちなみに、とある「ヤフゴミん」に言っておこう。
「空気読め」「長いものに巻かれろ」根性の典型である この手合いは、
『皇室』に対する敬称のことでブーブー文句を言ってたようだが、
「某BBSや一部のツイッターなどでえらく不評」
だとさ。
だから何?
私の場合、べつに「反日」というわけじゃないし、そもそも「某BBSや一部のツイッター」なんぞ、参加してないし、視野にも入れとらんわ、くだらん。
それから、
皆が問題視しているらしい、悠仁さん将来の御結婚相手?
それは、ぶっちゃけ、彼が、成人したとき、女性から見て、男性としての魅力を最低限ていどには備えているか。
異性として、それなりには、アピール度を備えているかどうか。
まずは、これに尽きるだろうなw
それが最も左右する。
そんなもんなんですwたとえ、いろんな重いプレッシャー問題が あろうとも。
また、
世のなか、とても目立ちたがりやで、自負心や名誉欲が殊のほか旺盛なタイプの人って いるもんでね。
ましてや、一般的には、まあ「普通」レベルに過ぎなくても、なぜか?w『皇室』では、なかなかの「美男・美女」だということになっちゃうww
芸能一家さながらの存在www「象徴」じゃなくて、もはや「アイドル」。
こういうところでも、前天皇ご夫妻の御努力の たまものかしらねw
しかし、すべてが順調に行くとは まいらないのが、この世の常。
いずれ『皇位』を継ぐ立場として生まれた人が、もしも、重篤な、重篤で なくてもか、何らかの障碍を持っていたら、
あるいは、途中で負ってしまったら、どうするんだろなあ。
選択できない不自由の迷惑は、一般国民は勿論、また、皇室の人々も こうむっている面は、現に ある。
そこで、いわゆる「帝王学」とやらの重要性が出てくるんだろう。
一種の洗脳だろうし、だからこそ、生まれたときから、そのもとに置かれなければ ならない。
そして、万が一のトラブル・アクシデントが あった場合、その中断を想定し、言わば「スペア」をも用意しておかなければ ならないのだろうけれど。
「退位」だ「譲位」だ「二重権威」だ「持参金だ」『旧 皇族』復帰だ!と、次々に『皇室』のための費用が、際限もなく増える。
これも「ヤフゴミん」のなかで、ちょくちょく出てくるようなので、言っておくけども、
個々人から召し上げる金額自体は、ごく少額なんだからツベコベ言うな、という牽制は、お門違いだし、ナンセンスだよ。
もちろん、日本国民以外の人々個々からも召し上げている、その総額は当然、莫大な金額となる。
この莫大な金額を、何に費やすか。非常に重大な問題だ。
この国は、国民主権であり、民主主義。
第一に費やすべきは、国民の福祉である。
庶民・国民の生活は、いまや、熱中症や餓死者を出すほど逼迫し始めてるのに。
また、昔の皇室は、国民に頼る必要もない莫大な資産家だったのだ、という主張もナンセンスの一言。
何が どう転んでも、そもそも、すべては、民衆のものなのだ。
だいいち、そのまた昔は、とても貧乏だったでしょ、朝廷w
士族にスポンサーやってもらい、士族に お膳立てしてもらって、権力を与えてもらい、あげく、民衆を「消耗品」として犠牲にし、大失敗。
あわや、天皇制・皇室制度は廃止、という窮地を脱して、ほとぼりが冷めやらぬうちに、臆面もなく『沖縄メッセージ』、
しまいには、
「どうも、気の毒だったとは思うが」。。。
なに?それ
ある種の傾向性がハッキリ見受けられるので、ことばの選択能力に難が あったのだろうけれど(なにやら、現政権の あのひと、このひとを連想するねw)、それにしても、他人事感覚だ。
沖縄、広島・長崎、よくまあ、腹が立たないもんだ。
たとえば、これは、どう考えても、間に合わない話とは思うが、
仮に、愛子さんが、天皇位に就かれることが、もしも あったとして、
かような「洗脳」を施される立場からは、現状では、逃れられているものの、いわゆる「女系」が開始されてしまうのを避けるため、将来、ご結婚相手を否応もなく、同じ『皇族』男子の一員から選ぶよう仕向けるか強要すれば、「男系」は守られるわけだけれど、
さもなくば、その時点で、「男系」継続はプッツリなくなるわけで、
なにごとによらず、日本の民衆の大多数が、いたって不勉強かつ感覚的、感情だけで判断しているのは明らかだと思われるので、
『女性天皇』は良しとしても、その配偶者が、皇族と無関係な人ということになった場合、
それは、『万世一系』――「男系」という、『天皇』そして『皇室』最大のウリであったはずの「伝統」が覆されるときに ほかならないのだ、
ということは、しっかりと周知策を講じるべきだろう。
そのうえで最終判断するのは、主権者たる国民たちだから。無知のままでは いけない。
そこで、私が何度も提起した疑問が出てくるわけ。
「伝統」とは、
残し続けるべき価値ある独自の「伝統文化」とは何ぞや?
ってことだ。
「Y遺伝子」とかのケッタイな説を繰り出してまで、「男系」に拘るのはバカバカしい。
それも そうなのだろう。しかし、
「女系」であっても、とにかく『天皇』『皇室』の「血統」でさえあれば、それで よい、と拘る側だって、五十歩百歩だよ。
「男系」こそ「皇統」なのか、
「女系」でも「皇統」には違いないのか。
「男系」が、論理的に根拠を説明も証明も できやしないシロモノだというのなら、結局のところ、『天皇』『皇室』の「血統」自体の根拠だって、論理的に説明も証明も できやしないのだ。
いずれに転んでも、「ファンタジー」に過ぎない。
だから私は、この両者の どちらにも、くみする気には ならないのだが、
ただ、
「男系」で連綿と続いてきた、それが、すなわち『皇室』の皇室たる血統であるという立場によるならば、五里霧中の昔・昔・大昔にまで遡らずして、いま、この現代において、女性の天皇が立つことに引きずられるように「女系」が始まったとあらば、そのときこそ、それは、われわれ自身が目の当たりに、その「切り替わり」を目撃する出来事、明白な事実となる。
そして、そこから始まっていくのだろう。
『明治』のときに始め、「伝統」の装いを続けていったように。
「伝統」なんてものは、少しづつ変わっていくのであり、柔軟に変わらなければ続かない、それもそうだ。しかし、
主権者の片隅を占める私個人は、そうまでして続けるだけの価値は感じない、それだけのことだ。
したがって、つまるところ、どっちゃでもいいわけだが、
しかも、
崇拝とコキ下ろしの あいだを忙しく行ったり来たりブンブンと揺れまくり、国家的ゴシップのタネを供給し続ける、痛ましくも奇怪な宿命を負わされた、病的なまでの家系の存在なんて、見たくない。必要でもない。
ただ、この国の人々の おゲレツかげんを、天下に曝け出すだけの装置。
日本人の一人として、恥ずかしいので、私は御免こうむる。
なによりも、
現代日本の国民としては、突き詰めれば「家柄」「出自」差別になるものには、とうてい、納得し難いものがあるし、
積極的には賛成する気に ならん、ということ。
なにが悲しゅうて、わけワカランものに「統合」されなきゃならんのよ?w
取って付けたように「象徴」なんて、そもそも、敗戦後の苦肉の策のコジツケだもの、いらない。
【続く】