2018.08.19 (Sun)
『世界じゅうの「パウル」たち』の続き。
もう一度繰り返すが、
「白人国家列強」の真似を行い、みずからが取って代わりたい、という、かねての願望が本音なのであり、
「アジア解放の大義」てなキレイごとは、
表面だけ拭って、さもキレイごとに見せかけておき、
実態は逆と言っても言い切れないほどの欺瞞だった。
それが、日本人において繰り返される、歴史的にも顕著な特徴的なことなのだ。
だが、日本だけでは ないじゃないか!!
どの国も、人道に悖るような酷いことを やっていたでは ないか!
と言い募りたいのなら、それも よかろう。
たしかに、第一には、要は敗戦したからに ほかならないのであって、
日本だけが悪者にされるのは口惜しい!という感情も理解できないでは ない。
ましてや、
日本にやられてきたという残酷、非道を、
今度は おのれ自身が、全く異なる国に対して、日本の真似を やらかした、そんな隣国を嗤いたくなる気持ちも、理解できないでは ない。
ただし、
どうしても それを言いたいのであれば、
(エセ)ウヨどもよ、
やれ、日本人の武士道精神だの、やれ潔い民族だのと、うぬぼれたことをヌカすな。
聞くだに みっともない。
あの公共広告に出てくる、
迷惑駐車していて、警察にキップ切られ、
みんなも停めてるやん!!ワタシだけちゃうやん!!
と頑強に言い張る根性と、どんだけ違うんだ?
ウヨだろうがネトウヨだろうが、オマエさんらに、
「潔い」
というコトバだけは使ってくれるなよ、と言いたい。
恥ずべきことだ。
あとね、「純粋」だの「純正」だのがアタマに付く日本人など、存在しないのだよ。
みな、どこかの代で、どこかしらと混血してるんだから。天皇さん自身だって、認めてるでしょ。
とにかく、困った連中。
国やら天皇・皇室と自分自身とを同一視する、
時代錯誤で愚かな感覚から脱し切れない連中。
『原爆投下の日に』
うちの親父、中高年頃までは、晩酌で酔った勢いみたく、やおら正座して、ウットリと、NHKの放送終了後に流れてくる『君が代』に耳かたむけていたことを述べたけど、
実は、話は それだけじゃなかった。
そのとき、傍らにいた私の母親に対して、
「おい!おまえも、ここへ正座して聴かんか」
と呼びかけたのを、
母は呆れと怒りと、些かの軽蔑さえ滲ませて、断固、拒絶していたw
さすが、「墨塗り教科書」世代ww
「墨塗り教科書」のことについても、母が怒りを込めて回想していたことは何度も あった。ああいうことが あると、子どもは、おとなたちを信用しなくなるわな。
市井の庶民の家で、ある夜に起きた『君が代』騒ぎ、
その小さな出来事と どっちが先だったのか、
あるとき、やはり、いま頃のような時期だったろうか、
年配のオジサンたち中心の座談会的な議論のような内容のテレビ番組だったと思うのだけれど、
学生の私には、それほどの関心もなく、ほとんど、聞いているような聞き流しているようなだったが、
さすがに親父のほうは、さっきから、番組に集中していたようだった。
そのテレビ画面から、
「日本は、敗戦して よかったのだ」
というコトバが聞こえてきた。
すると、
アメリカや連合軍に追いまくられた『帝国陸軍』の敗走シーンが出てくる映画などを見ると、とたんに怒声を あげて、私や母親をウンザリさせる親父が、たった一言、
「そうか。。。負けて よかったのか」
と、ションボリ。
「日本は、敗戦して よかった」
私も、このことについての異論は ない。
たしかに、日本が「戦勝国」だったら、、、
と思うと、それは それで、ゾッとするものが ある。
嘘と隠蔽に対しての、罪の意識の極端な希薄さ。
(もちろん、他者の それは許さないのだが、それでも、力関係を見比べてみたうえでのことだ)
そこに、自己中心的な目的が あるうちは、迷いなく、要領も良く、ズバズバいく。
飽くまで、その狭い範囲内において、それに のっとっているかぎりは。
だが、ひとたび外れたら、、、
