2018.03.03 (Sat)
それが問題だ。
いわく「セルフ プロデュース」の上手さってのは、本人の計算以上に、
その時の運と言うのか、タイミングにハマったどうかも大きいと思う。
でも、そういうものを天性備えている人は、たしかに、スター性のある人だということは言えると思う。
マリリン・モンローも そうだった。彼女の「物語」には、個人の生い立ちの薄幸さや、私生活でのトラブルも含まれていて、それでいて、天真爛漫な、あっけらかんとした お色気が、温もりを伴って立ち昇っている、これも、ある意味、ギャップの面白さみたいな面が あった。
単に恵まれた出自、だから天真爛漫でノーテンキ、しかも、お色気むんむん、これじゃ、逆に、反感まねいたんじゃないかと思えるし。特に、同性からね。ところが、モンローの場合、むしろ、同性からの支持が高い。
ただ、彼女の場合、あまりにも、イメージ演出の、その図が当たり過ぎた、みたいな印象があって、そのために、本人の公私とも見果てぬ夢を叶えるのには、かえって邪魔になったみたいな感も ある。
ピッタシはまり役のために、かえって、役柄が狭くならざるを得なかった俳優のケースとか、ありがちだもんね。
その点、同様に、「自身の演出の才に長けている」という羽生選手は、
「当たり過ぎが邪魔する」ことなく、目指すものを手に入れられた。
で、
えーと、今後の「4回転半」「5回転」ですか、
これが一つ できたなら、なおも、皆を黙らせ続けることが できるのでしょうね。
すでに磨き上げられてる他の諸々は、ほぼモウマンタイにできるし。
いままで、「難易度が高い」とは言われつつも、多くの選手が何度となく跳んで、フツーのジャンプや回転になってしまってるものを幾つ織り込んだとて、
いまだ「前人未到」の新技一つを据えたら、たちまちにして、
雨後の竹の子の如く、あとからあとから湧いてる天才的若手たちを向こうに回しても、
この世界じゃ、もはや「高齢者」である20歳代後半になっても、
何かの印籠よろしく、
「これ、この技が、眼に入らぬか~」、
ひかえぃ!!てなもんだ。
『羽生結弦はスピルバーグを超える? 引退後のシナリオ…』2018.3.1 11:30
https://dot.asahi.com/wa/2018022800011.html?page=1
「『4回転半のアクセル以外にも、やることがたくさんある。例えば、プログラムに入れる4回転の数を増やす、前後を洗練させるなど、工夫することで優勝できる。そんな無理(4回転半)はせずに勝てる、と普通のコーチなら考えるでしょう』」
(千葉大学国際教養学部教授の吉岡伸彦さん)
…
こんなことも、あんなことも、必要なくなるのじゃない?新技一つで。
ある意味、最も効率的でラクとさえ言える作戦なのかもね。
じゃあ、残るは、
それを、彼は できるか、できないのか。
それが問題。
ところで、羽生選手のとこは、親御さんが学校の先生だそうですが、それは関係ないとしても、羽生クンって、教えるの好きみたいな感じも あるね。
「芸術(技術)は長し」。されど。。。
いろんな意味に捉えられてる、この、いにしえの賢人の格言。
羽生選手の場合には、どのように解釈すべきなのだろうか。
「美しい4回転半・5回転」も、見てみたくないことはないけど、、、
やっぱり、基本的には、「国威発揚」だとか国家の「威信」云々は関係なくて、個人の栄誉だと思うし、
私の日常生活から甚だ遠い『オリンピック』もスケートも、そして、
誰かが、「世のため、人のため」どんだけ超人的なジャンプを跳んでも、
私個人的には、それほどの関心は ないので(笑)
とは言え、
いまでも、詳しいことは知らないままだし、熱心なファンになることもないだろう私からの、単なる「老婆心」なんだが、
羽生選手には、まず、痛めた足を大事にしてほしいとは思う。
トシとったら、こたえると思うで~。。。