2019.05.11 (Sat)
『【続】おっぱいは、何のためにあるの?』の続き。
やっぱり、われらヒト族と、ルーツを共にしているとされるだけあって、猿の子どもの観察は、大いに参考になるよ(笑)
先日のエントリーで、仲間の年上オス猿の おチ○チ○を、おチチとカン違いして、執拗に咥えようと迫る子猿の姿に大笑いした動画を紹介したが、この子猿の癇癪も、そうとうなものだった(笑)
理由は、子猿たちの共通点、「乳離れ」を強制されるからだ。
それは、すなわち、母親の庇護と愛情が遠ざかることの怖れを伴う。
人間関係においても、あらゆる原点を なしているものと察せられるのである。
こちらは、親に捨てられたか、生後間もなくして、親から引き離され、人間のペットとして飼われていたのが、そこからも捨てられたといった何らかの事情があるらしい子猿。
彼は、母親の乳代わりに、何を咥えているか。
不安なとき、眠たくなったときの癖。
とにかく、母親の乳を得られないという時点で、直接的に命に かかわるわけだし、
ましてや、親と言えども、自分の得た食べ物を、
「欲しかったら、自分で探しなさい!」
とばかり、基本的には、わが子に対してさえも与えることを拒絶するのだから、空腹な子猿は、親や「キッド ナップ」された猿が、人間にもらった果物などを手にしてムシャムシャ食べている姿を、とても羨ましそうに見つめる。
最近、こんな動画がアップされていたのを見て、ビックリした。
いわゆる「キッドナップ」するオス猿も いるんだ。。。どうやら、父猿なのかな。
見ていて、だんだん腹が立ち、
「こら!!食べ物を分けてやらないんなら、せめて、父の乳くらい出さんかい!」
と、先述の「キッド ナップ」したオス(父)猿を怒鳴りつけたくなったw
このオス(父)猿は、コメントなどを見たところ、どうやら、「フード スタンプ」として、子猿を連れ回しているのだろう、という。
「フード スタンプ」という意味は要するに、幼い小さい子猿を連れていると、人間たちから、フルーツなどの上等な食べ物を、自分だけのときよりも格段に多く もらいが増える、ということらしい。
人間にも、こんなやつ いるわな。子どもを利用する親。
なんで、こんな目に遭わな あかんねん。
この、途方に暮れた子猿の眼よ。。。
大きなスイカやら蓮の実などを受け取り、その全部を、くだんのキッド ナップ親父が独り占めして、むしゃむしゃと喰ってしまう。
空腹な子猿は、少しでも分けてほしくて泣くのだけれど、いっさい無視されるので、思いきって、下から もぐり込むようにして、食べるのに夢中な親父の目を盗むようにしつつ、食べ物の端っこを ひとくち、もう一口と、ちょこっとずつ齧るのだが、それに気づかれるや、たちまち、噛みつかれるは叩かれるはで、こっ酷い目に遭わされるのだから、結局、ずっと空腹なまま。
そうしているうちに、その子猿は、死んでしまった。
ほんとうに無念そうな死に顔をして。
いったい、この子猿に、何の罪が あったのだろうか。
「業」だの「因縁」だのと、訳知り顔で言う者らに、再度 問う。
そもさん、何の所為ぞ。
この世で最初に「因縁」やら「カルマ」やらのカラクリを拵えたのは、誰だってんだよ、いったい。
この子猿が会いたがっていた頼みの母猿も、一度や二度は、毛づくろいを理由に近寄って来て、うまく乳を含ませたり、連れ戻したりしたものの、最後は とうとう、助けに来てくれなかったようだ。
誰も助けてくれなかった。
ただ、人間どもが、カネ稼ぎのため、ユーチューブ ネタにしただけ。
くだんのオス猿だか父猿は、子猿の死後、しばらくのあいだ、多くの母猿が行うのと同様、なおも、死んだ子猿を連れ回して、時々、かいがいしい ようすで、死体の毛づくろいなどしてやっていたが(猿の世界では、子への愛と言う以上に、むしろ「儀式」的な手続き行為でもあるように見受けたが)、
やがて、そのへんに、死体を放置したあと、
またぞろ、小さな子猿を さらおうと、虎視眈々狙っているんじゃないか?と、閲覧者たちの疑いと怒りの声。
ところで、くだんのオス(父)猿から逃亡するチャンスが全く ないわけでもなかったのに、なぜか、子猿のほうから、しがみついて離れなかったりする場面が少なからず見られたので怪訝に思えたのだが、もちろん、オス(父)猿のほうも、逃げられてなるものか、と、すぐさま追いかけて つかまえてしまうのが常だ。
やはり人間の心理と似て、
「DV」といった情況のなかに置かれると、あたかもフリーズした如くなり、逃げ出せなくなるのと共通しているのかもしれない。
なによりも、おとなの猿に くっついておかないと、子猿は、小さな小さな自分の身を守ってくれる者が いないと感じ、非常な恐れを抱き、怯えるようだ。
だからこそ、母猿に突き飛ばされようが噛みつかれようが叩かれようが、断末魔の表情して、必死に しがみついていく。
人間社会の根源を窺わせる猿の社会は、徹底した上下関係の社会だ。
わが子だろうが何だろうが、利用できるものは、片っ端から利用する。
自分が生き延びるために。そういう者こそが、生き残る。
それが「摂理」であり、大自然界の法則であり、「自然淘汰」ってやつ。
ちっ、ほんとに、宇宙ごと一瞬にして潰れろや!!と思うわ。。。
このような情景は、野性の(また、それに近い)世界では、猿に限らないのだろうか、
昔、かの森 鴎外が、奈良公園に訪れたとき、例によって「鹿せんべい」を与えたところ、子連れの鹿が独り占めして、自分だけ次々に食べてしまい、立腹した鴎外が、それではと、直に子に与えようとした煎餅までをも、親鹿がサッと奪ってしまうので、いたく憤慨したという話を読んだ記憶が ある。
しかし、常々、「自然淘汰」バンザイ!!を唱え、『ナチス』を信奉し、「ディストピア社会」を推進すべく、ネットじゅうを徘徊活動している、例の「カルト連」にとって、こうした野生の猿の社会などは、これこそ、人類が立ち戻るべき理想の社会なのだそうな(嗤)