チョーシにのって、どんだけでも思いあがって、いけいけドンドン、
それこそ、みずからが、核兵器を入手していたら、気の赴くままに、気の済むまでも、冷酷このうえなく、あちこち、じゃんじゃん投下しまくったんじゃなかろうか。
こういう点では、私は、残念ながら、日本人の性質を信じきれない。
それは、親父を見ていて、感じていたことでもあるのだが。。。
親父自身、若くして叩き込まれた『帝国陸軍』エリートだったからか どうなのか、
とにかく独特なところが あった、あれは。
もしかしたら、同世代でも、他の分野の兵士たちとは、また違った感覚なのか?と思う。うちの親父は、近衛とか諜報とか、ある意味で特殊任務だったし。
学生が計算し尽くしたようなリクツを基底にした「正義感」と言うか、タテマエ。
その背中を突き破り、幼児的なまでに自己中心性を剥き出した「自己愛」、これが、いつ何どき、飛び出してくるやら、危うく両方を並び立て、自分にとっては、それでアタリマエで、ムジュンだとも思わない。
単純、かつ、ネジクレ。
大胆と言うよりは、ずうずうしい。
細心・緻密と言うよりは、小心。
剛直と脆さ。
親父から漂ってくるものは、どう表現したらいいのか、むかしから、どこか難しいと感じていた。
一言で言って、、、
そう、やっぱり、アメさんの言ったことがズバリ。
「クレイジー」。
親だけど、「人種が違う」と言いたくなるほど、違和感が拭えなかった。
結局は個人的感覚の問題なのかなとも思うけれど、
母らの世代どうしに共通して感じるものともハッキリ違う。
時代や世代の違いだけで、感覚までも異なるものなのか。
母自身、「おとうさんらの世代は、ちょっと違うからな」と言っていた。
【続く】
2018.08.19 (Sun)
「おっ母さんと僕だけの世界へ かえりましょう。おっ母さん、そうしましょう」
……
『特攻隊』の若者は、「美しき志願」だった、ということが、権力層にとって つごうの良いがゆえ、長年にわたり押し通してきた「タテマエ」だったのだということと同じカラクリ。。。
ちなみに、私だって、学生時代から つい最近まで、たいへん痛ましいとは思ってきていても、その「タテマエ」を疑ってかかろうという段階までは殆ど届いてなかった。なので、ご多分に漏れずというのか、せいぜい、「犠牲的精神」に感嘆するところで止まっていた。
先日のエントリーで紹介した
『9回出撃して9回生還 隠された特攻隊の真実』2018/08/09 07:00
上掲の記事にも明らかなように、
エントリー内で、私も再び三たび指摘した。すなわち、
表面だけを拭って、さもキレイごとに見せかけておき、
実態は逆と言っても言い切れないほどの欺瞞。
それが、日本人において、歴史的にも顕著な特徴的なことだ、ということを。
いわく「アジア解放の大義」なんどは、これこそ、毎度のごとくの一大欺瞞であり、
その実態と本音は、
かねて秘めてきた、貧しい小国のコンプレックスを払拭せんものと、、
かつての「中華」から、いまでは「白人国家列強」へと、お得意の真似し根性を上手に発揮し、
いまに見ておれよ、みずからが取って代わってやる、
という願望に ほかならなかったことくらいは、
また同時に、
そうは言えども、
真相を洞察できるだけの教養・学問にも、いまの時代より もっと乏しく、縁遠かった一般国民シモジモは、「大本営発表」と同様、「アジア解放の大義」なるキレイごとをば、純真にも信じ込んでいた、それが、特に若い者に多かった、ということも、
これくらいは、学校の歴史のサラリ流す授業だけで よしとせず、あらゆる層からの情報に接してきていればのことだが、少しは わきまえておいたうえで論じるはずだろうに。
まさか、
当時の若者たち同様の感覚で信じ込んで、当時の「大本営」的タテマエを振りかざしているのだとしたら、いかにネトウヨでも、いや、「ネトウヨ」だからこそ、ありえない主張だろ。
