2020.09.23 (Wed)
「毒親」レベルを計るテストつうのを、
試しに、うちの親を思い出しながら やってみたら、
「最悪」レベル、という結果が出たw
やっぱりかぁ、と思いつつも、少しばかり、信じたくない気持ちも あって、ちょっと抑えめで やり直してみたのだが、やはり「最悪」レベルと出た
どこかの家庭で、12歳くらいの子を、おカネを盗んだとかいう理由で、
ベルトでブッ叩いたらしい母親がタイホされたそうだが、
ベルトを鞭にして叩いたという行為を、私自身も やったことが あるのを、久しぶりに思い出した。
誰に やったかと言うと、母親に、である。
当時の私は、まだ学生だったか、とても若かったはずなのだが、そのときの正確な年齢や、何を言われて、そのように乱暴な行為に及んだのか、記憶力の良いほうだった私が、ふしぎと思い出せない。けれど、
たぶん、
いつものように、母親から、理不尽で不愉快極まることを言われ(障碍のことが絡んでいたかもしれない)、
生まれて初めてというくらいまで、激しくブチ切れたのだった。
そして、そのときは、心身ともに深く疲れていたように思う。
ただ、
カッとなって、思わず、手にしていたベルトを振り降ろしたときの母親の顔が、驚愕して怯えの表情だったことだけハッキリ憶えている。
母親は、自分の亭主、つまり、私の父親が酒を飲み始めたら、そのうちに必ず言い争いになるのだが、そのたびに、酷く殴られたりしていた。
生来、異常なほど口達者な女だから、全身をメチャクチャに殴られているあいだも、負けずに激しいコトバを吐き続けるのだが、それが ますます、親父を激昂させ、執拗な暴力を煽るわけ。
幼い頃から私が、この醜い諍いを繰り返す夫婦の あいだに、わが身を投げ、必死に母親を庇ってきたのだったが、
そんな娘に、よもやベルトで殴られる日が来ようとは、想像もしなかったであろう。
まあ、ほんの1、2回ほどで やめたはずとは思うが、
いまでも、思い出すと、なんとも言えずナサケナイ気分になるので、普段は、忘れていた。
と言うか、忘れていることも忘れていた。
でも、なぜか、このことで自分を責める気にまでは ならない。
それだけ、母親の言いぐさが酷かったのだろうと思う。
今度は、
(私立)中学校教諭が、コンビニ内で、100万円入りのバッグを置き引きし、そのあと、「外に落ちてた」云々とクサイ言いわけしているというので、「聖職者がー」などと非難轟々、それは、まあ当然だとしても、
同時に、
その大金入りバッグを盗まれたほうも、20歳代の若い男性ということで、「悪いカネ」では ないのか、そもそも、そんな大金入りのバッグを置いたまま離れる神経がー、とも非難されていた。
私も、過去、合計で150万円ほどをイッキに、郵便局から下ろしたことが あり、帰宅するまでのあいだじゅう、どうしても「眼が三角」になっているだろうことを自覚したものだw
前後、左右と、やたら睨みつけていたので、そばを通る人たちは怪訝に思ったに違いない(苦笑)
さて、「教職にある身で」「聖職者に あるまじき」等々という瞋恚は、現実の「聖なる」云々の者に向けるには、多かれ少なかれ外れているものだということを、私も知っている。
うちの兄が若かった頃の或る日、自宅から実家へ帰ってきて、いつものように、兄にとっては継母である、私の母親相手に話し込んでいる内容を、そばで何となく聞いていた。
それは、最近の出来事で、乗っていた電車のなかで、兄の正面の座席に、ずっと座っていた人が、とある駅に到着したとき、その人の真上の棚に載せてあった、比較的大きな風呂敷包みを、取り忘れたまま降車して行ったらしい。
それを見ていた、うちの兄は、まず、
「しめしめ」
と思い、
電車のドアが閉まってから、つと立ち上がり、忘れられた風呂敷包みが載ったままの棚へと何げに近づき、今しも両腕を伸ばした、そのとき。
「にいちゃん、それ、ワシの荷物や」
と、背後から胴間声が。
さすがの兄も、ばつが悪かったろうが、
話を聞いていた私の母親は、「みっともないこと すな!!」と顔を顰めて、義理の息子を諌めていた。
兄は、その頃、国立大学の教育学部を卒業して間もなくから学年主任も受け持つ、ガッコのセンセイであった。
私は、当時まだ高校生だったかな。
それにしても、
「しめしめ」は ないやろ「しめしめ」は、、、
と呆れたものだった。
ちなみに、この兄、
高校生になったばかりの私が、通学の電車で、初めて痴漢に遭ったので、睨みつけたと言うと、
「睨まれるだけで済むんなら、おれも やりたい」
と、のたまったことが ある。
『レコード』
『そこで一句。』