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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2018.06.28 (Thu)
「神に見離されたときは」の続き。

私が思うに、

結局、
昔から言われるような、「あたまがキレる」のとナントヤラは紙一重、
ということなのかもしれないが、

「だいじょうぶかよ?」な思考回路もセットになっているというのが、多くの実態なのでは なかろうか。

さしづめ、官僚とかねw

 

たとえ「キレる」あたまであろうと、

単に「アタマ悪いだけ」の者と遜色なくて、
しまつが悪いのは似たか寄ったか、ということも ある。

これと接触する者にとっては、その傍迷惑さ加減において、頭が「悪い」「キレる」両者とも大差ない。

いや、もっと悪いかもしれない。

 

ことわっておくが、
私自身だって、そうとう頭が悪いことを認めるに吝かでは ないよ。

しかし、自分以外の人に対して、取り返し つかぬほどの大迷惑を及ぼす致命的失敗を おかしたことだけは、ない。

まあ、自他ともにとって幸いなことでは あったな。

私自身は、「致命傷」を何度も負わされた身だけれど。

 

あと、これも個人的な、しょうもない話なのだが、

題して、エントリー タイトルのとおり、

『海辺にて――家族の光景』

とでも しましょう。

 

私が、まだ幼い頃に、
突然、自宅から遠くないあたりと思しき海辺へ、家族で連れ出されたことが あったのを、ぼんやりと憶えている。

だが、ある場面だけは、鮮明に記憶に残っている。

なぜかというと、これにはハッキリした理由が あって、

かなり恐い思いを したからなのだ。

と言うのは、

うちの親父は、千葉県で育ったので、
子どもの時分は、近場の海でサンザン泳ぎまくって遊び、あげく、対岸を目指して泳ぎ渡ろうという、たいへん無謀な企てを して、周囲を呆れさせ、本人の母親(=伯母)を嘆かせたことも あったそうだ。

そんな親父が、

ふだんは、およそ家族サービスなんぞ考えもしないのに、
どういう風の吹き回しなのか、その日は急に思い立って、海に行くぞと、家族を急きたて、母親は急いで、お弁当を拵え、そうして、
テキトーに到着した浜辺から、やおら、幼い私を抱えて泳ぎ出した。

 

あれよあれよと、浜から離れていき、子ども心に、これは、かなり深い所へ来てしまったのではと察したので、恐くなって、

「お弁当たべるから~」と言って、浜に戻りたいと泣いたのだが、

親父は構わず、

なおも、ずんずん、私を抱きかかえたまま、立ち泳ぎのようにしながら、沖の方向へ進んでいく。

浜辺で、弁当を前に座って、こちらを眺めている母親の姿も、どんどん遠ざかっていく。

 

ついに、私はギャン泣きして、やっと、親父は諦めたのか、もと来た方へ戻り始めた。

その場面以外は、さっぱり憶えていないのだが、

後年になって、その日のことを、母親に尋ねてみたら、

「ああ、あれはなぁ、○○あたりの海岸やったんやけど、そもそも、普通に海水浴に行くようなとこや あらへんがな。ほんまに地元の お百姓さんらしか おらへんような、えらい寂れた浜や。せやから、そんなとこ、やめよ言うたんやけどな、おとうさんが、どうしても行こう言うから」

と、

母も、その時のことを思い出して、あらためて、親父に対する呆れた気持ちを あらわにしていた。

 

…私はね、幼い頃から、親父だけは、どうも信用する気になれなかったw

だから、
沖の方へ向いてドンドン連れ出されたときも、ひどく不安になった。

その不安は、成人後の今でも、妥当な不安だったと思う。

だいたい、

まだ全然、泳げもしない幼児を抱えて、ほいほい沖へ向いていく途中、おのれの足が つったりしたら、どうするんじゃい。

 

そうかと思えば、

これも鮮明に憶えてるんだが、

とにかく、母親の裁縫道具に触らせることを、神経質に咎めて やまず、

母のほうは、私が、針山に手を伸ばそうが、わりと放っていたのだが、

そんなときに、親父が通りかかろうもんなら、

「こらっ!危ないじゃないか、ダメダメ!!ケガしたら どうする」

と、裁縫箱を、たちまち、私の手の届かない高い所へ かたづけてしまう。

 

子ども心に、ヘンなの、、、と思っていた。

 

そのくせ、酒かっくらっては暴力ざんまいなんだから、「何をか言わんや」だよ、まったく。

まあ、幼いうちの私には、直接、なぐりかかってくることまでは、辛うじて抑えていたようだったが。

 

 

そう言えば、

家庭内ルールというのか、はなはだ危険を伴う「縛り」を幾つも、よりによって幼児に負わせた結果、死に追いやったバカ親の報道記事が目につく最近、

この「縛り」と言うか「家庭内ルール」を指して、
当のバカ親は、「躾」のためだ「教育」だと主張しているらしいのだが、

その なかみたるや、

もし、危険ではないものだとしても、あまりに細かく、無意味も通り越して、ひたすらクダラナイだけでなく、

負わせた親のほうの病理をこそ感じさせるものだ。

 

実は、うちの親父にも、似た傾向が あってね。

これは、私が、もう中学生になる頃だったし、私自身は、ぽかんと呆れていたものの、

聞いていた母親が、途中で、さすがに怒りだしたので、それは引っ込めさせたのだが、

たとえば、

「内風呂の作法」と称して、

「掛け湯は、洗面器に何杯まで」

「上がり湯は、洗面器に何杯まで」

と、異様に細かいことを説き始めたことが あった。

 

そもそも、私が幼い頃、ご飯の よそいかたがダメだ!というので、何回も何回も、よそい直しさせられた記憶も ある。

 

目黒での(あんなボロいアパート、目黒あたりに残ってたのにもビックリした)幼児虐待死事件のバカ親と共通点が あるようだ。

 

だいたい、こうした事件が起きると、ふだん、あれほど陰湿に、弱者叩き大好きな「ヤフゴ民」が こぞって宗旨替えでもしたごとくに、

「天国で幸せに」だの

「いっぱい食べて、いっぱい遊んで」云々と。

 

死んでしまったらね、そんな甘ったる~い自己満足のための美辞麗句を縷々連ねたって、しょうがないの。

なんとかできるのは、生きてるあいだだけなんだからさ。

そして、

「鬼畜親を死刑に」

「刑務所でトコトン苛めろ」

これじゃ、あまりに虚し過ぎるだろが。

 

致命的なことが起きてしまってからでは遅いんだ。

 

私個人は、もちろん、人並み以下の非力者だし、
子どもの叫び声や異様な泣き声を聞き取れない場合が殆どだろう聴障者、ただでさえボンヤリした性分だけれど、

せめても、自分の眼が届く範囲で、何らかの不審を感じたら、ためらわずに、次に繋がる行動を心がけるしかないなと思っている。

 

ただ、どんなケースにせよ、「虐待」事案というものは、密室で、あるいは、「虐待」ではない、と見せかけて行われるものだから、どうしても難しいところだけれど。。。

 

社会人としての、いや、

男性に圧倒的多数が見受けられるということは、

「男として」の自信喪失なのか、

真面目というよりは俗悪な価値観ゆえの激し過ぎる劣等感、

もつれたコンプレックス、

それらの反動から、

まだまだ支配力を存分に振るえる自分、であることを確認したいのだろうか。

 

おそらく、

支配したがる自分自身がグラグラ不安定で、

不安で たまらないからだろう。

 

だから、常軌を逸するほどまでも支配したがる。

 

要するに、弱者に対する自己投影

 

 

【続く】

 

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