低知性とズレた思考回路を特徴とするのみならず、「『嘘も百篇』武器」を用いて恥じないのだから、とうてい、同じ現代の人間の主張するところとは思えない。
いま80歳代から90歳代の高齢者というのは、まさに、あの時代の若者たちだったわけだが、
彼らは、われわれと同じ現代人の一人でも ある。
目の前に いて、呼吸している、われわれと共に、この時代をも生きている現代人なのだ。
その高齢者たちに向かって、「死ね死ね」キャンペーン。
『自民党』か『日本会議』か両方からか知らないが、
「ネトウヨ」が指令を受けてのことらしい「日本分断工作」の一つだ。
なるほど、少し分かってきたぞ。。。
「大本営タテマエ」を崩してしまうような、ほんとうのことを証言し始める前に、
いまは高齢となった、かつての若者たちには、黙ったままサッサと死んでほしいわけよ。
生還してきた『特攻隊員』を罵倒し続けた上官らのセリフと、まるで同じだもの。
まだ生きてんのか!はやく死ね!!ってw
子どもと言っていいような素朴な少年たちは あっけなく死んでいき。
人馬ならぬ愛機と一体になり、大空を自在に駆けめぐる爽快感に、ただ全身全霊を浸していた若者。
ろくに操縦桿を扱う技術も持ち合わせず、
「そうか、死んできてくれるか♪」と、媚び滲ませた励ましの反面で、
なかなか死なない若い部下たちを「クズ」「卑怯」と罵倒した上官たち。
前線に送られた兵士たちのなかには、片っ端から掠奪し、レイプし、虐殺し、悪行のかぎりを尽くす、そういう、
日本国内では到底、許されないことを、現地では、気の済むまで やりまくれることを楽しんでいた者たちも いた。
「恥ずかしい日本の姿」であること、「日本のためにならない」ことを推進するのが、「反日」と呼ばわるべき対象であるなら、
「反日」とは、まさに「ネトウヨ」の類が該当するでは ないか。
いまどきに、「冷戦思考」を堅持せよと喚き散らす時代錯誤ぶり。
やっぱり、現憲法を変えさせ、特に『9条』を外させ、その後は意のままに使いたおしたいアメリカ「ジャパン ハンドラー」の類?
こっちも また、日本を巻き込み利用したいばかりな朝鮮人も入り混じった『勝共連』ナンタラ組織なのか??w
何を企んでのことか?
『日本会議』の連中が、昔の栄華を取り戻したいエリート層を中心にしているとは聞いてるけれど、
専門家であるはずの、大学教員らまでが、学問の徒とは思えぬほどデタラメ、キテレツ、クダラナイ目論見を推進しているとは、なんたることか。
『【続】「羊を人間にしてやった」――愛国心と『日本会議』(嗤)』
この連中こそは、搦め手でもって日本を壊したい『反日』じゃないかと、私は睨んでいるわけ。
連中は、口先で何を言おうが、日本のシモジモ国民を、人間のうちには入れてない。
利用することしか考えてない者は皆、共通している。
各々立場は様々なように見えても、つまるところは一つになる。
利用することしか考えてないからだ。
【続く】
2018.08.10 (Fri)
広島:8月6日。午前8時15分。
長崎:8月9日。午前11時2分。
…
なぜ、こうした惨劇が起きるのか。
人類は、よくよく、考えねば なるまい。
ところで、私個人的には、あの戦争時の苦労話等を、たとえば自分の親から聞かされるという経験に乏しいほうだった。というのは、
うちの親父は、ごく若くして、陸軍の近衛将校だったから、戦地へ赴かされることもなく、戦争で、むしろ、良い思いを味わったエリートの一人でもあった。
その一方では、
あの戦時中に、前線で苦労してきた同世代の、かつての「兵士」たちに対しては、内心で忸怩たる思いを抱いていたようだ。
しかしながら、
かつては、「昭和天皇」一家の そばに仕えていた身でありながら、その親父にして、
中年頃までは、『NHK』の番組終了後に流れてくる『君が代』の旋律に、酔って正座しているようなところが あったのに、
年を取るにつれ、天皇や皇室に対しても、恬淡と言うか、無関心な態度に変わっていった。
