2019.05.11 (Sat)
『「涙」に餓え、「感動」に餓え、そして』の続き。
ところで、
現天皇家の内親王である愛子さんの場合は、あまり社交的では なさそうな印象だし、それこそ、『園遊会』だののイベントは、ただでさえ負担となり、
まして、彼女自身で『天皇』という主催者の立場となったひにゃ、大変な苦痛にさえ感じられや しまいか?と、少々心配になる。
かつて、『昭和天皇』も、そのへんの お悩みを おっしゃったことが あったし、
雅子さまも、ご体調の影響から、長らく避けておられた。
先述のとおりで、私個人は、『女性天皇』だろうが『女系天皇』だろうが、どっちゃでもいい。
強いて言えば、
このたびの天皇ご夫妻が結婚された当時も、わが家を含めた俗世間では、どうしても雅子さまのほうが、だんぜん、存在感あるねえ
(その分、皇太子の影が薄いw)、
と苦笑されたように、女性には、やはり、「華が ある」のは、イギリスその他の王室などを見ても感じることだ。
近頃では、野党、それも『共産党』までが、『皇室』温存の姿勢へと積極的に転換したように見えるが、それは、あくまでも、改憲に からむ思惑が あるからだろう。
幾度か繰り返し表明してきたように、私個人としては、『憲法』改正、だめゼッタイ派では ない。
国民・民衆にとって、切実な必要性が あるのならばということだが、
しかし、ほんとうに必要かどうかの考えかたが異なる人々が いるわけで、
私は、自民党の『憲法草案』なるものは言語道断、あんなものは「改正」では なく、まさに「改悪」だと思うし、
ましてや、アベシが主催者という『そうせい日本』(?)とかいう団体の連中が喚いていた
「国民主権を なくせ!!」
などという主張には、断固として抵抗する。
『天皇制』『皇室制度』について、性急に無理に廃止すべしとまでは主張しません。ただ、
「(独自の)伝統文化」だから、残していく価値が ある、という考えかたに一応、私なりに寄り添っているからこそ、その「伝統」を、ひとたび損ねてしまうと、あとに残るものは、いったい何を意味するのか?と問うているだけ。
私には、『天皇』や『皇室』に対して、ことさらの反発や悪意もないが、
それは、彼らの思想の持ちかた、姿勢や態度如何による。
もし、おかしな考えかたを しているのでないか?と感じたり、そう思わせるような言動を出したら、そのときは、容赦しない。
もとより、
基本的に、あくまで「他家」の人たち、という通常感覚以上のものは ないし、
ましてや、自己同一視して、『天皇』『皇室』が ある おかげで「日本人として誇り」とかを感じたことなど ないし、
彼らの存在ゆえに、国民として力づけられたこともない。
もしも、災害等で被災し、お見舞いに来ていただけるからと、お会いしてみたいとも思わない。
要は、一個の人間どうしという感覚しかない。
先日は、退位の儀式だったのだろうか、一連の行事についての画像や動画、解説の類も、殆ど見なかったので、詳しくは分からないのだが、「神器」とか「剣璽」とかいう宝物のレプリカ(?)なのかな、それらを納めてあるらしい箱を、天皇さんたちの前で、うやうやしく捧げ持つ係りの人の姿はチラッと見たけど、ああいう お役目、私は、頼まれてもマッピラです(苦笑)『紫宸殿』の階下の地べたに座ってる者でも ございませんw
こないだ、タイ王室でも即位の行事が あったそうで、王様の金ピカな輿行列を取材した記事の写真をチラッと見たが、
あくまで私一個人としてはだが、
こうした光景を見たときに、失礼ながら、ある種の「みっともなさ」すら感じてしまう。
タイ国民の一人である市井の女性の、感動のあまりに、よよよと泣く ようす、これと ほぼ変わらんのだよなあ、日本の「天皇・皇室崇拝者」は。
ところで、
前『天皇』の言う「現(平和)憲法を大切に守る」という「おコトバ」だが、
これ自体が、けっこうな「政治的発言」になってるじゃないか、と思えるのだがな。
「守る」って、強い意志を持って、か?
