2024.09.29 (Sun)
『【続】秋の美術鑑賞の巻』』の続き。
『マダムX(ゴートロー夫人)』については、
エロ過ぎケシカラン!というフランス人を、私ら日本人から見れば、これは意外なという印象も あるくらいに、おたくらが言うのか!?てなもんだけどw
ただ、『イタリア』人に負けず劣らず、性的な方面に、えらくサバけたイメージある『フランス』人とて、たぶん、19世紀始めくらいまで?ほんとうに厳格な面は、あるていど大きく残っていたのじゃなかろうか。
と言うのは、
以前も述べたように、私も、美術鑑賞は大好きなので、とりわけ、絵画の分野は、かなり昔のものも、もちろん、直接の実物鑑賞は難しいから、ほとんどは記録的に撮影された画像などが最多なのだが、
先述のとおり、だいたい19世紀の、少なくとも初期あたりまでは、まだ、地方の一般人の場合は、結婚前の うら若い女性でさえも、首筋まで ぴっちり覆うような上着に、スカートは勿論のこと、足先まで覆う長さだし、しかも、色柄も地味。その多くは、黒っぽい、無地の衣装を着ていて、髪の毛も、きっちりアップに まとめあげ、そのうえ、被り物で、これも また、髪を覆うようにしていることも多いのだから、まるで修道女だ。
なんなら、『イスラム』教徒の女性の服装と、大差は ないと見受ける。
山田氏は、当番組の終盤に おいて、フランス人の、「アメリカ人であるサージェントたちに対する差別意識」が あったのでは ないかということを指摘しておられたけれど、
フランス人って特に、プライドが高いと同時に、外国人を蔑視する傾向がキツイとも聞いてるし(日本人は、ノイローゼに陥って帰国する率が高いのだそうな)、それだけに、
歴史の浅いアメリカ人ごときが、わが芸術の国、おフランスで生意気にも、、、
というネタミ混じりだったかもしれない。
そこには、おそらく、同じ『キリスト教』圏でも、宗派の大きな違いも絡んでいたかもしれないし、
その昔は、太古の神々や神話の世界を借りての裸体画は許されても、現実に存在している人の姿を用いた表現はダメぜったい、という感覚は、ある面で、『カトリック』と『イスラム』教との共通性も あるのでなかろうかとも感じる。そもそも、ルーツが同じなんだもんね。
『イコン』の、不自然なほど単純化された描き方も、敢えてのことだそうだし。
イスラム教では、しまいに、極端な偶像ヘイトゆえか、文字や数字のみを用いて象徴するらしいけど。
まあ、私もね、動機は無関係だが、小学生の頃、趣味で描いてたマンガ作品の登場人物を全員、数字で描いたりしたことが ありましたw
それを見てもらった幼なじみに、心底から呆れられたという話も、過去エントリーで触れたけど、算数は大の苦手だったのにww
数字に、キャラクターまでも込めて表現してたつもりだったのよね。
念押ししておくけど、動機は、イスラム教と全く関係なしよ、もちろん。
また、
くだんの『マダムX(ゴートロー夫人)』は、
非常に「目立っていた。この作品、出来が良すぎたんだよ」
ということも、山田氏は おっしゃっていたけれど、
目立つ、ってのは、これも、うちの過去エントリーで論考したことが あるとおり、
まず、攻撃のターゲットになりやすいことの基礎条件にもなるのよね。
単なる「ネタミひがみ」の類は、それは、何らかの意味で、往々、突出した存在に向けられるわけだけれど、それ以上にも、仲間や周囲を巻き込んで、外敵の攻撃を受けやすくなる恐れが伴い、そのとき、真っ先に、ターゲットとして旗印になってしまいやすいのが、目立つ存在、その目立つ存在のせいで巻き込まれるじゃないか、という、要するに、これも野生だった頃の名残りの心理のうちなのだろう。
ま、とにかく、サージェントには、「おお!キマッてるなあ」と唸りたくなるような典型シーンを切り取って描くのが、やけに上手い、という印象が ある。そして、やはり、映画のように近代的だ。
