2018.03.03 (Sat)
『室井佑月「同化すっか」』2018.3.1 07:00
https://dot.asahi.com/wa/2018022800008.html?page=1
オリンピックの若い選手たちを見ていたら、
「ああ、民衆全体の程度が低まると、逆に、ごく一部では突出して輝く者が出てくるというフシギな現象が、ここにも、か」
と、私なんかは思ったりするの。
こういうところにも、ある種の「格差」の激しさが、とね。
ま、もっとも、アッソウの爺さんが、またぞろトクトクと、余計な口出ししてよったとおり、「カネ」の格差も、現実としてあるだろう。
それに加えて、
浅田真央選手然り、羽生結弦選手然り、ある意味、典型的な「優等生」、並外れた すり込まれぶり、素直な資質が齎した面も大きいだろう。
だって、皆、幼い頃、親とか周囲の大人たちに言われたとおり、そのまま やってきたんだから。
投げ出しもせず、倦まず弛まず、年頃になっても、反発や反抗どころか、しおらしく感謝しながら、いよいよ、のめり込んでいく。。。
普通は、あり得へんでしょ、こんな猛烈な素直さ。
その素直さと、負けん気が並び立ってるんだわね。
そりゃ、やっぱり、生来の素質や適性に叶ってたということは勿論、大きいだろうけど。
「特に母親が熱心な場合は」
という、羽生選手の関係者か どなたかによる指摘は、私の実感としても頷けるところだ。
そのくらい、母親の齎す影響は、良くも悪くも大きい。
さて。
あんな政府、戦後最悪の政権が、やること なすこと、庶民の敵のはずにも かかわらず、フシギなことには、いまも、大概の(胡散臭い)世論調査によれば、ほぼ「高止まり」したまんま、だという、前代未聞のケッタイさ。
しかも、
そもそもの自民党。
これが「ネット サポ」を組織して、あっちこっちで、という話も、多くの人が知るところとなってきたようだし、
もともと、財界の連中は勿論、それだけじゃなく、長期政権党ならでは、自衛隊を始め、各省庁という公的組織との なれ合い、癒着も深い。
何十年かけて、深い泥沼にしてしまった。
殊に、アベシの場合は、第一次の終わりかたの、これまた前代未聞級の みっともなさを、どうやって蹴散らかし、まさにゾンビの如くに蘇ることが できたであろうか。
(すでに述べたことだが、じつは、私の個人的に、病気や介護が続いていた時期だったため、麻生政権時も第一次安倍政権時も、ほとんど、記憶していない。それどころか、あの当時は、正直言って、いま現在の首相が誰だかも、ハッキリ答えられない状態だった。)
恐らく、あの禍々しい『日本会議』なんかの「後ろ盾」的存在が大きい。
これなくしては、不可能だったに違いない。
だから、アベシは、『日本会議』も、足を向けて寝られない、大きく義理のある相手だ。
このシュショーには、じつに「オトモダチ優先」という批判以上に、こうしたシガラミで雁字搦めの如くにならざるを得ない相手が多過ぎる。
ただ、これは、本人の資質を源に つくりあげてきた本人の欲望――おのが半径何メートル以内のトリマキたちから、しごく便利良く使われることによって、劣等感の深さを癒し、自分の存在感を高め、盤石にしたい――
(だからこそ、あの共依存夫婦の片割れヨメさんも常々呼びかけてるでしょ、亭主の安倍のために、「ご利用、ご利用!」と。安っぽいことだね 嗤)
それは、個人レベルの欲望が招いていることで、まさに「自業自得」なのである。
だが、その罪は、こやつらを選出した覚えなんぞカケラもない、私みたいな一庶民が引っ被り、ツケを払うハメにならされるのだ。
ほんとに、はらわた煮えくり返るわぁ。。。
何度か言ってきたけど、
私はね、この国の、また、国民性に対して、あまり良い感じが持てないので、若い頃から、障碍さえ なかったなら、とっとと日本から出たいのに、と思うほどだった。いまでも、可能なら、そうしたいわよ。
たしかに、以前なら、いかに自民党政権であろうとも、安倍政権のような不祥事が一度でも起こったら、即、退陣を余儀なくされるほどの厳しさは辛うじて あったと記憶する。
それが、どうして、、、
しかし まあ、、、なんだ?この国。
日本人って、
この国の民衆って、いくらなんでも、ここまで、レベル低かったっけ?
いやいや、
いつの頃からか、ガクッと、レベルを落とす切っ掛けが、どこかに あったに違いない、と、私の脳裏を、あれこれ駆けめぐる。。。
要するに、
軽蔑される無力な正直者よりも、
いっそ、狡猾なほうが、
汚い手を駆使してでも、結局は勝つ者を支持する、
ってこと。
それが、ほとんどの人間のサガであるらしい。
それでも、
『水戸黄門』などの物語が定番の人気を誇ってきたように、ほんとうは、「勧善懲悪」的大逆転を、さしたる思想もなく単純なる民衆は、心底では望んでいる。
だから、それを撥ね返し、汚いやつを追い出すことが できた者は、一転して、ヤンヤの喝采を受ける。
「民衆・国民のレベルが、一国のレベル、政治のレベル」
とは、かねて言い続けてきた私だが、
同時に、こうした現象は、個々の家庭にも、社会全体にも起きるのだ、ということも言い続けてきた。
すなわち、
狡猾な者が勝ち続けてしまうと、その者に対する卑屈な称賛と共に、徐々に、屈折した空気が満ちていき、人々は、称賛する派と非難する派とを問わず、やがてのことに、すべてに対する不信感と、無力感を拗らせていく。
ちょうど、この、室井佑月さんの嘆きのようにね。
だから、深刻な社会的有害だと言うんです。
あの政権と、その支持者は、そこに狙いが あるのかもしれない。
なにせ、麻生にしろ(←だいたいが、この爺さん、かりにも財務大臣でありながら、なにを他人事みたいにニヤニヤとと苦々しいかぎりだったが、ここへ来て、やっと、シッポを掴まれそうな事態に陥ったようだなw)、安倍夫婦にしろ、一度ならず自分たちが追い詰められた、さんざんに貶められた、という屈辱の記憶を、有権者の大部分である一般国民のほうへと向けて投影し、無自覚のうちにも、憎悪を募らせる理由にしている。
だから、「日本なんか、どうなってもいい」のだし、
庶民・国民を愛することなど、彼らにはサラサラできない。
その澱んだ眼に入るのは、個人レベルでの利害関係者だけ。
「勝ち馬に乗りたがる」という性向は、日本人はと言うか、けっこう、人類普遍のことなのかもしれないが、
私なんかには、全くと言っていいほど、持ち合わせないものだ。
ただ、
選挙結果が、正面から支持して投票している者が多いわけでは決して なく、ひとえに、棄権等による、結果的に「消極的支持」になってしまっているという実態は ともかく、
各メディアによる世論調査の結果には、少なからぬ疑問を抱かせられるのが正直なところでは ある。
なんと言っても、『朝日新聞』さえも含めた日本の大手メディアは、政権、特に自民党政権寄りなのは、官僚と同様なのだ。
「手のひら返し」、それは、無節操な一般大衆のサガなのです。
そこから彼らを解き放つには、何が必要なのかを考えなくては。