2018.07.13 (Fri)
「教祖」であった松本智津夫が、処刑前、係官から、あとの引き渡し処理について尋ねられ、「四女」に渡してほしいとの旨を伝えていたというのは、私も、非常に意外な感じが した。
してみると、なるほど、やはり「詐病」だったんだな、とも思えたが、
それにしても、処刑の直前になって、以後についての要望を尋ねるとは、これも意外なことに思えた。
執行までの時間だけはタップリあったのだし、そういうことは、遺書等の かたちで残させるものなんじゃないかと、漠然と思っていたからだが。。。
さて、
『オウム真理教』に信徒として加わり、ついには大規模凶悪事件に加担する結果となった、仮にもエリートと目されるような、そうとうに恵まれた境遇で生きてこれた連中、
その心理的経緯について、世間の関心が集まるのは当然のことだし、
彼ら自身も、そのあたりのことについて述べている部分は あるようだが、
その多くの「悩み」だったというのが、
「自分が生きる意味」
だなんて、
教科書と教師に頼って教えてもらうようなもんじゃないのに、
学校の優等生は、社会に出ても、どこまでも学校時代と同じ やりかたを しようとするのか。
「生きる意味」とは、
つまりは、「生まれてきた意味」ということにもなるけれど、
誰だって、一歩ちがえば、
私自身が そうだったように、生まれる前に、母体のなかでアッサリ死んでしまったりする恐れも あるし、せっかく無事に生まれても、病気や事故や虐待で死んでしまうことも少なくない。
だいたい、生まれてくるとき、その本人自身が、
「生まれ、生きていく意味」
なんてことについての信念もって生まれてくる者なんて おらんわね。
たしかに、私なんかは、生まれる前から、親のクダラナイ欲望と計算ヅクによる「縛り」のもとに産み落とされ、そうとう振り回される人生だったが、こんなのは、特異なケースであって、
まずまず普通の場合なら、
生きていくなかで、自分なりに見つけたり、つくっていくもんでしょうに。
私みたいに、生まれつき、いろんなケッタイな「縛り」が かかってない分だけ、可能性の自由度は高いのだから、思い悩むんじゃなく、むしろ幸いなことだと思えるはずじゃないのか。
私にも、いわゆる新興宗教の類に勧誘されたという経験は、先日のエントリーでも触れたように、あるには あるけれども、
特に好ましい友人だったクラスメートが、あの賢い子が、なぜ、、、という疑問は、いまだに残っている。
私にとっては、どうにも異様さが、鼻について しょうが なかったため、
誰に何度、どこに勧誘されても、決して深入りすることは なかったが、
その理由は、
やっぱり、「荒唐無稽」なことを、「不合理ゆえに」信じることしか残されてない、っつうことなのかどうか知らないが、
子どもっぽいというか、幼稚というのか、そのへんの平凡な小学生でも、いちおうマトモな感受性なら、思わず疑ってしかるであろうような、まるで夢物語、「奇跡」物語のようなことを、まことしやかに、あるいは、本気で語る、その知性と精神を、はなはだ危うく思えたからだ。
『オウム真理教』とて、仏教系と名乗っていたそうだが、そもそも、仏教の始祖、お釈迦さまですら、「無記」と 仰ったそうな。
それを、なぜ、松本ごときや、松本に限らず、
旺盛に飲み食いし、欲求のままに生きている、目の前の、凡庸な、それどころか、ひょっとすると、「脳に異常」かもしれない人間に、そんな答えを求めて、ただちに解答を得ようと思うのか。
こういう疑問の姿勢は、私の場合、「天皇」崇拝に対しても等しく同じ。
ところで、
きのう、行きつけのスーパーマーケットで、歯磨き剤を購入したのだが、
歯磨きで思い出した、またもや「親父の思考回路」第何弾?w
むかし、私が学校時分のこと、
うちの親父が歯を磨いていて、急に大音声で騒ぎだしたことが あった。
何を喚いているのかと思ったら、
母親が使っていた、大手化粧品メーカーの高級洗顔石鹸、これが、当時は まだ珍しいほうだった、洒落たチューブ入りの製品だったもので、
てっきり、歯磨き剤だと思い込んだ親父は、歯ブラシ上にタップリと絞り出し、さて、磨き始めたとたん、
ギャー!!なんじゃー??このヘンな味は、、、!?!