話題を転じて、
同じく『オトナの』で、ずっと前、日本で長らく生活していたことでも知られるフランス人の画家、ビゴー氏の巻も見せてもらっていたのだけど、
彼が描いた作品の一つに、西洋(風)の裸体画の大作(但し、黒田清輝の作)を展示している前で、恥ずかしさの あまりか、顔を、和服の袂で覆っている日本女性の後ろ姿を中心に描写したものが あるけど、その女性の着物の裾が思いきり絡げられていて、ほとんど お尻の近くまで露出してる、って姿ね。教科書にも載ってたね。
まあ、ビゴーたちに言わせれば、
おいおい、ムジュンしてるやん、
ってことなんだろうけど、
当時の日本人から言ってしまえば、「それは それ」ということなんだろう。
たとえば、
江戸時代あたりに、強風が吹いている街なかの通りをスタスタ歩いている若い女性が、着物の裾を風に捲りあげられた ひょうしに、ふとももの付け根あたりまでバーッと露出しても、平気の平左だったと。
なんせ、パンツ履いてない時代だよ?(苦笑)
パンツの問題についても、いつだったか、過去エントリーで論じたことが ありました。
たしか、どこかの街のデパート ビルで大火災が起きたとき、下半身が露出してしまうことを恐れて、何人もの女性たちが逃げきれずに、むざむざ亡くなってしまった悲惨な火災事故を切っ掛けに、(下着の)パンツというものが、本邦に入ってきたという経緯は、これも、学校で聞いた話の一つでは あったが、
やっと、パンツなるものが出回り始めた当初、非常に羞恥を覚えた女性たちが多かったと。
要するに、「おまた」部分に直接的に触れるカタチで覆うことが、えげつなく恥ずかしいという感覚だったそうな。まあ、ある意味、わからんでもないw
なんせ、それまでは、「おこし」ですからな。「おこし」を、腰に巻き付けるだけですから。
あと、混浴風呂とかね。
お風呂なんだから、マッパあたりまえじゃん!という感覚しかなかったのかな?
やっぱ、「それは それ」ということだったのだろうかと。
医師に診察してもらうのに、裸になることを恥ずかしがるという感覚は、現代でも、そりゃ、女性の場合、男性医師に対する抵抗感が全く ないとは言わないが、恥ずかしいなんて言ってる場合じゃないから、やっぱり、「それは それ」ってことでしょ。
だからこそ、医者がヘンタイ、スケベイなのは困る。ほんとうに、困る。
あ、そう言えば、
『スコットランド』あたりの男性の民族衣装って、巻きスカートみたいなやつじゃん?『キルト』とかいう。あの下は、伝統として、パンツ履かないらしいね。そのことで、何かの事件が起きたという話も、むかし、聞いたことが あるw詳細は忘れたけど。
またぞろ、そう言えば、なのだが、
『イタリア』在住の日本女性も言ってたけど、さすがに『カトリック』の気風が残っているのか、現代イタリアでも、教会内に入るときは、肩や脚を露出した服装は、なるべく、ひかえたほうが よいとか。
ただし、昔から、王侯貴族や上流階級となると、パーティ、とりわけ夜会の類が多く催されるわけで、そういう場では、肩やデコルテを思いきり盛大に露出してるよね。
なんか、大昔のヨーロッパでは、女性の腕が、肩から伸びているということを見せるのはタブーだったとかいう奇妙な話も聞いたことあるけど、
ヘンなの~なんでやねん??と思ったwいまでも、理解できてない。
あと、
まあ、さすがに、脚は剥き出さないかわり、ウエストを、これでもか!というくらいに締め上げ、かつ、ヒップ部分を盛大に強調したスタイルとかも あるよね。
露出こそ しないけれど、想像させるような強調は、思いっきり、やるのねw
ところで、
かの『エリーザベト皇后』の肖像画を多く描いたことで知られるヴィンターハルターの巻も覗かせてもらったんだけど、
エリーザベトは、殊のほか、ウエストを締めつけていたせいも あって、あの、暴漢に襲われた事件時の出血が酷かったらしいけど、
