2024.07.25 (Thu)
なんと、「傭兵」あるいは「義勇兵」とかいうのだろうか、
しかも、
もと『自衛隊』員だったのが、なんと、『ロシア』に渡っていて、あえなく戦死したとか?
要は、ことさら思想とか義憤の類からというわけでもなくて、
単に「ヒリヒリしたかった」だけなんでしょうかねw
大概の男ってのは、とにかく「ヒリヒリ」が大好きだからなww
っと思っていたらw
意外なことに、
『ロシア』が正しいのだぁ!『ウクライナ』で同様に傭兵だか義勇兵だかで参加してる同胞の日本人を、やっつけたいのだぁ!
みたいなことを言っていたらしい。
これの理由が またケッタイな錯綜ぶりで、
要するに、「ウクライナかわいそ」というのは洗脳状態であり、そもそも日本が、『アメリカ』の言いなりになったままでいることがケシカランのだ!という憤りが動機らしいとか。
ということは、
これまた、一種の「代理戦争」めいた理由になってくるんだな。。。
ただ、
いちおう「専守防衛」というカタチを、まあ、少なくとも現状では、辛うじて守っているように見えるウクライナは、もとはロシア側から一方的に押し入られたというカタチで、この戦いが始まったわけだし、
どこの国が云々という以前の、
よろず一方的な「力(武力)による現状変更は阻止すべき」ということが、現代の国際間に おける基本のルールと見做されている(はずの)わけであるから、
現在のウクライナとロシアとの、想定外に膠着している争いが、まさに「専守防衛」を理念というかタテマエにしてきた日本人にとって、アメリカに対する心許なさも あり、ひたすら言いなりになってるばかりじゃねえか(怒)という疑念とか反発とか、まあ、理解できないわけじゃないが、
どうも、せいぜいが日本人どうしの あいだでしか通用しなさそうな、
はっきり言って、かなりスケールの小さい感じが しないでもないような、なんというか、「内輪の論理」めいたものを持ち込んでいるふうにも見えてしまう。
次の話題に移して、
これも しょうもない話、
世間では、いわゆるハンサムという定評を得られるような顔だちの男性でも、なぜか、魅力を感じづらいタイプも いるもんで。
私は、人を見るとき、つい、一見した全体の「顔の つくり」そのもの以上に、他の要素のほうが つよく印象に残ることも多いんだけど、
関連の記事を見かけるたびに、その主要人物の、あの人と この人が似てるなあという感想、たとえば、
現『大坂』府知事の吉村氏と、『自民党=本名:ダッピ統一壺売国党』のなかでも屈指の典型的世襲おぼっちゃまにして「ジャパン ハンドラー」の弟子だ、という指摘までが ある、小泉さんちの息子さん。
この お二方の眼つきが、どうもねwある種の共通性を感じさせて、よく似てるなあと、過去エントリーでも言ったことが あるww
最近では、もっぱら、あの石丸氏と、ただ今 絶賛糾弾中の頂点に立たされている『兵庫』県知事の斎藤氏。
こちらの お二方も また、一見した印象が、なんか似てるなと思うんだけど。
最初のうちは、写真を見かけるたびに、この両者を見間違え。
氏名を確認してのち、あ、そうか、と。
くだんの知事の場合、特に、その鼻梁の あたりとかに、なんとなく滲む冷酷さを感じ取ってますw
また、石丸氏は、最大の懸念事項であるところの人口減少を論じるに当たって、不可能だとは断りつつ「一夫多妻」とか、わざわざ、時代錯誤なコトバまで持ち出していたそうだけど、当の ご本人は独身なのだそうで。
『フインキで投票』
もともとから、『ユーチューブ』などの動画でも、政治家チャンネルの類を視聴することは全くに近いほど、ないほうの私は、都民でもないので、当然、石丸氏に関しても、ほとんど何も知らないままだったのだが、
ただ、基本として、デマの類を流布させるのは論外だし、払わなければ ならんものはサッサと払ったら どうですか?と、そのくらいしか知らんw
それと、
前提が おかしい質問にイライラするのは理解できるけども(苦笑)
ものごと論じるのに、みずから、当然、無理ですがと逃げの前置きしたうえでの極論ばかりで、さっぱり説得力なしは、仮にも政治家としては如何なもんですかねえ。
ま、そのあたりは ともかく。
正直、このかたが配偶者とかパートナーだと、けっこうシンドイかもしれんねというwあまり近づかないほうが無難かな?って感じの印象ですww
ぶっちゃけ、
何かにつけては、こまかいダメ出しが頻繁、オレさま支配欲臭プンプンで鬱陶しいなぁと無視してたらブチ切れてキンキン怒鳴ってきて、
そのくせ、何か困ったことが起きたら、打って変わって知ら~ん顔して、冷たく他人事あつかいにされそうwwそんなイメージが湧くwww
あくまでも、個人的なイメージでしかないですよ?もちろんw
総じて、男性に対し、どっちかと言うならば、良いイメージが少ない私の勝手な想像です、はいww
あと、これも また ついでに。
とある「ヤフゴミ」、こやつもネトウヨまる出しだったが、
先日、
まだ幼児の男の子が、「おっぱい」なんちゃらを、ネット検索しとるっつうんで、悩んでる母親の話題か何かが あったっけ?