晩年は露骨なまでに、明治生まれ、すなわち、自分の親らに当たる世代に対して、あからさまな反感を示していた。
その理由を敢えて聞くことも、本人が語ることも なかったけれど。
この親父とは年齢差が大きかった母親のほうは、戦時中、学校からでは なく、いわゆる個人疎開で、
私の祖父が手配した、田舎の一軒家へ、幼い弟妹を連れて移り、すでに病没していた母親代わりを務めて、父親から預かった生活費を遣り繰りしながら、現地の学校へ通いつつ、弟妹たちの面倒を見てやっていた。
けれど、なにしろ、本人も まだ小学生。
大阪から、仕事の合間を見て、何時間も列車を乗り継ぎ、生活費や物資の補給に訪れる父親を待つあいだ、どうしても、食べ物や現金が不足してしまうと、近所の商店などに頼み込み、生来病弱の からだで、井戸水を汲んで運んだり、掃除や店番を手伝ったりして、小金を稼ぎ、むずかる弟妹たちの食糧を調達したという。
なかでも、幼い叔母が泣きながら、姉を求めて、店をウロつくので、心を鬼にして追い返すのが辛かったと、その頃の苦労話を、涙ながらに、私に向かって述懐することが よく あった。
ただ、母方の祖父も、いたって裕福だったので、他の同級生たち、疎開先の田舎の子どもたちから見れば、恵まれた生活を しているように見えたのだろう、
学校に持って行く弁当の米なども、祖父の手配により、基本的に不自由することは なく、担任教師に、おかずを分けてくれよ、と羨ましがられるほどだったという。
しゃれた革靴を履いて登校する都会の お嬢さんにしか見えなかったであろう母は、ボロボロの草履か裸足で通う子も多かった田舎の小学校で、しょっちゅうイジメられたという。
そのせいで、「田舎の子は根性が悪い」と、酷く嫌っていた。
いずれにせよ、うちの両親には、双方とも、
前線で泥水すすり、空襲で焼け出され、家も家族も全滅、といった悲惨な体験は なかった。
それでも、
親父の生家の兄たちは戦死しているし、
戦後すぐ、大阪に戻った母が、街で同級生と遭遇したとき、その同級生は、疎開することなく、実家に留まっていたので、目の当たりにしたという大空襲で、どれだけ凄惨な状態だったかを聞いた話は、私も憶えている。
「おまえ、想像できる?いまの『難波』あたりから『梅田』まで、すかーっと見渡せる焼野原やったなんて」と言っていた。
高校のときの恩師は、広島での二次被曝者だった。
井伏鱒二の『黒い雨』が授業で取りあげられたおり、私たち生徒を見渡しつつ、やはり、こう仰った。
「あんたたち、想像できるか?普通に街なかを歩いてて、人の遺体が、道端に転がってても、誰も驚きもせんのやで。いまの時代なら、腕や指の一本ころがってても、警察呼んで大騒ぎになるやろ」と。
これらの話は、『終戦記念日』などの日に、旧ブログでも取りあげたことが あった。
私のような性質の者は、ちょっとばかり珍しいほうなのかもしれないなと思うこともあるのだが、
このように、自分の親族らから、それほどには、戦時中ならではの苦労話を聞かされる機会に乏しいほうだったものの、
その代わり、当時を生きた人の回想談や、戦時中・戦争前後についての記事が、新聞等に掲載されていると、できるだけ、目を通すことを怠らなかった。
それは、自分自身が、まさに「戦争を知らない子どもたち」の一人であるという、危惧を潜めた自覚からこそなのだが、ふつうは、自分が生まれる前のことなんて無関心な人が多いのかなと思う。
だが、
あの時代に、辛酸を味わった人たち、ましてや、子や孫を持つ人たちにこそ言いたい。
思い出すのも辛いことでは あろうが、子どもや孫らが、いかに無関心、鬱陶しがろうとも、敢えて、記憶が鮮明に残っているうちに、伝えてほしかったし、
いまからでも、余さず伝えておいてほしい。
もし、私の子や孫が いたなら、学校時分から自発的に、いろいろな機会を とらえては蓄積してきた戦争の惨さということを、間接的では あっても、伝えることを、やはり、怠らなかっただろうと思う。このメンドクサガリな私でさえ。
