2019.04.29 (Mon)
しかし、まじで、からだが ついていけない。
きのうは、頭痛とダルさと軽い吐き気で、やる気なし。
こないだの金曜日は、もはや夏めいた陽ざしで汗ばむほどだったのに。実際、半袖のTシャツ姿で歩いている人もチラホラ、その翌日から一転して、寒いなあ、、、という状況だもの。お天気までもが、酷い「格差」かよ。。。
年々、春と秋が縮小していくようだ。
この国から、春と秋なくしては、耐え難きことなり
若い頃に、春先の服装について、気づいたことが あった。
それは、3月までと4月とでは、がらりと変わるんだということ。
具体的に どういうことかと言うと、3月いっぱいまでは、ウール混のニットものなんかを着ていて、まあまあ、ちょうどいいくらいだったので、4月に入っても、つい、そういう服装で外出すると、たちまち汗ばんで後悔したという経験を数年にわたって経験したことだ。
つまり、4月に入ったとたん、ニットものなんかは脱ぎすて、厚手の長袖ブラウスだけ、薄手のブラウスなら、ベストを重ねる程度で ちょうど いいくらいになる。
ところが、今年の4月は、なかなか、厚手のニットが手離せず。そうとうの暑がりな私だけに、トシくって、寒がりになったか?と思うほどだった。
毎年、満開の花を見せてくれる、いつもの通り道の桜も、今年は、へんな咲きかたを していた。
どんな咲きかただったかと言うと、
途中までの高さの枝では、七分咲き以上になりかけてるのに、
中ほどから上の枝では全然、固い蕾のまま。
しばらく経って、全体が満開になったかと思ったら、
下のほうの枝は、すでに「葉桜」、
上のほうは、普通に満開の花だけ、という、みごとに二分された状態。
今年は、桜も、みょうな咲きかただなあ、と思った。
最近、いよいよ『皇室』の話題で もちきり、
異様な持ち上げと異様なバッシングが同時並行の ありさまで、
これじゃあ、ほんとうに、国民大衆の精神衛生上に良くないなあと思っていたところ、
そこへ差して、今度は『秋篠宮』家の御子息が通う学校にて、侵入者が、刃物が、という不穏な出来事が勃発というので、ますますの大騒ぎ。
そう言えば、
何年前だったか、あの頃は、もっぱらバッシング ターゲットになっていた雅子さまが、ある日、駅頭で、どこぞのオッサンに、いきなり罵倒された事件が あったわな。
毎度の「ヤフゴミ捨て場」も相変わらずで、「『皇太子』がー!」「『秋篠宮』がー!!」と真っ二つに分かれた ていで、罵り合戦。もうウンザリだ。
これって、ほんとうに日本人が書いてるのか?もしかして、痴呆が兆してる老人が投稿してるんじゃないの?と呆れるほど稚拙でケッタイな日本語(もどき)でもって、『皇室』崇拝者が、その口で、「親王」と「内親王」の違いすら分からずに、やれ、子どもの年齢と言えども『天皇』候補に対して「クン」や「さん」付けはケシカランぞ!!と、上から目線の説教を かましてみせる「ヤフゴミ捨て場」の滑稽さ。
まずね、
大昔から、王侯貴族を始めとした、身分の高い人というのは、基本的には、直接的に、顔を出して要望を伝えるという やりかたは とらないで、気心が知れ、信用できる者の口を代わりに借りて言うんだ。
じつは、いまの天皇さんだって、何かにつけ、ごく親しい御友人のかたを通して告げておられるらしいじゃないか。
それと同じように、
秋篠宮さんも、おりおり設けられているという、天皇さんと、ご子息がたの「家族会議」で出た意見を、比較的に気楽な立場として、代わりに口に出されているのではないかという見かたもあるね。
それと、
ずっと前、どこかの記事でチラッと見かけたけど、
秋篠宮ご夫妻は、当時、ご長女を、将来の皇位継承者たる悠仁さんの おせわ係的な立場として、お嫁には出さず、ずっと皇室のなかに留めておきたいという御意向だったとか。
つまり、昨今の議論になっている「女性宮家」の関連だったのかなあ?
