2015.05.11 (Mon)
『「格差」「近隣の善意」といったキーワードで私にも思い当たること』
の続き。
…
私の母と、父その前妻の家族らとは、もともとは、近所の顔なじみだったのだそうで、
母方の伯母の養子として、赤ん坊のうちに もらわれていた父が、戦後、先に一人だけ、本当の実家があった出生地である大阪に出て、仕事の基盤を固めつつ、父の養父(私から見て義理の祖父)を看取らせた妻子を呼び寄せ、なんとか、一家そろった生活を始めていた。
大阪のド真ん中育ち、都会っ子である母の話では、当時、彼らは、関東の片田舎から出てきて日も浅く、見るからに、なんとも だらしない、貧しい生活ぶりだったらしい。
養子先の伯母の家庭も、夫が甲斐性なしで貧しかったそうだが、
父の本当の実家では、元運輸官僚だったという親(私から見て実祖父)が、海運会社を経営していて、羽振りが良く、たいへん裕福だったのが、
その実父も、養子に行った先の伯母も、まだ若くして、それぞれ癌で亡くなっている。
父の実父という人は、官僚を辞めたあと、一代で起こした企業経営者となってから、ますます、気の短さと怒りっぽさが猛烈になっていったそうだが、
青年の頃に、技術官僚として赴いていた関東の田舎で、本当は、最初、父の伯母のほうに一目惚れしていたのを、あいにくと、すでに人妻だったことから、妹が存在していることを聞きつけた直後、顔も見ないうちに、早速、結婚を申し入れ、決めてしまった。
ところが、いざ、婚礼の日に、花嫁と、ご対面したとたん、、、
父の実父は、その目出度き婚礼のあいだじゅうを、さめざめ泣いていたという。(爆)
どんなんやねん(爆)爆)
要するに、
実姉妹なのに、美人の姉とは似ても似つかなかったということらしいw
このエピソードを、父の実母の通夜の席で、父が、うあははは、と大笑いしながら暴露したものだから、
実家の妹たちが、
「いくら、うちで育たなかったからって、自分にとっても実母には違いないものを、そうやって嗤うか」
と、烈火のごとく怒ったそうな。
ま、それでも、泣いた花婿は、実際に顔を見てガッカリしたはずの新妻とのあいだに、その後、何人もの子どもが生まれている(笑)
案外、そんなもんだ。
で、うちの母だが。
まさに「おせっかい」を絵に描いたような典型タイプだったから、
やがて親父が、こっちも、すでに人妻にして、幼い娘もいた母の際立った美貌とキップの良さに惚れて、執拗に つきまとい始める前から、
父の最初の嫁さんの子らが、いつも ひもじそうにしているのを気にかけて、たびたび、おやつ等を与えたり、親切にしていたという話は、私も早くから聞かされていた。
まあ、私自身で見てきて知っていることではないので、多少は割り引いて受け取るべきかとも思うが、当時の事情を知る人の話では、そのとおりのことだったんだよ、とは言っていた。
父の先妻は本当に、どこの田舎者かと思うくらい、育ちの悪さと品のなさで、近所でも顰蹙を買っていたという。
子どもらのことも、ろくに世話を せず、放りっぱなしだったそうだ。
子どもも子どもで、自分たちの母親を軽蔑していた。
それでも、
実母に対する、そして、継母に対する その心理は、たとえようもなく複雑なものだ。
私の母は、自身も、その父の後妻である義理の母親のもとで育っている。
そうして、ごく若くして、親のつごうで決めた相手の、これまた顔を見ないうちに、否応もなく嫁がされ、とうとう、最後まで、相手を好きになれなかったようで、そういう、心のなかの虚しさを秘めていたかもしれない。
そこに、嫁も子どももいる、暑苦しくも すけべい30男が現れたわけだw
母方の祖父も、もともと資産家で、家庭の経済は、いたって裕福だったにもかかわらず、母たち先妻の子ども全員が、進学の希望を断ち切られていった。
私が聞かされた話では、
母の義理の母親、すなわち、私から見て義祖母は、子ども時分の母が関わった、ある出来事が切っ掛けになって、のちに、家系・出自も育ちも教育レベルも何もかも世界が異なる、私の祖父の後添いとなったのだが、
初婚のときに産んだ子どもを連れていた彼女は、大変に貧しい家庭の出で、読み書きすらも、教わる機会がなかったそうだ。
祖父と結婚してから、街の看板などで少しずつ文字を覚えていき、お金の計算にも、自分なりのコツがあるのさと言っていた、気が荒く野性的ながらも、実は知能がズバ抜けていることを、うちの母らも秘かに認めていた彼女が、私の祖父とのあいだに産んだ息子たちは、両親の どちらに似たのか、いずれも優秀で、医学部を出て医師になった者もいるが、
先妻の遺児である、私の母親にしても、
また同じく、
実の兄弟たちにしても、学業であれ何であれ、成績優秀だったことに何ら遜色はなく、
それだけに、
なさぬ仲の子らとの年齢が、わりと近くて若かった継母の嫉妬によって、勉学の邪魔をされ、進学の希望を徹底的に潰された悔しさのことは、私が幼稚園に行くか行かぬかくらいの年齢から、さんざん聞かされた。
で、
うちでは、わりと最近、実家の父親が亡くなり、
そのおりに、一人だけ、先妻のほうに引き取られていた娘というものに、生まれて初めて
(実際には、私らが乳児の頃の一時期、私の母の手元で一緒に暮らしていたらしいのだが、もちろん、記憶にない)、
ご対面する機会があったのだが、さっそく、厭味のかぎりを言われました。
私のほうの母も、とうに亡くなってるし、
うちの父母のあいだに生まれたのは、私だけだから、
他は全員、父の先妻の身内。
多勢に無勢とは、このことw
そのとき、先方に言われたことのなかに、
「死んだ兄は、本当は、早稲田大に行きたかったのに、無理やり、近場の国立大学に行かされた」
とか、
「姉にしたって、頭が良いのだから、本当は、大学に行きたかったのに、義理の おかあさん(私の母親)に反対された」
とか。。。
言いたいこと言ってくれちゃって
【続く】