2014.02.09 (Sun)
私の旧ブログ“Eine Prinzessin des Lichtes”にて、ごく初期の頃にアップした、数年前のエントリーなのだが、最近の騒ぎについて述べた これらのエントリーにも関連している内容になっている。
旧ブログ“Eine Prinzessin des Lichtes”
「鬼畜系」自体は従来からあると思うんだが 2010/07/24 12:07
シッカリと「本」の体裁になってて、こういうことが起きる。
だったら、なおのことだ。
「しょせんバーチャル」というネット世界であれ、いわゆるリアル日常であれ、人に及ぼしていく影響とは、どのようにして起こるのか。
『作家の村崎百郎さん殺害される 練馬区の自宅で』
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/419534/
この作家さんのことは、きょうまで全く知らなかった。
ザッと調べてみて、根はマジメ過ぎるくらいマジメというか、潔癖過ぎるくらいの精神の人だったのではないの?とも思えたけど。。。
例の「首都大学どブス事件」といい、近頃、私にとっては、ある意味で引き合いに出すのに好つごうの事件が立て続けに起きてきている。
代償行為としての勉学・学問知識や、また、自称「芸術」が、他人を傷つけたり貶めるための道具になりかねないということ。
なぜ、こういうことが起きてくるかを、実は、ずっと考えてきていた。
いずれ、このことについて書いていくつもりでいる。
そして、
いわく「徳を積む」ということイコール「ポイントを稼ぐ」ことだと考えるような、まさに短絡的思考回路についても。
年がら年じゅう、哲学関係の書物を読み漁ってる、「要領の良い」ことが自慢(!)の優等生の あの人たちも、少しは、こういうこと考えてみたら どうなのと思うんだけど。
(まあ、要領の良いことを自慢してるようでは、本質的には不まじめで短絡的なんでしょうかね。)
カテゴリ:事件です > 事件 フォルダ:カルト・サイト関連
2014.02.07 (Fri)
http://schneewittchen.7narabe.net/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E5%95%8F%E9%A1%8C/%E2%80%95%E2%80%95%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E2%80%95%E2%80%95%E3%80%8C%E7%A7%81%E3%81%AF%E5%85%B1%E7%8A%AF%E8%80%85%E3%80%8D%E3%80%90%E7%B6%9A%E3%81%8D%E3%80%91
――フィクション――「私は共犯者」【2】
http://schneewittchen.7narabe.net/%E6%9C%AA%E9%81%B8%E6%8A%9E/%E2%80%95%E2%80%95%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E2%80%95%E2%80%95%E3%80%8C%E7%A7%81%E3%81%AF%E5%85%B1%E7%8A%AF%E8%80%85%E3%80%8D-%E7%B6%9A%E3%81%8D%EF%BC%92-
私の旧ブログのほうの玄関口にも載せてある、三木 清が いみじくも喝破した
~
感情は主観的で知性は客観的であるという普通の見解には誤謬が ある。むしろ その逆が いっそう真理に近い。
感情は多くの場合客観的なもの、社会化されたものであり、知性こそ主観的なもの、人格的なものである。
真に主観的な感情は知性的である。
孤独は感情でなく知性に属するのでなければならぬ。
~
というコトバをも思い出すのだが、
感情や感動を強制するなんてことは、ことに芸術作品においては、ナンセンスこのうえもないことだ。
また同じく、肩書やらネームバリューやらブランドやらに、代わりに判断してもらうのも、同じくナンセンスだろうにと思う。
私なんかは、しょせん、どの世界でも、およそ専門性というものから遠いので、何を見ても聞いても、結局は自分の好み(共感に近い?)で判断するしかない。
100円ショップで買ったものでも、世界最高級ブランドのものでも同列、自分で気に入ったか どうかが全てなのだ。
私の住まいには、何十万円のものと100円のものとが、平気で肩を並べて鎮座している。
どちらも同じくらい好きなのだよ(笑)
前以って、どのようにアリガタイ講釈を聞かされても、自分の性に合わなければ、やっぱり処分してしまうし、だけど自分の感性とか感覚に自信があるというのでもない。
だって、好きくもないものと ひっついてるの、苦痛なんだもんw
一般的にも、ほとんどの人は、そんなとこじゃないかと思うのだけどな。違うのかなあ?
