2018.02.19 (Mon)
受け流すのか どうするか、瞬時に判断しなきゃならないよね。
とにもかくにも、いったんは「受け止め」てからでないと、なんぼ素早くと言えど、判断の段階に移ることは不可能。
でも、そそくさと「受け流す」ことに決めたなら、その理由は、さて、何だろうか。
ましてや、最初から、まともに受け止めることを一切せずに、即、流すと決めてあるなら、それは、どういうことなのか。
軽侮。
恐れ。
この二つは、背中合わせのセットに なりがち。
もっとも、
守らなくてはならない自分の分際、その不利さ、劣等感、等々というものを、どこかしらで自覚しているということは言えるのかもしれない。そこが、無防備な あかんぼうとは違い、それだけの知性が大いに育っているから、冷静に、周到に、計算する。
「攻撃は最大の防御」なんていうコトバも あるわね。
冷静なる計算も、そのための武器を的確に使えるようにするためなんだから、おさおさ怠らない。
ここで、けっして、選手の誰を言うのじゃないが、
「表に出さない」タイプというのは、これは、一つの理由でとは限らない。が、
やたらに負けん気の強いタイプというのは、往々にして、自分を守ろうとする あまりであることの証左じゃないだろうか。
これも むやみやたらと「自分を試したがる」ようなことも、根底には不安が あるからこそ、それを払拭し、揺るぎない自信を得たい、という内心の目的は あるだろう。
ただ、オリンピック選手ともなると、なにも、もともと弱いからというのじゃなく、
目標を、より高度なレベルに設定したとたん、
たちまちにして困難な戦いのなかへ置かれ、今にも ひきずり降ろされてしまいそうな自分、
という「弱い」立場になるのだから、とにかく高いとこ高いとこへと目指して登りたくも なろう。
あとから登ってくる者たちを見おろせたら、上から攻撃しやすいし。
一番テッペンに登ったら、ゆっくりと、あたりを見渡してみたい。
それが最も安全、安心。
今度は、いつまで、頂上の座を、自分が占め続けることが できるか。
この頂上に居るのは、自分ひとりだけ。
間もなくして降りていかなければ ならない日は来るとしても、
一度は頂上を極め、そこからの眺めを知ったのだという満足と安らかな気持ちで、誇りを抱きつつ降りて行けるだろう、きっと。。。
それが、本当に目指している「最高のメダル」。
いまは まだ、その途上。
喜び浮かれるのは、もうちょっと先。
「楽園まで あと もうちょっと」
(んっ?どこかで聞いたような?w。。。BL。。。辿り着くのは、やっぱり、そこでした)