2018.02.18 (Sun)
たとえ若く美しくても、意外にも女性の場合には、必ずしも そうならないというか、むしろ、よくない場合が多いような気がする、「ナルシシズム」、というやつ。
ところが、
若い男性の場合は、これが最高の武器となり得るのかもしれないな、と感じさせられたのが、羽生結弦選手と宇野昌磨選手。
まあね、
涼やかな切れ長の眼が魅力的、典型的な「日本の美少年」ふう羽生選手は、あれで23歳だそうだが、まだ高校生でも通りそうな華奢な姿だし、
ある意味では対照的な容姿の宇野昌磨選手は、弱冠二十歳の若さだけあって、否応もなく少年の雰囲気が色濃く残ってる。
あの年齢の男性ながら、全体の姿からは、いまだに「線の細さ」を感じさせるだけに、ちょっと不安感をも伴う反面で、いとも軽やかなシャープさとスピード感に転化させおおせているとも思わせた羽生選手の演技、もちろん、各種のジャンプも見事にキマッていたし、全体に「美」を感じさせるものだった。
この、「美」を中心に、という演技について、かつての『東京オリンピック』で爛漫に咲き誇った大輪の名花と称される、往年の女子体操界のレジェンド、ヴェラ・チャスラフスカ元選手が、たしか、コマネチ選手らが大活躍していた時代に、苦言を述べておられたのを見かけたことが ある。
サーカスの曲芸じゃないんだ、やはり、第一に「美」というものが なくては、といった内容の批判だったと記憶している。
そして、やがて、日本には、あの荒川静香選手が現れた。
続く浅田真央選手も、前回の『ソチ オリンピック』では、悔し涙のあとに、最終的に達することが できたと、会心の涙を流した、「美」というもの。
私には、見る眼が乏しいのかな、
やはりオリンピックか何かの大舞台に出場する合間の、荒川元選手の ようすを映しているのを、テレビで見かけたとき、コーチらしき人と、短く話しながら、滲み出る もの凄い意志の強さと闘志を漲らせているような表情に、ちょっと恐れ入った気持ちになったのを憶えているのだが、これに似た感じは、宇野昌磨選手からも感じていた。
とにかく、負けん気が強い、これだけ「狙っている」感じを受けるところを見ると、プライベートの素顔にも、どこか俗っぽいものが あるんじゃないかという感じさえ抱いていたのだが。。。
意外も意外に思ったのは、
荒川元選手が、日常生活のなかでは、「眠り姫」とかいうアダ名が ついていたというエピソード。
なるほど、あるときに見たテレビ番組でゲスト出演していた彼女は、眠たそうにさえ見える、ゆっくりした まばたきを繰り返していて、もの静かな、おっとりとした お嬢さんに見えた。
宇野昌磨選手も、
今回の『平昌オリンピック』での演技で、真っ先に感じたのは、あの若さに そぐわぬほどの、いかにも落ち着きはらった感じを漂わせつつ、見るからに滑らか そのものな動き。
その後、彼が、リンクを降りて、採点発表を待つあいだ、コーチの女性と、短くコトバを かわしているときの宇野選手の ようすを見ていて、ここでも意外に思った。
あの負けん気の凄さは どこへやら、という感じの、少年っぽいシャイな表情、小さく手を たたいて喜んでいた素直な しぐさ、
荒川元選手と言い、今回の宇野選手と言い、
この落差の凄まじさは、どこから来るんだろうか、と。
たとえば、ロック スターとか、あるいは、いわゆる「お笑い芸人」と呼ばれる人たちも、日常の素顔は、意外なくらいにシャイだったり、もの静かだという。
芸人さんに至っては、舞台でのサービス精神に そぐわぬほど、むしろ、無口で、むっつりしているくらいだという。
ところで、私はね、オリンピックも、あまり関心ないほうだし、夏季オリンピックは、せいぜい「シンクロ」を覗いて見るくらいで、ああ、やってたか、あ、もう終わったんか、てなことが少なくないのだが、
そこへ いくと、「雪と氷のページェント」冬季オリンピックのほうがトクしてるというか、フィギュア スケートが貢献している部分は、そうとう大きいんじゃないかと思う。
さて、
安藤美姫元選手の、今回のオリンピック・フィギュア スケート各選手を見わたした論評・解説を読ませてもらった。
やっぱり、何事にも言えるのだろうが、自分自身で経験・体験、喜びと同時に苦労してきた世界について述べる話には、たいへん説得力が あるものだということ。
そして、
ごく若いながらも、何らかの世界でトップを争い、また、トップとなった人は、世に言う「ひとかどの」という呼ばれかたが ふさわしいものだな、ということ。
私が、それだけ、トシくったということなのだろうが、
皆さん若いのに、こんなにシッカリしてて、、、と感心するばかり。
もう一つ、これは、従来から指摘されてきた「オリンピック」と「国家」との関係性において、私が若い頃に、がぜん言われ始めたことで、
「オリンピックは、国家と無関係、自分自身のために頑張るもの」
といった発言。
羽生選手に関する論評の あれこれを読み流していて、
やっぱり、「オリンピックと国家」そこからくるプレッシャーは、今でも、今後も、なくなることは ないものらしい、と思っていたら、
安藤元選手は、解説のなかで、そのことに触れつつ、同時に、「自分のために」というエールも送っていた。
そして、
彼女の解説と、各選手に送っていたエールを読みつつ、あらためて思うのは、
各自の「国」を代表していながら、そういうものを はるかに超越した視点でも捉えているんだなぁということ。
そう言えば、コーチが外国人、それも、ライバル関係の国の、である例なんて、こんにちでは、まったく、めずらしくもなくなっている。
国外で合宿し、オリンピックともなれば、舞台裏の宿舎では、各国の選手たちと、国の違いも、ライバル同士であることも意に介さず、お互い敬意を持って、うちとけ合って交流している。
そこに、「国威の発揚」だとか「汚い商売・ソロバンずく」なんてものは窺えない。
まっ、「羽生クンが、宇野クンの髪を撫でていた」場面は、まさに「BL」好きとか「腐女子」といった類の歓喜を招いたであろうこと、じつに、想像に難くないなw
かく言う私も、この場面の画像を見て、思わずウッシッシと。。。w
だって、絵になってるじゃ~ん。
美しき、日本のオノコたち、これは珍しいよ、マジで。
めったと出るもんじゃない。
つくづく、
若い男の子は可愛いわねぇ~
それに ひきかえ、政界の、
ことに自民党の、あぶらギッシュなオッサン議員とは、天と地以上の乖離ぶりだわな。
ストイックな羽生クンたちの、気高く清々しい姿を見たあとは、とうぶん、見たくないのが、このオッサンたちだ。
うう、見とうない見とうない。。。
眼が腐る。。。あっち いけ~~~w塩パッパ。
いや~、こっちも童顔マッチョな、ワキゲきゅんきゅん内村クンも、はや、家庭を持っちゃって、おとうさんになっちゃってるし、
せめて羽生クンたちには、いましばらくのあいだ、ヨダレを、ぁいや、歓喜と感激のナミダを流させてもらいたいものだ!!