2018.06.28 (Thu)
の続き。
アップしたあとで思い出したんだけど、
『「神に見離されたときは」』のエントリー中で、
私が食べかけてた「ういろう」の残った半分を、兄が、大学の先輩とこへ持って行こうとした、つう話だが。
よくよく思い出したら、半分ぢゃなくて、
3分の1だった。。。
それと、
親父のバカやった話は、まだまだ ある。たとえば、
これも旧ブログで常連ブロガーへのコメントで書いて、そのブロガーさんに大爆笑されたということを、どこかの過去エントリーで書いたけど、
掻い摘んで言うと、
自宅で留守番中にタバコ吸ってた親父が、うっかりと、座布団に火を移してしまい、
ボヤを出したのを、ご近所に知られるとカッコ悪いと思って、
ボヤを消すより先に、
家じゅうの雨戸を立てまわしにかかり、
そこへ、ちょうど帰宅してきた母親が、家の前の道で、煙もくもくを目撃し、
(追記:ああ、ちと違ってたかも?煙が、と言うよりは、真昼間から雨戸を閉めまくる親父を不審に思ったと言ってたかな)
何事!?!
と慌てて、家に入ってみたら、
親父が、雨戸を閉めるのに必死こいてる最中で、
それ見て激怒したっつう事件。
後年、母親が倒れたときも、
親父は、救急車を呼ぶ前に、
救急隊員に見られるのがカッコ悪いからと、
母親が倒れたひょうしに粗相した後始末に時間を かけていて、
駆けつけた私が激怒した話。
やれやれ。
思い出すと、いまでも、思わず脱力するよ。。。
でっ、話を戻すと、
無意味に細か過ぎる管理的支配、
これって、特徴的に、日本の学校教育の現場についても、指摘できる。
はなはだ、よくないことだ。
くだらなくも細かい「管理」にヤッキになる側の心理と、意図するところを考えてみるが いい。
そういや、「ヤフゴ民」の大半すなわち「ネトウヨ」が盛んに持ち上げたり擁護する現政権も、、、w
弱い者いじめが生き甲斐みたいな政権。
「ヤフゴ民」よ、おまえさんらの多くが、その同類だ。
イヤミたっぷりに「障害者さま」と呼び、そうかと思えば、
むき出しの「コイツら」呼ばわりまでw
本音は やっぱり、あの植松と似たり寄ったり。
過去エントリーでも述べたが、
私の経験では、身体的障碍者を最もアカラサマに侮辱して憚らないのは、皮肉にも、精神病や脳に、中途半端に異常が ある人に多いんだよ。
もっとも、
本当には、「身体」と「精神」に分けるのは おかしいだろうと思う。
だって、脳の異常とて、身体のうちなのだから。
また、「身体的障碍」が、精神面に影響を及ぼすことも ある。
自身の肉体こそは、自己を最も密接に取り囲んでいる「環境」なのだ。
変えられる部分も あろうが、基本的に、限界は大きい。
それは、「自己責任」を問いきることの困難さに通じる。
先のエントリー冒頭、父兄が「ヘンなやつ」だった話wとは言ったが、
ヘンだったのは、母親もだ。
ただ、酒癖が悪いのはアカラサマだった親父と違って、
母親のほうは、周囲や世間では、頭の回転が素晴らしく良く、容姿・才能とも際立ち、シッカリし過ぎてるほどのシッカリ者で通っていた。
ところが、
この人も、作話するタイプだったのだ。
と言っても、
母親のことについては、
親父が信用できないと、幼い頃から感じていただけに、
その分、母親に対して、同情と信頼の気持ちが強かったからね、私は。
亡くなって、そうとう経ってから、
ありゃりゃ、あれは嘘だったのかとか、
裏切られてたんだぁ、、、
と、呆然愕然とするようなことが、次々に出てきたわけ。
だいたい、亡くなった直後、
「実は、おかあさん、脳に異常が あったんだぞ」
と、
これも脳に異常が あった親父から告げられたんだけどw
両親に全くと言っていいほど似なかった私という辛うじてマトモな性格?の娘を持って、
ほんとに、うちの親らは幸いだったろww
さんざ「出来損ない」と呼ばわれたけどな
ところで、
目黒での虐待死事件を続報する記事に、相変わらず「ヤフゴミん」らが群がり、あーだ こーだコメントしてるが、
たしかに、子どもはね、
親が、単に自分のストレス発散のために、こっちへ八つ当たりを ぶつけてるな、って、薄々ながら感じてるもんだよ。
そういうの見抜かれてると思うと、親本人も、ますます憎たらしく思うのかもねw
…
ただ、昔は、
これは、田舎育ちの親父が言ってたことなんだけど、
とにかく、「墓守」する者とか先祖の祀りを行う者が確保されてないとマズイ、という固い社会通念ゆえに、
結婚して、子どもを持つというのは、否応もない義務だったんだ、と。
だから、本人は嫌々でも、無理やりに、お見合いさせるとかして、たとえ、相手が気に入らなくても、いつまでも自分一人で生きてることは、まず、周囲が許さなかったんだと。
まあ、現代ですら、高齢者の「買物難民」てなコトバが出てくるくらいなんだから、
便利な都会の街なかとは異なり、昔の田舎となれば、実際、独身のまま高齢になったとなると、その生活の困難さ推して知るべし、ってなところだったろう。
もっとも、昔の田舎は、近所じゅうが身内みたいな感じだったのだろうから、いわゆる「村八分」にでもならないかぎりは、隣り近所で手分けするなりして、メンドウみてやったんだろうけど。
うちの親父の場合はね、
親父の先妻って、電車のなかで、逆ナンパで知り合ったんだそうなw
当時の親父が着用していた将校の制服に注目したんだとさ、のちに結婚することになった女のほうが。
この経緯も、そうとうのスッタモンダでww
他人には言えないほどの醜聞ですわwww
せっかくエリートだったものの、「帝国陸軍」崩壊後の戦後は、まだ20歳代の若さで、地元の議員に推されたらしいけど、
育ての父親の横暴さを恨みに思っていたせいか、
結局、義父の老後のメンドウは、くだんの先妻、すなわち、育ちの悪い、こちらも精神に問題ある家系の、田舎者まる出しの、逆ナン女に押し付けておいて、
自分ひとり、かつては海運会社を経営していた実の家が あった大阪へ逃げ、身内のコネで仕事に就き、
やがて、義理の父親が亡くなったあと、
残してきた妻子を大阪へ呼び寄せたものの、
先日のエントリーで触れておいたとおり、
若くて美人の人妻(←私の母親)にチョッカイ出して、どど修羅場。
結果、
「脳に異常」夫婦そろって、私という娘ひとりに全てのツケ回して、
死んだあとも、いまだに恨まれ続けているというわけだww
ヒント:
劣等感やコンプレックスが異常に根深い者ほど、負けん気で「子どもを持って一人前」みたいな言い古されたことに縋りがちなんだよ。
だって、俗物根性の価値観なんだからさ。
こういうのが、
意に叶わず、人並みに、子を持てないとなると、それも また、屈折心理の要因になるわけ。
どこまでいっても、しまつ悪いわ。。。
あるいは、
ごく自然な流れで、結婚し、アタリマエの感覚で、子どもを持つ、それは、それだけ、人並みにスムーズな人生を歩んで来れたってことさ。
その分、ものごとを深くは考えない人が多いわな。
感謝するよりも、ウヌボレてる自覚が ない。
この二者は、どういうものか、殊のほか、政界に多いと見受けられる。
また やらかしてる2Fと言いアッホウ、アベシと言い。。。
はよ引退しろや