むかし、まだ20代だったか、実家に居た頃、テレビで、黒澤 明監督の『夢』という映画が放映されているのを観た。
その題名に ふさわしく、印象深い場面が幾つも記憶に残っているのだが、
そのなかでも特に忘れ難いのは、黒澤氏自身と思しき主人公が、とある山道で、戦時中の部下だったと思しき兵士たちに詰め寄られていて、
彼らは、すでに死者であるようで、ある種の不穏を感じ取っているらしい主人公は、かつてのように、上官としての威厳をもって、「貴様らは~」と、兵士たちの殺気を逸らすべく懸命に演説を始めるのだが、
やがて、これに説得されて、哀し気に うなだれた兵士たちが、まぼろしのように消えていったあと、突然、凶暴な犬に吠えかかられた主人公が焦っている、そんなふうな光景で終わるシーンが あった。
しおしおと消えていった兵士たちが なんとも哀れで、
見終わったあと、涙が抑えきれなかったことを思い出した。
『9回出撃して9回生還 隠された特攻隊の真実』2018/08/09 07:00
~
戦後こうした特攻は「志願」によるものか「命令」されたものか、議論を呼んできた。
命じた側は共通して志願だという。しかし近年、生還した特攻兵による証言が相次ぎ出てくるようになり、断ることのできない「志願」だったことが明らかになってきた。『不死身の特攻兵』に出てくる佐々木友次さんは一例だ。
奇妙なことに命じた側の上官の多くは、出撃の際に異口同音「私もあとに続く」と演説した。けれども言行一致させたのはごくわずか。「最後の一機には、この冨永が乗って体当たりをする決心である」と佐々木さんらをあおった陸軍第四航空軍の冨永恭次司令官は敗色濃厚と見るや、特攻機にもつけなかった護衛機に守られて前線離脱している。その行動にはあぜんとさせられる。
こうした「命じた側」の多くは悪びれもせず「特攻は志願だった」「現場で自然発生的に生まれた」と語ることで、自身の「責任回避」を図ってきた。
戦死を報告し「軍神」となったはずの操縦士たちが帰還。扱いに困った軍は、生還した特攻隊員だけを集めて寮に幽閉し、「なんで貴様、帰ってきたんだ。そんなに命が惜しいのか」と追い込んでいった。戦後長く隠蔽(いんぺい)されてきた事実を追跡した『特攻隊振武寮』の解説で、取材を行ったNHKディレクターの渡辺考さんは、「命じた側」の沖縄特攻作戦の司令官で陸軍第六航空軍の菅原道大(みちおお)中将と倉澤清忠参謀の戦後の様子を紹介している。
菅原元中将もまた「最後の1機で必ず、俺も突入する」と訓示した上官のひとりにして、戦後、特攻は命令ではなく自発的行為だったと言明し続けてきた。
その菅原元中将は90歳を過ぎ、認知症の進行した晩年、「刀を持ってこい、腹を切る」「拳銃はどこに隠した」と家人らに命令口調になることが幾度もあった。そして83年12月、亡くなるひと月前、息子に「二十歳前後の若者がなんで喜んで死んでいくものか」とつぶやいたという。
倉澤元参謀は戦後、印刷会社を興し、菅原元中将同様、特攻隊の慰霊祭などにはこまめに出席するいっぽうで、家族には特攻の話をしなかった。そして常にピストルや軍刀を側に置いていたという。
慰霊祭に出席している倉澤元参謀を見つけた、「貴様らは人間のクズだ」「ひきょう者!」と罵倒を浴びた「振武寮」の元特攻兵たちが「私たちを覚えていますよね」と呼び止め謝罪を求めるや、彼は慌てて首を振り、「覚えがない。どちらさんでしょうか。私はあなたたちを存じあげない」と顔を真っ青にして否定したという。亡くなったのは2003年である。
~
(文字強調は、当ブログ主による)
何年前か、『ユーチューブ』で、たまたま、戦時中の記録動画を見たことが ある。
あの「東条」が、さも尤もらしい表情で、大げさなくらいの身振り手振りで、若い兵士たちに向かって、大演説している場面だった。
高らかに、バンザイ三唱していた。
「諸神は!」
なんの造語だ。
いまどきの若造よりも ずっと純真クソ真面目な若い男の子を煽てるだけ煽てて。