そのことについて、そやつは、
心配無用、女児だって、父親の男性器に興味を持つもんだろ、
みたいなことを、さもワケ知り口調で述べてるのを見かけたので、クギ刺しといちゃろ。
まず、一言で言って、わかってないんだよ、この手合いは。
自分が、あらゆることの本質や真相といった面について、いたってニブく、はなはだカン違いしたままという自覚が皆無なんだ。
たぶん、死ぬまでカン違いしたまま、ウヌボレたままだろうな、この世を去る その日まで。
そもそも、「おっぱい」つまり母親、母性という存在は、男児か女児かに関係なくて、デフォルトで良いもの、良い存在である。リクツじゃない。本能的なもの。
わかるだろ?
すべての人類の、ふるさと、それが、女であり、かあちゃんなんだものw
したがって、
父親の下半身にブラさがってるモノに興味を持つなんてこと以前に、
なんてったって母親の ぬくい胸こそが恋しいの。
どう逆立ちしたって、かあちゃんのオッパイには勝てやしないww
あわれだが、父親の性器や父の乳なんぞ、無意味に等しいwww
わかるだろ?
ちなみに、
知人から託された、生後数ヵ月の あかちゃんを抱っこし、あやしてあげていたら、ほっぺをピンク色に上気させて、私のオッパイを まさぐっていたw
おかあさんが戻ってきて、
「あっ!この子、□△さん(←私)の胸さわってる!!」
やめなさいッ!!と言うが早いか、あかちゃんの小さな お手々を、容赦なく振り払って、「ゴメンねえ~」と、私に謝られたが、
あかちゃんのほうは、泣きもせず、ただムッツリ憮然としていたw
この あかちゃんは男の子だった。
振り返ると、たしかに、女児に、そのようなことを された覚えが ない。やっぱり、男の子ならでは、なのだろうか(苦笑)
それから、過去エントリーでも取りあげたことが あったけど、
母親と、あるいは「女湯」に、男児を何歳まで一緒に入らせてよいか否かという記事が出たおり、私自身、ずば抜けた発育度だったにも かかわらず、小学生の低学年頃まで、父親と、しかも、銭湯の男湯に、何も考えることなくアタリマエに入っていたことを述べたことが あるが、
その当時、親父のも含めてw男性器というものに興味や関心を持ったことは一切ない。
こんにちに至るまで、およそ男性器や男性のカラダ全体に対する興味も関心も、持った ためしが皆無と言って過言でないのが結局のところ。
しかしながら、
世のなか、そうでない事例も あるのは知っている。
と言うのは、
かつて、私にストーカーそのものの つきまといを はたらき、かつ、誹謗中傷、罵詈雑言を吐き続けた、とある女が、何かの話題に対して、自身の幼児の頃の出来事を語っていたのだが、
やはり「男湯」に、父親と入ったおり、周囲の入浴客の一人だった若い男性の性器に、非常な興味を惹かれ、じっと見詰めた そのあげく、
「ウンチついてるー!」と笑いながら叫ぶや否や、いきなり、その男性の局部を掴んだ、とかいうのだった。
あわてた父親が叱りつけても、握ったまま、なかなか離さなかったらしいw
いやはや、恥ずかしいという感覚も全く持っていないようすだったが、
私が本当に驚いたのは、
そんな幼い頃に、男性器に対し、つよい関心を持ったということに対してだ。
自分には、ついぞ思い当たるところのない感覚なので、その女に対する違和感を あらたにしたものだった。
くだんの女は、例の『汚気・愚』と『2ちゃんねる』の中毒者で、みずから『自己愛性人格障害』者、かつ、「セックス依存症」であるということを、なぜか、自慢していたケッタイさ(嗤)