聞かされていた肩書とかブランド性が高いものであったほどに、自分で直に接してみて、これは違うわと思ったときの私のゲンメツ度は大きい(苦笑)
私の身内にも いたよ。
かなり美意識が つよく(いわゆる上流社会の人々によって、鍛えられてもいたが)、もともと本人のセンスも良かったのだけれど、結局のところ、そんな自分自身の好みよりも、世間の定評とかブランド性に頼って最終判断していた。この最終点が、私とは真逆の人だった。
このたびの騒ぎに、かつて、朝日新聞の連載小説で読んだ『讃歌』(篠田節子)という作品を思い出した。
↓篠田さん御本人の、興味深いインタビュー付き。あとで、私も読んでみる。楽しみ。
さて、まぁ、「玄人」好みだとか、シロウトは解り易いもの、取っ付き易いものから入ってしまうのは仕方ないのだろうし、
「ウマヘタ」と「ヘタウマ」の違いは、という議論まであるけれどw
ただ、背景に関する深い知識があれば、それに助けられて、その対象の意味を、より深く察し、理解できるということは大いにあると思う。
だが、音楽なんて、まさに、「知識」や「理論」が本来なのか?という疑問もなあ。。。
こういうのに正答なんて、あるんだろか。
文章世界もそうだし、
スポーツ、体操の世界にも、類似の問題はあるようだ。
「スチャラカさん」の愛称で、日本人にも大人気だったという、往年の女子体操の名花、チャスラフスカ女史。この人を、うちの軽薄おやじなんかは、「毛唐(←!w)とは言え、あれは女らしくて良い!(←鼻の下!w)」とか言ってたもんだわww
このチャスラフスカ女史が、あのコマネチ元選手を批判していた記事を読んだ記憶がある。
もちろんのこと、女史は、その道のプロ中プロの立場だ。
美意識の高低というものも また、リクツだけではなかろうし。
何に対して感動するか しないかということにも、おのずと、その者のレベルは現れてしまうのも確かなのだろう。
とにかく、ないものねだりはナンセンス、ということだけ断言しておくわwww
2014.02.07 (Fri)
『佐村河内氏から「ソナチネ」送られた少女の父「深く心に傷」』
[ 2014年2月6日 17:35 ]
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/02/06/kiji/K20140206007531970.html
聴力を失った作曲家で「現代のベートーベン」と呼ばれる佐村河内守(さむらごうち・まもる)氏(50)が、実際は曲作りをしていなかった問題で6日、12年に同氏から「ヴァイオリンのためのソナチネ」という曲を送られた、義手の少女バイオリニストの父親がコメントを発表した。
佐村河内氏が約5年前、テレビで少女を見つけて、コンタクトを取り交流が始まったという。そして、12年に「ヴァイオリンのためのソナチネ」を送られたという。
少女の父は、佐村河内氏が桐朋学園大非常勤講師の新垣隆氏(43)氏に作曲を依頼していたことことを知った時「大変衝撃を受けました」といい「5年もの長きにわたり、信じ切っておりましたので、憤り、あきれ、恐怖すら覚えております」と怒りを露わに。
ただ「娘は、佐村河内氏から格別の厚遇を受け、素晴らしい曲を献呈いただいたり、コンサートに出演させていただくなど、様々な恩恵を授かりましたので、それに関しては大変感謝しております」謝意も。
しかし「ここ1年ほどは、絶対服従を前提に徐々に従いがたい要求を出されるようになり、昨年11月に、“服従できぬ”と回答しましたところ、大いに怒りを買い、絶縁された状態になっております」と語り、現在は交流がないことを明かした。
娘については「深く心に傷を負っている」といい、「5年もの間気付いてやれなかったと、親として後悔の念にさいなまれています」と娘を思いやった。娘のファンらに対し「ご心配をおかけしたり失望されたりしたかと思うと、大変申し訳ない気持ちです」とわびた。