「則る」のほうが、たしかに受け身だとは言えようけれど。
むしろ本来的な姿勢と言えるかもしれない、天皇としての あるべき態度は。
同時に、
『天皇』ひいては『皇室』『皇族』の地位を、まさに現憲法が保証しているのだということも忘れては なるまい。
これについても、私の考えとしては、現憲法で「縛っておく」に越したことは ないということ。
つまりは、『天皇』『皇室』という存在は、「国民」では ないのであるそうだから、「憲法で縛っておくべき権力の側」に入ってるということなのかな。
以前のエントリーでも述べたように、
こういう存在は、「悪いムシ」が寄り付きやすく、利用され易いからね。
また、
もしも、現(平和)憲法が変更されることになれば、
それこそ、戦前・戦中のように、主権者たる天皇の立場に戻されてしまうようなことが あればだが、天皇その人にとっても、しごく迷惑千万なことでも あろうと察する。
そこにこそ、前『天皇』を つとめた明仁氏の、その父である『昭和天皇』を、むしろ「被害者だった」と感じていることの表れもあるように思える。
「戦災地や被災地への旅」「人々のなかに入っていく」ことも、そうしなければ、以下の大目的が果たせないから。
これらに滞りが出そうだから「譲位/退位」したということになっているけれど、
民心から遠ざかってしまうことへの深い恐れが あったからに ほかならないだろう。
すなわち、
「『皇室』の存在が、常に途切れることなく(実際、『昭和天皇』の代で潰える危険が あった)、安定的に続いていくことを、ひとえに念じている」
これが、明仁氏の一番の大目的。
やはり、『皇室』という一つの家系に伝わる「帝王学」の威力ということだろうか。骨の髄までだな。
ついでに、
いちおう、知識不足を補おうと、しらべていると、
「『男系=血統』という考え方は、けっして日本だけの特殊な考え方では なく、ほぼ人類普遍の観念であると言えます」云々、てなことを述べているセンセイが いた。
なんですと?
だったら、べつだん、日本の独自の伝統的考えかた、とは ならんのか。
皇學館大学現代日本社会学部教授の新田センセイ、あなたの御解説は、理解できるところは あるけれど、「男系」「女系」に関することでも、
(一般の、民間からの女性も皇族になれるということは)
「むしろ、信頼され、尊ばれているわけです」
てなことを おっしゃってるが、
それはキレイごとのヘリクツです。誤魔化すんじゃありませんよ
本音は、あくまでも「父方」最重視でしょうが。
それじゃ結局は「女系の否定」にならざるを得ないじゃないか。
要するに、昔で言う「女は借り腹」程度に見做してるから、産めさえしたら、誰でも いい、くらいの感覚でしょ。
これだから、「ウヨ」ってのは、、、いや、「サヨ」でも そうなんだろうけど、
キレイごとのヘリクツ言い、欺瞞は、わたしゃ、大キライだ。
さて、当ブログでも幾度か取りあげ、何かと問題が指摘されている『大嘗祭』だが、そもそも男性の天皇でなければならぬ理由というのが、この「秘儀」は、いわゆる「女性原理」に もとづくものであるからということらしいので、
なるほど、古今東西の「復活」すなわち「命の継続」の祭りには、ズバリ、性行為を連想させるものが多いのは共通している。
もっとも、かの折口が提唱した説については、どこまでが参考に価するのか、私には分からないけれど。
聞くところでは、『神道』というもの、「カタチ」を最重視し、なかみは二の次というのが本意なのであれば、
たとえば、古代に、殉死者の代わりと見做したハニワを置き並べるようになったごとく、
ここは、女性の天皇には、男装でも していただいたら よかろうw
表面のカタチは、ととのっているよという お約束ならイイんでしょう。
たしかに、そういう気風の濃厚な国柄だわなw