2018.03.11 (Sun)
「自・公連立」なんて、最たるものじゃないかね。
「与党で居続けたい」のが目的でしかなくなってる『公明党』て、
『共産党』と順位争いするくらい、支持率は低いんでしょ?
それで政権与党の座に連なってるって。。。
しかも、「自公が強過ぎ」って。。。
なんか おかしいよ。
しかも、本来なら、自民党とは、基本的なところで あれこれ対立している立場のはずなのに、実際は「コバンザメ」とか「金魚のフン」とか言われてるしまつなのが現実で、
彼らが自負するような、自民党・安倍政府に対する「制御力」の役割りなんて、実態はカラッキシじゃんか。
支持率が低いのに、堂々と政権与党に就けてる、、、どう考えてもヘンだし、
そんな党に頼って、組まないことには 政権に就けない、というのもヘンだ。
ヘンどうしで組んだ政権なんて、いらねえ。
敢えて連立するなら、最低限、施策方針や方向性、思想共有度と共に、国民からの支持率を、いずれも、ある程度以上には確保している党どうし、
つまり、互角どうしでなければ ならない、
というルールを 今後は、つくっておくべきかなと思う。
互角どうしでなければ ならないとなると、当然、
先述した「施策方針や方向性、思想共有度」が重要になってくる。
いまの「自公政権」を見ていて顕著なように、片方が圧倒的な勢力だと、どうしても引きずられて、結局は抗えないし、政権内アンバランスを呑まなければならず、そうなると、本来の自党の主張を曲げ、百歩も譲って、相方の意向に従わざるを得ないという、これでは、到底、「制御」どころでない。
そのへんは、母体である『創価学会』信者かつ『公明党』支持者らの葛藤のもとになっているということも報じられているところだ。信者がたは、よく考えなはれ。こういうことを続けていていいのかどうか。
ちなみに、私個人的にも、かつての同僚なんかに、家族あげての『創価学会』信者が いて、世間で知られているとおりの言動や行動、たとえば、、、
私は、特に信心する対象というほどのものを持たないので、たまたま行き遭ったのが、ちょっと有名どころの神社仏閣だったりしたときは、ただ、美術的関心などが先立って、ほいほい お参りしてしまうんだけれど、そういうときに、白い眼で見てきたり、よくないよ、と咎めてきたり、あるいは、
単なるアクセサリーとして、クロス形ペンダントを着けていたら、これまた咎められるようなことを言われたりしたもんだけど、
極めつけは、やっぱり、選挙のときだったw
私が、仕事を病欠したときだったと記憶するが、さも親切ぶって、いきなり自宅へ、安価な見舞品(インスタント ラーメンとかwおいおいww)を手に、押し掛けてきたと思ったら、
やっぱり、公明党候補者への投票依頼が来たw
それと、
かねがね、宗教に のめり込む人ほど、その実は「煩悩」が深いことに ほかならず、「さとり」なんぞには ほど遠いことの明らかさとも相俟って、あまり感心しない気持ちが つよいのだが、
くだんの「学会信者」である同僚も、本人は、けっして悪い性質の人物では ないのだが、一見は明るいように見えつつも、それ以上に、いたって軽薄短小、なんら小難しいことを考える知性も教養も なく、
ただ、家族間の問題、特に母親からの暴力で、トラウマを内ふかく(深く・不覚)抱えていながら、その母親の影響のもとに、「学会信者」となり、
結婚相手も一家まるごと「学会信者」どうし。思想も何も ありゃせん。
相手の家庭には、事故で重度身障者となったらしい兄が いると聞いたが、家族で入信のキッカケは、たぶん、そのへんだろう。
そういったことも あって、『創価学会』に対しても、
それを母体として、
いまや完全に、「与党に居座るのが目的」政党『公明党』に対しても、けっして、個人的にも、良い印象は持てないぞよ。