へどが出そう、と思った。
――「断ることのできない『志願』」――
日本人において、歴史的にも顕著な特徴的なことだ。
一事が万事、これだ。
表面だけ拭って、さもキレイごとに見せかけておき、
実態は逆と言っても言い切れないほどの欺瞞。
まさに、アベシや、そのシンパら、『日本会議』のビジネス右翼どもに突きつけたい話だね。
2018.08.10 (Fri)
沖縄の翁長知事が、ついに永眠されたそうだ。
30歳代頃なのだろうか、市会から始められた、お若かった頃の写真を見てビックリしたけれど、もともとはポッチャリしておられたんだねー、
晩年は、あのように、すっかりと痩せてしまわれたけれど。
さっそく、彼の「後継者」選びが難航とかいう話も聞こえてきているようで、
ますます心配というか、不審ですら ある。
たしかに、翁長氏の存在感は大きかったが、
すでに、重い病を抱えておられることは分かっていたはずだし、
次回の選挙も、その翁長氏が存在していてさえ なお、難しさが予想されていたというのだから、何をか言わんや。
沖縄県民どうしが、互いの意志を確かめ、沖縄県民自身がシッカリすること。これ以外には ない。
真実、「オール沖縄」なのであれば、それを堅持し、しっかりとハッキリと、内外に見せつけるようでなくては。
当ブログ過去エントリーでも指摘したことは あるが、
いわゆる本土の者たちにとって、その殆どが「他人事」なの。
もちろん、自分とこの自治体に、基地なんか持って来られるのも いやに決まってる。
米軍基地自体を、せめても減らすのが、これからの日本全体の課題なのだから。
あらためて言っとくけど、
「ネトウヨ」だか「勝共」ナンタラ韓国人だか「CIA」の手先なんだか、はたまた別の何だか知らないが、
この問題に関して、
「まずは、日本国憲法を改正しなければ!」とか「日本も核武装すべき!」とか「米軍基地は、沖縄に集中させてこそ!」とか「中国の属国に されてしまっていいのか!!」とかいったデマや感情むき出しのコメントは、いいかげんにしておきな![]()
いつまで唱えてるんだよ。まるで、「百回となえときゃ」ナントヤラ。
沖縄に、あれほど集中させておく必要は ないのに、なぜか、当の日本側が、その外務省が、必死になって引き留めている、という、ケッタイな話が聞こえてきており、
アメリカ側としても、ほんとうは、グアムに移転させるほうが、効率としては望ましいのだと、すでに指摘されているにも かかわらず、
莫大な「思いやり予算」が あることだし、それは それで、これまでどおりでも、アメリカが得することは あっても、損することは決してないから、というところなのだろうか。
当ブログでも、何度も指摘してきたように、
『日米安保』『地位協定』の問題を改善させもしないうちに、
改憲のほうから手を つけるなんてことは、断じて、あっては ならない。
ますますもって、エセ主権国家でしかなく、実態は、とうの昔から、敗戦国として固定され、「アメリカの属国」であり続けていることが あらわになってしまうだけ。
当時は悪くなかった吉田の目論見も、あれから時が流れ、時代の様相が移り変わり、先にハッキリさせておかないと ならないことが、いよいよ出てきているわけ。
国民みずからが、眼を背けずに、正面から見据えなければ ならないことが。
そして、それは常に、一般国民の眼から遠ざけられてきたし、
いまも、隠され続けている。
相変わらず、知らないうちに操られ、振り回され、
最後に現実の実態を突きつけられても、責任を とれないエセ主権者。
かつて、「主権者」であったはずの天皇と「臣民」のように、
互いに、責任を問う眼を逸らし合い、曖昧模糊のうちに、尤もらしく論を拵えて流すしかない。
現状、選挙に おいてすら、「民主主義」の装い看板を掛けておいただけの、カンボジア人民にも負けるのでは あるまいか、日本国民の無知さは。実は「めくら判」を押しているようなものに過ぎないのでは なかろうか。