たしかに、性的な方面への関心や執着が つよい傾向と見受けていたし、『自己愛性人格障害』者は、そもそも、男性のほうが多いらしいので、それも頷けることだ。性的関心や性欲旺盛な傾向は、圧倒的に男性なので、同じ『自己愛性人格障害』ならば、女性であっても、一般的な女性よりは、性欲が つよい傾向なのはフシギでない。
性というものは、世俗の価値観と密接に絡むし、そこには、自己顕示欲、支配欲などのステージたりうるものを含むこと大であるのは、多くの人が思い当たり、ほとんど本能的なまでに知っているだろう。
じつは、
親父の先妻との娘であり、私とは大きく年齢差の ある義姉に あたる者も、『自己愛性人格障害』との診断を下されており、長い年月、精神科に通院し続けていたのだが、
事実、性的なことに関して異様に敏感で妄想しがち、性欲も旺盛という特徴については、小学生時分の私も察していた。
なぜなら、私自身が、オモチャにされていたから。
…
もう一つ付け足し。
「パヨク」などミョウチキリンな罵倒用語らしきコトバに加えて、近頃は、「ポリコレ」なるコトバも頻りに発する投稿者を見かけることが やたらと多い。
しかも、そうした連中は、とにもかくにも、いっせいに、ある特定のコトバを使いたがるという傾向が顕著であることから、おそらくは、誰かしら、自分たちのリーダー格などが言い始めたとたん、ザザッと整列し、一斉に口を揃えて唱えることによって、彼らのなかの流行語を、広く世間に認知させるべくガンバるという、どうやら、そのような「活動」を奨励されているかのように見受ける。
そんなわけで、
「ウヨ」なかんづく「ネトウヨ」であることが、彼らの投稿コメントから容易に明白に見受けられることに気づいて以降、私は、この「ポリコレ」なるコトバを得意げに持ち出してくるコメントは、まず間違いなく「ネトウヨ」の類が投稿しているのだなと、たちどころに見分けることが できる素材の一つに加えているw
そういった点でも、ウヨ・ネトウヨの見分けの つきやすさを手伝ってくれているのでは あるが(嗤)、
もっと哀しいことに、最大の特徴は、やはり、「日本語モドキ」と言えば いいのやら、とにかく、論理がキミョウ、かつ、甚だしく歪んでいることに あるww
なので、
彼らが、ストレートに、まっつぐに放てることと言えば、たった一つだけ。
どこまでも感情の表現のみに尽きている(嗤)
しかしながら、これも また、「おまえの かあちゃん」ナントヤラの水準に とどまっており、そこから豪も這い上がれる気配なし。(嗤)
まあ、かの三木 清氏による、
「多くの場合の感情は、社会化されたもの」
というふうな、鋭く深い喝破も あるものの、
どうにも こうにも、
この日本語能力のままでは、この先も、失笑と冷笑を買い続ける ほかは なかろうと思わざるを得ないのが、ネトウヨの哀れさ(嗤(嗤)
ちなみに、
同じく三木 清氏による喝破は、このように続く。
「知性こそが主観的、人格的なものである」ゆえに、
ここ↓ちと難しいんだけど、
「真に主観的な感情は」
むしろ、
「知性的である」
とする。よって、
「孤独は感情でなく知性に属する」
のでなければ ならぬ、と、仰っておられます。
なるほどなあ。
感情では なく、知性に属する孤独。
じつにキビシイですね(苦笑)
俗世間の価値観を、または、畏むべきオエライところから垂れて寄こされたものを受け売りで語る、それによって悦に入ることしか できない者にとって、そりゃあキビシイと言うよりも、耐えるのは不可能なレベルだわな。