2018.06.28 (Thu)
父兄が「ヘンなやつ」だった話ですw
――「神に見離されたときは、みずからの手で、それを処理せよ」――
上記は、うちの兄が卒業した某国立大学の男子トイレの壁に貼り出してあった格言(?)だそうな。
兄本人から聞いた話だが、事実だったのかどうか知らない。
当時、私は、まだ小学生で、
夏のプールの授業が始まったおり、水泳部に所属していた兄が、特訓してやろうというので、大学のプールを特別に借りられるよう準備し、消毒も済ませたと言っていたのに、後日の たあいない きょうだいゲンカか何かで お流れになっていなかったら、そのときに、こっそり確認できたのかもしれない。
なにしろ、うちの両親も きょうだいたちも、どこから どこまでが事実の話を していたのやら、
母親が亡くなったあとには特に、
うっかり信用していたら、だいぶ後になってから、とんだ作り話だった、と分かったことが あり、
そうかと思えば、
全く信用に足らないのかと、過去事情を知っている人に訊ねてみれば、
そこは確かに事実だ、と答えてくれることも あるので、
じゃあ、
どこまで信用していていいのか、どのへんから疑っておくべきなのか。
最も信用していた母が、私を最も裏切っていた。
自分の裏切りを、本人が自覚していたのか否かも分からない、
実子の私でも、心もとない思いと共に、
つくづく、自分の親と言えど、わからないのである。
話を戻して、
いまでも、その大学の男子トイレに、くだんの「格言」は貼り出されてあるのかどうだか、
最近、「防衛大学校のイジメ」問題というのが、報道記事に出ているのを見て、兄の話で思い出したこと。
また、
つい昨日は、自衛隊員だった若者が、警察官や警備員を、たて続けに襲ったという凶悪事件が報じられた。どうも、「制服」に対して、激しく反応しているふしが あるな。。。
さて、私が小学生時分、兄は、近県の国立大に進学すると同時に、大学近くで下宿を始め、時々ふらりと、うちへ帰ってくるパターンとなった。
そんな ある日も、兄が帰省してきて、親たちは外出中、私と二人だけの家のなかで、やおら、そのへんをゴソゴソ見回りだしたので、何を探しているのかと思ったら、
食器戸棚の所に来て、
「おお、これで良い良い」
と呟いている。
「何が?」
と尋ねると、
手にしている これを、大学の先輩のとこへ伺うときに持参すると言う。
「えっ、それ、さっき、わたしが食べかけのやつやんか」
そう、
私の好物の一つである棹もの和菓子、「ういろう」だった。
半分くらい食べたあと、また あとで、と思って、再び包み紙を巻き直してあったものだ。
兄は全く頓着するふうもなく、
「半分も残ってたら結構、結構」
と、満足そうに頷いている。
私は怪訝に思って、
「でも、それ、先輩のとこへ持って行くって言うたやろ?失礼ちゃうの」
と言うと、
「いんや、半分だろうが食いかけだろうが、手ぶらで行くのは、もっとマズイから」
と答える。
なんでも、ただ手ぶらで訪ねて行くことに比べたら、
たとえキュウリ一本でも、ずっと望ましいのだそうな。
ほんまかよ、、、と思った小学生の私であった。
次、親父の回顧談。
〽「新兵さんは可哀そうだね~また寝て泣くのかよ~」
てな替え歌みたいなものが、あの戦時中、あったそうなのだが、
親父自身は、最初から陸軍のエリート候補生として入隊したらしいので、いわゆる「軍隊苛め」経験に晒されるということは、あくまで個人的には なかったようなのだが、
「新兵さん」の哀れさは実際そのとおりだったなあと、
しみじみ述懐していたことを憶えている。
で、
「防衛大学校のイジメ」についての記事。これに付いた「ヤフゴミ」コメントのなかに、
防衛大卒はエリート、頭がキレる者が多いが、
若くして、多くの部下に命令を下す立場なんだから、