「娘がまだ、バイオリンを弾き続けたい」という気持ちがあるといい「ヴァイオリンのためのソナチネ」そのものには愛着があるとして「この後も真っすぐ育てて行きたい」と親心も見せた。
最後にソチ五輪フィギュアスケートSPで「ヴァイオリンのためのソナチネ」を使用する予定の高橋大輔選手(27)に対し「どうか今回の件に惑わされることなく、健闘されますことを心から祈っております」とエールを送っている。
「bragelonne」なんかは、
(↑「OKウェイヴ」「顔本」等でも日比野暉彦と名乗ってて、一応?w作家の城島明彦氏の古い友人なのだそう)
「傷つくほうが、悪い」
つってたがなあw
発覚した佐村河内氏と新垣氏の関係は、まさに、小説家と編集者の関係性に共通しているようでもある。
ちなみに、今回スクープしたという「文春」というのも、上記の城島氏との縁が古いとこらしいよねww
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/02/06/kiji/K20140206007531070.html
聴力を失った作曲家で「現代のベートーベン」と呼ばれる佐村河内守(さむらごうち・まもる)氏(50)が、実際は曲作りをしていなかった問題で、ゴーストライターを務めていたと公表した桐朋学園大非常勤講師の新垣隆氏(43)が6日、都内のホテルで謝罪会見をした。
新垣氏は「佐村河内さんと出会った日から18年にわたり、彼の代わりに曲を書き続けてきた。私は佐村河内さんの共犯者です」と告白。「何度もやめようと言ったが受け入れてくれなかった。曲を書かないと自殺すると(佐村河内氏に)言われた」と生々しいやりとりも明かした。
また、フィギュアスケート男子日本代表の高橋大輔が「ヴァイオリンのためのソナチネ」を使用していることに絡み、ソチ五輪の前に公表するか苦悩したと言う。だが「このままでは高橋選手までウソを強化する材料になり、五輪の競技後に発覚した場合、高橋選手が戸惑い、偽りの曲だったと世界から避難されると思い」公表に至ったと説明した。
[ 2014年2月6日 14:48 ]
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/02/06/kiji/K20140206007532140.html
~
「私は佐村河内さんの共犯者です」とした新垣氏。「最初に、耳が聞こえないのだと言い出した時は戸惑いました。その必要があるのかどうか(疑問だった)。でも、それはこのような環境に立つための方法なんだと私は了承した。彼は自分のキャラクターを作り、世に出した。彼のイメージを作るために、私が協力をしたということだと思う。私にとってもゴーストライターとしての役割を果たすためにはそれ(実は聞こえるという事実)が知られてはならないので、なるべくそれがやりやすいような状況を望んでいたのは否めないです」と自らも「共犯者」として偽りの片棒を担いだことへの思いを語った。
[ 2014年2月6日 17:49 ]
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/02/06/kiji/K20140206007532280.html
~
2人の出会いは18年前。「彼とは知人を介して知り合った。彼が映画の音楽を担当することになり、オーケストラ音楽を作れる人を探してほしいということで、私のところに連絡がきた」。佐村河内氏が注目されるきっかけとなった01年発売のゲームソフト「鬼武者」の解説書には「佐村河内氏が長野でたまたま新垣氏のコンサートを聴きに行ったのが出会い」と書かれているが「あれはフィクションです」。
当初は「アシスタントとして映画音楽を作るためのスタッフの一人として問題を感じていなかった。それがある時期から“自分は耳が聞こえないんだ”という態度を世間に取り出して、彼の名前で私が書いた曲が発表されることは非常に問題があると思うようになった」。しかし、その後も書き続けた。「昨年5月にピアノ曲を提出した時に、もうこれ以上はできないと思った。そこから7月に直接や続けることはできない、やりたくないと伝えた」
