2018.07.20 (Fri)
『「東京オリンピックで死者」』の続き。
つい最近も、児童が、学校の行事後、「熱中症」で亡くなったということだが、そもそも、その前から、児童みずから、「疲れた」と訴えていたらしい。
また、
プールサイドで2時間も見学させられ、帰宅後、体調が おかしくなった、とかいう親さんの訴えとか。
どちらのケースも、私自身の学校時分、似たことは あった。
私は、体格に似合わず、虚弱なほうだから、小学校の低学年頃までは、遠足などで、長時間にわたって歩いたりしていると、すごく しんどくなってしまうことが よくあったのだが、それを訴えると、教師も、真剣には取り合ってくれないし、母親なんかに知れると、「だらしない!」と怒られる。
中学生のときは、「水泳大会」の行事中、プールサイドで、「体育座り」で整列させられたまま長時間、直射日光を浴び続けたせいで、
「日本人離れしている」とまで言われていた色白の皮膚は、帰宅する頃には、見た者がビックリして、笑いだすくらい、あり得ないほどの真っ赤になっていた。もはや、ヤケド状態。
おふろに入ることも できないほどヒリヒリと激しく痛み、そこから何日間も、ひどい思いを した。
それでも、私の学校時分は、近年ほどの酷暑の連続では なかったから、これで済んだのだと思うが、
このように、日本の学校というのは、私に言わせれば、ぜんたい、日本人の愚かさを凝縮したような世界だ。ここから、日本人特有のと言いたくなるほどに愚かな社会構造に繋がっていく。
子どもが、しかも、幼い子どもが、口にした訴えを、おとなが軽視しては いけないと思う。
何度か言ったように、私が子どもの頃、夏の夕刻には、決まったごとく、夕立がバラバラッザーッと降ってきて、ひとしきり雷雨にもなったり、
言わば「スコール」に近いものなんだろうなと、当時から思っていたけれど、
それが短時間で上がったあとは、その おかげで、夜間に入った気温が、少し低くなり、網戸を通した夜風が入れば、それなりに眠れていた。
夏休みの早朝などは、いくぶんか涼やかな空気感ただよい、
スタンプを押してもらいに、幼なじみと誘い合って、朝の体操集会に参加することも、ネボスケの私でさえ、苦には ならなかった。
その「スコール」が起きなくなったまま、気温だけ高くなっていき、
「砂漠の国」なんかは、日なたは危険でも、日陰に入りさえすれば、吹き抜ける風はカラッとしていて、夜間は寒いくらいだと聞くけれど。
だ・か・ら、
「ヴァカンス」制度を、わが国ほど、導入するべきだったろ!と言うの。
去年だったか、「学校に、エアコン設置したら、子どもの夏休みを短くすべし、教師の負担を減らすことにもなるから」てな記事を読んで、
ケッ、ばかどもめ!と思ったもんだ。
共働きの親も、学校に行っててもらうほうが助かるから、だって。
おとなも子どもも、ヴァカンス!これでキマリじゃわ
夏こそ大いに書き入れ時と、仕事する人も いていい。
それは、選択しだいで。
ふだん「ヒキコモリ」状態になってる人でも、ガランとした街に出て、人間が少ない職場で、ワリの良い「夏季限定労働者」になるのもアリだろう。
でもさ、
数年前に読んだ記事では、経済逼迫してきたスペインでも、「シエスタ」という習慣が薄れてきてる、ということだったが、
スペイン暑しと言えども、
アフリカから来ました、という人が、また、ベトナムから来ました、という人も、
「うっとこの国より暑いわ~」
とタマゲる日本に比べりゃ、どうってことないんじゃない?
それでなくても、
このクソ暑いのに、現代日本の裃とばかり、西洋人のマネしてスーツやネクタイ、ストッキングにパンプス。
アロハやムウムウ、アッパッパでエエやろ!!
と、旧ブログでも書いてたら、
常連ブロガーのジイサンが、何やら、やけに怒っとった。
「ここは日本だー!!」ってさ。
だ・か・ら、
あんたは『産経』ブロガーの典型ジジイだわっちゅうの!