結局、高齢になるまで、だいたいは終始この締めあげ状態のままなんでしょ?よくまあ、ガマンできるもんだなと思う。
似たような話で、
フランス発祥なのかな?あの、シュミーズみたいなドレス。『エンパイア』様式っつうのとか。あんなのを、極寒の真冬になっても着つづけて、せいぜい、ストールを巻くくらいで、寒さに耐えて耐えて、肺炎で亡くなる女性が続出ってね。
瞳を つぶらに見せるため、瞳孔を開かせる作用のある毒草を使ってたとか。こわ~
ちなみに、
常にウエストをキツく締めあげていたというわりには、信じられないほど活発なエリーザベトは、もともと、旅行などを好んでいたというだけでは なく、堅苦しい宮廷生活が厭だったという以上に、居づらかったせいも あったのでは ないだろうか。
たった一人の跡取り息子の不祥事と死、
夫である『皇帝』フランツ・ヨーゼフの晩年、大の お気に入りだった女性の存在とか。
この女性は、容姿を大いに誇っていたエリーザベトとは、何もかも対照的で、庶民的で、苦悩の多いフランツ・ヨーゼフにとっては、精神面での安らぎが満たされる存在だったとか。
日本女性で、東欧の大貴族(クーデンホーフ・カレルギー家)に嫁がれた青山ミツ(光子)さんも、あちらで、ドレスを着用するとき、ウエストの細さに、現地の人たちに驚かれたって話が あるけれど、小柄だったことも あるだろうが、やっぱり、帯のせいかね?
私なんか、お正月に和服を着ても、着慣れないせいだろうけど、ものの数時間で、たちまち、脱ぎたくなるもん。
特に、帯。日本の、極太サッシュよねw
とりわけ、若い女性用の帯はね。なるたけ、胸高に締め、背中に、やけに大きなリボン結びするじゃんw崩れちゃいけないから、背中を もたれさせることも できかねるし。
脱いだとたん、はあ~ぁって、溜息が出るわ。
これで、1年後まで、ふるふる、着とうは ないわ、ってなとこ。
もっとも、大昔は、和服と言えど、庶民は、わりとルーズな着用の仕方だったみたいだけどね。
そりゃそうよねえ。でないと、家事どころじゃないよ。
歴史上の和服の変遷を眺めていて、見た感じ、いちばん合理的じゃないかなと思うのは、『元禄』時代のものだわね。袂も筒袖っぽくて短いし、帯も細帯だし。なんとなく、男性的な雰囲気を醸し出しているふうにも見えるのがオモシロい。
それから、
ヴィンターハルターの作品の一つである、『ステファニー王女』の肖像のこと。
【訂正!】
これは、ハンス・マカルトの作品のことでした。うっかり間違えちゃった 国や時代に共通性が あるせいか、ヴィンターハルターと同じくエリーザベトの肖像を描いたゲオルグ・ラーブなどとも、雰囲気が似てるんだよね。
私は、エリーザベトの華麗きわまる肖像画に負けないくらい、『ハプスブルク』宮廷へ御輿入れ間もない頃らしいステファニー王女の、いかにも初々しい装いの、清楚な肖像画も大好きで、じつは、旧ブログのときから今のブログでも、ある意味、シンボルとして用いさせてもらってます。
まあ、こちらの肖像画も、エリーザベトと同様、非常に上手に、さりげなく「盛って」ますけどな(笑)
でも、エリーザベトの肖像とは全く異なる雰囲気で描かれたステファニーの真っ白な衣装やアクセサリーづかいなども、ほんとうに、あか抜けして、上品だ。
ファッションで、その人物の年齢や立場を如実に表現していると思う。
さすがはハプスブルクのセンス、ってなところかな?
実際の彼女は、初めて出産して ほんの数年後、例の「『ルドルフ皇太子』心中事件」によって、宮中での生活は、あまり幸せなものでは なく(姑のエリーザベトにも疎まれたとか?)、しかも、実家の『ベルギー王室』からも、冷淡な扱いだったそうだから、
あの はにかんだような清純な ほほ笑みを浮かべた肖像画を見るたびに、ちょっと複雑な気分にも なってしまうのだけれど。