最後に会ったのは昨年12月15日。「12月にもう一度(公表することを)要求しましたが、それはうまくいきませんでした」。佐村河内氏の楽曲ほぼ全てを新垣氏が制作。真実の佐村河内氏は「譜面は書けません。(ピアノ演奏も)初歩的なピアノの技術のみ。実質的にはプロデューサーであった」という。テレビのドキュメンタリー番組は楽曲を作り出すために苦悩する姿なども映し出されているが、「彼がどのような気持ちであのようなシーンを撮らせたのか、私にはわかりませんが、(演技だと)私は思います」と話した。
[ 2014年2月6日 20:11 ]
…
「ないものねだり」の典型としか言いようがないなあ(呆)
こんなことのために、同様の障碍を持つ等、無関係の人たちまでも、ネガティヴな印象に巻き込みかねないではないか。
【続く】
2014.02.07 (Fri)
俗物的価値観の過剰 2011/04/02 09:27
『それも気になってたことの一つ。 』
http://schneewittchen.iza.ne.jp/blog/entry/2208582/
~精神障害者というのは、他の障害者、つまり身体障害者を蔑視する発言が多いのかね?
自称「心理学徒」のfrauも、かつて、全く同じような蔑視発言かましてたわ。~
なるほど、この理由が分かったような。
要するに、俗物的価値観に毒されているほどの過剰、つまり、根は凡庸な者が、身体障害者を蔑視するのは、ありがちなことだからだ。
カテゴリ:話題! > 病気 フォルダ:カルト・サイト関連
2014.02.07 (Fri)
それも気になってたことの一つ。 2011/03/22 23:07
そうなの、ペットなど動物たちは どうなってるのかな?って。
うちは犬を飼ってたので、母親が、子どもの頃から私に、災害や火事など起きたときには、まず、犬たちを放してやりなさいと言ってた。鎖で繋がれたままでは逃げられないんだからと。まあ、凶暴な犬だったら、それも危険なんだけど、うちの犬は噛み癖なんかもなくて、人懐こかったかし。
だけど、動物園なんて、猛獣がいるんだからね。。。
今さっきも、他のニュース サイトを見ていて、障害者、特に、目の見えない人とか、足が不自由な身体障害者は、どうなるんだと、あらためて思った。
最近、「OKウェイブ/教えて!goo」から来たと言って、このブログへ押しかけてきた荒らしは、身体障害者を蔑視する発言をサンザン言い散らしていったけどね。(魚拓とってあるので、どうぞ見てやってください)
たしかに私は、母親の不注意もあって、幼児期に聴覚障碍を負っているけど。
この荒らしは、「OKウェイブ/教えて!goo」でも、親が通り魔に遭ったという会員に向けて、そのことについても蔑視する発言を していた。
私は、その言われた側の会員個人のことも嫌いではあるけれど、
まあ、事件、事故、障害など、あらゆるアクシデントに遭ったり抱えている人を蔑視するんだわな、このアラシは。自分自身だって、精神障害者なのに。
精神障害者というのは、他の障害者、つまり身体障害者を蔑視する発言が多いのかね?
自称「心理学徒」のfrauも、かつて、全く同じような蔑視発言かましてたわ。
このアラシは、何かの宗教かぶれで、教祖気どりなやつだけど、こういう輩が ままいるから、宗教系って、嫌われがちになる原因なんだろうな。
要するに、自分だけは特別な存在、と思いたがるナルシシズム。
こんなことで「救済」なんかあるわけない。
そいつにとっては、自分の言うことを聞き入れる「信者」だけが「掬われる」という考え方なのだから。
ま、そいつの言うことを見ていると、来世、生まれ変わってきたら、今度は、そいつ自身が「カルマ」のせいで、酷い不自由な身で生まれてくるという算段になるわけだ(嗤)
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