いったい、どうやって、個々の一般国民自身で、事の次第と、今後の行く末を見極めることが可能なのだろうか。
2018.08.10 (Fri)
今年の暑さは、「猛暑」を通り越して「酷暑」、
先日、どこかの記事では、「激暑」なんて述べてあって、やれやれ、大変なことになってきたなあと、思わず溜め息が出たけれど、
そこで、学校のエアコン問題とか、夏休み削れの増やせの、いや、削ると、ますます学力が下がるのと、
なんで、こういうバカげた騒ぎになるんだろ、日本では。
こないだ、何かの記事で読んだのだが、
いわゆる温暖化を押し上げている原因として考えられる人為としては、クーラーの廃熱よりも、自動車の廃熱のほうが、もっと ずっと大きい、ということだったので、
あ、そうなのかと、外出時に、自動車の列の近くに立っていたとき、
なるほど、たしかに、熱すごいわ、と思った。
私の居住地域は、昔は そうとう不便だったようだが、
景気が良かった時代は飛躍的に、各方面の改善が進められ、こんにちでは、近隣市域と比べ、交通の便も際立って良くなっているので、自家用車が なくても、とくに不便は ないはずなんだけど、なぜか、ほとんどの家庭で、あるいは、アパートの単身世帯でも、多くが、自家用車を保有している。なかには、1台だけじゃなく、2、3台保有してるとこも少なくない。
若い頃から私は、仕事や業務上で必要とか交通の便が悪い場合以外は、一般家庭での乗用車保有は、あるていど抑制したら いいのに、と思っていた。
まあ、業界を筆頭に、自由経済・資本主義国として、そうも いかないんだろうけど。
近頃、ちょくちょく思い出すのは、
制服の衣替えも、きっちり決められてた中学時代のこと。
私の小学校時代は、「制服反対派」だった うちの母親らの初代PTA活動による根回しが効いた、ということだったらしいが、
そういうわけで、敢えて制服が なかったので、
中学に進学し、最初にタマゲたのは、あのスカートの長さ、全体にも動きにくいことだった。
初めて、制服のスカートを着用して、教室の椅子に腰掛けるとき、裾ひきずりそうじゃん、と驚き、
下校前の掃除のときは、もっと驚いた。
ここまで動きづらいとは、、、と。
まあ、じきに慣れていったけど。
その反面、
体育の授業では、あの「ブルマー」と称したっけ、
レオタードを下半身部分だけ切って残して、レオタードよりも もっとピッタピタぴっちぴちの、あれね。
クラスの男子らが、にやにやしながら眺めていたことも思い出されるが、
月経時なんか、危なっかしくて、はなはだ困惑しつつ、かと言って、
あの「ブルマー」自体への疑問を感じることもなく、
これ はかなきゃいけないんだ、と思い込んで(思い込まされて)いて、
完全に思考停止になっていた、中学生時代。
なんせ、「制服美人」で評判だった私ですからw
夏の真っ白なブラウスに紺色リボンを結ぶというスタイルは、ことのほかシックリと似合っていたし(笑)、
制服そのものは好きだったんだけどね。
男子の丸刈り頭と、詰襟ってやつは、見ていて可哀そうだった。
夏が近づいてくる5月頃ともなると、体育の授業のあと、暑がりの私は、汗が おさまりきらないうちに、サージの制服に大急ぎで着替えるのは、ほんとうに鬱陶しかった。
男子どもの体熱が、汗臭さとともに、教室中に充満して、
下敷きでバタバタあおぐのを、次の授業が始まっても、やめられない。
すると、
教壇に立っている教師が、サージを着込んで ゆだってるわれわれ生徒を見下ろし見渡して、
「はい、下敷きで あおぐの、やめ!!」
と、エラソーに号令を かける。
そう言う教師は、5月に入るや否や、涼し気な半袖の夏服で澄ましてるんだよね。
まあ、クーラーなしの教室で授業する教師も暑いわな、そりゃ。
涼しい職員室が恋しかろう。
はてさて、日本じゅうの学校じゅうの各教室で、クーラーかけまくったら。
そしたら、夏休みは短縮、いっそのこと いらないか?