となったわけww
親父の訴えを聞いた母親は、
「ふうん、石鹸で歯ぁ磨いたんやから、さぞかしキレイになったやろ」
と、嗤っていたw
それに対して、親父は
「どうりで、いやに泡立ちが良いと思った」
と呟いていたww
それと似た出来事も あったなぁ。
あるとき、お酒を飲んで、またぞろ したたかに酔っぱらい始めた親父。
まだ、凶悪に暴れだす段階までには至っておらず、
その前段階の、ブキミ悪い「機嫌の良さ」にて、
ウィ~ッ♪と、茶の間から台所へ入って行き、続きの酒を新たに注ごうとして、
酒の瓶と間違え、食用油の瓶からトクトクとコップに注いで、飲んじまったことも あった。
もちろん、さすがに、このときは、ほんの一口で気づいたようだったがw
これに関連して、
のちに、母親から聞いた話では、
親父が、まだ若かった頃のことらしいが、
昔のことだから、主に炭火を使って、煮焚きや暖房に用いていた時代、友人たちと飲みの最中に、
やおら、目の前で真っ赤に燃えている炭を見て、
「おお、美味そうなマグロの刺身だ~」
と、箸でツマんで、そのまま、口に入れようとしたので、居合わせた友人たちが慌てて止めた、という話。
脳みそオカシイやろ
あっ、そうだ、
つい最近、例の「ヤフゴミ溜め」にて見かけたのだが、
アホが大多数なのであれば、少数派だから正しいということになる、てな、
それこそアホなことを言ってた「ヤフゴ民」よ。
おまえさん、おそらくは、私が、このブログで、以前に述べたことをパクったつもりで、
「世のなか、あほとカシコでは、だんぜんアホのほうが多数派」
云々と言ったことを利用してると思しいけども、
チッチッ、あ~の~な、
あほが大多数で、カシコは少ない、とは言えども、
じゃあ、
「少数だから正しい」ということには ならんのぢゃ。
あほが大多数である。
↓
カシコは少数である。
↓
少数だからカシコである。
…
そうは 行かんわい。
こんなん、「論理」の問題でしょ。
まったく、これだからな。。。
どあほ。顔洗って出直して来い!
ああ、洗う顔も ないのか(嗤)
私なんかは、子どもの頃、ヒステリックな母親の逆鱗に触れるたび、
「アタマかち割って、裏の水道の蛇口で、脳みそ洗うたろかい!!」
と、しょっちゅう罵られたもんだけどな(爆)
そりゃ、こっちのセリフだわ。
脳に異常のあった、愚かもんの母親(嗤)
ちなみに、
うちの母親も、知ってる人たちからは、
「なにかの宗教の教祖みたいな」
印象を持たれていたよw
たしかに、
さも「信念」づよい断言口調で決めつけて話す、
という傾向特徴は見受けられた。
それと、「我田引水」的な長話が止まらない傾向。
それだって、相手のため、こうして話してやったんだ、というのが、本人の言い分。
なんだか もの凄い勢いで発言したり、とことん押し通す強硬姿勢の人は、何らかの精神的異常者かもしれない、と疑ったほうが いいということは、いつかのエントリーで、このことも指摘した記憶は あるんだが、
強烈なプライドに隠された、深いコンプレックス。
でも、コンプレックスについては、とんと無自覚だった。
というより、眼を背けていたのかもしれない。
「使える子か否か」という視点で、内心で子どもを仕分けてる親、けっこう多いんじゃないかな。
【追記】
自分の意向に従うようコントロールしかねる場合は、「罪悪感」を抱かせる。これ、キーワードの一つ。
「あんたのため、というコトバは、いついかなるときも醜い」
と喝破なさったのは、大島弓子氏だったっけ。