もしも、そうだとすれば、言わば、「アテが外れた」ということになるのだろうか、と同時に、この問題は、他の内親王たちにとっても、なかなか複雑な心境になってしまうであろうことが窺えるわね。
「自由」や「人権」が ない、とも言えるだろうが、それは、庶民の場合でも、それこそ、生命にかかわるほどの不自由さは ある。
少なくとも、「シモジモ」のなかには実際存在している、病気になっても、医者のところに行けないとか、餓えに直面しているとか、遠からず倒壊しそうな家屋で暮らし続けねば ならない、ということは ありえないのだし、
それぞれ個人としての趣味や娯楽の類に関しては勿論のこと、留学等を含む学歴や職に関しても、天皇家以外の宮家の かたならば尚更、ある程度にはと言うか、そのへんの庶民には、とうてい望むべくもない希望が通るようだし。
ま、最高クラスの「特権」の代わりに、「基本的人権」の一部に、欠損が あるわけだ。
そこを穴埋めしているものは、周囲からの大きなプレッシャーとともに、彼ら自身の大きな自負心だろう。
ここで、前回のエントリー『令は「律令」の令w』にて、『皇室』における「伝統」のことについて再び三たび言及しておいた くだりに、付け加えておくと。
これも、旧ブログで紹介したことが ある、どこかで読んだエピソードなんだけど、
あるとき、『昭和天皇』が御不在にされる日に、どうしても、何かの祭祀の実施日と かちあってしまい、どうしたものか考えていた侍従さんに、当時の良子皇后が、
「じゃあ、わたしが(陛下の代わりに)やろうか?」
と、おっしゃったので、侍従さんが厳しく お諌め申し上げたという内容だった。
なかなか興味深いエピソードだなあと思ったわけよ。
当事者も当事者たる『天皇』という主催者の、その妻たる人、彼女ご自身も皇族の血筋とは言えど、男性しか務まらぬ、務めては ならぬはずの祭祀を、代わりに やっとこうか?と、いかにも気軽く提案なされ、
あくまで、その周囲で お手伝いを担当するに過ぎない立場の職員が、真っ向から拒否するのだから。
「皇室」とは、その「伝統」とは、なんぞや。
そもそも、身分が高いと、実の親から引き離され、専門官によって養育・教育されるということは、洋の東西を問わずに、よく見かける話。あたかも、「出家」した者は、以後、修行に一意専念し、自分自身や自分の実家の者たちに拘泥しては いけないという姿勢に似て、先日のエントリーで私も指摘したように、自分一個のこと、そのまわりのことに気を取られるようでは、「帝王道」に悖るというのは、現代における為政者でも同じことだ。第一に関心を向けねばならないことは、自分や特定の者たちの幸せのことでは ない、のだから。
『皇室』においても、いまの天皇さんまでは、やはり、ご両親のもとを離れて育ったことを寂しく思っておられたと、
それを聞いた美智子さまは、おかわいそうに思われたのだそうな。
で、美智子さまの代から、一般家庭のように、お子さまたちを、ご自分の手もとにて養育されたと。
さて、言っとくけど、わたしゃ、目下も目下の中学生に対して、それが誰であろうとも、「さま」付けで呼ぶ気は ないよ。ご本人の教育上も、あまり良くないように思えるし。
だいいち、
おのれが気に入らないとなると、皇室の かたがた、それぞれを つかまえて、「さん」付けどころか、むき出しの呼び捨てだものな、「ヤフゴミん」どもは。
まともな日本語も使えない、
初歩的な知識すらない、
自分のオツムで思考できないから、邪まな者からの受け売りで投稿しまくり、
こんな連中に、しゃーしゃーと、敬称や尊称の別についての講釈たれてもらっても、笑止千万だわ。ばかばかしい。
それ自体で、あたかも「神」扱いの呼称である『天皇』や『宮』と付く場合、むしろ、私は敢えての、「さん」付けだ。
だいたい関西では、普通に『神』に対しても「神さん」と呼びならわすね。
たしか、『三笠宮』家の どなたかは、職場では、「三笠さん」と呼ばれているということだった。
美智子さまとか雅子さまとかの場合は、そもそもが単に個人の お名前だから、いちおう、「さま」付けにしてるけど、「さま」の場合、一般人どうしでも普通に使用するからね。
外国の要人に対する場合ならば、当該人物そのものに対してというよりも、彼・彼女が代表するところの国民の多くが望む呼称であろうと判断して、その国民に対する敬意を表するつもりをもって、「殿下」なり「陛下」という敬称を付けるにヤブサカでない。
しかしながら、あくまで自国内のことに関しては、私は、この国の主権者でありますから、一個の主権者として、自分なりに判断させてもらってます。
【続く】