教師の側にも、夏休みのあいだこそ、普段は できない授業研究とか、
私の恩師は、それまで全く縁のなかった分野の部活を、学校創立以来のプロジェクトとして立ち上げ、指導することを、当時の校長から要請されて、夏休みのあいだ、みっちりと研修を受けに通ったと言っていた。
ヤフゴミんのなかには、「長期休暇は、勉強の継続性が損なわれる」て、もっともらしいコトバを並べてる者もいるけど、ほんとに そうかな?
それにしても、フランス、ロシア、いまどきは ともかくとして、もとは、真夏でも、べつに暑いというほどもなく、過ごしやすい季候の国だ。
逆に、昔から、夏クソ暑い日本は、なぜ。。。
しょうもない「精神論」を振り回すのが好きなバカ国民だからなのか?
遊ぶ時間どころか、生活時間までが押しまくられて疲弊してるんだってさ、子どもたちが。
そんなにガシガシ勉強させて、
どうして、いま、学力が国際レベルでも下がってる、ちゅうわけ??
まるで、余裕のない大人社会の疲弊ぶりと同構造じゃないのか?
フランスでは、親子ともどもヴァカンスを満喫して、
それでも、「勉強の継続性がー」とか「経済が まわらんくなるー」とか、
ついぞ聞いたこと ない。
この彼我の差は、何ゆえやねん?
(ぐやじい
)
地方の避暑地へと繰り出して、地方が書き入れシーズンとなってもいいじゃないか?
日本国内での避暑を奨励、こういう政策が あってもいいじゃないか?
まあ、いまや、日本の何処に行こうが、暑いことに変わりは ないのか。。。
でも、こうなってくると、
かつて『ソ連』時代の奨励策だったんだろうか、私は詳しくないけど、
夏のあいだの別荘と付随する菜園を、一般の国民が各自保有しているというロシアの風習、なかなか合理的なんじゃないかという気が してくる。
あるいは、夏休みのあいだ、子どもたちだけを預ける、キャンプみたいな制度。
そんなに、「勉強の継続性が損なわれる」のが心配なら、
大学生のアルバイトでも雇い、地方の避暑地で、子どもたちの夏季学習でも行なったらいい。
現代は、ほぼ「猫も杓子も」で、大学出てる親が多いんだし、
親子ヴァカンス中に、自分の子の勉強を見てやったらいい。
で、「アスファルト ジャングル」都会では、街の乗用車もエアコンも、一斉お休みだ。
しかし、いまどきになっても、「インターネット授業」とか できないんかね?
はやいとこ検討にかかっといたほうが いいぞ。
今夏以上の事態を繰り返す恐れが続いていくんだから。
まあ、グランド デザインというものが からっきし できてなかったんだわな、付け焼刃の精神論で誤魔化し続けた日本は。
戦後の何十年を牛耳ってきた自民党は。
やっぱり、もう手遅れか。