頭がキレるようでなくては困るが、しかし、
思考回路だいじょうぶか?てな者も多々なのは事実
云々と投稿しているのを見かけたわけ。つい失笑してしまったが。
ところで、
壮年期頃までは、親父も、ヘビースモーカーの一人だった。
たばこと言えば、
ワタミと言いアナミと言い、またも出ましたね、
私利私欲の安倍チル族がブッ放す
「傲慢ジミン」
「ジミン根性」剥き出しヤジ。
よりによって、
重い病中の御体調を おして出席くださった「参考人」に向けてだ。
アベシは、おのれのチル民ども引き連れて、
とっとと退陣するように いたせ
もう もう、金輪際、いらねえんだから
さて、
やがて、健康に障るであろうからと、自身も試し済みと言う友人に勧められた「禁煙飴」の類を、タバコ代わりに、口に含みだした親父。
が、なかなか、効果が現れてこないというので、
ヘンなところでムキになり易い親父は、毎日、その飴を舐め続け、
つごう何袋を消費したものやら、
しまいに、母が怒りだした。
「いったい、どんだけ舐めてたら 気が済むんや!」
「橋○さん(←親父の旧友)なんか、『おかしいなあ、、、奥さん、ワシは、一袋も舐めてたら、たいがい効き目あったんやけどなあ』言うてたのに、あんたは!よくよく、意志が強いんやな!!」
私にグチを こぼす母が言うには、
「橋もっさん(←親父の旧友)に勧められて買うた あの飴な、安くもないのに、何袋も舐め続けて、効かん効かん言うて、とうとう、タバコ復活やろ、ほんで、いまだに、あの飴も止めんと相変わらず舐めてるんやでぇ」
「飴なめてはタバコ、タバコ吸うては飴」
その繰り返しの結果、
いつの間にか、やせ形だった親父の
「体重がな、ものすごい増えてんで。飴の舐め過ぎで。あほちゃうか」(←母談)
…
かつては、まさに「若くして、多くの部下に命令を下す立場」だった うちの親父なのだが、
他の人たちが言うように、「あたまがキレる」とかと、はたして言えるのか、と。先日のエントリーでも少し述べたところだが、
娘の私から見るかぎりは、
むしろ、単に「狡猾」と言ったほうが的確なだけで、
日常の、ふとしたところで、私のようなボ~とした者から見ていても、
「なにやってんだ?」
と怪訝や不審に思えること しばしばだったので、
「よくまあ、こんなんで『帝国陸軍』の青年将校とやらが つとまったもんだよ」
「だいたい、女である私や母親に比べて、並みの男とさえ思えぬくらい、メカの類に弱いのに、武器や銃器類も扱っていたとは、とうてい信じ難いことだ。日本が あえなく敗戦したのも、さも ありなんか」
と、内心ひそかに思っていたということを、旧ブログあたりで書いたことが あったと思う。
まさに、「思考回路だいじょうぶかよ?」
という感じだったわけ。
ま、親父の場合、長年にわたる隠れ「アル中」だったわけだしなぁ。
いわゆる「依存脳」タイプってやつだろ。
ちなみに、
旧ブログでも書いたろうか、
私が中学生の頃、何針も縫う大ケガを負った事が あったのだが、
この原因は、
親父が、何やら大量に割れたガラスを一まとめにして、それを、
なぜか、紙袋に入れて、そのへんに放置してあったのを、
ガラスの切っ先が鋭く紙を突き破っているのを知らず、そばを通った私の足が、ぱっくり やられた。
でも、
母親は、迂闊どころかバカとしか言いようのないデキの、そんな亭主よりも、なぜか、私のほうに対して、腹を立ててたw
この母は、全面的に自分の看護下にある乳児の私が負った障碍についても、
その被害者である私に対して、腹を立てていたww
ま、ある意味、親だからこその特殊な心理なんだろう。
自分が一番可愛いのは、自分本人、それも自覚してなかったろうけど。
このへんの心理分析は、続きのエントリーにて述べよう。
【続く】