自分の若い頃には、いまほどは暑くなかったし、景気も良かったし、その世代では、まだ ちょっとばかり珍しかったであろう大卒のサラリーマンとして楽しく仕事に精出して、
いまじゃ引退し、悠々自適の年金暮らし。
涼しい自宅でノンビリできる ご身分よねえ。
だいたい、私は、
祝日なんかの設けかたもチマチマ分散して、それでも「年間休日は多いほうなんだー!」と主張する権力者や、へえへえ、さようにござりますです、と、おとなしく従うばかりの労働者という、いかにも日本的な日本人がキライだと、若い頃から思ってた。
その昔、兼好法師も、
「夏を むねとすべし」
(「暑き比わろき住居は、堪へ難き事なり」彼が生きてた時代でさえ、そうだったんだなあ。まったくもって、そのとおり。うちは、わろき住居。)
それ以外にも、こう、と言った要は なくても、多目的なスペースを、家のなかに一室は設けておくほうが良いよ、と喝破しておられた。
こういう合理的余裕精神は どこへやら。
ところで、「純和食」なるものの盛り付けを見てごらん。
朝鮮民族の『クジョルパン』とかいう宮廷料理の名残だというものに少し似て、チマチマ一口ずつ盛り付ける。
ちまちました家のなかでチマチマと寝起きしチマチマと飲み食い、たまの休日は、芋の子を洗うが如き市民プール等へ、チマチマと泳ぎに行く。
せいぜい「ゴミ拾い」や「災害時の一糸乱れぬ整列」なんかを美談にしてもらうことで注目してもらい、外国人に褒めてもらうが関の山。
近頃チラホラ見かけるのが、
カーディガン、それも、春先や秋口に着るような、防寒用のカーディガン羽織って、
おまけに、マスクまで着用し、炎天下を、日傘とて差すでもなく、てくてく平気で歩いている女性。
最近では、マスクは、冬季以外にも、「日焼けを防ぐため」とか「大気汚染から守るため」という専用製品が出ているらしいものの、
あるいは、
エアコンの冷気がキツイのをガマンしていたのかもしれないものの、
それにしたって、
実際問題として、暑くねえのかよ?!とビックリだ
ある意味では、こういうのも、気候条件の変化に合わせた「進化」、ということなんだろうか??
人類の新しい進化が、灼熱の日本において、若い女性たちから始まったのだ、ってか?
最新のエアコンほど、電気代が抑えられるらしいのは知ってるけれど、
さりとて、電気代は恐い
昨夜だって、動かしっぱなしのエアコンを切ってから出ようかな、と迷ったが、短時間の外出だから、やっぱり、つけたままで出てよかったと、帰宅する前から思ったわ。
これじゃ、いつ切ったら いいんだ?。。。
長時間にわたる外出の場合は、切っておき、
短時間の外出時には、つけっぱなしが、むしろ、節約になるという、それは、パソコンなんかも、立ち上げ時に、最も負荷が かかるのと同様なのかなと思うけど、
仕事等で長時間外出したあとの、
玄関あけたらモワッと熱気、
このほうが、もっと苦痛なんだけど。。。
うちの新しいエアコン、さっそくの連日フル稼働で、ほんとに、切ろうかという隙もない暑さ。
エアコン内のカビを防ぐには、「送風」に切り替え、ある程度の時間まで運転してから切るといいらしいのだが、
そうすると、せっかく冷やした室内が、だんだんと、また暑くなってくるわよね。
それでも、タイマーを利用して、「送風」にしてから切って、ガマンして眠るようにしてるんだけど、ものの1時間したら、汗だらだらで、目が覚めて、ぼーっとしたまま起きちゃう。
わが国こそは、「シエスタ」も「ヴァカンス」も、必要。
もし、私が政治家だったなら、こういう「グランド デザイン」にもとづいたヴィジョンを掲げてたね。
まあ、もう遅いわな。
John Frederick Lewis,RA(1805-1876)The Siesta(1876)
Bridgman(1847-1928)The Siesta